38 学園行事
三十八
校門の前で出会った猫耳の女性は、肩ほどまである栗毛色の髪に、くりくりとした蒼い猫瞳と丸顔が印象的で、人懐っこそうな笑顔は無邪気さを感じさせた。
この世界には、人間の他にも様々な種族が存在する。エルフ族のエメラや、妖精族のマリアナなどだ。目の前の女性はメオウ族といい、動体視力と俊敏性に優れる。基本は人間と大差ないが猫耳と尻尾を持ち、背はそれほど高くはならず夜目が利くという特徴がある。正に猫の様な種族だ。
「あ、ビックリさせちゃったかなっ。私は、この学園で教師をしているヒナタっていうの。あなたは?」
「わしは、ミラじゃ」
ヒナタと名乗ったメオウ族の女性。美人というより可愛らしい印象のヒナタが嬉しそうに微笑む。ミラとしてはメオウ族が見慣れていたと思っていたが、ころころと笑顔を浮かべるヒナタに一瞬ドキリとしてしまう。
現状、出会った女性達は少女であるミラには、素直で無防備な表情を向ける。その為、本来は見る機会の少ないその見慣れない表情に、ミラはまだ免疫が無いのだ。
「ミラちゃんかぁ。可愛い名前だねっ」
ヒナタはより一層、可愛らしく微笑むと視線を下ろし、ミラの服装に注目する。
「それ、流行りの魔法少女系の服だよね。もしかして術士になりたいのかなっ?」
笑顔を絶やさず、ヒナタは語り掛ける様に問う。アルカイト学園は、内外的に術士を目指す者達にとって最高の教育機関として有名だ。
術士に憧れ学園を覗き込む少女。それがヒナタが持ったミラへの第一印象だった。
「いや、もう術士なんじゃがな」
ミラにはヒナタの自分に対する印象など分かるはずもなく、心外だとばかりに否定する。当のヒナタは予想が外れ、あれれと眉を寄せる。
「そうだったんだ。ごめんねっ。あっ、何術士か聞いてもいいかなっ?」
取り繕う様に言い直すヒナタ。ミラも特に気にした様子は無く、姿勢を正すと自信満々に答える。
「召喚術士じゃっ」
その瞬間、浮かべた笑顔はそのままにヒナタが凍りつく。召喚術は現在学園で最も下火で未来の無い術と云われているからだ。
「そっか……うん、がんばろうねっ」
だからといって、自分が落ち込んでいる訳にはいかないと、ヒナタは気持ちを奮い立たせる。なぜならば、
「私も召喚術士なのっ。アルカイト学園召喚術教師だよ。今は……その……こんな状況だけど。でもねっ、クレオス様が今、寝る間も惜しんで昔の契約法を実践しているのっ。成功確率もすごいって。だから、その、がんばろうねっ」
ヒナタはミラと同じ召喚術士だったのだ。そもそも学園が授業時間の真っ只中に、教師が外に居るという意味は、つまりそういう事だ。
召喚術適性の生徒は、他の適性もあればそちらに、なければ召喚術の授業は受けず一般教養の授業で単位を取り卒業していくのが最近の風潮だ。アルカイト学園の卒業生というだけでも、十分に箔が付くので、実にならない術の授業を受ける必要はないのだ。
召喚術の授業は週に二、三回。術士という才能を諦めきれない意地っ張りか、余程の物好きに分類される者達が受けているだけ。その為、ヒナタは授業の無い時間には他の教師の頼み事を聞いて、買い出しや手伝いなどをしている事が多かった。
「うーむ。学園にまでもか」
ヒナタに言われて、ミラは召喚術の衰退が学園にまで影を落としているのかと知る。そしてそれは、未来ある子供達に影響しているという事でもある。
しかしクレオスに預けた物は、役に立っているのだと知る事も出来た。今のところ、その装備と魔封爆石があれば、召喚術の基本となるダークナイトと、ホーリーナイトは難なく習得できるだろう。それ以上は、どれだけ習得した召喚体を成長させられるかに掛かっている。
「今はまだ、安全性の確保の為に一人ずつなんだけど、武具精霊を召喚できる生徒も増えてきてるんだよっ。きっともうじき、私達の時代が来るからっ」
顔を顰めて難しそうな表情で唸るミラに、ヒナタは強気に振る舞う。
武具精霊を倒すだけならば魔封爆石で十分だが、誰の協力も得られない状況では相応の危険が伴う。それを補うのが筋力と体力を強化する装備なのだが、その装備は一人分しかないのだ。その上、まだ学生である者達を危険に晒すわけにもいかない。
