37 リリィ再来
三十七
一時間近くに及んだ雑談は、執政官が大量の書類を持ち込んだ事で終了となる。それによりソロモンの表情は晴れやかな笑顔から、一瞬で曇天模様へと変じた。
「では、そろそろ行くとするかのぅ」
ミラは、これ以上邪魔しては悪いと立ち上がると、ソロモンがチラリと視線を向ける。
「王の仕事に興味ないかい?」
「わしが出来ると思うか?」
「だよねー」と突っ伏すソロモン。ミラも手伝ってやりたい気持ちはあるが、そういった書類作業がそもそも苦手だった。興味以前の問題だ。
「ソウルハウルの行き先は、あれだけ資料があったから数日の内には判明するはずだよ。スレイマンは優秀だからね。それと謎の陰陽術士の件は、まったくの不明だから判り次第連絡。取り敢えず、こんな感じでいいかい?」
「うむ、構わん」
任務について一通りの最終確認を行うと、ソロモンは渋々といった具合に書類を広げ始める。
「数日は空きが出来るけど、この後どうするの?」
「折角じゃから適当に観光してから、塔に戻ってみようと思っとる」
「そっかそっか。自慢の街だから、是非楽しんでいってね。ああ、それと溜め込んでいる魔封石とか持って来てくれると、僕はすごい喜ぶと思うよ?」
「覚えておったらな」
にかりと笑うソロモンに、どの道そのつもりだったミラは、肩を竦め冗談めかしながら答えた。
「ではな」「じゃあね」と簡潔に別れの挨拶を交わすと、ミラは執務室を後にする。
さて、城の出口はどこだったかと、ミラは廊下の真ん中で左右に首を巡らせる。そんな時、執務室の隣の扉が開くと、そこからリリィが現れた。ミラが城に泊まった日、朝起こしに来た侍女だ。
「あ……」
「あら!」
反射的に上ずった声を漏らしたミラと、表情を咲き誇らせるリリィ。
「お久し振りですミラ様。もう御用はお済ですか?」
リリィは精鋭の侍女らしく整った礼をすると、満面の笑みを浮かべながら顔を上げる。
「うむ、もう帰るところじゃ」
「そうでしたか。では今、お時間はありますか。侍女一同、渾身の傑作が完成しましたので!」
「まあ……、いいじゃろう」
きっとこうなるだろうなと、リリィと遭遇した時点で悟っていたミラ。真剣な女性の瞳を無下には出来ず、ならば早く終わらせてしまおうと即刻頷く。
案内されるままに廊下を進み、突き当たりの一室へ入る。リリィは完成した服を取りに、更に部屋の奥へと進んでいった。
連れて来られた場所は裁縫専用の部屋で、ミラの視界には作りかけの衣服や丸められた生地が所狭しと並べられている。ここは王城の角側に位置する生産区画という場所で、裁縫部屋はとても静かだった。そんな中、ミラはそわそわしながら、無数の侍女服が掛けられている壁を見詰める。そこに並んだ侍女服は同じデザインのものが一つもなく、それぞれに違った魅力が溢れている一品揃いだ。
(上から二列目の右から三つ目。いや、一番下の左から四つ目も……)
ミラは真剣な眼差しで侍女服を吟味する。これはエメラ、これはフリッカなどと脳内で着せ替えを楽しんでいた。
「ミラ様は侍女服にも興味がおありですか?」
「なっ……!? その、まあ、なんじゃ。嫌いでは無い」
背後から急に声を掛けられてビクリと身体を振るわせると、狼狽したミラは思わず本音をポロリと零す。
「でしたら、着てみますか?」
「いや、それは結構じゃ」
些か冷静さを取り戻すと、即答で断った。自分で着ては意味が無いのだと。
「そうですか。着たくなったらいつでも言って下さいね。好きなデザインを仕立てますから」
若干、残念そうな表情を浮かべながらも、リリィに諦めた気配は無い。ミラは一瞬だけ侍女服を纏った自分の姿を思い浮かべると、観賞する分には至高だなと、自画自賛する。
「ではミラ様ご覧下さい。こちらがミラ様専用魔導ローブセットでございます!」
そう言いリリィが広げた衣装を目にしたミラは、一瞬言葉を失った。今までの傾向通りにゴスロリ魔法少女を極めて来るのかと身構えていた覚悟を、一刀で斬り捨ててくれたからだ。良い意味で。
「ほぅ……ほぅほぅほぅ!」
ミラはその服を食いつく様に見ながら、何度も何度も頷いた。
