343 春の予感
三百四十三
「さて、行ってくるとしようかのぅ」
試合の結果は、帰ってきてからイリスに訊こう。そうアルマと同じような事を思いながら立ち上がるミラ。対してイリスは、「行ってらっしゃいですー」と明るい調子で返してきた。
だがその直前、イリスがふと浮かべた寂しげな表情をミラは見逃さなかった。
(そういえば、わしが出て行ったら、また独りになってしまうのじゃな……)
イリスは、一緒にテレビ観賞するのを心の底から楽しんでいた。解説したりしていた声から、その気持ちが何度も伝わってきた。しかし今は、その気持ちを隠して見送ろうとしている。
きっと、余計な気を使わせないようにだろう。
そんな優しいイリスの寂しさを和らげる方法はないだろうか。そう考えたミラは、一つの手段を思い付く。
「思えば、護衛のわしがこのまま離れるわけにもいかぬからな。代わりにこ奴を護衛として置いていこう」
護衛ならば、ホーリナイトとダークナイトが十体以上に加えて、灰騎士も配置してある。もはや鉄壁ともいえる警備状況だが、ミラはそんな言い訳を口にして、イリスが寂しくならぬようにと召喚術を行使する。
瞬時に浮かび上がる魔法陣。その煌く光の中から、ケット・シーの団員一号が大物染みた歩き方で現れた。召喚術代表とでも言った実に堂々とした登場である。
「さすらいのボディガード見参ですにゃ。小生を雇うつもりですかにゃ? 報酬は高いですにゃよ」
いつもとは違い、どこかクールな態度の団員一号。だが着せられている感の強い黒の背広と、サイズの合っていないサングラス姿であるため、さっぱり決まってはいない。
そんな彼の背には、[安心と安全のニャルソック]と書かれたプラカードもあった。どうやらボディガード兼警備員であるようだ。
「ほれ、報酬は前払いじゃ」
そう言ってミラは、アイテムボックスから山マグロの切り身を投げ渡す。
「にゃっほぅ! 言ってみるものですにゃー!」
報酬と言ったはいいが、期待はしていなかったのだろう。まさかの前払いに、団員一号は両の目を輝かせて山マグロの切り身に飛びついた。そして幸せそうに食べ尽くした後、「小生が来たからには、指一本触れさせませんにゃ」と、気合を漲らせて宣言する。
「しゃべる猫さんです、可愛いですー!」
クールに決めているつもりなのだろう団員一号だが、誰の目から見ても、きっと彼が望むように映る事はなさそうだ。事実イリスの目は、可愛いものを見るそれになっていた。
「撫でてもいいですか?」
それはもう期待に満ちた表情で団員一号に迫ったイリスは、両手をわしゃわしゃさせながら問う。
対してクールに決めていた団員一号は、そのストレートな要求に若干たじろいだ様子だったが、少しして何かを諦めたように肩を竦めてから、「ちょっとだけにゃら、いいですにゃ」と答えた。
ニヒルなキャラに徹するか、イリスの期待に応えるか。その二択で、団員一号は後者を取ったようだ。
「可愛いですー! モフモフですー!」
許可が出ると、イリスの行動は早かった。目にも留まらぬ速さで団員一号を撫で回し始める。
小動物が嫌いな少女はいない。そんな考えによる作戦は、イリスの様子からして大成功と言ってもいいだろう。屈託のない笑顔を浮かべるイリスの顔を前にして、ミラもまたそっと微笑む。
「では、団員一号よ。護衛の任、しかと頼んだぞ」
これならばもう寂しくはないだろうと確信したミラは、改めて告げた。万が一何かがあったとしても、団員一号ならば十分に時間を稼げる実力がある。伊達に修羅場は潜り抜けていない。ミラが戻るまでの間、イリスを護るのも可能というものだ。
「お任せくださいですにゃ!」
自信満々に答える団員一号だったが、イリスに抱えられた姿であるため、いまいち決まり切らなかった。
イリスと団員一号に見送られるようにして巫女の部屋を後にしたミラは、その足でクラウスが待つ待合室に向かう。
「おや、ミラ殿、どちらへ?」
「ちと女王からの頼まれ事でのぅ」
その途中、巫女の部屋に繋がる廊下の入口にあたる休憩所にて、寛ぐ衛兵とも言葉を交わした。