クレオスは現在、希望者を募り、一人ずつ武具精霊との契約を成功させている。その光明に縋る希望者は多いが、未だに多数の生徒が待たされている状態だ。
「わしも召喚術士として、何か出来るといいんじゃがな」
ミラはそう言いながら左手の指先で顎を撫でると、考え込む様に目を瞑る。
自分が後進の為に出来る事は何か。一つは、魔封爆石の量産だろう。しかし大量に作成するとなれば、それなりの金額が必要だ。だが、そのあたりはソロモンやクレオスに進言すればどうにでもなると思われる。
問題は身体強化の装備だ。出来合いの物があれば一番早いが、武具精霊と安心して戦えるだけの補正値を持った装備は、ミラの持つ中でもクレオスに渡した装備以外は、塔に作り置きが少しあるかどうかといったところだ。
「ミラちゃん! ミラちゃんっ!」
精錬で無理矢理作るしかないかと考えていた時、ミラは激しく肩を揺さぶられ現実に引き戻される。
「な……なんじゃ?」
ミラが目を開くと、目の前には覗き込む様なヒナタの顔が迫っていた。
「これっ、これって操者の腕輪だよねっ。上級冒険者の証っ」
言いながら、ヒナタはミラの左手を取り、真ん丸く目を見開くと興奮気味にその腕に嵌る腕輪を見つめる。
「まあ、そうじゃな」
正確には違うが、説明するのも億劫なので肯定する。事実、冒険者ランクは操者の腕輪を借りられる条件を満たしている為、問題は無いだろうとの考えだ。
「私は今、ダークナイト、ホーリーナイト、サラマンダー、ドライアド、ワイバーンと契約しているんだけど、ミラちゃんはこれ以外に契約していないかなっ?」
そのヒナタの質問の意図が分からないが、その期待を込めた瞳と、鬼気迫る勢いに押されて「ある」とミラは反射的に答える。するとヒナタは得物を見つけた猫の様に目の色を変えると、ミラの手を両手で握り締め祈る様に膝をつく。
「お願いっ。少しだけ力を貸してーっ」
膝立ちのせいか若干ミラより目線が低くなったヒナタが、上目遣いで懇願する。本来ならばミラに対しては多少の効果がある程度で済むはずが、今回は絶大だった。可愛らしい猫耳がぴょこぴょこと探る様に伏せたり開いたりを繰り返すのだ。
「何の事か分からんが、任せるが良い」
話の流れからしても、召喚術に関する事だろうとは察せるので、後進達を憂うミラは頷き承諾した。
手を引かれる様に学園の敷地内に招かれたミラは、そのまま中央の校舎の奥側にある建物に案内される。
その道中にヒナタから頼み事についての説明を受けた。曰く、今日は術技審査会という、月に一回実施されるイベントがあるのだという。それはその名の通り術を審査する為のもので、これの出来次第で利用できる施設や、術具を揃える為の経費が決まるらしい。審査は、術の種類毎に分けられ、代表者が術を披露するというもの。
ちなみに審査は順位を決めるものではないが、得点で発表されるので自ずと順位もついてしまう。そして、召喚術は毎月堂々最下位を突き進んでいるとの事だ。原因としては今までずっとヒナタが代表者として披露していた為、そのレパートリーの少なさから目新しさが無く、飽きられてしまったというのが現状。そして、学園にはヒナタ以上の召喚術士が不在だった。
なのでヒナタは、自分の手持ち以外と契約していないか聞いてきたという訳だ。
つまり最初に挙げられた五種以外を呼べばいいだけだが、これは召喚術の威信を取り戻す契機だと、ミラは話を聞き終わると脳内で上級召喚を並べて、なるべく派手そうなのを列挙していた。
(召喚術こそが最強じゃと知らしめてやらねばのぅ。ならば、皇竜アイゼンファルドか。素直な良い子じゃったし。しかし派手さでいうならば虹精霊トゥインクルパムか…………。しかし……のぅ……、現実になった今、どうなるのか測りしれんし。ぬぅぅ)
「ところで、学園の行事に部外者が参加しても良いのか?」
ミラは幾らか考えた後、思い出した様に疑問を口にする。学園の一ケ月を決める事に学生でもない冒険者が出ても問題にならないのだろうかと。
「うん、その辺りは大丈夫だと思うよっ。そもそも審査会は術の可能性を計る目的で開かれるものだから、部外者でも、すごい術を使えばそれは将来性を示す事になるからねっ」
