295 キャスターズ・サンクチュアリ
二百九十五
「明日は、朝の八時にここで集合がよいじゃろうか」
ブルースの依頼の報酬額が決まり術士組合を後にしたところで、ミラは振り返りながら提案した。するとブルースは、「いや、その時間に宿まで迎えにいこう」と答える。朝の組合は非常に混雑しているため、待ち合わせには向かないとの事だ。
毎朝、その混雑を狙って依頼を引き受けてくれる者を捜していたそうで、それが見つかった今、わざわざ来る必要もないとブルースは笑う。
と、そこでミラは、あっと声を上げた。
「そういえば、まだ宿を決めておらんかった」
スートラの街に到着してから宿を探していた最中に、ブルースの噂を耳にして今に至る。それがミラの現状であり、今まで最初の目的を完全に忘れてしまっていた。
既に夜も遅くなってきた時間。果たして今から、求めているような宿が見つかるかどうかと苦笑するミラ。とはいえ、どこも満室であろうとも、ミラには屋敷精霊という心強い召喚術がある。
だが、旅の醍醐味というのは、その地域毎にある宿にこそ秘められているというものだ。地元の食材や名物に、窓から眺める景色。従業員の人柄と、他の宿泊客など。そこには素晴らしい一期一会が待っていた。
九賢者捜しという任務もあるが、旅を楽しむ事もまた目的のミラは、どこか良い宿を知っているかとブルースに訊いた。
「それならば、私が宿泊している、キャスターズ・サンクチュアリという宿がオススメだ。この時間でも、まだ部屋は空いているだろう。それと、ミラ殿も同じ宿ならば、ロビーで待ち合わせ出来る。これはわかり易くて良い」
そう提案してきたブルース。対してミラは、考え込んだ。ブルースを捜しに行った際に確認した宿の宿泊料は、その見た目通りに高級だったからだ。
「お主を捜しに一度立ち寄ったが、そこは流石に高級過ぎてのぅ」
多少ならば、冒険するのもやぶさかではないミラ。しかし今回の任務は、まだ始まったばかりである。先は長いと思われる今、節約しておくべきだというのが、ミラの出した答えだ。
「そういう事ならば、問題ない。これも依頼の必要経費として、宿泊費はこちらで持たせていただこう」
術士組合で、空いていそうな宿を訊いてみようか。ミラがそんな事を考え始めたところで、ブルースが太っ腹な事を言い出した。なんと、ミラの分の宿泊費用を負担するというのだ。
「なん、じゃと……?」
宿代を依頼の必要経費として含める。なんて魅力的な提案だろうか。だが相場がどうのと言った手前もある。とはいえ、その魅力には逆らいきれず、多少躊躇いがちに「良いのか?」と、ミラは訊き返した。
「まあ、迎えに行くといっておいてあれだが、私はそれほど朝が強い方ではない。なのでロビー集合は、私としても助かるわけだ」
そんな前置きをしてから、ブルースは問題ないと笑い飛ばしてみせた。
アイテムボックスには古代地下都市で稼いだ魔動石が、まだ大量に残っている。それを売れば相当な金額になるだろう。高価な宿にも、躊躇なく泊まれるほどの金額だ。
だがミラは、そうしない。理由は今後の予定にある、最強装備作りのためだ。メインとなる素材は入手済みだが、当然他にも多くの素材が必要となる。また、最高峰の職人に依頼するとなれば、それだけ金もかかるのは当然というもの。しかも魔動石は、上位装備制作に欠かせない、特別な炉を稼働させるために必要となる。だからこそミラは、残りを保管しておく事に決めたのだ。
節約出来るところは、しっかりと節約する。よってミラは、ブルースの提案を快く受け入れた。
「あー、極楽じゃー」
ブルースの支払いとなった今日の宿、キャスターズ・サンクチュアリ。では、また明日と別れた後、ミラは一泊五万リフというお高い部屋で寛いでいた。
その値段に見合うだけの設備が整っており、魔動式の空調装置で室温は快適。夕食もまた絶品であり、備え付けの酒も豊富に揃っている。
