587 骸
五百八十七
「ふむ、これが……というか何かよくわからん感じじゃな」
ダンタリオンの優れた悪魔魔法の知識によって罠は瞬く間に解除され、安全に石櫃を確認する事が出来た。
そしてそこにあった『魔物を統べる神』の骸を前にしたミラは、これが例のぶつで間違いないのだろうかと首を傾げる。なぜならそこに納められていたのは、ミイラのような──身体の一部だと目に見えてわかるものではなく、ただの白いレンガ状の物体であったからだ。
「それはもう厳重に封印されておりますので。見たところこちらは、右腕でございますね」
素早くミラの脇に着いたダンタリオンが、そのように解説する。どうやら白いレンガのようなそれは、神々が創り出した封印物質のようなものだそうだ。
これがある限りは余程の災厄でも重ならない限り復活するような事態にはならないはず、との事である。
「──とはいえ、封印の地からのエネルギー供給が断たれた今、それも時間の問題ですが」
封印場所が霊脈の近くに存在していたのは、この封印の維持にも関係していた。ゆえに今のままでは、いずれ骸から漏れ出す瘴気に耐え切れなくなり封印が破れてしまうわけだ。
とはいえそれは数十年先であるため、ゆっくり確実に対処していけばいいと、ダンタリオンは落ち着いた声で告げた。
『封印に綻びはないようだが、相変わらず、なんと忌々しい……』
『ええ、本当に』
これの危険性、そして厄介加減は相当なようだ。当時の事をよく知っているからこそなのだろう。珍しく精霊王とマーテルの声には不機嫌さが交じっていた。
だが同時に『とはいえ、随分と大人しくなったようだな』と、少しだけ安堵した言葉も続いた。
どうやら封印直後の状態に比べると、今の状態は驚くほどに弱体化した様子だという。
『苦労した甲斐がありましたわね』
当時を知るからこそ、マーテルもまたその点については嬉しそうだ。
「ともあれ、無事に目標達成ですね」
色々あったが任務は完了だ。後はこれをどうするかだが、その点については既に話がついている。
今の状態や影響力など詳細なデータをとるため、アンドロメダに見てもらう予定だ。つまりは、日之本委員会の研究所まで運ぶわけである。
ただヴァレンティンは一先ず目標物を見つけられた事に安堵しながら、それでいて少しだけ距離を置いていた。
「うんうん、楽勝楽勝」
ハミィもまた口では陽気に振る舞いながらも、そこから先には踏み込もうとしない。
その原因は、やはり『魔物を統べる神』の骸であろう。
ダンタリオンのみならず精霊王も、今の封印状態なら持ち運びも可能であると言っている。けれどそれは封印されている状態にもかかわらず、時折小刻みに震えたり何か変な音を発したりと、とにかく不気味な代物だったのだ。
「それで、この後これをどうするつもりなんだ? 運び出すっていうのなら、これを使うのがいいと思うぜ」
ものがものだけに、かなり厄介である。となれば当然、相応の場所に運ぶ必要があるが見ての通りの不気味さだ。だからこそミラ達の心情を察してか、デラパルゴが、これまた不気味な袋を持ってきた。
いったい何を編んで作ったのだろうか、真っ黒で艶の無い袋だ。
「さあ、これで大丈夫だろ」
デラパルゴは、何を気にした様子もなく『魔物を統べる神』の骸をむんずと掴んで黒い袋に放り込み、その口をしっかりと結んでみせた。
「……」
そうして差し出された黒い袋だが、ミラ達は誰一人として受け取ろうとしなかった。袋の中に隠されたものの、そもそもその袋自体も気味が悪かったからだ。
何となく滲み出ている禍々しさからして、何かしらの呪物であるのかもしれない。
「ところでさ、その袋って……何で出来てるの?」
気にはなったが聞くと余計に受け取れなくなりそうな気がするところだが、好奇心が勝ったのか。ハミィがそこに一歩踏み込んでいった。
「……あー、まああれだ。結構な高級品だぞ」
やはりというべきか、少々伝え辛い素材が使われているようだ。明確な答えを避けたデラパルゴは、けれど「一定時間ごとに三人で回して持てば、まったく問題はないぞ!」と、それはもう安心していいといった顔で告げた。
(見た目通り、マジもんのようじゃな……)
毒を以て毒を制すという事か。呪いのようなものをまき散らす骸を持ち運ぶためには、相応の代物が必要なのだろう。
とはいえ素直に受け取るには、少しばかり勇気が必要だ。しかもアイテムボックスに入れていいものなのかどうかという疑問も浮かぶ。
試すだけでも抵抗がある。何なら中身の全てが何か底知れぬものに汚染されそうな気すらすると、三人とも警戒気味だ。
よって誰一人名乗り出る事はなかったが、そういうわけにもいかない。
「ところで彼さ。何か見た感じ大丈夫そうだし、そのまま一緒に来てもらえばいいんじゃない?」
骸も袋も、まったく抵抗なく手にしているデラパルゴ。そんな彼を見やりながら、ハミィが提案をした。
