416 交渉術
四百十六
秘密の話という事で、ミラとメイリンは二人で内緒話が出来る場所──アダムス家にてメイリンが間借りしている部屋に戻ってきていた。
「それで、どんな方法ネ!?」
さあ、ここならば問題ないだろう。と、すぐさまメイリンが迫る。
どうすればあの弁当を確実にゲット出来るのかと、それはもうこれでもかというくらいに前のめりである。
「それはじゃな……──と、そういえば闘技大会のトーナメント表が発表されたが、もう対戦相手は確認しておるか?」
その方法……について答える直前。ミラは勿体ぶるというよりは、ふと思い出したとばかりな演技を挟みつつ、そんな問いを口にした。
「当然ネ。ブルースっていう人ヨ。爺様と同じ召喚術士で、凄かったネ! 予選の時から気になっていたから楽しみヨ!」
実に素直な性格のメイリンだ。一見するとお弁当の事に夢中そうで、他の事については聞く耳を持たなそうな勢いすらあった。
だが、やはり闘技大会についてならば別のようである。すぐさまその顔に闘志を宿し、今からどんな戦いが出来るのかと、それはもう期待に満ちていた。
(ふむ、そこまで把握しておるか。ならば話は早い)
メイリンの言葉からおおよそを把握したミラは、そこで更なる情報を口にする。
「ふむ、そうかそうか。お主ほどの者に気に入られるとは、わしも鼻が高い。実はじゃな、何を隠そうそのブルースという男は、わしの弟子のようなものなのじゃよ。今回は、腕試しを兼ねて出場させたという次第じゃな」
実際には違うのだがブルースについてそのように説明したミラは、そっとメイリンの反応を窺った。
「なんと、爺様の弟子だったカ! なるほど納得ネ! ますます試合が楽しみになってきたヨ!」
大陸最強である召喚術士の弟子。本人の知らぬところでそんな肩書をつけられたブルース。
その効果は覿面であり、メイリンのやる気は、この上ないくらいにみなぎっていた。
そして、こんなメイリンとブルースが勝負したとなれば、幾ら指導して鍛えたブルースとて十秒も持たないだろうとミラは確信する。
「うむうむ、決勝トーナメントまで上がったほどじゃからな。それなりにはやるはずじゃ」
ミラは、あえてブルースの実力は確かであると断言した。ただ、断言しながらも「しかしじゃな──流石にわしほどではない」と続ける。
自分ほどではないため、試合となれば間違いなくブルースに勝機はないだろう。これこそが事実だとはっきり告げたミラは、そこまできていよいよとばかりに次の言葉を口にする。
「そこでじゃな。対戦相手のお主に、ちょいと頼みがあってのぅ」
そのためにこうして会いに来たのだと、弟子であるブルースの事で会いにきたのだと、それはもうわかりやすい態度で表したミラ。
「んー……それはもしかして手加減しろという話カ? でも爺様なら、私の答えわかると思うヨ。闘技場は真剣勝負の場ネ。手加減は出来ないヨ」
メイリンも、ここまでの話の流れとミラの態度から、おおよそを読み取れたようだ。手加減だったり、それに類するような真似だったりは出来ない。本気で戦い倒れるならそれまでだと、きっぱり答えた。
「うむ、わかっておるわかっておる。そのような事は百も承知じゃ」
そのように予想させてから、はっきりとそれを否定してみせたミラ。
するとどうだ。ではいったい頼みとはなんだとばかりに、メイリンが興味深げな表情を浮かべたではないか。
あっという間に終わらないように手加減をしてほしい。ブルースが、ちゃんと実力で決勝トーナメントにまで勝ち上がったという事を観客に見せつけるまでは決着を待ってほしい。
そのような頼み方をすれば、メイリンの事だ。試合には関係ないと、あっさり却下されるのは間違いない。
それをよく理解しているミラは、だからこそ悪知恵を働かせる。
メイリンの関心が向いた事を確認したところで、「うむ、実はじゃな──」と実に真剣な態度で頼み事を告げた。
「お主との試合は、あ奴にとって間違いなく良い刺激になる。ゆえに、鍛錬を続けてきたブルースの全てを受け止めてやってほしいのじゃよ。今持てる全てを出し尽くして負けたのなら、きっと理解出来るはずじゃ。そして足りないものと必要なものを、その身で感じ取ってくれると、わしはそう信じておる」
望むのは手加減ではない。時間稼ぎでもない。大事な弟子の成長を、修行してきた成果を。たとえ負けてしまうとしても、悔いの残らぬように出し尽くしてからにしてやりたい。
これまでブルースが培ってきた技を真正面から全力でもって打ち破り、世界の広さを、目指すべき高みを教えてやってほしい。
ミラはそんな言葉をつらつらと並べては、あっけなく試合が終わり召喚術士はその程度かという目で見られないようにするために渾身の説得を行った。
「ムムム……それも確かに大切な事ヨ……」
