371 秘密の部屋
三百七十一
「どうじゃ、アイアンメイデン。ぴったりだとは思わぬか? ……と、もう聞いてはおらぬな」
たっぷりと二十秒、滅多打ちにされたユーグストを前に、やれやれと頭を振るミラ。
拘束されたまま百発以上の鉄槌を叩き込まれたユーグストは、最早、よくぞこれで生きているなといったような状態であった。
全身が打撲で腫れ上がり、これまでのイケメン風だった彼の面影は微塵もなくなっていた。
ミラの加減が的確だったのか、それともユーグストのタフさによるものか。それでいて致命傷になるような怪我は一つもないというのだから驚きだ。
「ミミ……ちゃん? 貴女って、何者なの?」
突如として始まり、そして終わった戦闘に戦々恐々としていた遊女達だったが、その内の一人が意を決したように話しかけてきた。
少女でいながら、ミディトリアの街で一番の大物であった王様──ユーグストを、完膚なきまでに叩きのめした。
そのような事が出来るのは、いったい何者なのか。そんな疑問が浮かぶのも当然だろう。
「ふむ、それはじゃな──」
対してミラは、ここに来る前に使った設定を、もう一度口にした。新人遊女とは仮の姿、自分はこの街の治安を陰から守る裏風紀委員会の者であると。
「この男の行為が問題となっておったのでな、粛清に来たというわけじゃ。ただ、お主達の仕事を奪うような事になって心苦しいのじゃが、許してもらえると助かる」
それらしい言葉を並べながらも、ミラは最後にそう謝罪した。
ユーグストが遊女相手に数々の問題を起こしていたというのは周知の事実だが、ここにいる彼女達にとってみれば、その収入の多くを担う太客だ。
今回の件はそれを奪う事になるため、恨まれても仕方がないというものだった。
だが彼女達の反応はミラが想像していたものとは、随分と違っていた。
「全然だよ、ミミちゃん!」
「うんうん、ほんと、よくぞ来てくれましたってものよね」
「ようやく解放されたわ!」
「こいつ、独占欲の塊だったから助かっちゃった」
ミラに向けられた言葉は、感謝と称賛であった。
彼女達の話を聞いてみるに、どうやらユーグストは、ここにいる遊女達に専属の契約を強要していたそうだ。
それは、契約料を払う代わりに他の客は取らず、いつでも呼び出しに応じる事、といった内容だったという。
契約料は破格の高さであり、数年で一生分を稼げてしまうほどだった。
しかしながら、王様の様々な我が儘に付き合わされるばかりか、かなりの頻度で呼び出されるため、プライベートも何もあったものじゃなかったと、それはもううんざりとした様子だ。
「秘密の組織が幾つかあるって噂は聞いていたけど、そんな組織もあったのねぇ」
「お陰で、ようやく休めるわ」
「一ヶ月か二ヶ月くらいお休みにしよーっと」
遊女達はこれで契約解消だと、それはもう嬉しそうだ。今日は皆でパーティでもしようと盛り上がり始めていた。
その際にちらりと上がった、秘密の組織の存在。そういえばサリーも、そのような噂がどうこう言っていたなとミラが思い返していた時だ。
「あれ? ラノア、どこに行ってたの?」
ふと遊女の一人がそう言った事もあり振り返ってみたところ、そこには入口の辺りから戻ってきたといった様子なラノアの姿があった。
思えば、ユーグストをボッコボコにした後だ。ミラは遊女達が戦々恐々としていた中、そこにラノアの姿がなかったようなと記憶を振り返る。
また同時に、もう一つ。この部屋に仕込まれた結界の術具については彼女に教えてもらった事だと思い出した。
しかもラノアがそれを告げた時に見せたユーグストの反応からして、それは本来、彼女が知っているはずがないものだったと思われる。
いったい、どこでそれを知ったのか。ミラはラノアに、他の遊女達とは少し違う何かを感じ、そして考えた。もしや、ラノアこそが本物の──、と。
「ちょっと表で、警備の人達を追い返してたの。あれだけ何度も防犯装置が鳴っていたから、ね。とりあえず、王様がまた無茶な遊びを始めたって説明したら、納得して帰ってくれたわよ」
ラノアはというと、何事もなかったとばかりな表情で、そう答えた。
確かに、あれだけ警報を鳴らしてしまったのだ。それはもう、何事かと警備員が殺到するはずだ。
だが今、そうなっていないのは、ラノアがそれを予想し先んじて行動していたからだった。
