379 イリスの笑顔
三百七十九
シャルウィナ達が美容だなんだと後ろの方で盛り上がり始めたところ。ふとした湯面の揺れを感じたミラは、すぐ背後に近づくもう一人の気配に気付いた。
イリスとエスメラルダは、シャルウィナの美容話に夢中だ。となれば、背後にいるのはもう一人。
「ねぇ、じぃじ。ずっと外を向いちゃって、どうしたのかなぁ?」
ミラの直ぐ後ろまでやってきたアルマは、からかうようにそう言って湯船に身を沈めた。丁度、ミラと背中合わせになるような状態である。
「聞かずともわかっておるじゃろう。わしの事をよく知る輩に、下手な噂でも流されては面倒じゃからな。それよりも向こうの話を聞かなくてよいのか? 忙しいお主なら、肌トラブルの一つや二つありそうじゃが」
「あー、ひどーい。ただ、これでも女王だからね。その点は、ぬかりないわ。まあ、そもそも私達の場合、最低限は維持されるから、そんなに気にする事もないんだけどね」
日によって寝る時間も変わるアルマの日常。その不規則な生活は肌に良くないだろう。けれどアルマの肌は、そのような事など関係ないとばかりに艶やかだ。
「まあ、そうじゃな。そうなのじゃが……エメ子は、なぜあそこまで必死なのかのぅ」
そもそも元プレイヤー達は歳月によって見た目が変わる事がないという、少々特殊な状態にある。生活状況によって多少の変化は表れるが、大きく変わる事がないのだ。
それでいてエスメラルダが美容に向ける情熱は、人一倍に見えた。いったい何が彼女を、そこまで駆り立てているのだろうか。やはり最低限などに甘んじず、最高を目指すのが真の女性というものなのだろうか。
そのような事を考えたミラだったが、アルマが言うに、あれは処世術に近いものなのだそうだ。
十二使徒という立場にあるエスメラルダは、社交の場に出る機会も多い。そして、そういった場で必ず話題になるものは美容関係だという。
加えて元プレイヤーであるエスメラルダは、ずっとその美しさを保ったままでいる。これは何かと羨望の的になり、時として憎まれる事すらあるそうだ。
そのため何もしていないわけではなく、凄く努力しているからこそだという体面を整えるための方便として、情報収集をしているらしい。
それもこれも貴族の奥様方の心を掴むため。ひいては国の安定のためだと、アルマは我が事のように語った。
「──それでシャルウィナさん、その薬草はどこで採れるのかしら!? ──栽培!? 栽培が出来るのですか!? ──ええ、なるほど……日の光を当てないようにして、代わりに月の光を……」
聞こえてくるのは、エスメラルダの声。それはもうシャルウィナに対して怒涛の質問攻めだった。
「何やら、それ以上の理由もありそうな気がするのじゃが……」
「そういえば、最近ニキビが出来たって騒いでいたわね……」
エスメラルダが必死になっているのは社交界での話題のためか、それとも他に理由があるのか。それを知る者はなく、また知ってはいけない事かもしれないとミラは考えるのを放棄した。
「ところで、じぃじ。なんか、普通にイリスとお風呂に入ってたよね」
どうにかしてその話題に触れられないように誘導していたミラ。だが美容の話に一段落ついてしまった事により出来た僅かな間に、一番避けたかったそれが投下されてしまった。
「……それは、アレじゃよ。わしも、しかとわきまえておるのじゃよ? しかしじゃな、断ると、こう、とても悲しそうな顔をされるのでな。致し方なくというべきか、やむにやまれずというべきか──」
これは、まずい流れになってきた。この事を報告でもされてマリアナにまでも伝わってしまったら、一巻の終わりだ。そう瞬時に判断したミラは、あくまでもイリスのためであり、そこにやましい感情は一切ないと主張する。
と、そうしたところ──
「あははっ。ごめん、じぃじ。ちょっと言い方が悪かったかもね。そういう事じゃなくてね、ありがとうって言おうと思ったの」
必死なミラの反応が可笑しかったのか吹き出すように笑ったアルマは、どうにか笑いを抑えつつ、そんな言葉を口にした。むしろ礼を言いたかったのだと。
「む……そう、なのか?」
わかっていながらイリスと一緒に風呂に入っていた事を責められるのではなく、礼を言われた。
