583 レムリア大森林
五百八十三
アトランティス王国の首都エノシガイオスより飛び立ってから数時間。ミラ達を乗せたガルーダワゴンは、レムリア大森林の上空にいた。
「この辺りが限界ですね」
「ふむ、では降下するとしようか」
現在地はデラパルゴが潜伏している場所よりも、そこそこ距離の遠い地点だ。ヴァレンティンが言うに、索敵の得意な悪魔なら、この幾らか先くらいから警戒範囲に入ってしまうそうだ。
よって余裕のある地点で空からの接近を終わらせ、地上に切り替える。
とはいえ、下は鬱蒼と茂った森だ。しかもこの近辺は、雪の積もった常緑樹地帯となっている。
ゆえにワゴンを着陸させられるようなスペースはないため上空からの降下となる。
ギリギリまで高度を下げてから、ヴァレンティンとハミィが森に飛び込んだ。そしてミラはというと、初めにワゴンを回収してから「ご苦労じゃったな」とガルーダを労い送還した後、空闊歩で森の中に下りた。
(出来れば、もっと近づきたいところじゃったが、まあ仕方がないのぅ)
出来る事なら目標地点の直ぐ近くまで接近したかった。
けれど静寂の精霊ワーズランベールの力を以てしても、かなり厳しいというのが現状だ。
何故なら、相手が悪魔だからである。中でも探知が得意なタイプであったとしたら特に厄介だ。ゆえにその目を相手にガルーダワゴンを隠蔽するとなれば、光学迷彩だけでは足りない。
けれど更に隠蔽効果を追加するとしたら、その分範囲が狭まってしまうためガルーダワゴン全体を覆いきれなくなってしまうのだ。
万全を期するならば、その範囲はペガサスでギリギリといったところだろう。だがそうなると今度は、ミラとヴァレンティン、ハミィ、そしてワーズランベールがペガサスの背に乗らなくてはならなくなる。当然ながら、今度はペガサスの方が耐えられず、そもそもそんな人数が背に乗れるわけもなかった。
「じゃが、いずれはきっと……」
今はまだ不可能だ。けれどワーズランベールとの絆が更に深まっていけば、もっと融通が利くようになる。
そうなったらガルーダワゴンごと。と、ミラはそんな未来を思い浮かべながら先に下りていたヴァレンティン達に合流した。
レムリア大森林の地面は上空から見ていただけのそれと比べ、まったく印象が違っていた。
「なんというか……森と聞くと清々しいイメージじゃが、ここは別物じゃな」
「間違いなくホラー寄りですよね」
ミラが感じた通りの印象を口にしたところ、ヴァレンティンも似たような事を思ったようだ。
空から見えたのは槍のように並ぶ木々と、そこに積もる雪だけ。けれど地上はどうだ。非常に薄暗いながらも上を見れば樹木の緑が目に入り、足元はひたすらに苔塗れの泥濘が広がっていた。上にはあれだけ雪が積もっていながら、地面にはそれがほとんどないのである。
頭上は緑と雪に覆われ、抜け入る光は最小限。しかもかまくら効果でもあるのか地面が凍るほどではなく、泥のままだ。
ハミィいわく、一帯の常緑樹の枝はとても太く極めて強靭なのだそうだ。そしてそれらが互いに絡み合う事で、積雪にすら耐えてしまうほどの強度に至るという。
「あ、でも時々、枝ごと雪が落ちてくる事があるから油断しちゃだめだよ」
巻き込まれたら怪我では済まない。ハミィはそう言いながら少し遠くの場所を指し示した。
木々の隙間から見えるそこには少し広めに光が差し込んでおり、そして大きな雪の塊の山が出来ていた。枝が積雪に耐え切れず折れてしまったと一目でわかる光景だ。そして同時に、あのようなものが上から降ってきたらたまったものではないと実感出来る光景でもあった。
「うむ……気を付けるとしよう」
「ですね……」
この地上を進む間、常に巻き込まれる恐れがあると知ったミラとヴァレンティンは、早速頭上を確認しながら頷いた。
「それじゃあ、出発しよっか。ここから先は僕の出番。二人とも、しっかりついてきてよね!」
少し不安げなミラ達とは違い、ハミィは随分と気軽に駆け出していく。調査隊のリーダーをしていたと言うだけあって、相当に慣れた様子だ。木の幹や低い枝なども足場にして、それこそ猿の如く森を跳び回る。
周囲は薄暗く、だからこそどこに何が潜んでいてもおかしくはない。しかも木の幹が無作為に乱立しているため、見通しもいいとは言えない。それでもハミィは、迷いも躊躇いもなさそうだ。
「これ! わしらの事も考えてはくれんか!?」
「駆け抜けていくとは聞きましたが、この勢いでとは聞いていませんが!?」
見失えば間違いなく迷子になると、直ぐに後を追ったミラとヴァレンティン。けれども現場慣れしたハンターと不慣れな術士となれば、その差は明らかだ。
