352 鈍器の雨
三百五十二
十二使徒に並び立つ少女。その姿を前に隊長が困惑している間にも、状況は迅速に展開していた。
暗殺者は衛兵の装備を脱ぐたび、それを牽制するようにして投げつける。その、ただならぬ威力を秘めた一投一投に対応するのはノインだ。
護りにおいていえばホーリーロードをも凌駕する圧倒的な防御力を誇る彼は、特化型であるがゆえに護りの技もまた豊富であった。
ノインは、ただ大盾を構えているだけだ。それでありながら、暗殺者が投じる全てを完全に防ぎきっていた。しかもそれは、大盾でカバーしていないところまでもだ。
まるで見えない壁が、そこにあるような状況である。
「おお、流石はノイン様だ」
暗殺者が放つ必殺の一撃を、その場から動くまでもなく防いでしまう。そんなノインの姿に、改めて感銘を受ける隊長。やはり十二使徒は格が違うと。
そうして隊長が忠誠心をより深めている中、更に状況は進む。
身軽になった暗殺者は、いよいよここからが本領発揮のようだ。大ぶりのククリナイフを手にして、虎視眈々と兵士達へと視線を向けていた。
暗殺者は、狙っているのだ。ミラとノインにとっての弱点となり得る者を。
「それじゃあ……ミラ、さん。俺が捕まえるので、後ろの兵士達を頼んでいいか?」
兵士達を攻めて、その対応をしている隙に逃げる算段なのだろう。そう予測するのは簡単であり、だからこそノインは攻めに出るつもりのようだ。
それというのも、こういった場面に適した技を彼は持っているからだ。
その技の名は、《鎖縛の楔》。光の鎖によって自身と相手を繋ぎ、無理矢理に一対一の戦いに引き込むというものだった。
その拘束力は格上の魔獣にすら効果があり、使用者を中心にして半径十メートルより離れられなくなる。
解除の条件は、三つ。どちらかが倒れるか、使用者が解除するか、両者以外の第三者が手を出した時だ。
つまり、これをノインが使用したなら、敵は絶対防御の聖騎士相手に延々と戦い続けなければいけなくなるという事だ。
逃げようとしている暗殺者に対して、これほど効果的な技はないだろう。
だが、そんなノインの提案に、ミラは首を横に振って返した。
「いや、こういう手合いは、わしがやった方が早い。じゃからお主が兵士達を護っておれ」
そう却下したミラは、自分が暗殺者を捕まえると言ってみせた。何よりも、それが一番早く済むのだと。
ノインは防御特化ゆえ、攻撃面においては少々力不足な面があった。《鎖縛の楔》で捕らえてしまえば後は時間の問題といえるが、そこからそこそこ時間がかかるのが難点なのだ。
だからこそのミラの提案だ。逃げる隙など与えず、迅速に制圧してしまえばいいというのがミラの考えである。
その後ろ、二人の会話を聞いていた隊長は「いったい何を……」と、ますます戸惑った表情を浮かべていた。
十二使徒のノインが戦った方が、一番安全で確実だと考えているからだ。他にどのような手札を隠しているかわからない手練れの暗殺者を相手にするのならば、現状において絶対防御を誇るノインが最適であると。
と、直後の事だ。話し込んでいるミラ達を隙ありと見たのか、目にも留まらぬ速さで暗殺者がククリナイフを投じた。
それはいったいどういった技なのか、大きな円を描きながらも恐ろしい速度で兵士達を襲った。
だが問題はない。ノインが傍にいる限り、どの方位からでも対応出来るからだ。
鋭く回転するククリナイフは、激しく障壁を削ってから再び暗殺者の手に戻っていった。
「ほれ、お主が護る方が楽じゃろう? わしの場合はその都度盾を出さねばいかんからな。ぶっちゃけ面倒じゃ」
兵士達を護る方法。それはミラとノインで大きな違いがあった。