そのパターンは想定外だったと困惑するミラは、それでいてその顔に希望を覗かせる。保護者のようなものであるアルマの認可を得られれば、もう責められる事を気にしなくて済むようになり、またイリスに悲しい顔をさせる事もなくなると。
「まあ、あの子が一緒に入りたいって言うのは、予想がついたからね。それに、じぃじが一緒に入ってくれているってイリスから聞いてたし」
背中合わせの後ろから聞こえてくるアルマの声。僅かにからかうような色が交じるそこには、同時に安堵にも似た感情が浮かんでいた。
どうやらミラが意識し過ぎていただけであり、アルマは、そこまで気にしてはいなかったようだ。
「でね、さっきここに来た時にイリスの笑顔を見てさ、思ったの。あんなに嬉しそうに笑うイリスを見るのって、どのくらいぶりなんだろうって」
そう言葉を続けたアルマは、ミラの背に、そのままそっと背を預けるようにして触れる。それはまるでこれまでの、そしてこれからの信頼を表すかのように。
「あの子ってさ、いつもニコニコしているでしょ。私達に心配かけないようにって。でもね──」
国のため、世界的な悪の組織を壊滅させるために頑張ってきたアルマ。
そして、その最大の一手となったイリスの能力だが、それは同時に、イリスが自由を奪われる事にも繋がった。相手への影響と重要性は多大であり、だからこそ、おいそれと外出が出来なくなってしまった。
今のイリスの世界は、この部屋の中だけなのだ。
アルマがあれこれと用意したお陰で、部屋としては破格の広さと充実さを誇っているが、それでもやはり仕切られた空間だ。外に比べれば気休め程度といっても過言ではない。
しかも、時間の合間を縫ってアルマが顔を出しているようだが、基本は一人での生活となる。イリスが感じている寂しさは、きっと想像も出来ないほどだ。
けれど、アルマがどれだけ頑張っているのかわかっているのだろう。イリスは、そんな寂しさを心の内に隠して、いつも笑顔だった。
ただ長く女王などをやっていると、そういった感情の機微に敏感になるそうだ。アルマは、イリスが隠している寂しさに気付いていた。
「──さっき見た笑顔は全然違った。じぃじと一緒だって、本当に心の底から嬉しそうに笑っていたの」
そこまで口にしたアルマは一呼吸おいてから、「ありがとうね、じぃじ」と涙声で続けた。
まだ一週間にも満たない程度ではあるが、ミラと暮らした日々。そして団員一号とシャルウィナも加わった今という時間が、イリスの寂しさを吹き飛ばしてしまったようだ。
「そうか、役に立てたのなら何よりじゃな」
そっと震えるアルマを、その背で感じながら、ミラは何でもないとばかりに答える。そしてミラもまた心の中で、あともう少しの辛抱だと決戦への意気込みを新たにする。
「そのクリーム商品にしたら、凄い売れそうね!」
どこか湿っぽくなったが、それはそれ。言いたい事を言い終えたアルマは勢いよく立ち上がると、そのままシャルウィナ達の会話へと交ざっていった。
シャルウィナが独自に開発した美容クリーム。それはきっと、世の女性達から大いに求められるヒット商品になるかもしれないとアルマは考えたようだ。
(まったく、忙しい娘じゃのぅ)
先程の話から一転して、始まった商売の話。その切り替えの早さに呆れたミラは同時に、その逞しさに笑うのだった。
風呂から上がった後、ミラはそのままベッドにダイブしていた。
実にハーレム的な入浴タイムではあったが、如何せん、そういう目で見てはいけない者ばかりである。加えて、いざという時のためにマリアナへの言い訳も考えていた結果、風呂は癒しでなくなってしまったのだ。
余計な気疲れをする事となったミラは、細かい話はまた明日として眠りについた。
そして次の日の朝、起こされる前に自然と目を覚ましたミラは、眠気覚まし代わりの朝風呂を一人で楽しんでいた。
(やはり、誰に気を使わずともよいというのは気楽じゃのぅ)
風呂の楽しみ方というのは沢山ある。可愛い娘がいる女風呂もまた素晴らしいが、大きな風呂に一人で入るのもまた実に心地の良いものだ。
静かな朝のひと時。ミラは情緒チックに下らない事を考えながら、今後の予定について思い浮かべた。
