56 噂話
五十六
「始まりがいつかは定かではないのですが。実は、カディアスマイト島周辺の海域に出るらしいのですよ。幽霊船が」
そう、少しだけ前に身を乗り出して、声色低めにセロが言う。
「ほぅ……ほぅほぅほぅ! 確かに定番じゃ!」
カディアスマイト島。それは現在居る大陸の西に位置する小さな島の名だ。シュメゴーフェ地方最強の海軍を保有する、ヴァーリ軍港国の名の下に、現在はカディアスマイト連合国として、海上では一歩抜き出た存在として有名である。
「これは、船乗りの間で良く知られる噂話でして、十年ほど前だったでしょうか、知り合いの船長に教えて貰ったものです。なんでも、その幽霊船は、黄昏時に深い霧の中から現れるようです。目撃者は揃って、こう言うそうですよ。突然霧に包まれると、古びたガレー船が併走していた、と。
その船はジョリーロジャーを掲げており、甲板には赤い服を纏った船長らしき人物を見たという者もいるとの事です。
更に、この噂には色々な憶測が飛び交っていまして。幽霊船について行ければ、海賊の財宝を見つける事が出来る。海難事故者が船員となり彷徨っている。他には、船内には失われた伝説の武具が封じられているといったものもありますね。
数ある憶測の中には、ヴァーリの秘密兵器という説もありますが、私としてはやはり、伝説の武具に一票でしょうか。剣士ですから」
「私も、一票!」
最後、冗談交じりに言うセロだったが、エメラは瞳を輝かせながら伝説の武具説に票を投じる。
「飽くまで噂ですからね」
そう言いながら少し困ったように眉根を寄せるセロ。フリッカは呆れた様に苦笑を浮かべ、ゼフも同様に天を仰ぐ。
伝説の武具。伝説の剣に興奮気味のエメラは、周囲の状況に気付かず妄想に浸り始めていた。
「しかしまあ、気になる噂じゃな。前ならば一蹴したじゃろうが、今となると……」
「ええ、そうなんですよ。そこがまた面白いところなんです」
現実では眉唾でしかない幽霊船の噂だが、様々な幻想が存在するこの世界では、噂ですら現実的な信憑性を持つ気さえするものだ。そんな共通認識からミラとセロは笑い合い、幽霊船に思いを馳せる。
「では、次の噂話です」
ハニーオレとハーブティのおかわりを頼むと、真剣に楽しむ表情を浮かべてセロが話し始めた。
「海の次は空です。これは飛空船乗りの間で実しやかに囁かれる噂で──はい、ミラさん」
話の途中、その中にあった単語が気になり右手を挙げたミラ。セロは、その行動の意図を即座に理解し、教師の様な風体で指名する。
「飛空船というのは、初めて聞くんじゃが。それはもしや」
「ええ、そうです。空を飛ぶ船の事ですよ。最先端の魔導工学により実現したみたいです。とはいえ、完成したのは三年前くらいだったでしょうか。やはり開発費も高いらしく、現在大型は、三神国とアトランティス、ニルヴァーナに一隻ずつの計五隻があるだけのようですね」
「ほぅ……やはり大国は違うのぅ」
三神国はプレイヤーのスタート地点ともされている国で、大陸最大級の戦力と規模を誇っている。そして、そんな三国と並べられた二つの国。アトランティス王国とニルヴァーナ皇国は、常にトップを争っていたプレイヤーの建国した国の名である。
「小型になると、もう少し増えるみたいですよ。ただ、今度の噂は大型の飛空船乗りから聞いた話になります。
聞いた限りですとこの噂の発端は、ある重役を飛空船で送迎していた時だったようですね。その日は快晴で、絶好の航海日和だったみたいです。ですが順調に進む飛空船が航路の半分を過ぎたあたりで、突如として巨大な嵐に巻き込まれてしまったと。