これまでに築き上げてきた全てを出し尽くす一戦。それは百の訓練にも勝る貴重な経験となる。
その事をよく知るメイリンは、それと同時に、そんな事が出来る相手というのもまた貴重なものであると知っていた。
だからこそ、ミラの頼みを受けて揺れ動く。
勝負として全力で戦うか。それともブルースにとっての高い壁としての役目を請け負うかと。
戦闘好きのメイリンは、より高みを目指しているからこそ、その過程にいる者達への共感もまた人一倍であるのだ。
そしてミラは、そんなメイリンの心の揺らぎを決して見逃さなかった。
「これは、単なるわしの我がままだとわかっておる。しかし、しかしじゃな……師匠として弟子の成長を願わずにはいられなくてのぅ」
心の内を白状するかのように、それはもう親身な態度でもって口にするミラ。
その真意は、少しでも試合を長く続けられるようにという点が一つ。そして召喚術とはどういう事が出来るものなのかと、少しでも世間に理解してもらいたいというものだった。
なお、言葉通りにブルースの成長を願う気持ちもあったりはするが、それは全体の一割程度だったりする。
「お主が相手ならば、きっとそれを教えられる。だからこそのお願いじゃ」
ブルースの実力ならば、召喚術の可能性については十分に伝えられるはずだ。
だが、それもこれもメイリンの協力が必要不可欠である。
「うーん、爺様の気持ちもわかるヨ……」
真意についてはともかく、ミラの言葉を受けたメイリンは難しい顔で唸り始めた。
ミラの頼みは、確かに手加減というのとは少し違う。だが激しい攻防の末に決着する熱い試合を望むメイリンにとってみれば、全てを受け切ってからという点が少しばかりもどかしいのだろう。
けれども同時に、弟子の成長をと願うミラの想いにも感化されたようで、メイリンの心は更に揺れ動いていた。
それは、どちらに転がっても不思議ではない様子ともいえる。
つまりは、あと一押し出来る何かがあれば、こちら側へと転がすのも可能という事だ。
そして今の状態こそが切り札の切り時だと見極めたミラは、遂に決め手となる一撃を放った。
「おお、そうじゃったそうじゃった。ちょいとばかし話を戻すが、フェリブランシュの弁当についてじゃがな──」
一度話を闘技大会に逸らした後に、再び本来の目的だった件について触れる。
とても美味しいと街中で噂のお弁当。
ぜひ味わってみたいと求めるメイリンだが、稀少過ぎるからこそ、彼女のフットワークをもってしても未だに入手出来ずにいる幻の品。
どうすれば、そんな弁当を入手出来るのか。その作戦を立てるという名目で話し始めた事を思い出したようで、メイリンは「そういえばそうだったヨ!」と、またもころりと表情を変えた。
ミラは、再びメイリンの興味が弁当へと向けられたその瞬間を見計らい、いよいよそれをアイテムボックスより取り出した。
「──その弁当……実は既に入手済みと言ったら、どうじゃ?」
現地にて、溢れんばかりの人が集まる中での競争を制した勝者のみが手にする事を許された手提げ袋。
幻ともされる弁当を勝ち取った証であるその袋を、ミラは実に大げさな仕草でもってメイリンの目の前にそっと置いてみせた。
「こ……この袋見覚えがあるネ! あのお弁当を買った人達が皆持っていた袋ヨ!」
かの地にて、メイリンが辛酸を嘗めながら見送ってきた勝者達の後ろ姿。そんな者達が揃って手にしていた手提げ袋の事を、彼女ははっきりと覚えていたようだ。
だからこそ、その反応は劇的だった。その目に憧れと羨望を浮かべるなり、あっという間に心を奪われていた。
この袋は、どうしたのか。何が入っているのか。これをここに置いてどうするつもりなのか。
メイリンの顔は、僅かな疑問と多大な期待で染まっていく。
と、そんな反応をしかと見届けたミラは、見計らうようにして素早く手提げ袋をアイテムボックスに戻した。
「あぅぅ……」
それを目で追ったメイリンは、まるでおもちゃを取り上げられた子供のように物悲しげな表情を見せる。
彼女の心は、完全に弁当へと移ったようだ。
「さて、見てもらった通りにのぅ。実は、あるのじゃよ。あれはいつじゃったか。わしもこの弁当を求めて、何日も挑んだものじゃ。そして途方もない苦労と激しい争奪戦の末、遂に勝ち取った努力の結晶が今見せた袋の中に入っておる。それも、肉弁当と魚弁当の二種類ともな」
どこか縋るような目をしたメイリンを前に、これでもかとその入手の困難さを強調したミラは、それでもどうにかこれほどの希少品を入手する事が出来たのだと語った──否、騙った。
実際は偶然にも目の前にて出張店が開くのに居合わせただけであり、何やら希少そうだという周りの反応に感化され、勢いで買っただけの弁当だ。