そして、当然の如く浴室もあった。淡い間接照明によって、どこか幻想的に見える浴室。ミラは湯船に浸かりながら、その日の疲れを大いに癒した。また、視線を横に移せば、夜の闇の中にぽつりぽつりと灯りが浮かぶ街並みが一望出来た。
世界でも取った気分だ。そんな充実感を覚えながら、ミラはブルジョワ気分に浸りつつ女帝の如く踏ん反り返る。
「しかし、まあ、あの時の五男坊が随分と成長したものじゃな」
ふと昔を思い出し、しみじみと呟くミラ。ブルースと名乗る男、本名はジュード・シュタイナー。彼が塔に入ったのは、始まりの日とされる三十年前より、更に一年前の事だ。
五男であるためか、貴族云々の役目から遠かった彼は、いつも研究室にいた。その時の光景を思い浮かべながら、あの頃いた他の者達も元気だろうかと案じる。
召喚術復興のために尽力しているという研究員達。いつか召喚術も昔のように盛り返し、そして塔に賑やかさが戻ったら。と、そんな未来を描きながら、ミラは極楽な入浴時間を過ごすのだった。
「ぷっはーっ! 奮発して正解じゃったな!」
存分に風呂を満喫したミラは、部屋を出て、宿に併設されている図書館にやってきていた。そして、その図書館の中にあった売店で千リフを支払い、少し遅れながらも、湯上りの一杯を堪能する。
一杯で千リフと、なかなか高価な代物だったが、ミラはその味わいにご満悦だ。
ミラが飲んでいる高価な一品。それは、シェフ特製キャラメルオレであった。甘さとほろ苦さが絶妙であり、それこそ上質で喉越しの良いキャラメルを飲んでいるような気にさせる、贅沢で至極の一杯だ。
そして、相当に気に入ったミラは、更に一万リフほどを追加で支払い、キャラメルオレを十本購入すると、それをアイテムボックスにしまい込んだ。
宿代はけちり節約はするが、旅の醍醐味、美味しいものを味わう事には妥協しない。それがミラの信念だ。
「次は、良い事があった時に飲むとしようか」
それがいつになるかと楽しみにしつつ、ミラは目的の本を探して、図書館を進んでいった。
「ほぅほぅ、このような術もあるのじゃな!」
一度は諦めた図書館の利用だが、宿泊客ならば無料であるため、それを利用しない手はない。早速とばかりに便利系無形術の本を見つけたミラは、その種類の多さに驚きつつ目を通していく。
本には、口にしたもの全てが甘く感じるようになる術、何となく動物の感情を読み取れる術など、どことなく微妙な術から、熱い物を数秒だけ素手で掴める術、水に飛び込んだ際に水飛沫を抑える術、声が響く範囲を調整出来る術と、使いようによっては便利そうな術まで網羅されていた。
ミラは、便利そうと思ったものと、面白そうだと思ったものを中心に、術の習得法をメモしていく。
「ふむ……流石可能性ナンバーワンじゃな。共通点のない術ばかりじゃった」
二時間ほどで一通りの確認を終えたミラは、本を戻して、図書館を後にした。他にも興味深い本が目白押しであり、色々と見て回りたいところだ。しかし、時刻は既に深夜に近い。下手に見始めると、あっという間に明け方になってしまう事だろう。明日は朝から待ち合わせがあるため、夜更かしは厳禁だ。
ミラは後ろ髪を引かれながらも、どうにか部屋に帰ると、そのまま就寝準備を済ませて寝床についた。
ちなみに読んでいた本には、その裏に『銀の連塔発行』と書かれており、ミラの立場ならば幾らでも入手出来る代物であったりした。
キャスターズ・サンクチュアリで一泊したミラは、朝の七時に目を覚ます。ブルースとの約束は、八時にロビーでだ。その時間になるまでに、朝の準備を整えていく。
用を足してから、シャワーで眠気を吹き飛ばす。それから部屋で朝食を摂り、ノンアルコールのカクテルを楽しみながら無形術の習得訓練を行う。と、そうしている内に、約束の時間の五分前となった。
「実に良いひと時じゃった」
一泊五万リフの実に優雅な部屋を名残惜しそうに眺めてから、ミラは待ち合わせ場所であるロビーに向かった。
「やあ、おはよう、ミラ殿!」
ロビーに出ると、待ってましたとばかりなブルースの声に迎えられる。余程ヴァルキリーと契約出来る日を待ち焦がれていたのだろう、その笑顔はまるで遊園地に行く子供のようだった。