それに対する遊女達の反応はというと、それはもう大絶賛だ。
「そっか、そうよね、あれだけ鳴ってたものね」
「ありがとう、ラノア! 流石ね!」
「あいつらの半数は王様の私兵と化しているからねぇ……踏み込まれて、こんなところを見られたらどうなっていたか」
そのような言葉を交わし、よかったよかったと安堵する遊女達。その会話の内容によると、どうやらこの街の警備兵の半数は、ユーグストから賄賂を受け取っているようだ。
そんな奴らが、この現場を見たとしたらどうなるか。それはもう、間違いなく大騒ぎである。
そうなれば、折角懲らしめた王様が解放されるばかりか、ミラが犯人として捕まっていた事だろう。
また、一戦交えた場合、ゆっくりと目標物を探している場合ではなくなっていたと思われる。
(そこまで冷静に動けるとは……やはり只者ではなさそうじゃな)
明らかに、他の者達とは何かが違う。そう感じたミラは、遊女達と共に今日のパーティはどうするかと楽しげに話すラノアを見つめた。
だが、そうして皆と笑い合う彼女に、おかしなところはない。
ただ単に、機転の良さと冷静さ、そして度胸を持ち合わせていただけだったのだろうか。
そう思案しながら、ふと視線を逸らせたミラは、次に視界に入ったユーグストの無残な姿を見やるなり、もう一つの大事な目的のために歩み寄っていく。
ここまで来た目的は、『イラ・ムエルテ』の最高幹部であるユーグストを捕らえるだけではない。彼が持つ特別製の術具を入手する事が重要だ。
それは、『イラ・ムエルテ』のボスがいる場所を特定するために必要な四つの内の一つ。
これを見つけなければ、任務完了とは到底言えるはずもない。
だがミラは、そこでどうしたものかとユーグストを見つめた。
(ちと、やり過ぎたかのぅ……)
それはもう思いっきり実験台にしてしまったため、別人のようにボロボロになったユーグストは、ちょっとやそっとでは起きないだろう状態にあった。
とりあえずミラは拘束を緩めてから、ユーグストを捕縛布でグルグル巻きにしていく。
そこから手持ちの薬を使って幾らか回復させてみたものの、目覚める様子はなさそうだった。
これでは、本人を尋問して術具のありかを訊き出す事が出来ない。
ちなみにガローバから訊き出した情報によると、ユーグストが持つ術具は地図の形をしているという事だ。
念のためにミラは、ユーグストがベッドの上に脱ぎ捨てた服を調べてみる。けれど地図どころか紙の一片も出てこなかった。
ただ、代わりに気付けた事がある。その服には、強力な精霊の力が宿っていたという点だ。
そう、精霊武具だったのだ。ユーグストがこれを着た状態で戦っていたとしたら、戦況はもう少し長引いていただろう。
場合によっては、この部屋ごと吹き飛ばしていた可能性すらある。
遊女の一人として潜入し、情事の最中に戦闘へと持ち込む。これは見事な作戦勝ちだったなと、ミラはその服からさりげなく精霊の力を解放しつつほくそ笑んだ。
ただ、それはそれとして更にベッド周りを探したが、地図らしきものはどこにもなかった。
「うーむ……困った」
モノがモノであるため、きっと簡単には見つからないだろう。場合によっては、この部屋でなく別の特別な場所に隠している事だって考えられた。
どう探したものか。サソリの気付け薬でも分けてもらっておくべきだったか──などとミラが悩んでいた時だ。
「どうしたの、ミミちゃん?」
そう遊女の一人が声を掛けてきたのだ。
振り向くと、何人かがベッド周りにやってきていた。どうやら服を着るためのようだ。ベッド周りに置きっぱなしだったそれを拾い、それぞれが袖を通していく。
そんな中、難しい顔で唸るミラの様子が気になり、声を掛けてきたわけだ。
また、その彼女の隣にはラノアの姿もあった。
そこでミラは、ふと閃く。ユーグストが隠していた結界の術具について知っていた彼女である。もしかしたら地図がある場所、またはそういったものが置かれているところも知らないだろうかと。
「実は、この男には別件での容疑もあってのぅ。その悪事の証拠品の回収をせねばならぬのじゃが、どこに隠し持っておるのかわからなくて困っておったところじゃ。お主達は、そういったものを隠しておりそうなところを知らぬか?」