しかしミラは、そんな偶然の産物ともいえる弁当を、それはもう苦労と努力の産物であるかのように祀り上げた。
「あの戦いに勝つなんて凄いヨ! しかも二つもなんて、流石爺様ネ!」
フィジカルにおいて、そこらの市民を軽く凌駕するメイリンが本気で探し求めても入手する事の出来なかった弁当。
だからこそメイリンは、同じ条件下にて勝ち取ったミラに真っすぐな尊敬の眼差しを向ける。
そして当然というべきか、それとも計画通りというべきか。あえてミラが口にした『弁当は二つある』という言葉に対して、メイリンは微かな期待の色をその目に宿していた。
「さて、せっかく二つあるわけじゃからな。一人で存分に堪能するというのもよいが──」
ミラはそのように思わせぶりな態度をとりながら、ちらりとメイリンを見やった。
すると、どうだ。彼女の期待は一気に溢れ出し、その顔を満面の笑みに染めていったではないか。
ただそれはメイリンにとって、もう後戻りは出来ない、もう諦められないところまで感情が高ぶってしまったという状態であるとも言えた。
「──と、そういえば話の途中じゃったな。して、わしの弟子であるブルースの特訓を手伝ってはもらえないかのぅ。もしも手伝ってくれるというのなら──」
ここで再びその話を持ち出したミラは、これ見よがしに手提げ袋を取り出した。更に続けてその中の弁当二つをメイリンの前に並べるなり「──その報酬として、どちらか好きな方を食べてもよいぞ」と告げる。
ここまで引っ張ってからの再交渉。まさかの提案にメイリンはというと──。
「爺様の弟子は私に任せてほしいネ! 必ず成長の後押しをしてみせるヨ!」
それはもうすがすがしいまでの即断即決であった。
激しい攻防の末の勝敗を望みながらも、ミラの師心もわかり揺れ動いていたメイリンの心。
ギリギリのバランスだったからこそ、弁当の件が飛び込んだ事で形勢はその瞬間に決した。
今のメイリンが一番に求めているものを報酬として提示してみせたミラの一手は、この場において最善最高の一手だったのだ。
「おお、そうか。引き受けてくれるか。ならば、この弁当を譲るとしよう。さあ、どちらがよい?」
計画通り。ミラは上手い具合に丸め込めたぞと心の中でほくそ笑むも決して表情には出さず、メイリンには感謝の意を示しつつ、報酬となる二つの弁当を差し出した。
ここでどちらもどうぞと言わないのが、ミラのけち臭いところでもある。
「お肉かお魚か……大切な問題ネ!」
弟子の事は任せろと力強く言い放ってから一転。どちらの弁当を選ぶかで悩むメイリンの顔は、幸せいっぱい夢いっぱいに咲き誇っていた。
そうしてどちらにするかを悩む事数分。肉弁当を選択したメイリンは、その蓋を僅かに開くなり、鼻から大きく息を吸い込んだ。
「この匂いネ! ずっとずっと憧れてたヨ!」
フェリブランシュの販売店の傍に漂っていた魅惑の香り。遂にその大本を手に入れたとはしゃぐメイリンは、それでいて素早く、そして大切そうに肉弁当をアイテムボックスに収納した。
「今、食べぬのか?」
匂いだけで我慢する。そんな様子のメイリンに問うたところ、彼女は真摯な態度で答えた。
「食べるのは、爺様との約束を果たしてからネ。それまでは我慢するヨ!」
我慢する。そう口にしたメイリンではあるが、その顔は食欲に満たされていた。
けれども、その言葉に揺るぎはないようだ。約束したからこそ、この弁当を食べるのは、それをやり遂げてからでなければいけないのだとメイリンは断言する。
それが彼女なりの流儀というものなのだ。
「ふむ、そうか。何とも頼もしい限りじゃな」
メイリンならば、きっとやり遂げてくれるだろう。
その他の事についてならともかく、事、戦闘訓練だなんだといった関連ならば、メイリンほど信頼出来るものはいない。
ミラは彼女に付き合うようにして魚弁当の方をアイテムボックスに戻すなり、「さて、それでは当日の事じゃが──」と、ブルースの特訓についての会議を始めた。
どのようにして彼の成長を促すか。ミラはメイリンと共に話し合う。
そうして召喚術の未来のために、ブルースはこれまでの人生において最大級の死闘を繰り広げる事が決定したのだが、それは本人の与り知らぬ話であった。
さて、もう五月です。
あっという間ですねぇ……。
そして暖かくなっても来た今日この頃。
気になり始めてきますよね。
奴の……黒いあん畜生の出現が!
という事で今年も用意しました、ブラックキャップ。
ちょっとネットで調べてみたところ、何やら三、四月から奴は活動を始めるそうなので、そのくらいの期間から仕掛けておくのが丁度いいそうですね。
少しばかり過ぎて五月ですが、まあ遅すぎるというわけでもないはず!
というわけで昨日、全ての設置を完了しました。
今年こそは遭遇せずに過ごせますように。