「うむ、おはよう」
ミラが挨拶を返すと同時、「さあ、行こうではないか」と、逸る気持ちを隠す事なく、ブルースはロビーにあるもう一つの出口へと歩いていく。
(随分と興奮しておるようじゃな)
だが、気持ちはわからないでもない。ブルースの様子を前にして、ミラはそんな事を思いながら後に続いた。
もう一つの出口の先には、ちょっとした広場があった。流石は術士専用の宿というべきか。どうやら、直接空から乗り付けるために用意された場所のようだ。
「ここからならば、二時間ほどで着くはずだ。空からいく予定だが、ミラ殿ほどの腕前ならば同乗する必要はないかな?」
ブルースは言いながらヒッポグリフを召喚し、その背に跨った。そして、どこか期待するようにミラへと振り返る。昨日のアスクレピオスに続き、今度はどれほどのものを召喚してくれるのかといった、そんな期待だ。
「うむ、そうじゃな。必要なしじゃ」
ブルースのヒッポグリフは、実に凛々しくて、屈強そうな体躯をしていた。流石は塔の術士というべきか、良く育てられているようだ。ミラは、その事に満足しながら、ペガサスを召喚する。
召喚陣から堂々と姿を見せたペガサスは、その純白の翼を嬉しそうに広げながら、甘えるようにミラの傍に駆け寄った。
「おお! なんと素晴らしい。この雄々しさ、この神々しさ! まるでダンブルフ様のペガサスのようだ!」
どこか甘えん坊なペガサスの行動など意に介さず、ブルースは、見た目から伝わってくる荘厳さに目を見開き、賛辞を述べる。
瞬間、ミラはびくりと肩を震わせた。ブルースは、ダンブルフの召喚術を間近で見た事のあるうちの一人だ。ゆえに、もしかすると気付かれてしまうのでは。ミラは、そんな予感を過らせた。
「さあ、ほれ。早く行こうではないか!」
慌てたように騎乗したミラは、言うが早いか、逃げるかのようにと空高くへ舞い上がっていった。
「そうだな、そうしよう!」
ミラが内に秘めた思いに気付く素振りはなく、ブルースもまた意気揚々とした表情で空に上がる。
そうして二人は、晴れ渡った空の下を飛んでいく。向かうは、東にある群島の一つ、フィルズ島だ。
優しい朝の陽射しと穏やかな海の間を並んで飛んでいく、ペガサスとヒッポグリフ。それなりの速度を出しても、二時間ほどかかる空の旅ともなれば、自然と会話が始まるものだ。
だがその会話に、好きな食べ物やら旅の楽しみやらといった、一般的と思える内容が出てくる事はなかった。
ミラとブルースは、両者とも珍しい召喚術士という共通点がある。となれば、そちらの話が弾むのもまた道理であろう。
「なんと……屋敷の精霊と契約を!? 確かに理論的には存在していると思っていたが、よもや既に契約までしている者がいるとは!」
ブルースの武具精霊研究は、実に興味深い内容だった。そのお返しとばかりに、ミラが屋敷精霊の出会いから今までを語ったところ、ブルースは大変興味を抱いたようだ。
まるで屋敷精霊がミラを呼んでいたかのような出会い。そして更に、家具精霊の存在。もしかしなくとも、精霊は他にも沢山いるのではと思える前例を知ったブルースは、先程から興奮しっぱなしだ。
「ミラ殿の話は、どれもが新しい驚きに満ちているな。まるで、時代を切り開いてきたダンブルフ様の話を聞いている気分だ」
召喚術の賢者として、日々新たな召喚術の運用法や戦術、育成方針などを最前線に立って打ち立ててきたダンブルフ。そして今もまた、当時と同じような事ばかりしているミラ。ゆえにブルースの感想は、その姿を近くから真剣に見てきた者だからこその言葉だった。
つい、いつものように召喚術談義に夢中となり、再び冷や汗を垂らしたミラは、その後、正体がばれないように気を付けなければと保身を考え言葉を選ぶのだった。
召喚術について有意義な情報交換をしていると、時間の流れもあっという間に感じるものだ。気付けば、すぐそこにまでフィルズ島が迫っていた。
