358 即日決行
三百五十八
夕食の時間を既に過ぎていたという事で、この日の会議はお開きとなった。作戦の実行日やらといった詳細は各国との話を終えてから再度決定するとして、まずはみんなでイリスの部屋に向かった。
その途中、カグラにイリスについて話す。その能力の事を。ゆえに、機密情報をイリスの前で口にしてはいけないと。
「大変な能力なのね。でも、わかったわ。注意しておく」
情報によっては、漏洩を防ぐためにユーグストへの能力の使用を制限しなくてはいけない。そうなれば、こちらもまた情報を得られず、同時に怪しい動きをしないように見張る事も出来なくなるという事だ。
ガローバを確保した今、その事実は直ぐに伝わるだろう。となれば、間違いなくユーグストにも動きがあるはずだ。それを確認出来ないのは、大きな痛手といえる。
よってカグラだけでなく、その事をしっかりと再認識した全員で頷き合った。
そうこう話しながら、大きな金属扉の前に到着したミラ達。扉を開けて、さあ行こうというところだが、ここで一人が脱落となる。
ノインだ。
「いや、そんなに睨まれても、どうしようもないじゃろう」
男子禁制となる巫女の部屋。その扉の外から恨みがましく睨んでくるノイン。対してミラは、それでいて見せつけるように扉を抜けていく。
なお、その隣。途中で色々な事情を聞いていたカグラは、ノインをからかうミラを見つめながら呆れたように溜め息を吐いていた。
庭を抜けて階段を上がる。そうしてやってきたリビングでは、イリスが団員一号と仲良くテレビ観賞をしていた。随分と夢中なようで、ミラ達が来た事にすら、まだ気付いていないようだ。
そんな中、しっかりと気付いていた団員一号だったが、そこに居並ぶ顔ぶれを見るなり、ヘビに睨まれたカエルの如く硬直する。
「さあイリス、一緒に夕飯にしましょ」
夢中な様子のイリスを前に、いつもの事だと笑いながら声をかけるアルマ。
「うわぁ、いらっしゃいませー!」
ようやく気付いたのか顔を上げたイリスは、同時に四人もそこにいる事に驚き、また満面の笑みを咲かせた。
ただ、その直後である。イリスにとって、更に驚く事が起きた。
原因はカグラだ。目にも留まらぬ速さで襲い掛かったのである。……団員一号に。
「ああん、団員一号くーん! 久しぶりー!」
「にぎゃー! 団長ー! カグラの姐さんが来るにゃら教えてほしかったですにゃー!」
大の猫好きなカグラにとって団員一号の存在は、それはもう猫に鰹節であった。
激し過ぎるカグラの愛情表現に身動きが取れなくなりつつも、[ヘルプ!]と書かれたプラカードを振って救助を求める団員一号。
けれどミラ達は、誰も動かない。ああなったカグラは止められない事を、よく知っているからだ。
「あ、あの……」
そんな中、果敢にもカグラに声をかけるイリス。そしてカグラに真っ直ぐ、「初めまして、イリスって言います!」と、それはもう元気はつらつに挨拶したではないか。
「え? あ、えっと……ウズメ、です」
余りにも純粋に、そして無垢な笑顔を向けられたためか。己の欲望をこれでもかと発散していたカグラは、面くらったようだ。どこかきょとんとした後、取り繕うように団員一号を解放して名乗る。
ただ、それを聞いたイリスは、少し考えるように間を置いてから、ゆっくりと首を傾げていった。
「ウズメさん、ですか? でもさっき団員一号さんがカグラの姐さんって言ってたような……」
そう、イリスは聞き逃していなかったのだ。思わず叫んだ団員一号の悲鳴を。その中に出てきた、カグラという名前を。
「あ……」
思わぬ場面での名前バレである。しかも、状況はそれだけに終わらなかった。
「カグラさん……どこかで聞いたような……」
イリスはその名に心当たりがあると考え始める。そうして次の瞬間に、これでもかと驚きながら期待に満ちた顔でそれを口にした。
「もしかして! あの九賢者のカグラさんですか!?」