だが、その者は、ただの衛兵ではない。アルマから受け取った小冊子には、この休憩所についての記述もあった。
それによると、この休憩所は見せかけであり、実際は巫女の部屋への出入りを見張るためのものだという事だ。
一見すると、数人の衛兵が休憩しているだけにしか見えない。ただ、その事実を頭によくよく見ると、ここにいる衛兵が只者ではないとわかる。
小冊子に書いてある通りならば、ここに配置されている衛兵は最低でも団長クラスの実力者だそうだ。つまり、冒険者のランクでいうならA以上の戦力が休憩するフリをして常駐しているという状況である。
「少しの間、出てくるのでな。よろしくのぅ」
現在、部屋には三人の衛兵が待機している。その誰もが休憩しているように装いながら、いつでも剣を抜ける態勢にあった。後ろめたい事がなくても、ついつい身構えてしまいそうな気配がここには漂っている。
ここもまた、素晴らしいほどの警備状況だ。
それでいてミラは一切物怖じせず、そんな三人に言い含めるように目配せをする。
「そうでしたか。いってらっしゃいませ」
一人が答えると、もう二人もまた言葉はなくとも小さく頷いて返した。
ミラは、そんな三人に見送られながら休憩所を後にして、待合室へと歩を進めていく。
「……迷ったのぅ」
巫女の部屋を出てニルヴァーナ城を行く事、十五分。
ここだと思っていた部屋が待合室ではなく、謁見待機室だった事で、ミラは広大な城内で迷子になってしまっていた。
間違いだとわかった時点で、誰か近くの城の者に待合室の場所を訊いていれば、ここまで時間を無駄にせずに済んだであろう。
だが、なまじ中途半端に知っているせいか、確かあっちだった、確かこっちだったと曖昧な記憶に頼ってドツボに嵌るなんて事も多いというものだ。
現にミラは、その状態に陥っていた。自信満々だった歩みも徐々にその形を潜めていき、その心中は父の忘れ物を届けに会社へ来たものの、父がどこにいるのかわからず彷徨う少女に似たものがあった。
そのためか、堂々と振る舞いながらも不安げな様子を女騎士に見抜かれて声をかけられる事となる。とはいえ、その結果ミラは、無事に待合室へと案内してもらえたのだった。
「わざわざ、すまぬのぅ。助かったわい」
「ここって広いですからね。お客人なら仕方がないですよ」
そう女騎士と言葉を交わし礼を言ったミラは、随分と待たせてしまったと、急ぎ待合室に入った。
すると──
「チェリーローズは乾燥の段階が一番重要でしてね。温度と湿度で、大きく味も風味も変わってしまうのですよ」
「そうだったのですね。道理で皆、バラバラな仕上がりに」
待合室には、クラウスともう一人、城の給仕係であろう女性の姿があった。
(何やら熱心に話し込んでおるのぅ)
見るとテーブルの上には、客人に出すにしては有り得ないくらいのティーカップが並んでいた。そして二人の話を聞くに、どうやらそのティーカップに注がれたハーブティこそが、会話の中心になっているようだ。
二人はミラが来た事にも気づかぬほどに熱く、そして楽しげにハーブの事で盛り上がっていた。
(何じゃ何じゃ、随分と良い雰囲気ではないか!)
片や、目が合うだけで逃げられてしまうような強面の男、クラウス。
片や、傍にいるだけで落ち着けそうな、おっとり系美人。
そこに出歯亀根性を覗かせたミラは、音もなく素早い身のこなしで、傍の棚の陰に身を潜めて様子を見守る構えを取った。
「こちらのイエローライングラスは、素晴らしい仕上がりですね。この色を出すのは、とても難しいんですよ」
「そちらは、祖母から教わった通りに作ったものでして。実は、一番の自信作なんです。ありがとうございます」
クラウスが絶賛したところ、給仕係の女性は、それはもう嬉しそうにはにかんだ。城の兵士には強面も多いからか、彼女はクラウスに対して一切怖がる様子もなく接している。
そして、それがまた嬉しいのだろう、クラウスもまた照れたように笑っていた。
(これはもしや、運命の出会いの現場なのではないか!? きっと脈ありじゃろう!)