「申し訳ありませんが、彼はこの後、私が拠点に案内する事となっておりますので」
ハミィの案を切り捨てたのは、ダンタリオンだ。曰く、浄化したばかりの悪魔は色々と不安定になる事があるため早めに拠点へ連れていく必要があるという。
そして今回、ダンタリオンはその役目も兼ねて、ここにやってきたという事だ。
「ああ、この不肖ダンタリオン。このまま君主様のお役に立ちたいのですが、そこの小僧を連れ帰るという役目故にこの場を離れなければいけません」
なんだかんだでダンタリオン自身も、あの後拠点でゆっくり出来た事で、もうすっかり記憶なども落ち着いたらしい。
ただ、だからこそなのか。何となくその変態性にも磨きがかかっていた。謝罪を口にする彼は、それに乗じるかのように自然な所作でミラの手を取り、それはもう愛おしそうに撫で回していたのだ。
浄化直後でもなかなかだったが、それでもまだ本調子ではなかったようだ。
「ですが君主様のためならば、送り届けてからまた直ぐに駆け付けましょう!」
「いや、お主はデラパルゴの面倒をみてやってくれ」
次には舐め回されるのではないかという状態の手をそっと引っ込めたミラは、喜び勇むダンタリオンの提案を即座に却下した。
骸とダンタリオン。注意するものが二つに増えてしまうだけだからだ。
「承知いたしました……」
しゅんと肩を落とすダンタリオンは、哀愁に満ちていた。
「それで、どうしよっか」
「ふむ、どうしたものかのぅ」
ともあれ日之本委員会へ運ぶためにも、呪物の如き黒い袋を受け取らなければ始まらない。では誰が、その一番手になるのか。
三人の内の誰かが持たなければいけないとなった今、その担い手は流れるように、それこそ自然と決定した。
「……ですよねー」
ミラとハミィの視線が真っすぐヴァレンティンに突き刺さる。聖術士の他に退魔術士もまた、そういった方面に対する強みというのがあるためだ。
それもあってか、なんとなく予想は出来ていたのだろう。ヴァレンティンはデラパルゴから大人しく黒い袋を受け取った。
「うわ……これはまた何とも……。ちょっと念には念を入れておきますね」
黒い袋を手にした瞬間、ぞわりと全身を震わせたヴァレンティンは一も二もなく結界術を発動し、黒い袋を多重の結界で包み込んだ。
「さて、素早く迅速に一秒でも早くこれを届けましょうか!」
気休め程度にしかなりそうにないが、悪寒は多少薄れたようだ。とはいえ、劇物である事に変わりはない。早く持っていき手放すに越した事はないと、その顔が語っている。
「うむ、そうじゃな。では早く──」
と、ミラはそこまで口にしたところでふと思った。状況が状況であるため、ここは一つリーズレインの手を借りるのもありではないかと。
ただの私用で頼むのは色々とおこがましい事に加え、傍にいるはずのアナスタシアよりハネムーンの邪魔をしたという理由でどのような怨念を送られるかわかったものではない。
だが今回の用事は、大陸規模の問題に関係するものだ。それならば許されるのではないだろうか。大目にみてもらえるのではないか。そんな可能性を見出したわけだ。
『──という事なのじゃが』
はたしてどうだろうか。素早く効率よく最速で送ってもらえるかどうかと、その案を精霊王に相談してみたところ──。
『それは避けた方がよいかもしれないな』
そんな答えが返ってきた。
精霊王曰く、転移という特殊な状況下に対して魔物を統べる神の骸がどのような影響を及ぼすのかわからないからだそうだ。
厳重に封印してある事に加え以前よりも大きく弱体化してはいるそうだが、今もなお秘められた力は健在。
そしてリーズレインの転移移動というのは、その能力ゆえに一度異空間を経由するものになっている。問題は、その異空間という特殊な環境で、以前に骸が不穏な反応を示した事があったという事だ。
今は随分と弱体化しているため何もない可能性もある。だがかつて、骸の封印場所として異空間を試したところ、何やらその場にリーズレインすら把握出来ない歪みのようなものが生じてしまったらしい。
しかもその時点でリーズレインの制御外となり、もはやどうする事も出来ない状態だったという。
なお、その異空間は今もまだ状況不明という状態のまま、リーズレインによって完全に閉鎖されているとの事だ。
『──というわけでな。通過するだけであっても何かしら影響が出るかもしれない。場合によっては、転移用のそれを閉じるような事態になる恐れもある。今回は地道に運ぶのが一番だろう』
それが精霊王の答えだった。そしてマーテルも『見た目は心配になるけど、見た目だけだから大丈夫よ』と、気休めになるのかならないのかわからない言葉を送ってくれた。
ともあれ、そうして役割が決まったのなら後は動くだけだ。
もうここに用はないと、ミラ達は迅速にその場を離れ、デラパルゴの案内で地上に出た。
「では君主様。このダンタリオン、貴女様の命に従い、この小僧を送り届けてまいります」