(トルリ公爵とガローバ、そしてユーグスト。これで四人いる幹部連中のうちの三人が、こちらの手中に収まったわけじゃ。残るは、イグナーツ唯一人。奴が率いるヒルヴェランズ盗賊団とかいうのは相当にでっかいという話じゃが、アトランティスの将軍共が十人も出張ってくるという話じゃからのぅ。まあ、わしの出る幕はないじゃろうな)
アーク大陸中央の覇者ともされる、ヒルヴェランズ盗賊団。その戦力は、そこらの国軍すら凌駕するほどだそうだ。
だが、その悪行もここまでだろう。これから盗賊団が相対するのは、容易に国盗りを可能とする十人の将軍なのだから。
アトランティスが誇る『名も無き四十八将軍』。ソロモンから聞いた話によると彼らのほとんどが、既にこの世界に来ているとの事だ。そして、しっかりと国防のために尽力していると、それはもう羨ましそうに言っていた。
九賢者にも並ぶその実力は確かであり、更には十人も派遣されたとなれば、それは九賢者を超える戦力となる。
(……今更ながらに思うが、よくぞそれだけの戦力を動かせたものじゃな)
大規模とはいえ、たかだか盗賊退治のために国家最強クラスを十人も投入するなど過剰であろう。とはいえ、それだけの必勝ともいえる戦力が投入されたからこそ、保身派だった周辺国も動いた、というより動かざるを得ず、兵を出したわけだ。
いったいエスメラルダは、どのような説得をしたのか。何とも言えぬ恐ろしさを覚えたミラは、詳細を考えない事にした。
「あれ? じぃじがもう起きてる!?」
朝風呂ですっきりと目覚めたミラは、イリスを起こしにやって来たアルマと廊下でばったり遭遇する。同時にアルマが心底驚いたように目を見開いた。
ミラは護衛についてから、毎日ついでに起こされていた。だが今日は違う。既に起きているばかりか朝風呂まで浴びて、しゃっきりとしているではないか。
その姿に驚きを隠せないアルマは、「もしかして、そう見える新しい召喚術?」などと、ミラの早起きを俄かには認めない様子だ。
「正真正銘、本物じゃ。わしもその気になれば、この程度は朝飯前なのじゃよ」
いったいアルマにどう思われているのかと苦笑しつつも、ミラはどんなもんだと胸を張る。
対してアルマは「そっかー」と感心したように呟いてから、にこやかな笑顔で告げた。「じゃあ、明日も、その気でお願い出来る?」と。
「……」
ミラは即座に頷く事が出来ず、そっと視線を逸らせた。
たまたま早く起きれただけ。今日の朝をそのように判断されたミラは、かといって違うと断じるほどの自信もなく、先にキッチンにやってきていた。そして朝食の支度を始める。
イリスの護衛を始めてから一週間程度だが、ここでの生活にも慣れたものだ。
それから少しして、アルマに起こされたイリスがやってくる。
「ミラさん、おはようございます!」
イリスは朝早くから元気いっぱいだ。その様子といったら、自然と笑顔がこぼれてしまいそうになるようなハツラツさである。
「おはようございます、主様」
「今日も、素敵な朝ですにゃ!」
イリスに続き、シャルウィナと団員一号もやってきた。団員一号はイリスに抱き枕代わりにされているため、朝は毎日毛並みが爆発したような状態だ。
そしてシャルウィナはというと、また夜更かしでもしたのだろう、目の下には隈が出来ていた。一応、護衛としての任はあれど不寝番までは命じていない。そういった任は全て、各所に配置した武具精霊が二十四時間体制で遂行しているからだ。
だがシャルウィナは、むしろここぞとばかりに、その任を請け負ったようだ。堂々と夜更かしして本が読めると。
彼女は数冊の本を小脇に抱えて、実にご満悦な顔をしていた。
「うむ、おはよう」
イリスの部屋の四階にある図書館。読み放題のそれを喜ぶと思いシャルウィナを召喚したが、むしろ健康面を考えると逆効果だっただろうか。
ミラは、そんな心配をしつつ皿を並べていった。
本格的にダイエットを始めてから、約一ヶ月が経ちました。
本格的にということで、体重計も買いました。
そして計ってみたところ、その成果は……!
なんと、三キロ減っていたのです!
一ヶ月で三キロ……これはなかなか悪くないのではないでしょうか。
この調子で進めていけば年末には70台を達成し
クリスマスをケンタッキーとケーキで、
年末をピザで迎える事ができるのでは……!
あとはいつまでこの調子で減っていってくれるか……。
ダイエットは、まだまだ始まったばっかりだ!




