35 緋色の鈴
三十五
古代神殿へ赴いた次の日の朝。
前日は、探し人こそ見つからなかったが、手掛かりは見つけられた。ガレットもソロモンから言い付けられていた用事を終えたので、準備が出来次第アルカイト王国に帰還する運びとなる。しかしその準備が少し掛かるとの事だったので、ミラは時間を潰す為カラナックの街へと出た。
「おはようございます、ミラさん」
カラナック一の宿、夏燈篭を出てすぐに声を掛けられたミラは、相手を訝しげに一瞥する。その者は目立たない為か、簡素な服装につば広の帽子を目深に被っている。
「お主か。おはよう。偶然……ではなさそうじゃな」
その人物は、エカルラートカリヨンの団長セロだった。彼は壁を背に寄りかかっていたが、軽く伸びをすると、そのままミラに歩み寄る。
「随分と早くから待ってたんですよ。ちょっと話したい事がありまして」
セロの声や表情には微塵の悪意も無く、その言葉は本心からのものであった。
ミラは少しだけ意図を探ると、即座にその理由に思い至る。そしてそれは、ミラも望むところだ。
「お主もわしも、元プレイヤーであるという件かのぅ」
「正解です。話が早くて助かります」
そう肯定したセロは、屈託の無い笑顔を向ける。非常に整った顔立ちのセロの笑顔に晒されれば、大抵の女性は骨抜きにされるだろう。更には中性的な顔立ちの為、男には興味の無いミラも、少しだけドキリとさせられる。
ミラとしてもソロモンとルミナリア以外、元プレイヤーと分かっている人物を知らないので嬉しい限りだ。昨日の夜は、エメラ達が居たので話せる雰囲気ではなかった。
「では、場所を変えんか。ここでする話でもないじゃろう」
「そうですね、私の行き付けに行きましょうか」
ミラは俄かに活気付き始めた大通りを一望してから言うと、頷いたセロは早速とばかりに歩き出す。ミラがいつ宿を出て来るのか分からなかった為、朝食を食べる間も無く張り込んでいたセロ。その間、かろうじてアイテムボックスに入れてあったマーブルジュースで誤魔化していたので、何か口にしたかったのだ。
セロ行き付けの店としてミラが案内された場所は、カフェ・ド・ショコラ。初めてエメラと会った時に打ち合わせした喫茶店だ。入って即座にブレンドコーヒーとカフェオレ、朝食セット中華コースとショコラティックオーバーロードを注文する。それから疎らに散逸した仕事前の一時を満喫する客達の隙間を抜けて、ミラとセロは店の隅の席を確保した。
「朝から豪快なんですね」
「甘い物は別腹じゃ」
ミラの注文に若干、驚愕した様子で言うセロに、ミラはどこぞの女子の如きセリフを吐く。甘味が好きなミラは、時折理解に苦しむ言動をする女性の言葉の中でも、これだけは強く納得出来た。
「しかし、お主のもあれじゃな。この世界の店に中華なんという括りがあるとは驚きじゃ」
「それは、ここのオーナーは元プレイヤーですから」
大して気に掛けず気楽に発言したミラは、その返答に目を丸くし即座に立ち上がると店内を一望する。
「今は留守ですね。といいますか、ここは支店ですので彼女は滅多に来ないはずですよ」
「ふ-む。結構居るものなんじゃな……」
それ程、人をじろじろと調べてなかったので、もしかするとすれ違った人達の中にも元プレイヤーが何人か居たかもしれない。この世界に元プレイヤーは何人来たのだろうか。ミラはそんな事を思いながら、メインより一足先に運ばれて来たカフェオレを一口啜った。
「その口振りからしますと、もしかしてこの世界に来て余り時間は経っていないんですか?」
「うむ、まだ一週間程度かのぅ」
「やはりそうでしたか」
この世界に居る元プレイヤーというのは、何か一芸に秀でた者が多い。戦闘方面なら冒険者や騎士、生産方面なら職人として。有力なメンバーはそれなりに把握しているセロだったが、エメラの報告で聞いた様な伯爵級の悪魔を圧倒する程の者は、その中でも限られる。セロ自身でも伯爵級までならばどうにか倒す事は可能だが、報告にあった様に無傷で一方的にとなると無理な話だ。