「もう、しょうがないなぁ」
不甲斐ないミラ達を枝の上から見下ろしながら、にまにまと微笑むハミィ。その顔には、ありありと優越感が滲んでいる。少女然とした姿も相まってか、より小生意気さが際立っていた。
「おのれ調子に乗りおって──」
言うが早いか、対抗心をむき出しにしたミラは一気に全力で駆け出した。このまま勝ち誇らせたままにしてなるものかと。
「いいよ、勝負だね!」
「え! ちょ!?」
ミラのそれをスタートの合図として再び飛び出したハミィは、周囲の環境を器用に利用する。だがミラも負けてはいない。仙術士としての技を幾らか習得している事もあり、それなりの立体機動は可能だからだ。
対してヴァレンティンはというと、もはや完全に置き去り状態だ。とはいえ、はぐれるわけにはいかないため、こちらもまた問答無用で走り出した。
競争が始まってから一時間ほどが過ぎた頃、三人は岩場の近くで休憩していた。
「なんと、いいますか……。ハミィさんはともかく、ミラさんまで……なんでそんなに、平気そうなんですかね……」
岩の上で完全に突っ伏して荒々しく息をしながら、そんな恨み言を呟くのはヴァレンティンだった。
休憩中ではあるものの、その理由は彼の苦言通りヴァレンティンの体力が限界になったからだ。
彼自身、それなりには鍛えていたようだ。けれど流石にハンターであるハミィについていくのは容易ではない。だからこそ、そこは仕方がないと納得した様子だ。
けれど、基本的なポテンシャルはそこまで変わらないはずのミラが、あれだけの激しい運動を経てなおケロリとした顔でいるのは何故なのか心底気になったようだ。
「ふふん。わしはスタミナを補うための専用装具を特注したのでな。一時間程度なら全力で走り続けようと、この通り何ともないのじゃよ。本来は継戦時間の延長などを見越してのものじゃったが、こんな場面でも活きるとはのぅ」
先日、日之本委員会で作ってもらったスタミナ強化のための装備が早速役に立った。これは先見の明があり過ぎたかと、それはもう得意顔だ。
「スタミナ強化……それなりに考慮しているんですけどね──」
今は少し地味な衣装のヴァレンティンだが、それでも全身を覆うそれらは全てがかなりの逸品揃いだった。しかし、それを軽く凌駕していると思しき特注品は、いったいどれほどのものなのか。
ミラの表情から何となくだが、とんでもないものだとは察したヴァレンティンは、同時に自慢されそうだとも察して深く追求するような事はしなかった。
「ふぅ……まあ、それじゃあ行きましょうか」
どうでもいい話をする事、十数分。ヴァレンティンは、「もう競争は止めて下さいね」と続けながら立ち上がる。色々考慮していたと言うだけあって回復するのも早いようだ。ただ表情から察するに、万全とまではいかないらしい。
「おお、そうじゃそうじゃ。とりあえず出発前にこれを食べておくとよいぞ」
現在地点から目的地までは、まだまだ距離がある。そのため今のペースでは、あと数回の休憩は必要になるだろう。そしてその都度、ヴァレンティンに無理をさせるわけにもいかないと考えたミラは、ここでとっておきのマーテル特製ブーストフルーツを差し出した。
「果物、ですか? まったく見覚えのない品種ですが……これは?」
「とっても元気の出る果物じゃよ」
初見とあってか少々警戒気味のヴァレンティンに対し、それはもうにっこり微笑んで答えるミラ。
だが、その笑顔に白雪姫の魔女みを感じたのか、ヴァレンティンは怪しさしかないと苦笑する。とはいえ直ぐに秘められた精霊力を感じ取ったらしい、「ではまあ折角なので」と受け取り頬張った。
「え……!? 凄く美味しいですよ!?」
ミラの態度から、ヴァレンティンは最初にこう考えた。元気が出るというのは本当だが、味の方が問題なのかもしれないと。
凄く苦いのか、凄く酸っぱいのか、凄く渋いのか。そんな覚悟と共に齧ってみると、あら不思議。その果物は、これまで食べたどの果物よりも美味しいときたものだ。
「そうじゃろう、そうじゃろう。何といっても秘蔵の一品じゃからな。そこらの高級品と比べてもなお、格が違うのじゃよ」
その言葉通り、マーテル製の果物は驚くような効果に加え味まで格別だ。だからこそ、美味い美味いと喜ぶヴァレンティンの反応を前に、ミラはこれでもかと自慢げであった。
「え、気になる気になる! どのくらい美味しいの? 僕も食べてみたいなぁ!」
