269 新孤児院
二百六十九
「それでは、一通り設備の確認を致しましょうか」
そんなスレイマンの言葉と共に、敷地内の施設巡りが始まった。
横幅は二百メートル、奥行きが百五十メートルはある大きな敷地。そこには校舎以外にも様々な施設が建てられていた。
一つは厩舎だ。五頭は楽々入るであろう広さがあり、設備も整っている。その内に馬を入れて子供達に世話をさせるのも教育にいいかもしれない。そうアルテシアと教師陣は、施設を確認しつつも先の事を話し合う。
他にも、訓練場や倉庫、工作所といった施設の他、術士の国であるアルカイト王国らしく、術技実験室なる特別製の小屋も置かれていた。中級程度の術ならば、外に漏れないだけの特殊防壁が組み込まれているそうだ。
そして最後に確認したのは、校舎の隣に併設されていた浴場だった。
「おお、これは良いのぅ!」
風呂には何かとこだわりのあるソロモンが、それを忘れるはずもない。最近完成したというそこは、子供達が多少暴れても大丈夫なよう突起を排除した親切設計となっていた。
また、一度に大勢が入れるくらいに広い。しかも魔導工学で生み出された特別製のボイラーを利用しており、魔動石を燃料に使えるため、かなり良好なコストパフォーマンスを有しているとの事だ。
そこでミラは、「そういう事ならば暫くはこれを使うと良いぞ」と、引っ越し祝いとして山ほど手に入れていた魔動石の一部をアルテシアに贈った。
外の設備の確認を終えたら、次はいよいよ本館だ。
「まあ、素敵ね」
「これは凄いな!」
正面の玄関から入ると、そこは礼拝堂になっていた。スレイマンの裏話によると、改築の際にそうする事で、三神教会から幾ばくかの援助を得られたとの事だ。
小さな子供の頃から、三神教の教えに触れさせ、いずれは敬虔な信者に。裏に隠された何とも言えない大人の考えに、ミラはただただ苦笑した。
と、そのように入って直ぐは教会のそれだが、廊下に出てみると正に学校であった。それでいて、しっかりと孤児院として運用出来るように工夫されている。
校舎に見られる色々な改良点。手掛けたのはスレイマンだそうで、彼はそれらについて一つずつ説明していった。
校舎を巡り、キッチン兼食堂になった給食室や、子供達の遊戯室にリフォームされた教室などを見て回る。流石というべきか、どこもかしこも配慮の行き届いた素晴らしい空間となっており、アルテシアとラストラーダは大喜びだ。
「さて、次の三階は、全て寝室となっております。百人いようともゆったりと休めるでしょう」
二人の反応に気を良くしたのか、自信ありげに階段を上がっていくスレイマン。ミラ達はといえば、新物件の内見をしている気分でその後に続いていく。
到着した三階には、先行していた子供達と教師陣の姿があった。ただ、何やら子供達が揉めている様子である。
しかし、ミラは直ぐにピンときた。
「きっと、誰がどこで寝るのかを決めておるのじゃろうな」
そんなミラの予想は大当たりで、教師陣に事情を訊くと、窓際や二段ベッドの上下について、激しい争奪戦が繰り広げられているとの事だ。
「そういえば、前にもこんな事があったな」
「そうね。あったわねぇ」
どこか懐かしむように微笑む二人。やはり樹上の村でも同じ争いが起こっていたようだ。
どれほど差があるのだろうかと寝室を覗いた三人は、その理由に納得する。これは争奪戦になるのも仕方がないだろうと。
教室を改装した寝室は、四つの小部屋に分けられていた。教室に入って手前が通路となり、窓に向かって四部屋だ。そして、窓側に左右で一つずつ二段ベッドが置かれ、通路側にもまた左右一つずつという配置となっている。
これはもう、窓側が人気になるのは当然といえた。
「なんという事……。そこまで考えが回らず、申し訳ありません」
きっと、そこまでの子供心理には疎かったのだろう、ミラから理由を説明されたスレイマンは、愕然とした表情で寝室を見つめるのだった。
この件については持ち帰り検討し、満足いくように取り計らう。スレイマンが、そう子供達に約束した事で争いは幾らか落ち着いた。これでもう、問題はないだろう。
余談だが、この数日後、スレイマンの案で通路側の二段ベッドにちょっとした細工が施され、子供達の不満は解消される事となる。一度引き受けた仕事は、最良の結果が出るまで徹底するのが彼の信条だ。
