285 兆し
二百八十五
本格的にエミリアの指導を始めた翌日の事。ミラは予定の指導時間より早く、ルナティックレイクにやって来ていた。丁度、昼のおやつの時間。常備されている最高級スイーツを目当てにソロモンの執務室を訪れたところ、「やあ、待っていたよ」と、そこの主に笑顔で迎えられる。
瞬間、ミラは反射的に踵を返す。けれど、そこに逃げ場はなかった。廊下の左右から、侍女のリリィとタバサが近づいてきていると気配でわかったからだ。
一週間ほど前から、ミラは風の噂を耳にしていた。遂にミラカスタムのインナーパンツが完成した云々という話を。
ゆえにミラが進むべき道は、後方にしか残されていなかった。
「やあ、いらっしゃい」
笑顔で出迎えるソロモンをひと睨みしてから、ソファーにごろりと転がったミラは、「で、何じゃ?」と単刀直入に訊いた。ソロモンが明らかな作り笑いをしている時は、必ず面倒な話があるのだ。
だが今回、ソロモンが口に出した話は、ミラが直感した事とは少し違ったものであった。
「実は昨日、面白い告知が流れて来てね。これ見てよ、これ」
何かを企む、というよりは単純に共有を目的としていたようだ。数枚重なった書類のうちの一枚を手に立ち上がったソロモンは、ミラが寝転がるソファーに歩み寄り、それを提示した。
「ふむ……どれどれ──なんと!」
ソロモンが笑顔でミラを迎えた理由。それはなんと、ニルヴァーナ皇国から各国宛てに、闘技大会の開催が告知されたというものであった。
ニルヴァーナ皇国といえば、プレイヤーが建国した国の中で、トップのアトランティス王国に次ぐ国力を誇る一大国家だ。
特別な書簡で昨日届いた封書に、それらの詳細を説明する書類一式が入っていたという。ミラが目にした紙は、その一枚目。闘技大会開催と主催の国が記されたものだった。
「どう? 驚いたでしょ? しかもこれ、とんでもない規模になりそうなんだよね」
飛び起きたミラの様子に、してやったりといった笑みを浮かべたソロモンは、更にその詳細を語り始めた。
出場者の受付は、この告知を各国に届けた次の日から二ヶ月間。予選は、出場者受付終了の翌日から順次開催していく。本戦は、予選参加者の数によって多少前後するとの事だ。
「ほぅ、参加者の募集だけで二ヶ月か。相当に集まりそうじゃな」
「見た限りじゃ、ここ数十年の中で最大級のお祭りになるだろうからね。それはもう集まるはずだよ」
二ヶ月ある受付期間内に、どれだけの出場者が集まるか。それは未知数だが、きっと万にも届くだろうとソロモンは言った。
特設会場には、数千人以上収容出来る規模があるという選手村と食事処が完備。男女の他、戦士と術士、年齢などによるクラス別戦と、それらの枠組みを一切廃した無差別戦が行われると書類にはあった。
勝敗は、審判による戦闘続行の可否による判断か、一方が降参を宣言する事で決まる。
相手を死に至らしめる行為は禁止。また、酷い後遺症が生じる恐れのある手段の行使も原則禁止。ただ、大会にはニルヴァーナが誇る精鋭、十二使徒の一人である聖術士『神言のエスメラルダ』と、彼女が率いる救護隊が配備されているため、多少荒っぽくとも問題はないとの事だ。
「なんかもう、オリンピックを思い出す感じだけど、次が凄くてさ──」
ここまでは、無難というか堅実的な環境とルールだった。だが、この先、何より賞品がとんでもなかったとソロモンは笑う。
大会賞品。それはやはり、こういった大会において目玉となる要素の一つといえるだろう。だからこそというべきか、賞品はどれも豪華だった。
クラス別戦は、優勝者が英雄級武具一点と副賞に三億リフ。準優勝者は、特級武具一点と一億リフ。また、三位には名工が手掛けた武具が贈られるとの事だ。
更には、他にも様々な特別賞が用意されているそうである。
これだけでも相当に豪華だ。そんな印象を受けたミラだったが、続く無差別級の賞品を聞いて、その思考を停止させた。
なんと無差別級優勝者には、ニルヴァーナ皇国が所蔵する伝説級武具一点と、副賞として五十億リフが贈呈されるというのだ。
「流石はニルヴァーナじゃな……規模が段違いじゃ……」
「そうだねぇ……」
アルカイト王国が同条件の大会を開催する事は、まず不可能だ。それこそ三神国やアトランティス、ニルヴァーナといった大国でなければ運営など出来るはずもない内容である。
そして、それだけの大規模な大会だからこそ、最大級の盛り上がりが予想出来るというものだ。
同じようにプレイヤーが興した国でありながら、その国力差は圧倒的。どうにか再起動したミラがその差にぼやくと、ソロモンもまた空虚な目をして頷いた。
「まあ、それはさておき、ポイントは次だよ」
改めるようにして説明を再開したソロモン。それによると、なんでも大会をこれ以上に盛り上げるため、有名な冒険者には招待状が送られているそうだ。加えて、各国に代表の出場を促す文まで添えられていたという。