一先ず、重要な部分は伏せて答えたミラは、ちらりとラノアの反応を窺う。
「うーん、悪事の証拠かぁ……」
遊女が考え込む隣で、ラノアもまた「どうかしらねぇ」と思案顔だ。
流石の彼女も、そこまでは知らないのだろうか。ラノアの反応からみて、そう判断しようとしたところだった。
「あ、あの部屋じゃない!? ほら、絶対に入れてくれなかった部屋があったわよね?」
ラノアではなく考え込んでいた遊女が、何か思い付いたとばかりに声を上げたのだ。
するとだ。そんな声に釣られるようにして、他の遊女達も何事だとばかりに集まってきた。
「なになに、どうしたの?」
「あの部屋って、あの部屋の事? あ、もしかして入ってみちゃおうかって話!?」
「いいわね、いいわね。ずっと気になっていたのよね!」
どうやら、ユーグストが絶対に誰も入れようとしなかった部屋というのがあるらしい。
彼女達の話から察するに、その部屋は、ここに来る途中で目にした各シチュエーションルームが並んでいたうちの一つのようだ。
(……確かに怪しいが、別の意味でも怪しく思えてならぬな)
話の流れからして、そこに大事なものを隠しているという可能性はある。だが、他ならぬユーグストの事だ。場合によっては、その変態性の粋を集めた究極の変態ルームであるという結末も十分に予想出来た。
調べてみるべきかどうか……そう悩んでいたミラであったが、それよりも遊女達の行動力の方が早かった。
「行ってみましょう!」
ド変態ルームを見せつけられる事よりも、好奇心の方が勝ったのか。そもそも、そのような懸念もなかったのか。ラノアがそう言うと遊女達は口を揃えて「そうしましょう!」と応え駆け出していった。
(何とも元気な娘達じゃのぅ……)
服を着るのも中途半端に行ってしまった遊女達。ベッドの周りには、何人分かの下着が落ちたままになっていた。
つまり、この何人かは服を着たもののノーパン状態という事だ。
そして時として、それは裸よりも抜群の効果を発揮するものである。
そんな彼女達のスカートの中に想いを馳せるミラは、一先ず手持ちの簡単なワンピースを着ながら元気よくその後を追っていった。
「うーん……どうしよっかぁ」
様々なシチュエーションルームが並ぶ廊下の途中。一つの扉が開いていたため、そこに入ってみたところ、その部屋にはもう一つの扉があった。そして遊女達は、何やら困った様子でその扉を見つめていた。
「何じゃ? 何か問題じゃろうか?」
妄想に耽っていたため少し遅れてやってきたミラは、何に困っているのかと問うた。
すると返ってきた答えは至極単純なもの。ユーグストが絶対に入れてくれなかった部屋の中にあったもう一つの扉には、鍵が掛かっていたというのだ。
とはいえ、入れようとしなかったのだから鍵くらい掛かっていて当然だ。と、そこまで考えたところで、ミラはようやく彼女達が何に困っているのかを理解した。
そう、鍵が無いのだ。加えて、その鍵をユーグストがどこに隠していたのかについても見当がつかないといった調子である。
これでは、その部屋を確認出来ない。
けれどミラは、それほど焦っていなかった。もとより、鍵がなければ壊せばいいじゃないというつもりでいたからだ。
きっとまた警報が鳴ってしまうだろうが、そこは再びラノアに対応してもらえばどうにかなる。そんな考えである。
「うーん……あいつどこに鍵を隠してるんだろ」
「聞き出そうにも、あの状態だしねぇ」
「いっその事、壊しちゃうとか? ミミちゃんなら出来そうじゃない?」
扉の前で考え込む遊女達。その会話の中に、ミラが考えていたものと同じ案が出てきた。
それをきっかけに、ミラは「任せておけ」と答え──ようとした直前で、ラノアが重要な事実を告げた。
「いえ、壊すのは止めた方がよさそうよ。ここには他と違う術具が仕掛けられているみたいだから」
その言葉に皆で振り向いたところ、ラノアはそっと天井を指差してみせた。
全員で見上げてみると、そこには得体の知れない文様が刻まれていた。ラノアの言葉通りならば、それもまた防犯用の何かという事になる。
扉を壊したりなどすれば、何が起きるかわからないわけだ。
ただ、そこまでして秘密にしたい何かが、この扉の先にあるのだろうという見方も出来る。
遊女達もまたそう考えたようで、危ない危ないと言いつつ俄然盛り上がり始めた。