「それでは説明も済みましたので、そろそろ王城へ参りましょう」
三階を見終えたところで、スレイマンが改めるように口にした。
一通り施設の確認が終わった。となれば、次はいよいよ大事な用事の番。そう、ソロモンとの謁見、いや、再会である。
ミラ達は、ソロモン王に挨拶してくると教師陣に一言告げてから、一度新孤児院を離れ王城に向かう。
孤児院の前に用意されていた馬車に乗り込み、揺られる事十分弱。馬車から降りると、アルカイト城の堂々とした姿がそこにあった。
「ああ、変わってないな!」
「そうね。何年振りかしら。懐かしいわ」
周囲に幾つかの施設が増えたりしてはいるものの、アルカイト城の外観は昔のままだ。二人は故郷に帰ってきたとばかりに安堵の表情を浮かべ、それを見上げた。
ただ二人は、城内に入り少ししたところで、大いなる変化を知る事となる。
「ああ! ミラ様、おかえりなさいませ!」
「おやつになさいますか、それともお風呂に致しましょうか?」
ミラの情報は筒抜けなのだろうか、完璧なタイミングでやってきた侍女のリリィとタバサは、目にも留まらぬ速さでミラに迫ってきたのである。
「お二人とも。お客人の前ですよ」
スレイマンがそれとなく注意すると、二人は驚いたとばかりに振り向いた。どうやらアルテシアとラストラーダだけでなく、スレイマンも目に入っていなかったようだ。「これは申し訳ございません」と頭を下げる。
ちなみに本人を見るのは初めてのためか、アルテシアとラストラーダが九賢者である事については、気付いていない様子だ。
なお、スレイマンがこれからミラには用事があると告げたところ、二人はこの世の終わりとばかりな絶望の色をその顔に浮かべた。けれど、そう長くはかからないだろうと続けると、二人は希望を見出したとばかりの笑顔を咲かせる。
「では、お待ちしておりますわ、ミラ様」
「美味しいカスタードケーキをご用意しておきますからー」
別れ際に、そう見送られたミラは、きっと逃げられないのだろうなと苦笑しつつも、カスタードケーキという単語に期待を膨らませた。
「随分と変わったんだな」
「そうね。あの頃とは、もう違うのね」
外観は同じだが、その中身は大きく変化していた。かつてとは違う城の様子に、個性的な侍女の存在。それらを目の当たりにしたアルテシアとラストラーダは、それでいて楽しげに微笑むのだった。
一足先に来ていたようで、ソロモンの執務室にはカグラの姿もあった。現在の進捗について、色々と話していたようだ。
「おかえり。また会えて嬉しいよ」
ミラ達が到着すると、ソロモンは国王としてではなく、ただ一人の友人として、それを迎え喜んだ。
「私もよ。帰って来れてほっとしたわ」
「これも、司令と総司令のお陰だ。ありがとうな!」
アルテシアとラストラーダもまた、ソロモンの顔を見て、ようやく落ち着いたといった様子でソファーに腰掛ける。
「これで、とりあえずは、いち段落じゃな」
謎の孤児院には、予想通りにアルテシアがいた。更には怪盗ファジーダイスとして活躍していたラストラーダまで見つける事が出来た。
これにて、今現在で九賢者の手がかりとなりそうな噂や情報は、全て確認済みとなったわけである。
カグラはまだ、もう暫く動き回る必要があるそうだが、冬になる前には終わるだろうとの事だ。
また、年内にはソウルハウルも用事を済まし戻ってくる予定である。とすれば初めの時にソロモンが言っていた、今年中に半分という目標を、この時点で達成したといっても過言ではないだろう。
「そうだね。本当に助かったよ。ありがとう」
ゆえにひと段落であり、ソロモンもまた、それを成したミラに素直な感謝を伝えた。
そうして再会を喜んだ後。簡単な報告とファジーダイスの件に加え、新しい孤児院の運営などについて色々と話し合った。
まずファジーダイスについてだが、人身売買組織との決着をつけるため、孤児院が落ち着いたらまた、ラストラーダは向こうに戻るそうだ。様々な根回しやら何やらが進んでいるため、これについては心配無用との事である。