「ふーむ、そういうものなのか」
「そういうものなのっ。それじゃ代表者変更してくるから、ここで待っててねっ」
「うむ」
大きな建物の一室に連れて来られたミラは、そこにあったソファーに座り軽く周囲に視線を送る。床にはグレーの絨毯、白い壁には四時二十分を示すアナログ時計が掛けられている。天井はそれほど高くはなく、照明である白い球が仄かに光を放っていた。見た限り、無難な客室といった内装だ。しかし隅にホワイトボードが置かれているので、そうとも限らないかもしれないが。
ミラは、アイテムボックスから定番のアップルオレを取り出すと一口煽り「ふぅ」と息を吐く。
「わしも、頑張らんとな」
寝る間も惜しんで頑張っているというクレオスを思い出しながら、独りごちるミラ。そこには、召喚術の塔エルダーとしての顔があった。
「お待たせっ」
アナログ時計が五時の十分前を示し、ちびちびと楽しんでいたアップルオレを丁度飲み終わった時、ヒナタが戻ってくる。
「登録完了したよっ。よろしくお願いしますっ」
「まあ、任せるが良い」
ミラは自信満々に立ち上がると、ヒナタに案内されて審査が行われるという会場へと向かう。
会場脇の控え室。簡易的な席が設けられていて、ローブを着ている者と、付添う様に隣に立つ者が並んでいた。すると、その中のローブを着た一人がヒナタに気付き振り返る。
「おやおや、流石は一番の召喚術士様。最後に到着なんて随分と余裕ですねぇ」
赤いローブを着た優男が、明らかな侮蔑の笑みを浮かべながら言う。その言葉で気付いたのか、他の者達も振り返りヒナタの姿を目にすると、哀れみや同情、呆れを含んだ表情を見せる。ヒナタは軽く手を振ると「こっちだよっ」と、ミラの手を引き空いてる席へ座らせる。
赤いローブの男が小さく舌打ちしてから、隅の席に腰掛ける魔法少女を目にして眉根を寄せる。
「お嬢ちゃん、そこは競技者の席でちゅよー」
そう卑下た笑みで言うと、脇に立つ付添いの男も似た様な表情を浮かべる。他のローブを着た者達は「態々相手にするなよ」「無粋ですわね」「やれやれ、良くやるよ」と、反応は様々あるが、絡んでいる赤いローブの男の様に侮蔑した色は無かった。
ミラは、その様子から、想像以上に召喚術に対する風当りの悪さを感じた。そしてそれを嘲笑い愉悦に浸る者が現れるのも、人の集まる場所では自然の流れだと。
「い、いいんですっ。この子が、今回の代表ですから」
そう言ったヒナタは、さっきまでは楽しげに話していた口を真一文字に結んでいる。悔しそうに震えるヒナタの姿がミラの目に入る。良くも悪くも実力主義。ここには上下関係が出来上がっていた。
「なるほどのぅ。学び舎というのは、どこも同じじゃな。上だと主張せねば己の価値を計れぬ凡人が沸きおる」
「なんだと?」
ミラは赤いローブの男を一瞥すると、その者を凡人と評した。万年最下位で、どこに行っても頭数に数えられない召喚術士に言われ、男の目には薄っすらと闇が宿る。
「子供の言う事です、大人気ないですよ」
「ふん、尚更だ。口の利き方を知らないガキに、常識を教えてやるのも大人の務めだろう」
「おいおい、止めないか」
隣に座った白いローブの女性の諫言に耳を貸さず、余程気に障ったのか男はミラを威圧する様に睨みつける。更に止めに入った緑のローブの男の手を振り払うと、赤いローブの男は一層表情を歪める。
その状況にヒナタは困惑していた。ミラが真正面から言い返すとは思ってもいなかったのだ。
「この中で最も常識の無さそうな者が、良く言うわい。ゴブリンの方がまだ弁えておる」
「おい、いい加減にしろよ。この俺を誰だと思っている!」
「大人気無い大人じゃろ」
「貴様!」
とうとう腹に据えかねた男は、怒気を孕み勢い良く立ち上がる。ヒナタは、その様子にビクリと身体を震わせ、男はそれを愉悦に歪んだ笑みで蔑視する。
「お待たせしました。会場の方へお願いします」
淀んだ空気の中、扉が開くと審査会のスタッフを務める高等部の女子生徒が、代表者を呼びに現れる。男はミラへ殺気立った視線を向けると、小さく舌打ちして扉の方へと向かって行った。