じめじめとした森の中。こちらもまたねっとりぬらつくような所作でミラの手を取るダンタリオン。その仕草は変態染みているものの、その表情だけは女王に仕える騎士然としている。
「うむ、任せた。任せたから、その手付きを止めんか!」
撫でり撫でりとそれはもう愛おしそうに指を絡みつかせて来るダンタリオンの手を容赦なく振り払ったミラは、とっととデラパルゴを連れて帰れと告げる。
「ああ! 君主様のその目、素敵です!」
いったい何がどうして彼の琴線に触れたというのか。引き気味なミラの視線を受けると同時、ダンタリオンはその顔に更なる喜びを浮かべたではないか。
そして彼は、とても嬉しそうにしながらデラパルゴを連れて帰っていった。
なお転移の直前、デラパルゴの顔に『こいつ、本当に大丈夫なのか?』というような不安が浮かんでいたが、その件についてはミラにしても保証外だ。ただただ無事を祈るのみである。
(元公爵級悪魔という事で思わず飛びついたが、やはり契約は早まったかもしれん)
聞いたところ、ダンタリオンは君主に仕える騎士の高潔さに憧れていたという。だがそれが、どうみても屈折気味であると苦笑するミラは、今後どのように付き合っていくべきだろうかと心の底から悩む。
なお、そんなミラの心境など知らぬどころか、むしろそのくらいに屈折した忠義を欲しがる者もいた。
「やっぱりいいなぁ、いいなぁ。あの絶対的な僕って感じが特にいいなぁ。ボクも、ああいうのが欲しいんだよねぇ」
そう、ハミィである。こちらもまた屈折気味な承認欲求の持ち主とあってか、それこそ今のダンタリオンのように情熱的で盲目的、尚且つ偏愛的に求められる事を望む彼女にとって、彼の忠義の表現は心に強く刺さったようだ。
いったいハミィは何を妄想しているのか。そして何を求めているのか。羨ましいと微笑むその顔は、にんまりと艶めかしかった。
デラパルゴの隠れ家にて目標物の入手に成功したミラは今、日之本委員会の研究所に向かう最中にあった。
場所は上空、ガルーダワゴンの中。そこにはミラとヴァレンティンのみならず、ハミィの姿もある。今回の一件にここまで関わったのだからと、その結果を見届けるために同行を続けるそうだ。
とはいえアトランティス側からしても、魔物を統べる神の骸についての情報を得ておきたいはずだ。だからこそ最後までハミィが付いてくるのは決まっていたようなものだ。
そうして始まった空の旅だが、前回──エノシガイオスからレムリア大森林までに比べると、今回の日之本委員会まではかなりの距離があった。
ゆえに自ずとワゴンで過ごす時間が増えるわけだが、そうなれば当然避けられない生理現象もまた訪れる事になる。
「えー、こんなところにあるんだ!」
先に尿意を訴えたのはハミィだった。とはいえ今は海の上。着陸も出来なければ、外で適当にというのも流石に落ち着かないと駄々をこねた彼女にミラが教えたのは、押し入れの下にある備え付けのトイレだった。
とはいえそれの使用については、一人旅を想定したもの。つまり使用時のあれやこれやといった点についての配慮は、そこに存在していないわけである。
ゆえに、こうして三人もいる時に使うというのは色々な勇気がいるものだ。
「それじゃあちょっと使わせてもらうね!」
だが、それ以外の方法に比べれば十分と考えたのか。余程限界が近いのか。そこで用を足す事を選んだハミィは、そろそろまずいと顔に浮かべながら慎重な足取りで押し入れに入っていく。
「あ、聞き耳とか立てちゃダメ……だから、ねぇっ」
もうギリギリといった様子でありながら、それでもヴァレンティンをからかう事を忘れないハミィは、ひょっこり顔を出して、そんな言葉を口にする。
「わかってますから、立てませんから!」
もしかしたら若干聞こえてしまうのでは。そんな思いが微かにあったのだろう。ヴァレンティンは慌てたように耳を塞ぎ、その場に突っ伏して見せた。
「馬鹿な事しておらんで、とっとと出してこんか」
反応するヴァレンティンもヴァレンティンだが、限界ギリギリでもまだ仕掛けるハミィのその根性はいったいどこから来るというのか。ミラは呆れながら押し入れの戸を閉めるのだった。
ビーフたっぷりカレーを作ったあの日から幾星霜。
遂に追いカレールーをする日がやってきました。
フレークタイプのカレールーを追加して味を調整してみました!!
結果……
少し美味しくなった!!!
くらいな感じでした……。
美味しくなったのはいいのですが、やはり期待していた美味しさには届きませんでしたね……。
そう思うと美味しさを期待する基準となっていた、以前作った豚バラたっぷりカレーの完成度といったら。
簡単でありながら、これの美味しさが突き抜けていたというわけですね。
やはり
脂!!!
美味しさは、脂!!!
牛バラカルビカレーとかにしていたら、もっと違った結果になっていたのかも!?