337 食卓バトル
三百三十七
「お待たせ!」
遂に昼食の準備が出来たようだ。キッチンであれやこれやとやっていたアルマが、おひつを手にやってきた。そしてどうだと言わんばかりな顔で、それをテーブルに置く。
「なんじゃ? ただの飯ではないか」
おひつだけあって、中は白米。どんなご馳走が出てくるのかと期待していたミラは途端に難色を示してアルマを睨む。だが、わくわくと目を輝かせていたイリスは、白米だけのおひつを見ても、その輝きを失わなかった。むしろ「お茶碗が必要です!」と立ち上がる。
「おっと、お茶碗は大丈夫。必要ないわ。ここからが本番なんだから」
アルマはイリスを落ち着かせるようにして、もう一度着席させる。そしてミラの反応に対して期待通りだとばかりな笑みを浮かべ、再びキッチンへと戻っていった。
「今日のお昼は、パーティよ!」
そう言ってアルマは、合計で六枚にもなる大皿をテーブルに並べる。そこには細く切られた野菜や食材、そして料理などが盛られていたほか、大判の海苔が沢山用意されていた。
それらを見て、ようやくミラはアルマの意図する事に気付く。
「ほぅ、そういう事か。これは手巻き寿司パーティじゃな!」
好きな具材を海苔と酢飯で巻いて食べる手巻き寿司。その味は具材の組み合わせで決まるため、当たりもあればハズレもある。ゆえに選択のセンスが問われるが、最高の味を作り出した者は、この一時の英雄になれる。それが手巻き寿司パーティだ。
思いのほか準備に手間がかかるが、こうすると美味しい、ああすればもっと美味しいと盛り上がれるため、親睦を深めるという目的には適うチョイスといえるだろう。
「わわっ、一度やってみたかったんですー!」
そう口にしたイリスの目は、ことさら輝きを増していた。
手巻き寿司は初めてのようだ。もはや憧れていたとばかりな様子で大皿に載せられた具材の数々を見回している。
「それじゃあお腹も空いてる事だし、さっさと始めましょう! もう好きなように食べちゃって!」
最後に色々な調味料をどんと置いたアルマが、そう手巻き寿司パーティの開始を告げる。直後、待ってましたとばかりに動いたのは、やはり腹ペコイリスだった。並んだ瞬間に、頭の中でどれを巻くか構築していたのだろう。その手は一切の迷いもなく方々に奔り、あっという間に一食目を完成させる。
「美味しいですー!」
初めての手巻き寿司という事もあってか、イリスが巻いたそれは、お世辞にもキレイとは言えなかった。けれどそれをむしゃりと口にしたイリスは、それはもう幸せそうであった。
「これは、なかなか迷うのぅ」
「さあ、究極の手巻き寿司を完成させるのは、誰になるのか」
イリスの笑顔を微笑ましく見守りながら、ミラとアルマもまた具材を選び始める。そうして三人は思い思いに具材を巻いては、その味に一喜一憂した。
巫女の部屋で始まった手巻き寿司パーティ。初めのうちは、それぞれで楽しんでいたのだが、何が発端になったのだろうか。いつしか、一番美味しい手巻き寿司を作った者が勝ちという勝負が始まっていた。
「てりマヨチキンを超える組み合わせは、そう無いじゃろうな」
ミラは、てりマヨチキンなどの大鉄板の数々で挑む。
「さっきから定番の味ばかり作って……。冒険者なら、もっと冒険したらどうなのよ」
などと言うアルマもまた、ツナマヨコーンといった定番ばかりであったりした。
それらの審査員は、イリスだ。ただ、全部食べて全部美味しいと言うので勝負はつかないままである。
「これは、埒が明かぬな」
「そのようね……」
そう意見を一致させた二人は、完全オリジナルレシピでの勝負へと切り替えた。
幾つも試作を重ねては、これでは足りないと作り直すミラ。
アルマもまた試食をしては、納得がいかないと次を作り始める。
それを繰り返す事暫く、最初に最高傑作を完成させたのはアルマだった。
「完成! これが私の究極よ!」
王道に頼らず、独自で道を作り上げたアルマの一品。具材と特製ソースに酢飯と、基本は忠実に。だがその組み合わせには多数の工夫が見て取れた。
しかし、何よりも違う大きな点が、そこには存在した。
「なん……じゃと!? そのような……それは反則じゃろう!」