(この文様……見て取れる術式からして、相当に危険な代物じゃな)
ミラはというと、それを目にした途端に緊張感を顔に浮かべた。もしもそれを発動させたならば、間違いなく遊女達は無事で済まないとわかる術式が組み込まれていたからだ。
またそれは、扉を無理矢理開けようとした際に発動する仕組みであるとも術式から読み解けた。
やはり、この先の部屋には大切な何かがあるようだと、ミラもまた期待を高まらせる。
とはいえまずは、そんな扉をどうやって開けるかだ。
(わし一人ならば、どうにかなるかもしれぬが……)
自分だけならば、どんな術式が発動しようとも防ぐ手段がある。
そう考えるミラだが、連動する術式が扉の先にも仕掛けられていた場合は面倒だ。
つまりは、誰かの手にわたるくらいならばいっその事、という証拠の隠滅である。そうなる恐れがある以上、ここは正攻法である鍵を使っての開錠が唯一の手段といっても過言ではないだろう。
だが、その鍵の行方はわからない。
どうしたものかと、唸るミラ。遊女達もまた鍵の在りかのヒントがないかどうか、あれこれとユーグストの行動を思い出しながら、あーだこーだと話し合っていた。
「あのクローゼットは?」
「衣装以外に見覚えはなかったわよね」
「やっぱ状況から考えて、普段私達が触らないような場所だと思うの」
そんな会話が幾度となく繰り返されていたところだ。
「あ、そういえば、前に彼がこの部屋から出てくるところを目にした事があるんだけど、その後、お楽しみを始める前に、あの壁際にある小さな机で何かしていたような……」
今思い出したといった様子で、ラノアがそう口にしたのである。
この部屋を出たところだとしたら、きっと扉の鍵を閉めたはずだ。となれば、その時には鍵を所持していたと考えられる。
その鍵を持ったまま彼は直ぐに大好物であるラノアに喰らいつかず、壁際にある小さな机に。
ラノアが告げた言葉は、答えを導き出すための大きなヒントになったようだ。
「あの机……確か仕事で使っている、とか言ってたわね」
「何か、難しい事がいっぱい書いてある紙があったよねぇ」
「そういえば、何が入っているんだろう」
もしかしたら使った鍵をしまうために、この部屋から出た後で仕事机に向かったのではないか。
ラノアの言葉からそんな推測を立てた遊女達は期待に満ちた顔で、「きっと間違いないわ!」と部屋から飛び出していく。
その後姿を見送ったミラは、そこでふと振り向いた。
「お主は行かなくてもよいのか?」
ラノアだ。彼女は遊女達と共にはいかず、そこに残ったまま天井を見つめていた。
「ええ、もしもの事がないように、この術式を読み解いておこうと思って」
そう答えたラノアは、「こんなものが仕掛けてあるなんて、いったい何を隠しているのかしらね」と続ける。ただ、その顔には期待ではなく確信めいた何かが浮かんでいた。
まるで、この部屋の奥に何があるのか見当がついているかのような、そんな表情だ。
「わしは証拠品さえあれば、もう言う事なしじゃな」
どこか他の遊女達とは違う。そんな何かを感じたミラだったが、かといって彼女の真意までは読み取れなかった。
とはいえ、不思議とそこに悪意めいたものは感じられなかった。そのためミラは、それ以上気にする事を止めて「ああ、それとこの術式はじゃな──」と、見て判断出来た仕組みと効果をラノアに教えた。
醤油って、美味しいですね!
というのも最近になって煮物などを作り始める前までは、醤油の代わりにめんつゆか割り下を使っていました。
普通のちゃんとした醤油というのを、十数年の間買った事すらなかったのです。
しかし今回、しっかりと料理をするとなった時、それだけでは足りないと知り醤油を買いました。
そして先日、料理以外に使いました。しゅうまいと春巻きです。
そこで改めて気付いたのです。
醤油って美味しい、と。
やはり基礎となる調味料というのは、それだけで美味しいものなのですね。
そして醤油と一言でいっても、色々な種類がありますね……。
こちらはまだ、味比べを出来るほど買ってはいませんが、いずれ一番美味しいと感じられる醤油に出会いたいものです。
自分が初めて買った醤油は、キッコーマンの超特選本醸造しぼりたて生しょうゆ? なるものです。