実力者の多い冒険者勢に加え、国に所属する猛将が出場する。しかも、それら招待選手用の特別トーナメントが、別枠で組まれているのだ。大会の目玉になる事は間違いないだろう。
更に大会の最終日は、無差別級と特別トーナメントの勝者がニルヴァーナの誇る十二使徒の一人を指名し、エキシビションマッチが行われる。それはきっと最終日に相応しい大激戦となるはずだ。
「これまた、とんでもないイベントになりそうじゃな。そして、お主の意図も理解出来たというものじゃ」
ニルヴァーナ皇国で開催される闘技大会。それは、多くの猛者達が大陸中から集まる最大級のイベントになるのは間違いない。となれば、一つ予想出来る動きがあった。そしてソロモンもまた、同じ事を思ったのだろう。「絶好の機会でしょ?」と、実にいい笑顔を浮かべる。
二人が容易に予想出来た事。それは九賢者の一人、『掌握のメイリン』の動向だった。
修行と称しては強敵との戦いを求める彼女にとって、この闘技大会は間違いなく最高の修行場となる。この大会を知ったメイリンが、そこに現れないはずはないと他の九賢者達も同意するだろうほどに、この告知は彼女を捕捉する絶好の好機であるわけだ。
「無差別級の優勝候補、筆頭かもね」
「そうじゃのぅ。あやつの事じゃ。見事に勝ち上がってくるじゃろうな」
九賢者という肩書からして、メイリンの実力はトップクラスだ。大陸にはまだ見ぬ猛者が沢山いるが、それを次々に乗り越えていくメイリンの姿は、簡単に想像出来た。そして大会が進めば進むほど、その注目度は増していくだろう。
「うん。まあ、だからこそ、少し困った事になるかもしれないんだよねぇ……」
大舞台で注目されれば、それだけ認知度も上がるというものだと、ソロモンは続ける。
この大会は、大陸中で注目される大イベントになるのは確実だ。それと共に活躍した選手もまた、広く知れ渡る事になるのは間違いない。となれば、その中でメイリンを知る者の目に入る事は避けられないというものだ。
メイリンの事である。武者修行を続けているとなれば、強敵の多い山奥などに篭っている事が多かったのだろう。人との接触も、それほど多くなかったはずだ。さほど噂になる様子もなく、足取りがつかめなかったのがその証拠ともいえる。
だが今回は、最高の舞台が最高に目立つ場所に用意された。こういった話にはなぜか耳の早いメイリンである。何も考えず、大会に現れるはずだ。山や森などとは比べ物にならないくらい、人の目が集まる場所に。
となれば、九賢者の一人であると気付かれるのは時間の問題となる。
ソロモンの懸念は、その先だ。
気付かれた後、行方不明とされていた九賢者の出現が、大ニュースとなり大陸中に出回る。すると、メイリンの認知度は更に飛躍的に向上する。
そうしたら次は、少ないながらも大陸各地からメイリンを見た事があるという噂が上がってくると思われた。
つまり、アルカイト王国の筆頭戦力が大陸の各地で、いったい何をしていたのか。潜入して情報収集でもしていたのか。そんな疑惑を各国から向けられる恐れがあるわけだ。
実際は、そのような事あるはずもなく、彼女にそんな器用な事が出来るわけもない。だが九賢者という肩書は、そう軽いものではない。武者修行で各地を巡っていただけだと本人が証言しても、それが受け入れられるかどうか難しいところだろう。
各国への偵察。そう判断され、限定不戦条約に抵触したととられてもおかしくない状況なのだ。
メイリンの認知度がこれまで通りならば、言い逃れ出来る道もあった。しかし、闘技大会で認識が盛大に広まってしまったら、それも難しくなる。
「まあ、これは起こり得る最悪の状況であって、実際にはそこまで問題にならないかもしれない。けど、そうなったら大変だから、これを事前に予防しておきたいって思うんだ」
最後にそう締め括ったソロモンは、期待を込めた目をミラに向けた。
「やれやれ……やはり、そうなるか」
メイリンを連れ戻す事に加え、それらの懸念を払拭するためにニルヴァーナへ。それが、今回新しく下される任務となるわけだ。
「して、何か作戦はあるのか? 出場するな、などと言ったところで、まず止められぬぞ」
彼女に武術を習っていたミラは、メイリンの武術にかける思いを誰よりも知っていた。修行のため、強敵との戦いを求めるメイリンの事だ。理由を説明したとしても、出場を取りやめてくれるかどうかは難しいところだった。また、上手く説得出来たとしても、その不消化具合からして直ぐに旅立ってしまう恐れが強い。
となれば理想は、存分に戦わせ、満足させてからの帰国である。ただ、そう上手くいくだろうかとミラは疑問を投げかける。するとソロモンは、当然とばかりに笑ってみせた。
「その点については、もう昨日から準備を進めているよ。要は、彼女であるという疑惑さえも与えなければいいわけだよ」