そう、イリスは団員一号の一言から、謎の少女の正体が『七星のカグラ』だと気付いてしまったのだ。
今はまだ、公式に発表されていない九賢者の生存。だがそれはいずれわかる事だ。イリスに知られたとして、彼女もまた国の重役である。その点は、わかってくれるだろう。
だが、問題は別にある。
この状態でイリスが能力を使えば、九賢者のカグラがニルヴァーナに協力しているという事がユーグスト側に伝わってしまう事だ。
「あー、えっと……」
どうしようと、振り返るカグラ。対してアルマとエスメラルダも、難しい表情だ。
カグラの事は、今のところ国家機密扱いとなっている。加えて九賢者ほどの戦力が追加されたとなれば、『イラ・ムエルテ』の警戒度がより高くなるのは確実だ。
場合によっては、ニルヴァーナとアルカイトで戦争準備を進めているだとか、九賢者と十二使徒で何かを企んでいるだとかいう悪い噂を立てられかねない。
そして悪い噂は、悪い噂を呼ぶ。そうなれば周辺諸国に疑念が生じ、対『イラ・ムエルテ』としての戦力をも動かし辛くなる恐れがあった。
今の世界では、それほどまでに九賢者という称号は重いものになっているのだ。
それをよく知るアルマとエスメラルダは、様々な影響を考慮して悩む。イリスに、どう答えるべきかと。
「あ……」
イリスもまた、その様子から勘付いたようだった。これは自分が知ってはいけない、巫女としての力を持つ者が知ってはいけない秘密であったと。
九賢者のカグラ。そんな物語にもなっている英雄かもしれないと期待した表情から一転、失敗したとばかりに肩を落とすイリス。
と、そうした中、あっさりとそれを口にした者がいた。
「うむ、その通り。何を隠そうこの者こそが、かの九賢者が一人『七星のカグラ』本人じゃ!」
そう完膚なきまでに秘密を明かしたのは、ミラであった。
「ちょっ……!? おじ──ミラちゃん!?」
慌てたように振り返るカグラ。また、アルマとエスメラルダも『どうするの?』とばかりな顔を向けた。
その秘密を守るべき立場でありながら、イリスにそれを告げたミラ。そこには、確かな決意が秘められていた。
「一番の問題は、ユーグストの動向が今後から把握出来なくなるというだけじゃろう? ならば、わかっている今のうちにとっ捕まえればよいだけの話じゃ。そうすれば、もう能力を使わなくとも済むのじゃからな」
ユーグストが支配する、膨大な裏通商路。それは荷物だけでなく人も運べるものであり、つまりはいざという時の逃走経路にもなり得るものだ。
重要なそれを、ユーグストがまだ隠している可能性は高い。ガローバを捕まえた今、それが一番の警戒どころといえるだろう。
けれどカグラの存在が知られた今、それは同時に相手側につけ入る隙を与える事となる。
だからこそミラは提案した。ユーグストの居場所は割れている。よって今夜に出発し、明日で終わらせると。
「むしろ、捕まえてしまえれば、カグラの術で何でも白状させられる。じゃからな、もう頑張らなくてよいのじゃよ」
更にカグラが持つ自白の術についてまでも明かしたミラは、そうイリスに優しく微笑んだ。
イリスに見られる事を前提に、ユーグストが講じた対抗策の数々。そこには無垢な少女が男性恐怖症になってしまうほどの苦痛があった。
それでいてイリスが続けていたのは、彼女もまたその胸に正義を秘めていたからだ。
そんなイリスに、もう大丈夫だと笑いかけるミラ。能力を使う必要はないと。その苦痛は、今日で終わりだと。
「え!? そう、なんですか?」
驚いたように、それでいて戸惑いがちな反応をみせるイリス。
ただ、それも仕方がないだろう。能力を使い始めてから今まで、そういった重要な内容の話はイリスの聞こえないところでしており、またイリスも、そういった話を聞かないように努めてきたのだ。
聞いてしまっていいのだろうか、知ってしまっていいのだろうかと、イリスは不安げな表情を浮かべる。