この三十年の間。元プレイヤーが、突然この世界に現れるという事は数多く確認されている。ならばその線で考えた方が確実だろうと、セロは当たりをつけていたのだ。
「良く分かったのぅ」
「前例が多くありますからね。それはともかく、ダンブルフさんのお弟子さんでしたっけ?」
「あー……うむ、そうじゃ」
元プレイヤーならば、ダンブルフ自身の事を知っている可能性が高い。ミラは下手な事を言って正体がばれて、威厳を失墜させる様な事は避けたかった。
「そんなプレイヤーが居たとは、ゲーム中には見た事も聞いた事もありませんでしたが……。もしかしてリアフレとかですか?」
セロが考えた事。まずゲームだった頃には、ダンブルフの様な戦闘スタイルのプレイヤーは本人以外に居なかった。それは目立つ戦場などに出てなかっただけかもしれない。または、まだ戦場に出れる程の力が無かったのか。しかし、そんな実力のままこの世界に来た場合、一週間程度で伯爵級の悪魔を圧倒できるだけの力を手にする可能性は皆無だろう。つまり、元からその程度の力は所有していた事になる。
それだけの力を持っていれば戦場でもランキング上位に食い込める程の活躍も出来るだろう。しかし、ダンブルフと同じ戦闘スタイルのミラという少女が、アルカイト王国、または九賢者の周囲に居たという記憶も情報も無い。ゲーム内では噂すら聞いた事の無い存在なのだから、残るは現実での繋がりだけだろう。その戦闘スタイルは見ただけで真似できるものではない。まず、セカンドクラスという、ダンブルフが編み出した技能を習得する事が前提。その上で、セカンドクラスを仙術士にして、やっと入り口だ。
セカンドクラスという特殊技能は、その習得方法が明かされていないのも要因となる。本人曰く、偶然の産物と言っているが、それだけ強力な技能ならば公言せず独占するのがオンラインゲームの常套手段だ。セロもだが、それ以外のプレイヤーも、きっと隠しているのだろうと考えていた。
そんな特殊技能を、ミラは習得している。つまり、秘密にしている情報を教えるくらい身近な存在という事だ。現実で繋がりのある友達、もしかしたら家族や恋人かもしれない。それらを纏めてリアフレと称したのだ。
「あ。実は、ミラさんがダンブルフさんだったりして」
セロは、もう一つの可能性を思い付くと、冗談だとばかりに笑みを作る。実際そうだったとしたら、今頃は九賢者帰還と題してアルカイト王国全土を上げてお祭り騒ぎになっているだろうと、セロはルミナリアがこの世界に現れた時の事を思い出しながら笑う。
ミラは無言でカフェオレを口に含むと、平静を保つため笑顔を作るよう努力していた。
(大正解じゃー! どうすれば良い!? いやいや、奴の口振りからして冗談でも言った気なんじゃろう。ならば、わしも冗談として笑い飛ばすのが正解か? それとも、大正解とでも言いながら笑えば冗談と取られるじゃろうか。正解はどこじゃー!)
ミラは転げまわりたい衝動を抑えて、脳内で大論争を繰り広げる。
それ程長くない一瞬、ミラは意を決して口を開く。
「……そんな訳なかろう。リアフレじゃよ。現実の方で色々と教えてもらっていたのでな。ゲーム中では基本別行動だったんじゃ。ログインも不定期じゃったから、わしを知らぬのも無理の無い話しじゃのぅ」
かなり無理のある話しをしながら、ミラは動揺を悟られぬよう至って冷静を装い即興の設定を並べる。その際、セロの言ったリアフレという単語を盛り込ませてもらった。
「なるほど、そういう事ですか」
セロは特に疑う事も無くそれを受け入れた。一応、見た目を変更できる化粧箱という課金アイテムの事は頭にある。しかしダンブルフが、自身の見た目に対して並々ならぬこだわりを持っているというのも有名な話だったのだ。性能ではなく、見た目を重視した威厳溢れるローブは百着を軽く超えるとか。そんなプレイヤーが真逆の姿になる訳はない。そんな先入観が働いたのだ。
(納得……してくれた様じゃな……?)