弾む会話と二人の表情。そのどちらも好意的であり、その間に生まれた雰囲気は、とても良好だった。そして、ある意味それを証明するかのように、脳裏にマーテルのはしゃぐ声が響いていた。
二人の話を聞く限り、どうやら来客用にと出されたハーブティを切っ掛けとして話が広がっていったようだ。
五十鈴連盟の支部長でありながらも、森の恵みを扱う『エバーフォレストガーデン』の店長でもあるクラウスは、その関係上、ハーブの扱いにも長けている。
その知識を活かして給仕係の女性の相談に乗ったところ、今の状況になったのだと状況から判断出来た。
(それもこれも、わしが迷っ──少し遠回りをしたお陰じゃな)
すぐに待合室に到着してしまっていたら、ここまで二人の会話は弾んでいなかっただろう。
そう確信するミラは、さながら愛のキューピッドにでもなった気で待合室をそっと出る。そして大きく扉をノックすると、暫しの間を置いてから再び中に入った。
「遅れてすまぬな。待合室の場所を間違えてしもうてのぅ。ちょいと遠回りしてしまったわい」
静かに控える給仕係の女性と、どこかよそよそしく立ち上がるクラウスに、ミラは今来たとばかりに声をかけた。
「いえいえ、これだけ大きなお城ですからね。仕方がないですよ」
歩み寄りながらクラウスが答える中、さりげなくテーブルの上の沢山のティーカップを片付ける給仕係の女性。
ミラはそれを見て見ぬふりをしつつ「思った以上にややこしいからのぅ。お主も帰りは気を付けた方が良いぞ。何なら、そこの者に案内してもらうと良い」などと薦める。
キューピッドぶろうとして若干強引な提案になってしまっている部分もあるが、都合が良い言葉というのは多少強引でも通じるようだ。
「そう、ですね。初めての城内だったので、もの珍しく見回すばかりで、どこをどうやってきたのやらといった状態でした。帰りも頼む事にします」
言われてみればとばかりに帰りは迷ってしまいそうだと強調したクラウスは、これ以上はないといった表情でミラの提案に乗ってきた。
「わかりました。ではお帰りの際には、そのように」
しかと二人の話を聞いていたようだ。給仕係の女性は、そう承知した後に「では、ごゆっくりどうぞ」と続け、テーブルにミラとクラウスの分のティーカップを残して退室していった。素早い仕事ぶりだ。加えて、どことなく足取りも軽い様子に見えた。
(この気の回し様といったら、わしのキューピッドぶりも、なかなかだったのではないか!?)
「して、例のぶつは」
さりげなく二人を一緒にさせるという策が成功したミラは、そう心の中で自画自賛しながら、何も気づいていませんよといった態度で用件を切り出す。
「こちらの方に──」
給仕係の女性を少しばかり目で追っていたクラウスは、少々慌てつつも椅子の横に置いてあったカバンを手に取り、そこから大きな箱を取り出した。
「いやはや驚きました。この方が運びやすいと言った途端、こんなに小さくなったのですから」
クラウスは、カグラの式神であるピー助が到着した時の出来事を、そう心底驚いたという口ぶりで語った。突然、式神が喋った事に加え、次の瞬間には小さな雀状態になっていたと。
「おー、おー、なんとも久しぶりじゃのぅ」
箱の中から「ぴよっ」と出てきた小鳥ピー助は、パタパタと頑張って羽ばたき、ここが定位置だといわんばかりの態度でミラの頭に止まった。
「ふむ、確かに受け取った。しかしまあ、わざわざ来てもらってすまんかったのぅ」
「いえ、そんな事はありませんよ。堂々と外に出る切っ掛けにもなりましたしね」
ミラの言葉に、そう返したクラウスは、むしろ感謝したいくらいだと笑った。
客を怖がらせないためにと店に出る事を控えさせられ、事務仕事ばかりだった日々の中で外出する機会が出来たのは、とても良い気分転換になったとの事だ。
だが彼の想いは、それだけではないだろう。その言葉には、きっと彼女との出会いも含まれているはずだ。
「ふむ、それならば良かった」
二人の仲を取り持つどころか、そもそも出会いの切っ掛けを与えたのが自分であった。ミラはますます得意げになりながらも、温かな目でクラウスを見つめ、心の中で応援するだけに留める。
「さて。わしは戻るが、お主は折角出てきたというくらいじゃからな。少しゆっくりと帰るのも良いかもしれぬな。少し遅いが、昼食時じゃからな。のんびりと食事をしていくのもありじゃろう」
ミラは出されたハーブティを飲み干して、ほっと一息ついてから、更に駄目押しといった具合に、そんな事を口にする。彼女と一緒に食事でもしたらどうかといった含みを込めて。
「そう、ですね。折角、ですからね」
果たしてミラの意図は通じたのかどうか。はっきりとは読み取れなかったが、クラウスの顔には気合のようなものが見て取れた。
ともあれ後は、彼次第だ。「ではな」と告げて、ミラは待合室を出た。
そして、扉の前で待機していた先程の女性に「クラウス殿をよろしくのぅ」と含みのある頼み方をしてから、アルマが待つ執務室へと向かうのだった。
フフフフフ。
夜マックも堪能したという事で、次なる贅沢を考えております。
まずは、夜マックを知るきっかけとなったサブウェイ!
いい感じのタイミングでキャンペーン的なものが始まったら、行っちゃってみる予定です。
そして考えてるもう一つは……パン屋さんで豪遊です!
前にちらりと見たんですが、パン屋さんって結構しますよね……。一度入った時、そのまま店内一周して出て行くなんて事をしたものです……。
しかし、覚悟を決めれば行けるはず! 夜マックにも行けましたからね!
まあ……とりあえず来年から狙っていきますよ!