嵐の中は夜の様に真っ暗で、轟く稲光が時折周囲を照らすだけ。激しい風雨に曝されながら、嵐を抜け出そうと船員総出で作業をしていた時、それは姿を現したそうです」
セロが、そこで一端区切ると、店主が注文したおかわりを運んでくる。
「冒険者の方というのは、本当に多くの話を知っているんですね。私も、そのような話は大好きなんですよ」
カップとグラスを置きながら、興味津々といった笑顔を浮かべる店主。
「仕事柄、というのもありますが、やはり趣味で集めているというのが大きいかもしれません。私も好きでして」
そう答えたセロは、カップを受け取り一口含むと、店主と微笑み合う。二人の間に何かが通じ合ったようだ。事実、店主もその職業柄、多くの冒険者達と出会い、話を聞いてきた。そして自然と、その夢の溢れる冒険譚にいつの間にか魅了されていたのだ。
店主は、軽く一礼するとカウンターへと戻っていく。
セロはもったいぶる様、もう一度優雅にカップを傾けると、ミラも、つられる様にグラスに口をつけた。
エカルラートカリヨンの面々もセロの話に聞き入っていたが、フリッカだけは気付かれない程度に、ミラとの席の間を詰めるという作業を続けている。
「では、続きですね。えっと、確か直前まで話したところでしたね。
その嵐を抜け出そうと、船員達が必死で作業をしていた時、大きな稲光が嵐の奥で輝きました。吹き付ける風雨で視界が悪い中、黒く厚い雲が一瞬の閃光に照らされると、そこに大きな城の影が見て取れたそうです。それも一人や二人ではなく、船員のほぼ全てが見たと。
遥か上空で、嵐の中に浮かぶ巨城の影。それも一度だけでなく、その後時と場所を変えて幾度と目撃されているそうです」
「それはもしや……!」
「ええ、天空城ですよ。ミラさん」
噂その二は、空を漂う天空の城。ミラは、その王道ともいえる幻想の代表格の登場に思わず席を立つと、ほぼ同時にフリッカも立ち上がり、二人でそのまま店の外へと飛び出した。
「天空に浮かぶ大きな城となると、きっと見た事も無い魔術の記された書物がありそうですね」
「ほう、意外な反応じゃな。魔術士らしい事を言うではないか」
フリッカの今まで見てきた振る舞いからは考えられない言葉に、ミラは意地悪い笑みを浮かべて言うと、後から続いてエメラが顔を出し、
「ミラちゃんと会うとこんなだけど、いつもは真面目な魔術士なんだよ」
そうフリッカのフォローをしつつ、ミラへと伸びるその手を捻り上げる。
三人が見上げた空には大きな白い雲がいくつも浮かんでおり、そのどれかに城が隠れているのではと興奮を禁じえないミラ。傍らからはフリッカの悲痛の叫びが響いてくる。
空の広さに思いを馳せた三人が店内へと戻る。ミラは、不自然に近づいていた椅子を大きく引き離してから座ると、隣に腰を下ろしたフリッカは、言葉も無く大きく項垂れた。
「私も、この噂を聞いてから空を見上げる事が多くなりましたよ」
そう言ってセロはミラに笑顔を向ける。こんな話を聞かされては、ペガサスに乗っている時は地上よりも空の方に目を向けてしまいそうだ。そんな風にこれからを想像して、ミラは僅かに口角を上げた。
「目撃証言の共通点は、突然の嵐だそうです。誰もが嵐に巻き込まれ、その中で巨城の影を見たという事らしいですね。きっと、天空城は嵐に守られているのでしょう」
「うむ、きっとそうじゃな。そうに違いない」
二人は頷くとそれから暫く、嵐を抜けた先に広がる壮大な巨城を空想しては、きっとこうであろうという妄想を語り合う。最初は、置いていかれている状態だった他の面々も、次第に二人の話しに感化され始め、最終的には五人で勝手な理想郷を作り上げるところまで盛り上がるのだった。