ミラは恐々とセロの表情を窺うが、明らかな侮蔑の色は見えない。その様子から、どうにか言い訳が通じたんだなと胸を撫で下ろす。
それからすぐ残りの注文が届いた。これ以上追求されるとボロが出そうだと内心焦りを感じていたミラは、渡りに船だと大きなチョコケーキを忙しなく口に運ぶ。
二人は暫く食事をしながら、ゲームとして楽しんでいた頃の話に花を咲かせた。
「ところで、お主はこの世界に来た時どうじゃった。それと今までどう過ごしてきたんじゃ?」
話の途中、九賢者の単語が出始め、口が滑る前にとミラは話題転換を計る。同時に、それは気になっていた事でもある。元プレイヤーは、この世界でどの様な生き方をしているのかと。
「そうですねぇ。私は、時間差はほとんどありませんでしたので、始まりの日から十日後に来たんですが。あ、来たばかりという事ですと、始まりの日は知りませんか?」
「ふーむ。初めて聞く言葉じゃな」
「えっと、この世界に居るプレイヤーは、今のところ全員2116年9月14日にアーク・アース オンラインをしていたようなんです。確認出来たプレイヤーにこの世界に来た時の日付を聞き、その中で一番古いのが丁度その日でして、現実もゲーム内も同じ年月日ですよね。ですので始まりの日というのは2116年9月14日の事です」
「9月14日か。わしもその日にやっておったな」
ミラは朧気な記憶を手繰り、課金の期限切れメールが届いていた日付を思い出す。それが確かその日の前日だったと記憶に残っている。
「三十年遅れでも、プレイしていた日は変わらないんですね」
「その様じゃな」
ミラはそう答え少しだけ、その時差について考えを巡らせてみたが、分かる訳も無かった。なので早々に思考を放棄する。
「最初は戸惑いましたけどね。急に感じる空気が生々しくなって、魔物との戦闘で傷を負うと、もう痛くて堪りませんでした。状況が分からずログアウトしようとしても、その項目が無くなってましたし。あの時は結構焦ってましたね。
急いで近くの村に逃げ込んで、暫く呆然としてました。知り合いは近くに誰も居ませんでしたし、独りぼっちでどうしようかと途方に暮れてたんですが、そんな時、話しかけてくれた女性がいたんです。それは、フレンドでもなければ私と同じ状況に戸惑っていたプレイヤーでもありませんでした。その女性は私が今まで何も気にせずにすれ違っていた、NPCだったんですよ」
セロは何か遠くを見る様に、その当時の事を思い出しながら話を続ける。
「私、かなり酷い顔をしていたみたいでして、心配になって話しかけてくれたそうなんです。もちろん、NPCのそんな行動は初めてでしたので、かなり驚いてしまいましたね。
ただ正直、私もあの時はかなり参ってまして、そのまま彼女に縋ってしまいました。それから暫くは、彼女の家庭でご厄介になりながら、家事を手伝ったり街道や周辺に出る魔物を退治したりしてまして。
それから一年くらいでしょうか、当たり前の様に村の人達と挨拶を交わしている自分に気付いたんです。私はその時、本当の意味で現実を受け入れられました。そして同時に思ったんです、もっと私に出来る事があるんじゃないかと。
そう思ったら居ても立ってもいられず、村の魔物の被害を減らす為、若者に知っている限りの戦い方を教え始めました。
それから随分掛かりましたが、一段落したところで私は旅に出る事にしたんです。同じ境遇のプレイヤーを探すという目的もありましたが、何よりもっと役に立ちたいなんて、図々しい事を思ってしまったんですね。村の人達から向けられる笑顔が、昔の私のどうしようも無い気持ちを簡単に吹き飛ばしてくれました。もっと見たい、もっと喜んで欲しい。こんな私を受け入れてくれた、この世界の人達に恩返しがしたいなんて。只の自己満足ですが、動かずにはいられませんでした」
一端、言葉を区切ると、セロはとても穏やかな笑顔でコーヒーを口にし、深く大きく息を吐きミラに真剣な目を向ける。
「そんな自己満足の為に始めた旅でしたが、笑ってしまう程すぐに他のプレイヤーの状況を知る事が出来ました。私の居た村はかなりの田舎だった様です。山を越えて、少し大きな街に着くと冒険者総合組合なんていうものがありまして、入ってみると早々にフレンドに出会うという偶然に驚いたりもしましたよ。
そのフレンドの彼に色々な事を教えてもらいました。様々な変化や出来事を聞きまして、その結果として冒険者総合組合は、正しく私がやりたい事が出来る場所だと分かったのです。すぐに登録しましたね。
それからは、様々な依頼を受けながら旅を続け、その途中で私に共感してくれた仲間が出来ました。ミラさんも知っているアスバルとエメラの二人です。暫くは、その三人で依頼をこなしていたんですが、徐々に共感してくれる人が増えていきまして。それで私は、思い切って今のギルドを立ち上げる事にしたんです」