突如出てきた謎の果物。ハミィもまた何か怪しげなものが出てきたぞと思っていたようだ。けれどヴァレンティンが絶賛するものだから、余計に気になったらしい。可愛い子ぶりっ子で、ミラにおねだりする。
とはいえ多くを知るミラに、そういった手法が通じるはずもない。
「そんなに元気ならば必要はないじゃろう」
更に今回の用途は、スタミナ強化のため。まったく息切れしていないハミィには必要のないものだ。尚更彼女に食わせる分などないと、ミラはきっぱり告げる。
「えー、いじわるぅ! いいもん、それじゃあ──」
今ある分を頂戴しよう。その目を妖しく輝かせたハミィは、きゅるるんとした笑顔で振り向いた。
「ふぅ、ご馳走様でした!」
よほど美味しかったのだろう。直後にヴァレンティンは完食していた。そして満足そうな笑みで、「こんなに美味しい果物初めて食べました」と絶賛する。
「えー、なんだよもー」
それは特別なものだからとミラが得意そうに答える中、ちょっと残しておいてくれてもよかったのにと、ハミィが不貞腐れながらヴァレンティンを睨む。
すると次の瞬間、その視線がヴァレンティンの口元に向けられた。
「ねぇ、今キスしたらさ。その味が共有出来ると思わない?」
「……えっ!?」
舌なめずりするハミィを前に、たじろいで後ずさるヴァレンティンは「ちょっと難しいんじゃないですかね」と答えつつ口元を拭う。
「試してみないとわからないよ?」
「いえいえ、試すもなにも……」
じりじりとにじり寄っていくハミィ。対してヴァレンティンは少しずつ距離をとりながらも、無意識のうちに視線がハミィの唇に吸い寄せられていき、その顔は動揺で真っ赤に染まっていった。彼は今もまだ、こういった色仕掛けのようなものに全く耐性がないようだ。
「ほれほれ、からかうのはそのくらいにして、出発するぞ。まだまだ先は長いのじゃからな」
まさかこんな形で。そうヴァレンティンが覚悟を決めかけていた直後だ。ミラがそんな言葉と共にハミィの首根っこを掴んで引き剥がした。
「はーい。それにしても相変わらずなんだね、彼」
「うむ、まったく進歩がなくて、わしもびっくりしておる」
ドキドキの緊迫感はどこへやらと戸惑うヴァレンティン。その正面ではミラとハミィが、にまにまと微笑みながら彼の反応を楽しんでいた。
「えー……と……。──あっ! もう勘弁してくださいよ……」
動揺し過ぎていたからか初めの内はどういう事か気づかなかったヴァレンティン。だが少しの間をおいてようやく、ハミィにからかわれていたのだと察したようであった。
何だかんだありつつも、レムリア大森林攻略は問題なく進んだ。
性格はともあれハンターとしてのハミィは極めて優秀で、その役割を完璧にこなしている。
目標地点までの案内に加え、進行方向先にいる魔物や猛獣などの危険な存在をいち早く察知。睨み合いになる事もなく全ての戦闘を回避した。
またヴァレンティンにブーストフルーツを食べさせたのも効果的だったようだ。休憩回数と時間を大きく短縮する事に成功。
結果、ミラ達はその日の夜に目標付近へと辿り着く事が出来た。
「予測通りですね。僅かですがあの付近に痕跡が窺えます。反応からして、あの地下に隠れ家のようなものを作っていますね」
目標地点から少し離れた位置にある高台。小高い崖になっている場所の上に位置取ったミラ達は積もった雪の上に身を伏せて、デラパルゴが潜んでいると思しき地点を遠くから確認していた。
そこから見えるのは雪に埋もれた常緑樹だけ。しかも夜とあって視認性は極めて悪い。
だがそこで役に立ったのが、ヴァレンティンの持つ道具の数々だ。悪魔の浄化を目標としているだけあって、悪魔調査専用の道具が幾つもあった。
そしてそれらは、このような環境でも十分な性能を発揮してくれた。計算で割り出した場所で悪魔の反応が確認出来たのだ。どうやら悪魔デラパルゴは、その地点の地中深くに潜り込んでいるらしい。
「よし、では後は捕まえて浄化して骸の隠し場所を聞き出すだけじゃな」
ダンタリオンから聞いた話によるとデラパルゴは裏工作に長けた悪魔であり、直接的な戦闘能力はそこまで高くないという。よって今ここにいる三人で、十分拘束出来るはずだ。
ならば早く事を済ませてしまおうと、闘志を燃やすミラ。何といってもここは寒くて不気味なため、とっとと退散したいというのが一番の理由だ。
「んー……あんまり近づくのは良くない気配がするよ?」
「そうですね。ここは次の作戦について話し合った方がいいかもしれません」
逸るミラに対して、ハミィがそんな言葉を口にすると、続けてヴァレンティンも今直ぐ突入するのは止めておいた方がいいと答えた。