「少し脱線し過ぎましたね。では、次が最後です」
天空の城には太古の霊獣が封じられており、その地下にはかつての英雄が振るった聖剣が眠る。書庫は古代の魔術書が本棚を埋め尽くし、宝物庫には金銀財宝が山の様に積み上げられ、中庭には命の雫が涌き続ける噴水がある。そんな天空城が五人の間で完成すると、少し照れくさそうな表情を浮かべてセロが三つめの噂を語りだす。
「これは、私が冒険者の知り合いから聞いた話でして、噂というよりは体験談でしょうか。
彼は、主にアーク大陸北部を中心に活動している冒険者なんですが、その日は蜃気楼寺院に用が出来たそうでして。発掘者から運良く磁宙水晶を購入して、寺院目指してオリアト砂漠を奔走していたんですが、どうにもその磁宙水晶が不良品だったらしく、途中から反応が無くなってしまったそうです」
「それは何とも、難儀な話じゃな……」
ミラは、その話からセロの知り合いである冒険者の不運に同情する。その状況は、ミラにも経験があったからだ。
アーク大陸とは、海峡を挟んだ西側に位置する広大な大陸の名で、プレイヤーの間では開拓大陸とも呼ばれる。その別称が表す様に、プレイヤーの建国した国が非常に多いのも特徴だ。
そのアーク大陸の南西に、セロの言ったオリアト砂漠は広がっている。そこには、蜃気楼寺院という地図には載る事の無い聖域があり、唯一、磁宙水晶という道具がその場所を割り出す事が出来るのだ。そして、その磁宙水晶には稀に外れがあるのも、上級プレイヤーなら誰もが知るところである。
「ええ。彼もまさか今ここでと、大いに嘆いたそうです。ですが随分と奥まで入り込んでいたので、既にすぐ近くなのではないかと、少しだけ周囲を探してから帰ろうとしたみたいなんですが……。
進んだ先で砂地獄に足を踏み入れてしまい、そのまま地の底に飲み込まれてしまったという事です」
「砂地獄とな……、とことんついてない奴じゃのぅ……」
オリアト砂漠に点在する砂地獄。飲み込まれると地下遺跡のダンジョンに強制招待されてしまうというものだ。その冒険者は、余程運が悪いのだろうと、ミラは苦笑しながらハニーオレを口に含む。
「私も、同じ様な事を言って慰めたのですが、そんな私に彼は不敵に笑うと、金色の塊を袋から取り出したんです。それは何かと訊くと、砂地獄の先で拾ったのだと答えました。
聞けば、彼が落ちたのは地下遺跡ではなかったようです。そこには巨大な都市が大きな地下空間に広がっており、その全てが黄金色に輝いていたというのです。
彼は最初、状況が理解できず、その光景に見蕩れていたと言ってました。そんな時、遠くに黒い人影が現れると、それが急に迫ってきたと。その瞬間に、とてつもない悪寒が全身を走り、彼はその人影から必死に逃げた結果、気付くとオアシスの湖に浸かっていたらしいのです。
辛うじて持ち帰ったのが、その塊だったそうなんですが、これが鑑定の結果、純金であると判明しまして。彼は、そこを黄金都市と呼び、もう一度行こうとしているようですが、それはまだ叶ってないみたいですよ」
「黄金都市か……しかし、その黒い人影は何だったんじゃろうな……」
「おや、そちらの方が気になりますか?」
ミラは話を聞き終わると、その中にあった黒い人影というのに着目した。その存在は、セロの知り合いである冒険者を排除する為に現れたように思える。それはまるで、黄金都市を守っている守護者の如くだ。
そして守護者といえば、実は召喚術士の出番である。
「もしかしたら、契約できるかもしれんじゃろ」