「──そうそう、気にしなくていいから。今日ね、『イラ・ムエルテ』の最高幹部の一人で、ガローバって男を捕まえたの。そいつからカグラちゃんが、沢山の情報を訊き出してくれたわ。他の幹部の場所だとか色々とね!」
ミラに続き、そう口にしたのはアルマだった。イリスにこれ以上辛い思いをさせないため、頑張る事を止めさせるというミラの意図に、その言葉でもって賛同する。
これまでは、決してイリスの前では話す事のなかった『イラ・ムエルテ』に対抗する作戦を堂々と告げたのだ。
「……そういう事。今までご苦労様、イリスちゃん。後は、私達に任せて。ばっちり壊滅させちゃうわ」
エスメラルダもまた、同じ気持ちのようだ。それはもう母のように穏やかな笑みを湛えて、自信満々に言ってみせた。
そのようにして三人は、カグラの事に気付いた事も一切問題はなかったといった様子で振る舞う。
するとイリスもまた、そんな三人を見て、もう大丈夫なのだなと理解していく。
「わかりました!」
皆が頑張った事で、『イラ・ムエルテ』の攻略の目処が立った。その功労者の一人であるイリスは、三人の言葉に大いに喜んだ。
そしてミラの「たっぷりとお仕置きしてくるからのぅ」という一言に「思いっきりよろしくお願いします」と真剣味溢れる顔で返したのだった。
もう能力を使わなくてもいい。そうイリスに告げた後は夕食の時間だ。
アルマが用意した、どこか家庭的な料理の数々がテーブルに並ぶ。一見すると一般家庭の食卓に近いメニューばかりである。
けれど、そこは女王が用意したものだ。使われている素材が雲泥の差であった。百グラムで一万リフはするような最高級の牛肉で作った肉じゃがなどといった料理が並ぶ。
ゆえに、この日の食卓もまた格別なものであり、どれもこれもが絶品だった。
そのためか今日もまた幸せそうに、たらふくかき込んでいるミラ。
いつも通りの夕食だ。しかし、それでいていつもとは違うところがあった。
それは、この場に九賢者の一人であるカグラがいる事だ。
「カッコいいですー!」
そう大いに盛り上がるイリス。カグラの正体を知ったイリスは、それはもう興奮した様子であり、ずっとこの調子で話しているのだ。
読書好きなイリスは、だからこそ当然読破していた。『九賢者物語』の全シリーズを。
アルカイト王国の英雄であると同時に、本の物語の主人公でもある九賢者は、それはもう子供達に大人気だった。
イリスもまた、その類に漏れず、子供時代にそれはもうどっぷりだったわけだ。本にあったエピソードはどこまでが本当で、どこまでが脚色なのかと突っ込んだ質問をしたり、このダンジョンはどうだったのかといったものや、この場面で手に入れたお宝は結局どうしたのかといったところまで好奇心のまま追及したりしていく。
そんなイリスは、ファンであると同時に真実を追い求める記者の如きであった。
「──というわけで直ぐに散財しちゃうから、一ヶ月も持たなかったのよね」
軽く億は超える財宝を入手した九賢者達。けれど、それも束の間。いつもだいたい直ぐに使い切ってしまう者ばかりだと、遠い目で苦笑するカグラ。
有意義だったり無駄だったり──無駄が多いくらいだった当時を思い出しているようだ。
「凄いですー! でも、だからあんなに研究が盛んなんですね!」
多くの失敗の上に成功がある。術の研究のために、国の発展のために稼ぎをつぎ込んできた九賢者。その情熱に感銘を受けたとばかりに興奮するイリス。
それでいて、まだまだイリスが胸に秘める話題は尽きず、この日の夕食は、いつもより長くかかるのであった。
今週は麻婆あんかけだと決めて、買い物にいったんです。
そしたらなんと……悉く売っていませんでした……!
ニラとネギが売り場から消えていたのです。
それどころか、そもそもの厚揚げまで全てが売り切れているではないですか!!
一週間のうち4日の夕食は厚揚げ予定だったこともあり、一気に予定が崩れてしまいました……。
そしてお米も……。
どうしたものか……。