リリィの持ってきた服は、ゴスロリ魔法少女風というコンセプトは変わらないまま、奇抜すぎるフリルやリボンは排除され、要所要所にワンポイントとして配置されている程度で収まっている。そして何より、可愛らしくもスタイリッシュに仕立てられた服は、一時嵌っていたSFチックな魔法少女の面影がある。
簡単に表現するならば、どこかの魔法使い組織の少女幹部が着ていそうなデザインの服だ。黒と白のノースリーブワンピースと、黒に紫のラインの入ったコートがセットになっている。
「お気に召して頂けましたか?」
「ふむ、これは悪くないのぅ」
その服は、ミラの好みと一致していた。最初に着せられた服のパワーアップバージョンが出てくると思い込んでいたミラは、その意外性からとでもいうべきか、自分が着る服だという事すら忘れて素直に答える。
「それは良かったです。試作品をお渡しした夜に、ソロモン様がミラ様の好みを教えてくださいまして」
「そうじゃったのか」
確かにソロモンならば自分の好みを知っているなと納得する。それどころか、一緒になってSFチック魔法少女に嵌ってさえいた。そして、よくよく思い出したミラは、今回の服がソロモン一押しのキャラの服に似ている事に気付く。
(あ奴め……自分の好みも混ぜおったな……)
ミラはワンピースに一体化された大きな白い革ベルトと、前面だけ丈が短く、閉じても脚を隠さない仕様のコートに注目する。これは完全にソロモンの趣味だとミラは確信した。
「ではミラ様、早速こちらへ」
リリィは言いながら裁縫部屋の隅のカーテンで仕切られた場所へと、ミラを案内すると服を手渡す。
「お手伝いしますか?」
「いや、必要ない」
にこやかな笑顔を浮かべるリリィに、ミラは服を受け取りながら答え、そのままカーテンの奥へと入る。更衣室として使われているそこには、前面に大きな鏡が埋め込まれており両脇には棚といくつかのハンガーが掛けられていた。
ミラは、手にした服を棚に置くと今着ているローブの裾に手を掛ける。
「とってもお似合いです、ミラ様!」
「そ、そうかのぅ?」
着替えを終え姿を現したミラに、興奮気味で賞賛を送るリリィ。ミラも満更ではなく、手足を動かしながら自分の服装を確認している。精鋭の侍女部隊が丹精込めて作り上げた服は寸分違わず身体に合い、四肢の動きにも支障が無い。
「では、機能についてお伝えしますね」
そう言ったリリィに連れられて、ミラはテーブルの前に立たされた。正面には数枚の紙が広げられている。
「まずこちらは、ミラ様専用魔導ローブセットを作成するにあたり、協力してくださった方達の名前です」
「多いのぅ」
言葉と共に見せられた紙には、ソロモンとルミナリアを筆頭に数多くの名前が記されていた。多過ぎる為ミラは流して見ただけだったが、その中にはアコードキャノンの設計者であるトーマの名前もあった。
「続いてこちらです。名称の通り今回の衣装には魔導工学が利用されていまして、これには、その機能が書いてあります」
「魔導工学じゃと……? 危なくはないのか?」
魔導工学と聞いたミラは、即座に大きな大砲を思い出し自身の服を一瞥する。それに対してリリィは、まったく問題無いと誇らしげに首を振る。
「何の心配も要りません。それどころか、恩恵がありすぎてミラ様がこれからも私達の着せ替え…………衣装を贔屓にしてくれる事請け合いですよ」
「ん……? 着せ替え、なんじゃ?」
「なんでもございませんよ?」
慌てて言い直したリリィを訝しげに睨むミラ。リリィは、顔をそっぽに向けて知らぬ存ぜぬの構え。どうしても気になるという訳でもないので、ミラはまあいいかと紙へ視線を戻した。
「ええっと、では説明いたしますね。まず、一番重要な点からです。ワンピースのベルトに小さなケースがあるのですが、そこに魔動石か属性系の魔封石を入れます」
そう言い、リリィはミラのコートを少しはだけさせると、ワンピースと一体化した腰のベルトの中央の黒いバックルを開く。するとそこには石一つくらいは簡単に入りそうな空間があった。
「ほぅほぅ。これはまた本格的じゃな」
ミラは、バックルを開けたり閉めたりしながら楽しそうに呟く。
「その仕掛けが魔導ローブセットが魔導を冠する所以です。なんと、石の魔力を原動力として様々な恩恵が得られるのです!」
