332 五十鈴連盟ラトナトラヤ支部
三百三十二
門番に教わった道を幾らか進むと、裏通りに抜けた。見たところ、その道幅はギリギリ二車線あるかないかといった程度だ。馬車がすれ違う時は、かなり慎重な手綱さばきが必要となるだろう細い道である。
だがそれでいて、きっとこの道を馬車ですれ違うのは不可能だろうとわかる。なぜなら、看板やら日よけやら人の列やらがあちらこちらに見られるからだ。
見回してみれば、どこか温かみすら感じられる裏通りには、多くの店が並んでいた。焼き立てパンの店頭販売や落ち着いた雰囲気のカフェ、怪しげな術具店にいかつい武具店と、実に彩り豊かな眺めである。
「雑貨屋の裏は……ここ、のはずなのじゃが、これはどうした事じゃろう」
そんな裏通りを一瞥した後に振り向いたミラは、そこにあった建物を見て首を傾げた。五十鈴連盟の支部として教えてもらった雑貨屋の裏側にある屋敷というのが、どうにも支部には見えなかったからだ。
「ハーブ各種の他、上級の薬草あります……か」
そこにちょこんと置かれていた看板を読み上げたミラは、続いて窓から中を覗き込んだ。するとそこには、陳列された草花とカウンターが置かれていた。
そう、五十鈴連盟の支部として教えられた場所にあったのは店だったのだ。
(どこかで道を間違えたのじゃろうか)
どう見ても五十鈴連盟の支部には見えない。そう感じたミラは、通りを挟んで向かい側や、近くに並ぶ建物を片っ端から見て回った。
結果、それらしい屋敷は一つも確認出来ず、ミラは元の場所へと戻ってくる。
もしや、そっとどこかに移転してしまったのか。そんな思いが脳裏を過った時、ミラはふと門番の言葉を思い出した。『お使い』という言葉を。
「いや、まさか……」
親のお手伝いで子供が買い物などにいく事は、よく『お使い』と表現される。そこに今の状況を合わせて考えてみると、自ずと正解が見えてくるというもの。
ミラは改めるようにして、そこにあった店を確認した。
直ぐ目に入ったのは、『本日のオススメ』という看板だ。幾つかのハーブと薬草の名が、そこには並んでいる。種類はなかなか盛り沢山であり、中には希少な薬草まであった。
「お、トコペッコの葉が摘みたてとな」
それは古代地下都市にて出会った料理の得意な冒険者に教わった、肉料理に合うハーブである。新鮮で上質な葉が沢山収獲出来たと、そこには書かれていた。
あの味は革命的だった。そんな事を思い出しつつ更に見回すと、次に目に入ったのはオススメよりも大きな看板だった。
「ふむ……『エバーフォレストガーデン』か」
主張し過ぎず、かといってひっそりともせず、入り口の扉の上にて堂々と栄える看板。そこに大きく書かれた名こそが、店名のようだ。ただミラは、その店名の更に端に小さくあった文字に注目した。
派手さはなく、緑の色合いが優しい看板。なんとその端には、『五十鈴連盟ラトナトラヤ支部』とあったのだ。
「よもや、本当にここが支部じゃったとは……」
五十鈴連盟の支部は、どこもセントポリーで見たものと同じだと勝手に思い込んでいたミラ。だが国が変われば形態も変わるようだ。
今更ながらに思えば、セントポリーは五十鈴連盟と敵対するキメラクローゼンが興した国である。となれば当然、支部など受け入れたくはなかっただろう。しかし五十鈴連盟が前面に掲げていたのは、森の保全という慈善事業。追い返せば外聞が悪くなるというもの。だからこそセントポリー支部は、あのような工業地帯の僻地にあり、建物も一般家庭より小さな家だったわけだ。
「おお……雲泥の差じゃな」
支部へと足を踏み入れたミラは、完全に店舗となっている一階フロアを見回して、その格差に苦笑する。
広くて明るい店内。綺麗に並べられた商品棚と、上等な品々。また客入りもよく繁盛している様子が窺える立派な店だった。
五十鈴連盟に対して、あまりにも違い過ぎるニルヴァーナの待遇。セントポリーの支部しか知らないミラにとって、それは衝撃的であった。ひと目見て気付けないのも道理であるというものだ。
「しかしまた、なんとも良い香りがするのぅ」
一先ず、目的の支部を見つけられて一安心したミラは、そこで改めて店内を一望した。
ここには、一言では言い表せない複雑な匂いが漂っていた。だが雑多に混ざり合いながらも不快なところはまったくなく、むしろ森の花畑にでもいるかのような、心地良さすらあった。
そんな店にいるのは、にこやかな店員と落ち着いた様子の客達。どことなく上品な印象が窺え、騒がしそうな者は一人もいなかった。
また大半が女性であり、どこかのメイドや主婦らしき者がいる中、お嬢様やマダムとでもいった雰囲気の人物までと、客層が幅広かったりもする。
(随分と繁盛しておるな)
ミラは人から品へと視点を移しながら、店内を一巡りして、その品揃えを確認していく。
そこには薬草やハーブだけでなく、果実にスパイスといった類も並べられていた。
どうやらこの店の売り物は、全てが森の恵みか、それを加工したもののようだ。他にも、果実をふんだんに使ったスイーツやハーブティー、ミックススパイスにアロマオイルなどという商品も置いてあった。
(これはもはや、完全にアレじゃのぅ)