島は楕円状であり、その大きさは長いところが百キロメートルほど。全体的に森で覆われ、中央には山が連なって見える。周囲は断崖絶壁に囲まれており、海からの上陸は難しい。そのため人里はなく、代わりにニルヴァーナ海軍の監視基地が東の断崖上に存在した。
フィルズ島に西側から接近したミラ達は、そのまま島の中心、三千メートル級のフィルズ山の麓を目指す。
この島の主とでもいった風格のフィルズ山。その山肌から零れ出るようにして、一筋の川が流れていた。
「あれだな。下りよう、ミラ殿」
「うむ、わかった」
幅にして三メートルほどだろうか。その川を上流に向けて辿ったところに二人は着陸する。目の前には、暗く深い洞窟が大きな口を広げており、川はその奥の方に続いていた。
ミラとブルースはペガサスとヒッポグリフを送還した後、今度は、その洞窟へと足を踏み入れていく。
広さは直径で六メートルはあるだろうか。川に比べて随分と余裕がある。また内部はひんやりとしており、ただただ二人の足音と水の音だけが反響していた。
「うむ。わしの時は、グラーフロック山脈の方から入ったが、ここは随分と安全じゃな。わしもこっちからにするべきじゃったか」
「おお、グラーフロックの洞窟からとは、随分と挑戦したものだ。向こうは魔物の巣窟だろうに」
無形術の明かりを灯して進みながらも、二人の召喚術話は続いていた。内容は契約時の苦労話が主だ。特に今は、ブルースの契約が目前という事もあり、ミラは自然と、ヴァルキリー召喚習得までの経験を思い出話のように語る。
「そういえば、ダンブルフ様もグラーフロックから入ったと聞いたな。確かルミナリア様もいて、相当に暴れ回ったとか。そのような場所を抜けるとは、ミラ殿も豪気だな」
そう言ってブルースが笑うと、ミラは何度目になるかわからぬ焦りを、そっと胸の内に隠す。
いったいブルースは、どれだけダンブルフの歴史を知っているのだろうか。ちょっとした内容から直ぐダンブルフ関係に繋がっていく。注意して話していても、ブルースはほんの些細な一言を拾って連想してくるのだ。
もはや、召喚術については何も話さない方が良いのではないかとすら考え始めたミラ。しかし、そんなミラの気持ちなど知るはずもないブルースは、召喚術の深い話題を共有出来るミラと、まだまだ話したくて仕方がない様子であった。
「ところでミラ殿は、何人のヴァルキリーと契約しているのだろう?」
足を止める事なく、洞窟を奥へ奥へと進みつつも、ブルースは興味津々といった笑顔を浮かべて振り返る。
基本は一人だが、試練と交渉の結果によっては、複数人のヴァルキリーと追加で召喚契約を結ぶ事が出来る。そして、そのために必要なのは、心と力だ。ゆえに二人以上と契約している召喚術士は、総じて上級の中でも更に上として一目置かれるような存在だった。
「まあ……そうじゃのぅ……とりあえず、一人ではない、とだけ言うておこうか」
ミラが契約しているヴァルキリーは七人。そして当然、ダンブルフが契約しているヴァルキリーも七人。二人でも相当である中、これを正直に言えば、もはや正体を暴露してしまうようなものだ。よって、一人とでも答えてしまえばいいものを、無駄なプライドを発揮したミラ。結果、二人以上である事を匂わせるような発言に至ったわけだ。
「おお! なかなか期待させてくれる。それじゃあ私の契約が完了したら、お互いに発表するという事で」
「いや……それは──」
「これは楽しみだ!」
足だけでなく話もずんずんと進めていくブルースは、「私は、どれだけ認めてもらえるだろうか」と、期待半分不安半分に呟きながら、「ああ、楽しみだ」と繰り返した。
大丈夫との事でしたので、先日試しにシュガーロールをオーブントースターで温めてみました。
するとどうでしょう!
表面はサクサク、中はもっちりな食感に大変身したではありませんか!
むしろ、買ってきたばかりでも温めてから食べた方が美味しいのでは……という程に!
これでもう、数日経って硬くなっても大丈夫です。流石オーブントースター。
あ、良いお年をー!
またはあけましておめでとうございます!