(わしもまあ、大人気無い大人じゃったな)
ミラが、やれやれと肩を竦めると、ヒナタが申し訳無さそうに頭を下げる。
「ごめんね、ミラちゃん。嫌な思いさせちゃって……」
そう言い無理に笑顔を作るヒナタの傍に、白い影が現れる。見上げたミラの視界には、白いローブの女性がヒナタの隣に寄り添っていた。
「メアリさん……」
顔を上げたヒナタがその女性を見て言う。メアリと呼ばれた女性の年の頃は、二十台手前ほどだろうか。アクアブルーの長髪に円の中に十字を模った銀の髪飾りを付けた、大人しそうな女性だ。
「こうなる事は分かっていたはずです、ヒナタ先生。こんな女の子を矢面に立たせるなんて、どういう了見ですか」
雰囲気に似合わず、メアリは強い口調でヒナタを責める。そしてすぐ振り返ると、ミラには「彼の事は気にしないで」と微笑んだ。ミラは「問題ない」と言い立ち上がる。
「それと、本当にこの子が代表なんですか?」
「ミラちゃんは上級冒険者で、私が契約している召喚術以外が使えるみたいなのっ」
実際、ミラには嫌な思いをさせてしまった為、ヒナタの猫耳はパタリと閉じ、尻尾はしゅんと垂れている。
「いくら冒険者とはいえですね……」
「まあ、よいではないか。わしは何も気にしておらんし、ヒナタ、お主も気にするでない」
ミラはメアリの言葉を遮ると、項垂れるヒナタに対して微笑む。メアリは、その後の言葉を飲み込むと、見た目以上に大きく感じるミラに興味を抱いた。
(何かしらね、この子は。言葉遣いもですが、何だか子供らしくありません)
メアリは、そう感じながらも、国王であるソロモンを思い出し、楽しそうに微笑んだ。もしかしたら同類なのではないかと。
「しかしまあ、やけに自信がある様じゃったが、あ奴は何者なんじゃ?」
ミラは如何にもな雰囲気を醸し出していた、赤いローブの男について尋ねる。何があればあそこまで高慢になれるのかと。
「えっとね……」
ヒナタが少しだけ猫耳を立てながら、簡潔に説明する。まず彼の名はカイロス・ベルラン。アルカイト王国の魔術士の家系の名門で、侯爵アルフォンス・ベルランの息子。その貴族然とした態度はともかく、魔術の腕前は本物だという事だ。それ故、審査会では彼が出場してから今まで常に一位で、他の術士達を軽んじている傾向にあるという。
(典型的な馬鹿貴族じゃな)
ミラは、心の中で溜息を吐くと、やっぱりこの国にもこういった貴族が居ると知り、ソロモンを今度労ってやろうかと思案する。
一足遅れて少し大きめの扉を抜けると、コロッセオとでもいった様な円形の広場に出る。踏むと程よく反発する土の地面に、周りを囲む三メートルほどの壁。その外側は、数十人の身なりの良い男女が座っている客席が並んでいた。
清とする空気の中、広場の中央には白衣を着た男、入り口の正面奥には甲冑を着け騎士然とした人形が立て掛けてある。天井は緩やかに弧を描き、ドーム状に会場を覆う。一際輝く光の球が東西南北の中空に浮き、地面に映るはずの影は四方から照らされて見えない。壁に薄っすらと残る程度だ。
先に来ていた代表者達は入り口から入って両端の壁に寄っており、その中でカイロスだけがミラに苛ついた視線を向けていた。
ミラとヒナタ、そしてメアリはカイロスの反対側の壁を背にする。その結果、向かい側の壁際にはカイロスと付添いの二人だけとなった。その様に、ミラは小さく噴き出す。しかし当の本人は、最高の魔術士たる自分の横に並ぼうとしない面々に「弁えているじゃないか」と勘違いしていたりもする。
だがそれも直ぐにどうでもよくなる。なぜならば審査会場が室内で、更に大きさが想定外だったからだ。
競技を行う広場は直径十五メートル程度で、客席を合わせると二十五メートルほどだ。
ミラは内心焦りながらも周囲を見回し、寸法を目測で測るも、狭いと言わざるを得なかった。
(第一候補の、アイゼンファルドが呼べぬ! しかし虹精霊はのぅ……。威厳を考えると、召喚術に止めをさしかねん……。もっと考えておくんじゃった……)
「ではお待たせいたしました。これより術技審査会を開催します」
ミラが一人で苦悶する中、審査会開始の宣言か響いた。