ノインは、その聖騎士としての力によって、いわゆる障壁を展開する事で常時防衛が可能だ。
対してミラは、相手の攻撃にその都度術で対応しなければいけない。これがまた、気を張っていなくてはならないため疲れるというのがミラの本音だったりした。
そのように告げたミラは更に一言、「お主は、あれを三分以内に制圧出来るか?」と問うた。
「……わかった。なら任せる」
ノインはミラの問いに対し、降参とばかりな表情で返した。
彼の戦い方は、相手の攻撃を徹底的に防ぎ切り、じりじりと追い詰めていくというものだ。確実ではあるものの時間がかかり、まどろっこしいというのがミラの感想である。
現状、無関係の兵士達がいる以上、早く終わらせるに越した事はない。そう判断して出した両者の決定だ。
ただ、そこまで決まれば後は早い。ミラとノインは、即座に己の役割を果たすべく動いた。
ノインは、いかなる攻撃も通さぬよう、またミラが暴れた際の被害から護るため、兵士達の前に立ち大盾を構え直す。
そしてミラはというと、じりじりと距離を空けて逃走経路を探る暗殺者にすぐさま仕掛けていった。
「ほぅ、躱すか」
暗殺者の実力は、これまでに比べてもかなりなもののようだ。不意打ち気味に発動した部分召喚を、いち早く察知して回避してみせた。
「お前が相手か。一応、礼を言っておこう。お陰様で、逃げるチャンスが生まれたからな」
十二使徒のノインとAランク冒険者のミラ。どちらを相手にした方が逃げ易いかという選択において、一般的な見識の持ち主ならば比べるまでもなく後者の方を選ぶ事だろう。
ニルヴァーナの十二使徒というのは、それほどまでに有名であり別格だった。
けれど暗殺者が下したその選択には、決定的な情報が一つだけ抜けていた。そう、もう一方の選択肢にある冒険者というのが仮の姿という点だ。
これから彼が相手をするのは十二使徒と肩を並べる九賢者の一人であるのだ。
何も知らない暗殺者は不敵な笑みを浮かべると同時に、無数のククリナイフを取り出して続けざまに放った。
左右だけでなく前方と上からも迫る、必殺の包囲攻撃である。
物理法則を無視するような軌道を描き、鋭く迫る無数の刃。回避も許されないミラの状態を前にして、兵士達が息を呑む。
その直後だった。決着を確信したのか、暗殺者の口角がにやりと上がったその瞬間にそれは現れた。
ホーリーナイトだ。ミラは自身を囲むようにして、四体のホーリーナイトを召喚したのである。
しかも、それだけでは終わらない。
同時に四体のダークナイトを召喚しており、勝利を確信した暗殺者に今一度の不意打ちを仕掛けていたのだ。
「なるほど……! わざわざ出しゃばるだけはある!」
塔盾によって弾かれたため、僅かに早いタイミングで戻っていくククリナイフと、猛烈に振るわれるダークナイトの黒剣。
それは、暗殺者にとっては思わぬ事態であった事だろう。けれど彼は、その場を見事に切り抜けてみせた。
暗殺者の手に戻ろうとして宙を飛び交うククリナイフ。それらを巧みに制御して、迫るダークナイトを貫いていったのだ。
「そうかそうか、思った以上に面倒な術だ、な!」
四体のダークナイトを倒した暗殺者は、そのまま間髪を容れずにミラへ向けてククリナイフを投じた。
今度は一本だけであり、それは真っ直ぐとミラの正面を護るホーリーナイトの塔盾に直撃する。
その瞬間であった。猛烈な爆音が響くと共に、ホーリーナイトの塔盾が砕け散ったのである。
「なんと、このようなタイプもあるのじゃな」
同じように見えるククリナイフだが、どうやらそれには幾つかの種類があるらしい。しかも、塔盾を砕いてしまうほどの爆発力を秘めている。