特にミラが注目したのは、ミックススパイスのコーナーに置かれた固形物だった。ここにいる客の半分以上が手に取ったそれは、まごう事なきカレールーである。実にスパイシーでいて食欲をそそる匂いだ。
その名もずばり『森の恵みカレー』。また、その隣にはカレールーの使い方を解説するレシピも貼られていた。
(これは……買いじゃな)
冒険者料理といえばキャンプ料理。キャンプ料理といえば、カレーは大鉄板。そんな単純な考えから、『森の恵みカレー』を一つ手に取ったミラ。だがそれだけでは終わらない。続けてあの感動をもう一度とばかりに、トコペッコの葉と、更に複数のハーブを厳選してカウンターに向かった。
(値段も良心的じゃった)
そこそこな量を買い込んだが、総額にして三千五百リフ。しかも、そっとマーテルに訊いたところ、どれも上質であるとの事だ。それでこの値段である。
また、買い回っている最中に聞こえてきた客達の声から、この店の評判についてもある程度把握出来た。
評判は、極めて良好。それにより自ずと五十鈴連盟という団体に対しても、信頼が生まれているように窺えた。それを狙っての事なら、大成功といえるだろう。
「さて──」
思わぬところで良い買い物が出来た。そう満足したミラは、さて帰ろうかとしたところで足を止める。
「いや、違うじゃろう!」
買い物をするために、ここに来たのではない。自身の流されぶりに悶絶するミラは、そこで一つの可能性を見出した。
(きっと、この匂いのせいじゃな)
アロマだスパイスだといった匂いの混じり合う空間。ここにはきっと、目的を忘れさせて買い物に走らせる何かが、こっそり含まれているのではないか。
そんな被害妄想を膨らませ、自身の忘れっぽさをうやむやにしたミラは、そのままの勢いで周りを見回し、一番に目に入った店員へと歩み寄っていった。
「のぅ、そこの店員さんや。ここの支部長殿に会いたいのじゃが、どこにおるかのぅ?」
カグラに連絡するため。その目的をしっかりと思い出したミラは、そう店員に問うた。
目的は、五十鈴連盟の秘密の通信装置を使う事。となれば、ここの支部のトップと直接話をつけるのが早いというものだ。
「支部長……? あ、店長さんですね。えっと、今は奥にいると思いますが、どういったご用件でしょうか?」
笑顔で振り向いた店員は、初めに、はてと首を傾げた後、店長などと言い直した。見た目通りというべきか、この支部は店舗としての定着具合が強いようだ。
または、店員が五十鈴連盟のメンバーではなく、店舗スタッフとして雇われた一般人であるという線もあった。となれば、五十鈴連盟についての深い部分には触れない方がよさそうである。
「ああ、うむ、まあ、その、なんじゃ。ちょいと秘密の用件でな。ともかく、支部長殿を呼んではもらえぬじゃろうか」
本拠地に連絡するため、ここにある通信装置を使わせてもらいにきた。とは言えず、かといってどう伝えればいいのか悩んだミラは、結果しどろもどろになった末、秘密の一言で片付けるという強引な手段に出た。
そしてミラは、それもこれも、扉をノックすれば支部長が出てきたセントポリー支部のせいだと心の中で毒づく。前回の成功イメージが、後に足を引っ張る。よくある事だ。
「えっと……わかりました。では少々お待ちください」
明瞭でなかったり秘密の用件と言ったりと、怪しい客に見えたはずだ。だが店員は訝しみながらも、そう承諾してくれた。きっと、ミラの容姿に一切怪しい点がなかったからだろう。
そうして店内で待つ事数分。先程の店員と、もう一人、店長と思われる人物がやってきた。
「私がここの支部長ですが、秘密の用件があるというのは貴女ですかな?」
その男をひと目見た印象は、殺し屋だった。
背丈は二メートルを超えるだろうほどにガタイは良く、スキンヘッドに加えて目つきは細く鋭い。路地裏などで遭遇したら、一目散に逃げ出してしまうだろう迫力が彼にはあった。
森の恵みを扱うこの店の責任者というには、随分とかけ離れた風体である。
だからこそ、奥にいたのだろうか。そんな事を考えつつ、ミラは「うむ、わしじゃ」と物怖じせずに答えた。
「そうですか。では秘密というからには、場所は変えた方が?」
そう問うた男の声は、努めて優しくといった様子であったが、その目は鋭いままだ。ミラが店長ではなく、支部長として訪ねてきた事から多少察したようである。
「ならば応接室まで案内しましょう。ついてきてください」
そう言って店の奥に向けて歩き出す支部長。その途中、店員に「お茶は結構だよ」と伝え、業務に戻って大丈夫だと声をかける。そしてミラは、去っていく店員に礼を言ってから支部長の後に続いた。
引っ越してから、あっという間に3ヶ月。
家賃が上がっただけあって、随分と快適な暮らしになりました。
それでいて、ふと空いた時間に、物件情報を見てしまうんですよね。
もう引っ越す気はないけれど、なんとなくで開いてしまいます。
去年の今頃にも、この物件あったなぁ、まだ残ってるのかぁ
なんて思ったりして。
この一年、毎日見ていましたからねぇ。習慣になっていたようです。
でももう今は関係ありませんが、物件情報見るのって楽しいですよね。