普通の手巻き寿司とは明らかに違う、一目でわかる相違点。それは、巻いている食材にあった。具材と酢飯を巻いているのは海苔ではなく、薄く切られた大判の一枚肉だったのだ。
手巻き寿司界において、肉巻きは邪道の領域。それは本来、具であるべきものだからだ。しかも肉巻きは、場合によって王道にもなり得る組み合わせである。
そのようなギリギリの一線に大きく踏み込んできたアルマ。彼女が秘めた勝負魂は、それほどまでに燃え上がっていた。
だがそれ以上にミラが抗議したのは、その肉の出所だ。それは、テーブル上にはない代物だったのである。
そう、アルマはアイテムボックスに常備していた極上のおつまみを、この場に持ち出してきたのだ。
当然ながら腹ペコ審査員の反応は、今日一番であった。
「女王ならばこそ手に入る特上な食材……それを利用するという策には、見事不意を突かれたわい。それを超える食材を持っておる者など、そうはおらん。じゃがな、相手が悪かったのぅ!」
けれどミラも負けてはいない。そういう手を使うならばと至高の野菜巻き寿司を仕上げながら不敵に微笑んだ。
「これは、ただの野菜ではない。他の追随を許さぬ……否、同じ土俵に立つ事すら出来ぬ、もはや別次元の野菜じゃからな!」
ミラがこれほどまでに絶賛する野菜。そう、それは植物の始祖精霊であるマーテルから貰った特別製の野菜だった。
「ふわぁ、美味しいですー!」
それを口にした審査員の反応は、野菜だけであるにもかかわらず、極上の肉巻きにも匹敵するほどのものであった。
「やるわね……」
「容易く勝てると思うでないぞ」
勝負は引き分けだ。
ならば次こそはと、二人は次の仕込みに入る。
そうして再び、どちらも極上の食材を用意していた時だ。
「お待ちどーさまです」
そんな気楽で明るい声が響くと共に、イリスがアルマとミラの前に皿を置いたのだ。
どうやらイリスもまた、二人のようにオリジナル手巻き寿司を作ったようだ。手慣れていないようで不格好だが、だからこそイリスの一生懸命さが、そこには込められているように見えた。
見た目では中身が何なのかはわからない。とはいえ、テーブルにある食材に混ぜるな危険といった類のものはない。
「では、いただこう」
「ありがとう、イリス」
手巻き寿司初心者のイリスが作った初めてのオリジナル。ミラとアルマは、その微笑ましさに笑顔を浮かべ、勝負は一時休戦だと視線を交わした。
(確か好きなものを色々と巻いておったな。思えば、わしにもそんな時期があったのぅ)
アルマとの勝負をしていた最中の事。冒険していたイリスをちらりと見ていたミラは、その時の様子と過去の自分を重ねて思いを馳せる。
ひたすら好きなものばかりを巻いて、スペシャル手巻き寿司だとやっていたなと。
アルマはというと、どこか母にも似た微笑みを浮かべていた。彼女にも、手巻き寿司にまつわる色々な思い出があるようだ。
そうした様々な思いが交わる食卓にて、ミラとアルマはイリスの手巻き寿司を口にした。
海苔を越えて酢飯を崩し、その奥に眠る未知が二人の口内に解放された──その瞬間だった。
「んん……!?」
「んあっ……!」
同時に声を上げたミラとアルマは、直後、目を見開いて打ち震えた。その味に、衝撃を受けたからだ。
(なん……じゃと……。これが……これが素人の生み出した味じゃというのか!?)
ミラが戦慄した衝撃の味。それは、未知の美味しさだった。
いったい、何をどのように組み合わせたというのか。ただ好きなものを揃えただけに見えていたそれは、その実、新たな王道の誕生すら予感するほどに完成されていたのだ。
ビギナーズラックか、はたまた天才の成した業か。
手巻き寿司が初めてであるというような事を言っていたが、よもや初めてでこれだけのものを生み出してしまうなんてと驚愕し、硬直するミラ。
それと同時に気付く。このイリスの手巻き寿司は、アルマの手巻き寿司にも匹敵するポテンシャルを秘めている事に。
となれば、その手巻き寿司と拮抗していたミラの特製野菜手巻き寿司にもまた並ぶ美味しさであるともいえる。
(よもや……ここにあるだけの食材でこれを完成させたというのか……!)