得意げに説明を始めるリリィ。しかし彼女が携わったのは生地の選定と裁断までなので、魔導関係についてはトーマの説明の受け売りだ。本来は、そういった事柄に触れる事の無いリリィは、この日の為にトーマを師と仰ぎ連日教えを乞うていた。
「では、効果の方の説明といきましょう。まずワンピースとコートには不燃と不凍の加工がしてあります。ただ、極端な温度になるとその限りではありませんので注意が必要です。
ですが魔動石を使うと、その性能が強化されます。効果中は獄炎鳥の炎も防げる、らしいですよ。それと自動修復が付与されます。ただし限界もありまして、大きく裂かれては修復しきれないそうです。
そして魔封石を入れた場合ですが、その属性によって攻撃と防御が強化される、みたいです」
間違えずに言い切れた。リリィは最後にどうだと言わんばかりの表情をミラに向ける。ミラはミラで、興味深そうに着ている服を撫で回す。
「ほほぅ。色々とあるんじゃな」
想像以上の性能に、ミラは素直に驚いた。詳しくは不明な点もあるが、面白い性能が盛り沢山だ。もちろん賢者のローブは、破格の性能を誇っているが、魔導ローブセットも良い水準で整っている。効果を発動させれば、防御面において賢者のローブを上回る可能性まで垣間見える程だ。
しかしここぞという実戦においては賢者のローブに軍配が上がるだろう。なによりも、やはりデザインが良い。しかし魔導ローブセットも違った魅力がある。
まあ、交互にでも着替えればいいかと考えながら、ミラは気に入り始めている今の服の性能を頭の中で繰り返す。
(不燃と不凍。魔封石による効果というのも気になるのぅ)
「しかし、こんな高そうなもの、貰ってもよいのか?」
これだけの性能を付与した装備など、かなり値が張るだろう。その事を思い出したミラは、伺う様にリリィを見上げる。
「もちろんです。費用は全てルミナリア様が出して下さいましたし。ルミナリア様とソロモン様の願いにより作成しましたので、それはミラ様のものです」
「そうじゃったのか……」
二人はそんな事を一言も言っていなかった。一連の騒ぎは親友二人の仕業かと苦笑しながらも、ミラは嬉しそうに唇を綻ばせる。
(礼は言わんがな)
内緒でやっていた事は確かなので、態々面と向かって礼を言うのも面白くない。今度、土産でも買ってきてやるかと微笑みながら、決意新たにやる気を出すミラ。
(まあ、今日は観光を楽しむがのぅ。明日からじゃ)
明日からがんばる。そう誓うとミラは、リリィと共に裁縫部屋を後にする。
その後、侍女区画に連れて行かれると結局、ミラは待ち構えていた侍女達に盛大に可愛がられた。全員が服作成に携わった者達だったので無下にも出来ず、様々な髪型にされて弄ばれる事となった。当のミラはというと、その間に振舞われた侍女特製のお菓子に夢中で、周りが騒がしい以外は充実したおやつタイムとして堪能した。
昼の中頃、昼食の時間を少し過ぎたあたりだが、おやつを沢山食べたミラのお腹具合は良好だ。
侍女区画から解放されたミラは、城門の守衛と挨拶を交わし城下へと赴く。観光の為に。ちなみに城の者達は、ミラの素性をソロモンより聞かされているので、基本フリーだ。
さてどこに行こうかと考えたミラの脳裏に、執務室で見えた学園の校舎が浮かんだ。遠目で見ただけでも、圧倒的存在感を放っていた建築物に興味を抱いたミラは、早速学園に行ってみようと周囲をぐるりと一望する。
「どこじゃったかな……」
流石に広すぎるのと、整然とした街並みに方位を掴めず、ミラはきょろきょろと周囲を探りながら歩く。するとそんなミラの前方に、丁度良く巡回中の衛士が現れた。
衛士は、長い銀色の髪を両サイドで結んだ愛らしい少女と目が合うと、胸をドキリと高鳴らせる。しかし、その少女が一週間ほど前に盛大に迎えた九賢者の弟子だと気付くと慌てて礼を取った。
「ちょっと聞きたいのじゃが、学園へはどう行けばいいのかのぅ?」
渡りに船とばかりに、ミラはてててっと駆け寄ると衛士を見上げながら問い掛ける。
「これはミラ様。学園へは、あちらの裏手にある橋をお渡りになり、そのまま大通りを真っ直ぐ進んだ左手側でございますよ」
「ほう、そうか。ありがとう」
ミラは衛士が指し示す方向へと身体を向け確認すると、視線だけを戻して衛士に礼を言い、小走りで学園方面へと駆けていく。衛士は、どうにか冷静に対応できたと、少女の揺れるツインテールを見送りながら、見蕩れた様に表情を緩ませていた。