流石は大陸最大と云われている『イラ・ムエルテ』が送り込んできた暗殺者だ。
そう感心するミラは、だからこそ実験台に相応しいとほくそ笑んだ。
と、ミラが不敵に笑う中、暗殺者は容赦なく続けてククリナイフを投じていた。
殺到するククリナイフの数は、計四本。どれもが先程と同じタイプだった場合、ホーリーナイトの護りを砕きミラまで届いてしまうだろう。
だがミラの顔に焦りはなかった。しかと四本のククリナイフを確認し、準備の整った召喚術を発動させる。
中空に出現した四つの魔法陣。そこから伸びた黒い腕が、お返しとばかりにその手にした得物をぶん投げた。
ミラの部分召喚だ。そして放たれたのは、戦鎚だった。なんと鉄塊のように重々しい鎚が、四本のククリナイフを豪快に撃墜したのである。
地面に突き刺さるようにして炸裂した戦鎚は、直後に轟く爆音と共に消えていった。ククリナイフは、地面に埋まり爆発したようだ。
「こいつは……」
明らかに、知っている召喚術ではないと息を呑む暗殺者。そして同時に、自分が投じたククリナイフを簡単に迎撃したミラの手腕に戦慄した。
己の技をよく知るからこそ、相手の技が秘める力もまた理解出来るというものだ。
判断を誤ったと気付き、次の手を考える暗殺者。
けれど彼にはもう、残された時間はなかった。
「さて、三分以内と言った手前、あまり時間はかけられぬのでな。このまま新技につきおうてもらうぞ」
ミラが感謝の笑みすら浮かべながら言い放つと、それは起きた。先程とは比べ物にならない数の魔法陣が中空に現れたのだ。
それを前にした暗殺者は、思わず頬を引き攣らせていた。普段から感情を面に出さず冷静にこなしてきた彼だったが、次の瞬間に何が起こるのかを察したようだ。そして、自身の身に降りかかる災難も。
「十二使徒以外に、こんなのがいるなど聞いていないぞ!」
ゆえに暗殺者は、なりふり構わず逃走を図った。けれど、ここぞと構えるミラを前にして逃げられるはずもない。
直後、暗殺者の背に無数の戦鎚が降り注いだ。容赦なく豪快に、それでいて逃走ルートを潰してからという丁寧さまで持ち合わせた黒の暴雨である。
暗殺者の姿は、瞬く間に黒い戦鎚に埋め尽くされて見えなくなっていった。
「うわぁ……より酷くなってるよ……」
ミラの後方。少し離れた場所で見守っていたノインは、もはや相手が気の毒にすらなってくる光景を前にして、単純に引いていた。
そこまでやるかと。なぜ、そこまで極悪な技を生み出してしまったのかと。
かつてダンブルフの軍勢を前にした時と似た恐怖を覚え、ぶるりと震えたノインは、驚愕しながらも凄いと興奮する兵士達を見やって思った。あれと相対した事がなければ、自身も純粋にそう思えたのだろうかと。
「なあ、それは大丈夫なのか? 普通に考えて死にそうなんだが」
暗殺者がいた場所には、戦鎚の山が築かれていた。これだけの数が直撃したとなれば、もはや生存は絶望的ともいえるような光景に、ノインは思わず震え上がる。
「それは大丈夫……のはずじゃ」
後の尋問のため、やり過ぎないようには工夫していたミラだが、思った以上の出来栄えに若干視線を泳がせる。
ただ実験の成功を祈って《生体感知》で確認すると、弱弱しくはなっているものの、その山の中には確かな反応があった。
「よし、生きておるな!」
内心で安堵しながら、実験は成功だと息巻くミラ。
今回の技は、消滅までの間隔を二分ほどまで延ばした部分召喚によって、攻撃と足止めを狙うというものだった。
その方法には幾つかあるが今回ミラが選んだのは、積み重なる戦鎚の重量によって押さえつけてしまうといったやり方だ。