幾ら疑われようと、そうである確証を与えなければいい。そう口にしたソロモンは、単純ながらも有効そうな作戦について語った。
メイリンの気持ちも考慮して、大会の出場を止めさせる事はしない。だが、状況を説明した後、条件を一つ呑ませる。
その条件とは、変装だ。メイリンも、自分の立場をそれなりに理解しているはずであるため、多少小細工の用意はあると思われる。しかし、彼女の事だ。それは、ちょっと眼鏡をかけたり、名前を変えたりする程度だろうとソロモンは言う。
よって、もっと大幅な変装をこちらで用意しようというのが、ソロモンの作戦だった。
そしてこの件については、昨日のうちに、ラストラーダと話し合ったそうだ。変装のプロである彼の知恵を借りて、だいたいのコンセプトは決まったという。
本来のメイリンとは、かけ離れた存在。メイリンを知る者が、そうとは結びつかないような変装にすれば、直ぐにバレる事はない。それがソロモンの考えだった。
「多少勘繰る者が出るかもしれないけど、確証は得られないはずだし、こっちとしてもそれなら十分に言い逃れ出来ると思うんだ」
そう続けたソロモンは机の上の書類から一枚を抜き取り、ミラに差し出した。
「ふむ……なるほどのぅ」
その書類には、大会で使用出来る武具についての規定が書かれていた。
使用出来る武器は、大会側で用意したもののみ。防具などについても、その性能によって細かく決まっており、大会側でも用意されているようだ。つまり服装などについては、規定を超えなければ基本的に自由であった。つまり、その範囲内ならば、どんな格好をしようと問題ないのである。
「という事で彼女には、謎の魔法少女になってもらう事にしたよ」
真剣な眼差しでそう告げたソロモンは、現在進行中のメイリン変装計画について説明した。
まずは、一番簡単な髪だ。これは、特別なヘアカラーがあるため、これで赤に染めてもらう予定だという。
「染めてから三日経つか洗うと綺麗に落ちるから、その辺りは君が注意してあげてね。きっと彼女は、そのあたり気に掛けないと思うから」
「うむ……そうじゃな。気を付けよう」
髪を赤に染めるだけでも、随分と印象は変わる事だろう。変装するにはとても有効な手段だと納得したミラは、折角だからと、自分用に黒のヘアカラーも欲しいと頼んだ。
「わしも、ほれ。精霊女王だなんだと、有名になってしまったからのぅ。時には静かに過ごしたい事もあるのじゃよ」
有名人になり過ぎて困った、という素振りはほんの僅かであり、ミラはどこか得意げな様子だった。ちやほやと持てはやされるのも悪くないと。加えて、その事によって召喚術の印象もまた改善傾向にある。
実に喜ばしい事ばかりだ。しかしその分、注目され過ぎて落ち着かないというのもまた、ミラの本音であった。
「わかったよ。それじゃあ一緒に用意しておくね」
ミラの要望を快く承諾したソロモンは、それでいて僅かに不敵な笑みを浮かべていたが、ミラがそれに気付く事はなかった。
「さて、次に肝心の服だけど──」
変装には欠かせない服。ミラ達だけでなく他のプレイヤー含め、九賢者を知る多くの人々がイメージするメイリンといえば、根っからの武術家である。だからこそ、魔法少女ファッションが打ってつけであると、ソロモンは断言する。
「魔法少女……のぅ……。確かにイメージに合わぬから、そうと結び難くなるじゃろうが、あ奴が素直に着るかどうかが問題になりそうじゃな」
武術にこだわりのあるメイリン。そのためかミラは道着などといった、それに適した服装をしているところしか見た事がなかった。そんな彼女が、キラキラフリフリした魔法少女衣装を着てくれるだろうか。そんな懸念を抱いたミラであったが、ソロモンは問題ないと自信満々に笑う。
「ああ、その点なら大丈夫。ラストラーダ君としっかり相談してから、制作者に伝えてあるからね」
いつも道着姿の女の子を、可愛く別人に変身させるため。それでいて、女の子が得意な格闘技の妨げにならない衣装。と、ラストラーダの変装についてのノウハウなども盛り込んで発注したそうだ。この城にいる、その方面に明るい者達。侍女と、その筆頭であるリリィに。
ソロモンは言う。魔法少女風衣装制作における技術は知っての通り。更にリリィは、侍女式CQCの使い手であるため、近接戦における服のあれこれを考慮するのに適任だろうと。
「それはまた……とんでもないのが完成しそうじゃな……」
色々と思う所はあるが、リリィ達の腕前は確かだ。ミラは、自身の服を見つめながら、メイリンにどんな衣装を着せる事になってしまうのかと苦笑した。
ビタミンEが肝臓にいいとテレビでやっていたので、アーモンドを食べ始めました。
一袋で600円と、なかなかのお値段です。
しかし思った以上に長く食べていられるので、日数で割れば……。
ちょっと小腹が空いた時とかにも役立つので、これはなかなかにアリですね!