アルカイト王国の象徴ともいえる、三日月型の湖。その湖に囲まれる様にあるのが上級地区で、湖を横切る橋を渡ると一般地区へと出る事ができる。ミラは今、その橋の一つをずんずんと進んでいた。幅が十メートルはある大橋で、黄土色の石畳が真っ直ぐ続いている。等間隔に細工の見事な街灯が並んでおり、上級地区とを繋ぐ橋としての風格は十分だ。
湖は広く、ミラは二十分ほど歩いて一般地区の入り口へ到着した。
「これはミラ様ではないですか。一般地区へ御用ですか?」
話しかけてきたのは守衛。一般地区と橋の間にある門の管理人だ。門自体はそれほど大きくなく、馬車一台が通れる程度。それと脇に管理人用の小部屋が備えられている。
「うむ、観光してみようと思うてな」
「そうでしたか。ここは素晴らしい街ですからね。では、門を開きますので少しお下がりください」
そう言い衛士が小屋に入ると、ゆっくりと門が開いていく。徐々に広がっていく隙間から覗く街は、上級地区の上品な雰囲気とは明らかに違う。活気が満ち大勢の住民が行き交う、正に都だった。
ミラは守衛に手を振り門を抜けると、アルカイト王国首都ルナティックレイクの東地区へと足を踏み入れる。
目の前には幅の広い通りが真っ直ぐと伸びている。衛士の話によると、ここを突き進めば分かるらしい。ミラは、その言葉を信じて大通りへと繰り出した。
大通りというだけあって、面した店舗は大きく多様な品々を扱っている。特に雑貨が多く、学園が近くにあるからか文房具店などもちらほらと見つかる。だが、ミラが一番驚いた事といえば、術具系の店舗が圧倒的に多いという事だ。どこを向いても一店は必ず術具を扱っている。
術具とは多種多様な種類を表すが、総じて術に関係する道具の事だ。武器となる杖、魔術士が術を覚える為の触媒、陰陽術士の式符、聖術士用の聖石や退魔術士用の聖水。他にも魔封石や各種薬品、生産道具やその為の素材。術により特殊な性質を秘めた道具。これらは総じて術具と呼ばれる。
大通りの店舗は、そういった物を無数に扱っていた。
ミラは物珍しげで楽しそうな雰囲気に引き寄せられ、ふらりふらりと店舗を巡り観光という目的を満喫しながら、時間を掛けて進んでいく。
昔から定番の商品に、見た事もない新商品が入り混じり、ミラの目を楽しませる。初めて見るアイテムに「これはなんじゃ?」と店員に聞くと、ある人は笑顔で、ある人は緊張気味に、そしてある人は懇切丁寧に教えてくれた。
ウィンドウショッピングにたっぷりと時間を掛けたミラは、暫くしてようやく目的地の学園前へと到着する。
「でっかいのぅ……」
思わず声が漏れる。その言葉の通り、アルカイト学園の敷地は空港並の広大さを誇っている。校舎と思える色分けされた大きな建造物が三棟、部首の『えんがまえ』の様に並ぶ。その他にも校舎に比べれば小さな建造物が所々に見られた。
ミラは、本来は成人であるという心情からか、真正面から堂々と学校を眺めるのに若干の後ろめたさを感じると、校門の隅に身を寄せて顔だけを覗かせていた。むしろその方が怪しく不審だとは、本人は気付いていない。
ミラの目に映る校庭の手前側には現在、学園の生徒が並び体術の訓練をしている。組み手をしている者もいれば、校庭を走っている者と様々だ。教師と思われる大人の男性が一人と、運動に適した簡素なシャツと短パン姿の十から十二ほどに見える子供達が三十人程度。見た限りは体育や格闘技の授業中の様だ。更に奥の方にも別の集団があった。こちらは男と女の教師が一人ずつで、ローブ姿の生徒が整列している。こちらは六十人程度だろうか。ただ、校庭が大きすぎる為、実際の人数よりも少なく見えてしまう。
微笑ましそうに、その様子を見つめていたミラ。その教育施設の規模は常識外だったが、そこは確かに学園だった。
「青春じゃのぅ」
大学を卒業して早六年、郷愁染みた感情が押し寄せると、ミラは思わず呟き苦笑する。
「学園に興味あるのかなっ?」
突如、視界の外から声を掛けられ、ミラは覗いていたという後ろめたい状態から、反射的に身体を震わせる。錆び付いた機械の様に恐る恐る振り返ると、肩に大きな鞄を提げた猫耳の女性が、中腰で優しそうな微笑を浮かべていた。