「なるほど、そういう事ですか」
ミラの見開いた瞳は期待に満ち溢れており、その様からセロもミラが生粋の召喚術士であると認識して納得する。
守護者というのは、その守護している場に宿る精霊である場合が多い。そして精霊となれば、契約対象の一つに含まれるのだ。
「いいな、黄金都市。そんなところ見つけられれば、一生食うに困らないだろうな」
「黄金の武具店はあるのかな!?」
「私は、黄金の魔術書庫がいいです」
天空城の時の勢いのまま、好き勝手に希望を述べ始める面々。そしてそれを止めるものは一人もおらず、それぞれの望みを列挙しながら昼食が終わるまで続くのだった。
噂話で盛り上がり、昼食を済ませたセロ達と一緒に表へ出たミラ。その腕ではピュアラビットが、気持ち良さそうに寝息を立てている。
ハンターズビレッジの大通りは更に賑わいを増しており、そこかしこに人の群れが溢れ、これからが本番だという活気に満ちていた。
「では、ミラさん。またいずれ」
「ミラちゃん分が足りない……」
「またなー」
「じゃあね、ミラちゃん」
「うむ、久し振りに会えて良かった。道中、気をつけるんじゃぞ」
休憩時間が終わったので護衛へと戻っていくセロ達と簡潔に挨拶を交わす。別れたところで、今日の様にまた偶然どこかで会える事もあるだろう。自然と別れを惜しむといった感情は沸かず、ただ次の再会にはどのような話が出来るのかと楽しみにしつつ、ミラは手を振り返した。
それからミラは適当な広場でペガサスを召喚すると、その背に飛び乗りハンターズビレッジを後にする。喧騒が離れ、耳に響くのは風と翼の音だけ。眼下には草原が広がり、遥か後方には遠くからでも霞がかった御神木の存在が窺える。
視界一杯に広がる青空の中、大きな雲を見つけては目を凝らしながら、ミラは帰路についた。
ハンターズビレッジを出立してから数時間、視界の先まで続く草原の只中で座り込んだミラは、ペガサスに寄り掛かりながらマップを確認していた。
(報告は……、明日でもいいじゃろう)
連日に渡り、長い時間を空の移動に費やしてきたミラの身体には相応の疲労が溜まっていたようで、休憩の為に降り立ったまま既に二十分の時が経過している。傍らではピュアラビットが、心配そうにミラの指先を舐めていた。
どうにも拭いきれない疲労からか、真っ直ぐ帰っても夜になる事は確実であると考えたミラは、無理せずゆっくり帰ろうと決める。
ぐったりとした様子のミラに、ペガサスも労わる様に首を回し、その小さな身体を支える。ミラは、優しさを見せるペガサスの首を撫でると、より深く身を寄せて、ピュアラビットを手元に寄せた。
「すまんが、暫くこうさせてくれ」
そう言いながらペガサスに全身を預けると、白く大きな翼がそっとミラを覆う。脈動する温もりを感じつつ、ミラは暫しの安息を得るのだった。
時間にして数十分。ミラが仮眠から目を覚ますと、白い翼の隙間からは小鳥達が覗いていた。
ペガサスはミラが目覚めた事を察すると、その翼をゆっくりと広げる。するとミラの目には、色とりどりの小鳥達が映り、それは周辺一帯に広がっていた。だが、それだけの数が集まっているにも関わらず、小鳥達は鳴き声を上げる事無く、静かにペガサスを囲んでいる。聞こえるのは只、風の囁く音のみである。
「また、随分と集まったものじゃな」
ペガサスの鬣を撫で付けながら、祈り子の森の湖での比ではない規模に「お主は大人気じゃのぅ」と笑うしかないミラ。ペガサスは気持ち良さそうに喉を鳴らすと、元気そうな笑顔を浮かべるミラの胸に顔を寄せ、ピュアラビットも遠慮気味ながら膝の上でミラを見上げていた。