ミラは、今一度戦慄する。究極の肉を持ち出したアルマと、至高の野菜を持ち出したミラ。そんな反則のような手段を用いた二人と違い、イリスはテーブル上にあるだけの食材しか使ってはいないのだ。
するとアルマもまた、その事に気付いたようだ。テーブル上の食材を見た後、どこか巣立つ雛を見送るような目で微笑んだ。
「これは、あれじゃな……」
「うん、そうね……」
互いに顔を合わせたミラとアルマは、そう言葉を交わして頷き合った。そして、わくわくとした表情で感想を待つイリスに、声を揃えて答える。
『参りました』
イリスの勝利で幕引きとなった手巻き寿司勝負の後、ミラ達は、ただただ手巻き寿司パーティをエンジョイした。
「ここで醤油をちょろっとじゃな──」
「マヨね、マヨ」
「お味噌、美味しいですー」
色々な食材や調味料を組み合わせ、美味しく楽しく食べては意見を交わし合い、更に次の手巻き寿司パーティはどうするかという話で盛り上がる。
イリスは、次もあると大喜びだ。
と、そうして瞬く間に時間は過ぎて、たらふく堪能したミラ達はというと。
「ちと……喰い過ぎたのぅ……」
「あう……動けない……」
「お腹いっぱいですー」
食卓が楽しいと、つい勢いで食べ過ぎてしまうものだ。限界を超えた三人は、それでいて満足げな顔でソファーに身を預け、だらりと満腹感に浸る。
「次は、あれね。皆も呼んで、夕食時にやりたいところね。まあ、暫く先になりそうだけど」
アルマがそう言ったところ、イリスもまた「楽しみですー」と答えた。
皆とは、つまり十二使徒達の事。そんな十二使徒は今、任務だなんだと忙しい状況にある。となれば、次はきっと全てが落着した頃になるだろう。
その頃には、もうアルカイト王国に帰っているかもしれない。
ミラは、そんな事を思いながら、これだけ満腹な状況で、よく次の食事の話が出来るものだと苦笑する。
するとだ。
「じぃじも、いーい?」
そう、アルマが問うてきたのである。
闘技大会、そして『イラ・ムエルテ』との戦いが全て決着した暁には、祝勝会と称して手巻き寿司パーティを開催し、当然ミラも参加する事、と。
「……うむ、構わぬぞ」
これは、少し帰るのが遅くなりそうだ。そっと微笑みながら答えたミラは、どうにも次が楽しみだと笑った。
ただ二人は、そんな何気ないやり取りの中で、一つ失敗していた事に気付いていなかった。
そしてイリスは、それを聞き逃さず、単純な疑問として口にする。
「じぃじさん? なんでじぃじさんなんですか?」
そう、アルマはミラの事を『じぃじ』といつも通りに呼んでしまっていたのだ。
愛称にしては、ミラの名前のどこにも掛かっておらず、その言葉から浮かぶ印象もまた、誰が見ても完璧な美少女にしか見えないミラとは程遠い。
それこそ今のミラに対して使った場合、昔ながらの知り合いなどでなければ、違和感しかない呼び方といえた。
「……」
イリスに問われた瞬間、アルマは、やっちまったとばかりに硬直した。表情はギリギリ保てているが、内心では相当に焦っているのが雰囲気から窺える。
(何をやっておるのやら……)
思わず答えてしまった事は棚に上げ、アルマの失言に呆れるミラ。
当然だが、実は九賢者のダンブルフだからなんて言えるはずはない。その真実は、一応国家機密級の扱いである。
なおかつ、イリスは男性恐怖症だ。見た目は美少女だが、中身は……なんて知ったら、どんな反応をするのか見当もつかないというものだ。場合によっては、この場でお役御免なんて事も考えられた。
よってアルマは、その場で言い訳をでっち上げるつもりのようだ。
「実は、彼女のお師匠さんと知り合いでね、そのお師匠さんの事を前から『じぃじ』って呼んでいたの。で、弟子のミラちゃんなんだけど、聞いての通り、話し方とか女の子っぽくないでしょ? それってね、どうもお師匠さんの言葉遣いがうつっちゃったみたいでさ。で、その話し方を聞いていると、こうちらほらお師匠さんの顔が浮かんできて、たまーに、こう言い間違えちゃうのよ、ね」
言い訳は慣れているのか、それが真実であるかのように、すらすらと言葉を並べていくアルマ。
内容自体は、結構強引である。ただ、イリスは思った以上に単純──素直な子のようだ。
「なるほどー」
アルマの言い訳に納得した様子であった。
それから先、ミラ達は他愛ない雑談に興じて、動けるようになるまでゆっくりと過ごした。
会話の話題は、美味しいものや有名な冒険者、飛空船に大陸鉄道、最新の生活用魔導工学製品など、ジャンルや方向性も関係なく多岐に亘っていた。
幾ら至れり尽くせりな環境にいるとはいえ、イリスの生活圏は、ずっとこの部屋なのだ。やはり、外の世界にある色々なものに興味が尽きないようである。
ミラもまた、そんな気持ちを汲み取ってか、イリスの興味に答えるようにして色々と語った。
ただ、一つだけ。今街で流行っているという恋愛物語の話題が飛び出した時は別であった。
アルマとイリスが大いに盛り上がる中、さっぱりわからず興味もないミラは、じっとだんまりを決め込んでいた。頭の中に響いてくるテンション高めなマーテルの声を聞き流しながら。
……!!
投稿予約をしていたのに出来ていなかった……!!
いったい何がどうなって……。
もしや確定する前に戻ってしまったのか……。
今となっては、わからず。
なお、長々と二年前から続けているダイエットの主食である厚揚げの食べ方について書いていました……。
ぎゅっと凝縮すると、厚揚げにふりかけも美味しい。という話です。