ヴァレンティンが言うに、ハミィが感じた通り潜伏地点の周辺には無数の罠が仕掛けられているそうだ。しかもどれもこれもが悪魔の仕業によるもので、これを解除したり無理矢理に突破したりしようものなら潜伏しているデラパルゴに間違いなく気づかれるという。
「──そのまま追いつめてしまえるのなら強行突破も一つの手ですが、相手が相手ですからね。いざという時の逃走経路は必ず用意しているでしょう。それを使って地下から逃げられでもしたら、どこに向かうか見当もつきません」
戦力的には問題ない。罠があろうと捻じ伏せてしまえる。だがデラパルゴが一切応戦せず、罠の発動と同時に逃走すると決めていた場合は状況が変わってくる。
罠を突破して地下深くの隠れ家まで乗り込んだら、とっくにもぬけの殻というわけだ。しかも逃走と同時に経路の隠滅も行ったとしたら、もはやどこへ逃げたのかすらわからなくなる。
「ふーむ、ではどうする?」
標的は目の前にいるが手を出せない。行って捕まえるだけな気持ちでいたミラは、早々に考える事を放棄して専門家に意見を求めた。
「確実なのは待つ事ですかね。仕掛けられている罠はちょっと面倒なものばかりです。その中でも幾つかは特に強力で厄介なんですが、これが使えるかもしれません──」
観察を続けたまま少しだけ考え込んだヴァレンティンは、そのように現状を説明してから、続き有用な作戦内容について語った。
ヴァレンティンが目を付けたのは、特に強力な罠だそうだ。何でもその罠は範囲の索敵や自動迎撃、そして警報など、一つで複数の役割をこなすという悪魔達に大人気の代物らしい。
だが強力ゆえ継続時間に限りがあるという。そしてそれは最長でも一週間ほどらしい。
「──なのできっと罠の延長作業のため、いずれは隠れ家から出てくるはずです」
それがヴァレンティンの立てた作戦だった。仲間になった悪魔から情報を得ていたからこそ気づけた小さな隙を狙うというわけだ。
「そんな特徴があるんだ。なら、ありありだね。僕はそれでいいと思うな」
「もしやそれはつまり、ここで最長一週間待ち続ける、というわけかのぅ……?」
早く終わらせて、こんなところから退散したい。そんな思いとは正反対の作戦が提示された。だがハミィはそれに賛同を示している。その反応からして、現時点においてはそれが最善策のようだ。
「獲物が巣穴から出てくるのを待つなんて、狩りの基礎だよ」
ハミィは渋い顔をするミラの事など気にも留めず、早速雪を掘り返し始めた。どうやら雪中にかまくらを作り、そこを見張り部屋にするつもりのようだ。
「状況によっては、そうですね」
加えてヴァレンティンも、これまでにも同じような事をしてきたようだ。待つだけで済むのなら楽な方だと呟きながら、当たり前のように手伝い始めていた。
このまま見守っていれば、きっと寒くて薄暗い立派な見張りかまくらが完成する事であろう。そしてそこで最長一週間だ。
「よし、わかった仕方がない。待つ必要があるというのなら、そうしようではないか。じゃが、その拠点造りはわしに任せてもらえるか」
慣れている二人にとっては、どうという事もないのだろう。だが慣れていないミラにとっては、このような環境下で身を潜め続けるなど耐えられるはずもない。
けれど見張らなければいけないというのなら、あらゆる手段を用いてその環境を快適に近づけるのがミラのやり方だ。
「えー、出来るのー?」
ハミィはプロのハンターとして、狩り拠点作りには相当な自信があるようだ。素人は大人しく待っていた方がいいよとでも言いたげな目だ。
「向こうからは見え辛く、こちらからは見えやすい状態ですが……大丈夫ですか?」
ヴァレンティンもまた、基礎はしっかり熟知しているのか、はたしてミラにそれを成せるのかと心配そうである。
「そのくらい百も承知じゃ。わしの仲間には、その手の類に長けておる者もおるからな!」
普段は──普段から何ともいえない存在だが、その辺りについては団員一号の能力も確かである。それもあってか、知識だけならばミラもある程度は把握していた。
「完成後、腰を抜かすでないぞ」
ミラはそんな知識と技術を総動員して、見張り用の拠点作りに着手する。とはいえ当然、それは一般的な方法とは大きくかけはなれたやり方だった。
新しいフライパン、なかなか調子がいい感じです。
現在、餃子のみならず他にも色々と調理に使用していますが、やはり使い始めてまだ日も浅いからかこびり付く気配はありません!
このペースで使い続けて、いつ頃までこの状態を維持し続ける事が出来るのか……。
じっくり見守っていこうと思います!!