「大丈夫じゃよ。少し疲れとっただけじゃからな」
ミラがそう声を掛けると、ペガサスが大きく嘶く。その直後、静寂が支配していた草原で小鳥達が一斉に奏で始めた。小さな声でも流石にこれだけの数が集まると騒がしいものだが、寝起きのミラはその音色ではっきりと覚醒していく。
「お主にも心配掛けたかのぅ。もう大丈夫じゃ」
そう言い、ピュアラビットを両手で持ち上げるミラ。青兎は、きゅいきゅいと嬉しそうに声を上げてミラの胸に抱かれる。
「少しゆっくりし過ぎたかもしれん。そろそろ行くとしようか。また頼むぞ、ペガサスよ」
疲れも眠気も吹き飛んだミラが立ち上がると同時に、ペガサスの上で寛いでいた小鳥達が飛び立つ。そしてミラがそこに腰を下ろせば、ペガサスはゆっくりとその身を起こす。
周囲の小鳥達が一斉に空へと解き放たれていくように舞い上がる。広がる光景は桜吹雪の如く華やかで、その中を純白の天馬が駆け抜けていった。
日が沈むと、銀の連塔の前の広場には観光客が疎らに残るのみとなる。その広場手前に着陸すると、ミラは今まで以上に顔を摺り寄せてくるペガサスを宥めながら送還した。
大きな門が開くと、空へと伸びる九本の塔が出迎える。御神木ほどではないが、これもまた壮大な光景だ。ミラは、その眺めに『帰って来た』という気持ちを胸一杯に膨らませると、無意識に歩調が早くなっていく。
召喚術の塔の前。ミラがふと脇を見ると、そこにワゴンは無い。
(ふむ……クレオスは留守か)
とびっきりのワゴンが出来そうだと自慢しようと考えていたミラは、少しだけ眉根を下げる。だが出来てからでもいいかと思い直すと、ピュアラビットを塔へ向けて掲げる。
「ここが、これからお主が住む家じゃ」
ミラの言葉の意味を理解してか、ピュアラビットが嬉しそうに鳴き声を上げると、ミラは満足気に塔の最上階の私室へと向かった。
塔鍵で私室の扉を開け、コートをソファーへ放ると、そこへピュアラビットを降ろす。
「暫く、大人しくしておれよ」
そう声を掛けると、ミラはそのままトイレへと駆け込んだ。やがて水の流れる音が小さく響く。
用も済まし清清しい表情のミラは、そのまま視線を隣の扉へと向ける。そこは浴室へと続く更衣室だ。
「一緒にさっぱりするとしようかのぅ」
ピュアラビットを抱えたミラの手は、温もりと癒しを求めて更衣室の扉へと伸び、そして開け放った。
「なっ……!?」
「ミラ様、おかえりなさ──」
「すまぬ!」
狼狽気味に扉を閉じたミラ。だが、まったくと言っていいほど無警戒だったその目には、一瞬で下着姿のマリアナが焼き付いた。ミラが罪悪感と僅かな色に思考停止に陥っていると、
「ミラ様、おかえりなさいませ」
途中で言葉を遮られたマリアナだったが、特に気にする様子も無く扉を開いて一礼する。
湯上り特有の上気した頬に、軽く纏められた青い髪、簡素な白いローブを纏ったマリアナは、顔を上げると嬉しそうに微笑む。
「うむ、ただいま」
その笑顔に自分を取り戻したミラが、そう挨拶を返すと、マリアナの目はミラに抱かれている青兎を捉える。
「そちらの兎さんは、如何されたのですか」
マリアナはそう言い視線を合わせると、そっと手を差し出す。最初は戸惑いを見せたピュアラビットだったが、ミラに宿っていた加護の気配をマリアナから感じると、その手に顔を摺り寄せる。
「森からついて来たんじゃが……ここで飼ってもよいかのぅ?」
まるで母にねだる様な面持ちで問い掛けるミラ。塔の主であるとはいえ、居ない間はマリアナに世話を頼む事になるのだ。この態度もしょうがないのかもしれない。
「もちろんです。ミラ様が居ない間は私がお世話します」