様子からして、上手くいったようである。暗殺者がかなりの手練れであるため加減が難しかったものの、だからこそ、この実験によって程度をしっかりと把握出来たミラは上機嫌に戦鎚を一つずつ取り除いていく。
「ふむ、完璧じゃな」
あちこちと負傷の激しい状態だが、命に別状はなさそうだ。戦鎚の山に埋もれた暗殺者は、ギリギリと恨みがましい目でミラを睨みつけていた。
「貴様はいったい何者だ……」
何かしら反撃の機会でも窺っているのだろうか、どうにか片手だけでも自由にしようともがいている様子の暗殺者。
対してミラは魔眼を発動して睨み返し、じわりじわりと暗殺者を麻痺で蝕みつつ、「見ての通りの召喚術士じゃよ」と決めてみせた。特に、兵士達の方を意識しながらだ。
「ぐっ……」
いよいよ全身に麻痺が回ったのか、まったく動けなくなった暗殺者。それを確認したミラは戦鎚を全て解除し、捕縛布でもって暗殺者を簀巻きにしていく。
その際、ちらちらと兵士達の反応を確かめる。
兵士達は静かに、だが大いに興奮していた。熟練の暗殺者を圧倒した精霊女王のミラと、繰り出された召喚術に。
そしてノインはというと、これでもかというくらいに真逆の反応を示していた。
「さて、こ奴も特別室にご招待するとしようかのぅ」
ホーリーナイトに暗殺者を担がせたミラは、そう言ってノインに振り返る。ろくな情報を訊き出せなかった何でも屋に代わり、有能そうな尋問対象が飛び込んできてくれたものだと。
「ああ、そうだな。じっくりと話し合いが出来そうだ」
そう答えたノインは暗殺者の具合を見るなり、「その前に、エスメラルダさんに治療してもらう必要があるな」と続けて苦笑する。
そのようにして一仕事終えたミラとノインが尋問室に戻ろうとした時だ。
「悪いが、そいつは返してもらうぞ」
どこからともなく響いてきた声と共に、空が真っ赤に染まったのである。
見上げると、燃え盛る無数の火球が降り注いでくるところであった。
「俺から離れるなよ!」
特に兵士達に向けられたノインの言葉。次の瞬間、彼を中心にして光の障壁が展開される。そしてミラも含め全員を覆うとほぼ同時に、一帯が紅蓮に染まった。
強烈な衝撃に地面が揺れ、幾度となく轟音が響く。
まるで砲撃の雨にでもさらされたかのような光景に、兵士達の動揺した声が混じる。
時間にして四、五秒程度のものだったが、爆炎が晴れ上がると周囲が一変していた。
ミラが暴れた分は別として、よく整えられていたはずの訓練場は、それこそ爆撃されたかのような有様になっていたのだ。
先月の事です。
遂に、前に住んでいたアパートが解体されました。
こちらに引っ越してきてから18年を共にした部屋でした。
広さは4畳半で、風呂無しトイレは共同でした。
溢れかえった漫画で足の踏み場も僅か。一般的に見れば、決して快適とは思えないような部屋でしょう。
けれど住めば都といいますか、自分にとっては居心地の良い場所でした。
そして長く暮らしていた分、思い出も沢山あります。
今でも、部屋の隅々まで思い出せます。
そんな部屋が先月になくなりました。
対して今住んでいる部屋は、前の部屋の倍の広さがあります。更に収納も増えています。
溢れかえっていた漫画本は、しっかりと収納出来ています。
更にトイレもあります。他の住民を気にせずいつでも使えるトイレです。
暮らしは、圧倒的に快適なものとなりました。
それでも、ふとした瞬間に前の部屋が懐かしくなってしまいます。
最近は、夢のマイホームの妄想をする時に、前の部屋と同じ部屋を作ろうなんて考えます。
そして当時に近い環境で、当時のアニメを見るのです。