孤児院の運営は本人の希望もあり、このままアルテシアが柱となって回していくと決まった。運営資金については教会と貴族より幾らかの援助があるという。そして足りない分は、アルテシアの主張もあって、彼女が自身の給金で賄う事になった。
残るは、アルテシアとラストラーダの帰還を、どのタイミングで告知するかだ。ただ、その辺りは二人と孤児院が落ち着くまで待とうという事になった。
待つ事にした理由は、もう一つある。それは、四ヶ月後の建国祭だ。それは国民達にとっても、待ちに待った九賢者帰還を発表するのに最適な舞台といえるだろう。加え、出来ればその頃までに、カグラとソウルハウルの用事も終わっていればいいなとソロモンは不敵に笑う。一度に四人の帰還を発表したら、それはもう大ニュースになって、九賢者帰還記念祭を続けて開催すれば、きっと観光客が押し寄せるだろうと。
「それに、まだ四ヶ月もあるから、もしかしたら更に増える可能性も十分にあるよね」
そう口にして、期待を込めた眼差しでミラを見つめるソロモン。
現在、ミラが発見した九賢者は四人。残りは、退魔術のヴァレンティンと仙術のメイリン、そして無形術のフローネだけ。ミラの頑張りによっては、四ヶ月以内で全員を見つけ出し、建国祭を最高の形で迎えられるわけだ。
ただ、残りのメンバーについては、現状でまったくといっていいほど手掛かりがない。ミラは「情報次第じゃな」とだけ答え、そっと視線を逸らした。
またカグラも、「善処します」と言うだけで必ず間に合うとは明言はしなかった。複雑な問題であるため、それも仕方がないだろう。ソロモンも、その点は理解しているためか、それ以上に追及してくる事はなく、「困った事があったら、頼ってくれていいからね」とだけ告げた。
なお、建国祭までの四ヶ月だが、アルテシアは孤児院の院長、ラストラーダはその手伝いという立場で過ごしてもらうという事だ。
「満を持して、正体を明かすって事か。それは熱いな!」
ラストラーダは、そんな祭りのサプライズに、とても乗り気であった。どんな登場シーンにしようかと、今から考え始めるほどにだ。
アルテシアはといえば、特にこれといった感想はなさそうである。彼女にしてみると子供達さえいれば、それだけで良いという考えだからだろう。
と、そういった話が終わった後は、自然な流れで雑談が始まる。ミラ達は、これまで離れ離れだった隙間を埋めるように、この世界に来てからの思い出話などを語り合う。
と、そんな中で更に一人、その輪に加わる者が現れた。
「なあ、ミラたんが戻ってきたんだって?」
侍女の情報網から、それを聞きつけたのだろう。そんな言葉と共に、うすら笑いを浮かべやってきたのはルミナリアであった。
ちょっとからかってやろう。そんな思惑を顔に浮かべていた彼女だったが、執務室に揃った面々を見て、その動きを止める。
ルミナリアが聞いていたのは、ミラが城に戻っているという情報だけであり、他三名については聞いていなかったようだ。ただ、侍女の情報網だからこそ情報が偏り、客人の事がすっぽり抜け落ちていたのは仕方がないだろう。
そのために、ミラ以外もいたという点に少し驚いたルミナリア。けれど、状況はそれだけではなかった。
「アルテシアさんにカグラちゃん……ラストまでいるじゃねぇか……」
客人の三人が、見れば良く知る旧友だったのだ。どうやらソロモンは、この件について秘密にしていたようだ。ルミナリアからすれば、突然過ぎる二十年ぶりの再会である。
そこには多くの想いがあるだろう。ルミナリアは、そこに並ぶ懐かしい顔を交互に見つめ、「久しぶり」と照れたように笑った。
スーパーで買い物している時とかで、こう別の客がさっとやってきて迷いなく商品を持っていく事ってありますよね。
そして、そういう時って何を持っていったのか気になったりしますよね。
それで先日、正にそんな事がありました。そのスーパーを利用してから、もう十七年くらい。これまで、まったく選択肢に入れる事のなかった、ボリューム満点鯖塩焼き弁当。それを迷いなく、しかも二つも持っていく人が!
そんなに美味しいのだろうかと気になり、初めて買ってしまいました。
そして、鯖の塩焼きがあれほど美味しいなんて初めて知りました。
釣られてみるものですね。
つい釣られるように
に、たまにありますよね。