「そうか、ありがとう。マリアナ」
何とも云えない緩い時間が流れた時、マリアナは更衣室へ戻ると徐にローブを脱ぐ。
「な……何をしておる……!?」
ミラは慌てて視線を外しながらも、ちらりと向けてしまいそうになる本能を制御しつつ問い掛ける。目の端には、先程見た下着姿のマリアナが涼しい顔で佇み、意欲満々に答える。
「これからご入浴のご様子。お背中をお流しします」
「……うむ……頼んだ……」
奉仕モードとなったマリアナを止める事は不可能。前回の事で学んだミラは、無用な問答を省き即座に頷くと更衣室へ足を踏み入れる。
今回も同様、マリアナの補助で脱がされていくミラ。そして脱いだ着衣はその場で畳まれ洗濯籠へと重ねられていく。
「ミラ様、他に洗い物はございますか?」
「おっと、そうじゃったな」
最後に下着を籠に入れながら、マリアナがミラへと視線を向ける。その言葉で、ミラも思い出した様にカバンを取り出すと、使用済みの下着を籠へと放った。
「以上じゃ。頼んだ」
そう言い残しピュアラビットと共に浴室へと入ろうとしたミラだったが、その直前にマリアナが「ミラ様」と呼び止める。
「この髪は如何したのでしょうか」
そう少しだけ強い口調で言うと、マリアナは綺麗に結われたミラの銀髪に触れる。その髪は、髪を乾かす無形術を教わった時、ホワイトに整えられたままだ。
「これか。これは旅先で会ったホワイトという娘に勝手に結われたんじゃよ」
「そうでしたか……」
綺麗に結われたミラの髪を解きながら、返事に短く頷いたマリアナだったが、少しだけ不機嫌そうに唇を尖らせる。しかし、出来るだけ視線を外そうとしていたミラは、そんなマリアナの変化に気づく事は無かった。
浴室に入ると、マリアナに促されるまま髪と全身を隈なく洗われるミラ。マリアナの手にしたスポンジは前回よりも滑らかで柔らかく、きめ細かい泡がミラを包み込む。
ミラは旅の疲れからか、その心地良さに完全に気持ちを緩める。その様子にマリアナは表情を綻ばせると、ゆっくりと湯をかけて泡を流していく。
続いてピュアラビットの番となり、今度は共同作業だ。水に慣れているのか嫌がる様子は無く、ミラが耳を抑えると、マリアナは優しくその青い毛を洗っていった。
「これで完了です。ミラ様、本日夕飯はお済ですか?」
ピュアラビットの毛を整えるミラの濡れた髪を纏めながら、マリアナが問い掛ける。
「いや、まだじゃな。何か用意してもらっても良いか?」
「もちろんです。では、夕飯の支度を致しますので、ゆっくりとなさっていて下さい」
むしろ問われた事で空腹に気付いたミラがそう願い出ると、マリアナは手早くその銀髪を結い上げ、弾む様な声で了承する。
意気揚々と夕飯の準備に向かうマリアナの後姿をちらりと見送ると、ミラは広い浴室の奥へと向かう。そこにあるのは、黒輝石を加工して作られた浴槽。黒輝石とは、宇宙に輝く銀河に似た模様を浮かべる石材で、幻想的な色合いは多くの者を魅了し、調度品に広く利用されている高級品だ。
その浴槽には、たっぷりと湯が湛えられ、ミラがそこへと身体を沈めると僅かに溢れ出す。
「極楽じゃー……」
湯加減は少し熱めで、身体を突付く様な刺激にミラは気持ち良さそうに声を漏らす。ちょっと高めの温度が好きなようだ。
浴槽はとても広く、足を伸ばして入ってもあと十人は寛げるだろう。ミラが大きく四肢を伸ばせば、黒い浴槽により白銀の少女が一層映える。
「あー……極楽じゃー」
その開放感に浸りつつ、アップルオレを片手に鼻歌交じりで、ミラはピュアラビットと共に極上の一時を満喫するのだった。