エカルラートカリヨンの結成。それは偏に、セロの信念に感銘を受けた者達が自然と寄り集まった結果だった。本人は、自己満足だと言っているが、それは誰でも出来る事ではない。ミラもその行いに感心しながら相槌を打つ。そして、何故ここまで話すのかという理由も、薄々感づき始めた。
「今ではメンバーも増えて、出来る事も大分広がりました。ですがそれでもやはり私達が救えるのは、この手の届く範囲だけなんです。どれだけ必死に手を伸ばしても、掴めず零れていった事が何度もありました。悔しくて悔しくて、もっと広く、もっと遠くまで届く手が欲しいと何度も願いました」
セロは心底悔しそうに、そこまで一気に言い切ると意を決する様に口を開く。
「ミラさん、私のギルドに入ってもらえないでしょうか」
簡潔に、しかし万感の思いを込めて、セロはその言の葉を口にした。
(ふむ、やはりそうなるか)
ミラは、カフェオレで口の中の甘さを流すと、セロの瞳を真っ直ぐ見返した。その表情からは、彼の真剣さが痛いくらいに伝わってくる。それだけ、救えなかったという後悔は深く、悔しかったのだろうと窺える。そしてセロの言葉は本心からであったのだろうとミラも感じた。
「済まぬな。わしにはまだ、やらねばならん事があるんじゃ」
しかしミラには、かつての仲間を探し出すというソロモンとの約束があり、それは結果として国を守る事にも繋がる。
話を聞いたミラは、セロの行動を立派だと思った。そして、同じ思いを持った者が彼の仲間となったのだろうとも。だがしかし、それは親友の願いを放り出す理由にはならなかった。
「そうですか……。断られる事は何となく分かってました。駄目元ってやつです。やらなければいけない事というのは、この間の日付に関係がある事ですよね」
セロは心底残念そうに、しかしそれをおくびにも出さず微笑む。
「うむ、そうじゃ。だがまあギルドには入れんが、道すがら助けを求める者に出会ったら助力すると約束しよう。それでどうじゃ?」
セロはミラの言葉を聞くと、今度は満面の笑みを浮かべ「ありがとう」と、頭を下げた。
「約束通り、何か分かったら組合を通して連絡します」
「うむ、よろしく頼む。それと今日発つのでな、皆にもよろしく伝えておいてくれ」
「分かりました」
二人は食事を終えると、カフェ・ド・ショコラを出たところで、簡単に挨拶を交わし分かれる。二人は別々の道へと歩き出したが、心の向かう方向は一緒だった。
(さて、そろそろガレットも準備を終えた頃かのぅ)
滞在時間は短かったものの、様々な事に出会ったカラナックの街を見回しながら、ミラは夏燈篭へと歩き出す。
時間は昼前よりもまだ若干早い程度。大通りを行き交う冒険者や警備兵、籠を持ち値切りに精を出す主婦が視界に映る。活気のある街並みに心穏やかにして、のんびりと歩を進めるミラは、突然目を見開き急停止する。
その視線の先にあったのは、何て事の無い一軒の店舗。多様な商品が並び、それなりに人がいて繁盛している。
ミラは、その店にふらりふらりと近づいた。無数の商品の中の一つを見つめながら、なぜこんな簡単な事が思い付かなかったのかと、自らの馬鹿さ加減に苦笑する。
店舗の前に立ち、両手で掴み掲げる様に広げたそれは、本来の物よりかは幾分デザインが簡略化されていたが、どう見ても賢者のローブだった。
(何も律儀にこの様なヒラヒラな服を着る事ないではないか。好みのものを買えば良いんじゃ!)
その事に今更ながら気付いたミラは、店舗に並んだ賢者のローブの置かれている棚の値札を確認する。
そこには賢者のローブレプリカと商品名があり、値段は五千リフ。何の付加効果も無しならばこんなものかと、ミラは様々な色合いのある中から、一番着慣れた賢者のローブ(召喚術)のレプリカを手にして簡単に丈を確かめると、意気揚々と会計を済ませた。
意識しなければスキップしてしまいそうな足を宥めながら、ミラは買ったローブを抱きかかえ早足で夏燈篭に急ぐ。つい仙術歩法の縮地と空闊歩で駆け抜けそうになったが、確実に注目を浴びてしまう為、ぎりぎりで踏み止まる。
ようやく宿に到着すると、挨拶もそこそこに部屋に飛び込んで、服を脱ぎパンツ一枚の姿になった。ブラは完全に諦めている。
ここまでくればもう我慢する事は無い。ミラは堪えきれぬ笑みを満面に浮かべながら、買ってきた賢者のローブレプリカに袖を通した。
カラナック一の宿で、その中でも最高の部屋。当たり前の様に置いてあった姿見の前に立つと、ミラはその姿を見てしきりに頷く。
「わし、かっこかわいい」
ぼそりと呟いたミラは、にやりと笑みを浮かべ、軽く髪を整えた。
ミラが寄った店の名は『月と銀塔特産商会 カラナック支店』といい、簡単に言えば、アルカイト王国の土産物の店だ。
この時、ミラはまだ気付いていない。子供姿の自分に、どうしてサイズの合うローブがあったのかを。




