25 古代神殿ネブラポリス
食事中にそぐわない表現が若干ですがありますので、ご注意下さい。
二十五
階段を降りきったミラ達一行は、青白く揺れる灯火を頼りに薄暗い廊下を進んでいた。
「便利な物があるんじゃな」
エメラ達四人の腰で周囲に光を撒き散らすランタンを見ながらミラが呟く。金属の支柱に囲まれた中心に浮かぶ球体は青白い輝きを放ち、光源の無い古代神殿の通路を不気味に照らしていた。
「準備済みって聞いたから冒険用品店には寄らなかったけど、まさかランタンを持ってないなんて」
エメラは呆れた様に言うと、ミラの頭上で煌々と光り輝く球体を見つめる。それはミラが無形術で生み出した照明用の光球だ。
「術士ならば灯りの術くらいは使えるじゃろう。それで十分じゃ」
「それはそうだけど、照明の為にマナを消費するなんて、この先何があるか分からないのに大丈夫?」
エメラの言葉にフリッカも頷く。今はダンジョンに入ったばかりで、これから戦闘も数多くあるだろう。それなのにランタンで代用出来る事でマナ、つまりMPを消費する等、術士の冒険者としては考えられない行為だ。
無形術による照明は消える度に掛け直す必要があるのと、全域を照らし出すわけではないので薄暗さは残る。そのためダンブルフ時代はクレオスを連れ回していたのだ。光の精霊の力を持つクレオスが出す灯りは、エリア全域を照らせた。
ミラは、見通しの悪い廊下の先を見つめながらクレオスを連れ出せれば楽だったな、等と考えていた。
「この程度の術に掛かる量など高が知れておる。問題は無い」
「そう……なんだ」
エメラは召喚術士というクラスを詳しく知っているわけではないので、多分クラス補正か何かでもあるのだろうと思い頷く。フリッカにしてみても、自分に見えない精霊の痕跡を見抜いたミラの力も相まって、本人がそういうのならばそうなのだろうと納得する事にした。
事実クラス補正の様なものは無いが、ミラのマナはもうすでに全快している。予てより魔力のステータスを中心に鍛えていたため、最大値と回復速度が常識的冒険者を逸脱する程になっているのだ。
エメラ達とその様な事を話しながら進んでいると、廊下が途切れ小さな広間に出る。
肌に触れる空気はじめりと湿り、灯りの届かない周囲は静寂の闇。呼気と足音と鎧の擦れる音だけが繰り返す中、エメラは操者の腕輪でマップを開き次の広場への通路を目指して歩き続ける。
(もうじき魔物の出始める頃合じゃな)
地下へ降りて一つ目の広場を抜け、廊下を進む事暫く。廊下の先に再び広間らしき空間が広がっているのが見えた。古代神殿では、二つ目の広間から魔物が出始めると覚えていたミラは、戦闘に備えて召喚術を行使した。
【召喚術:ホーリーナイト】
自身の隣に出現位置を定めると、輝く光の円陣が廊下を照らし出す。
「何この光!?」
「なんだ、どうした?」
突如としてランタンと術の光を掻き消す程の閃光に、先頭を進んでいたエメラとアスバルが振り返る。そして二人が目にしたのは、その光の中から現れた純白の騎士の姿だった。
「驚かせてすまんの。こやつはわしの召喚精霊じゃ」
ミラは白騎士の腰あたりをこつこつと叩いて簡潔に告げた。
突如として現れたその騎士は、二メートルはある身の丈を覆い隠せる程の長大な白い盾を持ち、もう片手には銀色に輝く長剣を手にしていた。そして最も特徴的なのは、全身を包む重厚な鎧だ。輝く程の純白で、フルフェイスの兜の奥には赤い光が揺らめいている。
「これが精霊……?」
「すごい力を感じますね」
エメラとフリッカは息を呑みその姿を見つめる。その存在から感じるのは圧倒的威圧感だけではない、圧倒的な安心感もその白い騎士は内包していた。
「かっくいーぜ!」
「これが召喚術ってやつか。すげぇなこりゃ」
堂々としたホーリーナイトの姿にゼフは、その周囲をぐるぐる回り眺める。ゼフは斥候系だが、その実、聖騎士等といった守護を体現する騎士に憧れを抱いていた。
アスバルは、まじまじと目の前の白騎士を眺めながらエメラに聞いた話を思い出す。それは、ミラが登録したてのCランク冒険者だという話だ。
もちろん最初はエメラがボケたか夢でも見ていたのだろうと思っていたが、実際に許可証を持ち明日、古代神殿に行くと聞いた時には気が気ではなかった。
故にアスバルは、その真相を確認する事と、もしもその力が無さそうならば力ずくでも連れ出そうと考えて同行していた。
だが目の前のホーリーナイトを見て、その認識を改める。直感が目の前の騎士は、自分よりも強いと騒いでいるのだ。
そしてアスバルは思う。最初からランクCというのは、これ程の事なのかと。召喚術士というクラスの底知れなさに、僅かばかり恐怖するアスバルだった。
そしてミラは、ホーリーナイトにタクトの守護を命じた。全方位から降りかかる害意全てを打ち払えと。
ホーリーナイトは、守るために使われた武具に宿った精霊だ。故に、守りにおいては上級召喚をも凌ぐ事がある。これが危険な場所に、タクトを連れてくる事が出来た理由だ。守る事に注力したミラのホーリーナイトを崩せるのは九賢者や、それに匹敵する者のみだろう。
タクトの安全を確保してから、一行は大広間に辿り着いた。同時にアスバルは周囲へ警戒の視線を向けつつ、大槌の具合を確かめるように握り直す。
「ちっとストッピ、なんか居るっぽい気配だ」
ゼフが進行先から左方面に視線をずらし、ミラとタクトのすぐ傍まで来ると両手に持った短剣を構える。
アスバルはミラと現れた何者かの間に立ち、エメラは即座にマップを閉じてその隣に並ぶ。
やがて静寂に波紋を広げる様に、引き摺る様な音が辺りを覆う。ゆっくりとだが確実に何かが向かってきている。
アスバルとエメラは武器を構えて前方を睨みつける。ゼフは別方向からの奇襲に備え辺り一帯に目を配らせていた。フリッカは落ち着いた面持ちで、杖を手にしたまま前方を見つめている。
「こいつは、グールか」
シルエットの様に浮かび上がり、光源に近づくにつれて輪郭を現した複数のそれは、人の姿に酷似した蠢く物体だった。
エメラとアスバルは僅かばかりの嫌悪感を表すも、即座に平静に戻り各々の武器を構え対峙する。
ゼフは一歩引いたまま待機し、ホーリーナイトはタクトの後ろに立ち、大きな盾を被せる様に構えた。
(しかし見通しが悪いのぅ)
クレオスが居る事に慣れすぎていたミラにしてみれば、闇の中から現れる魔物というのも久しぶりの経験だった。目を凝らすがアスバルの背中が邪魔で良く見えない。背伸びをしながら身体を左右に振るが、まだ少し遠く全容が掴めない。
「む……なんじゃこの臭いは……」
「なんだろう、変な臭い」
徐々に周囲に満ちてくる悪臭にミラは顔を顰めると、隣に居るタクトも同じ臭いを感じた様で鼻を抓み鼻声で答える。
「奴等の臭いに決まってるっしょ」
言いながらゼフが前方のグールを視線で指し示す。
そう、ミラが感じた臭いとは腐臭だった。腐りかけた肉塊に寄生した魔物は、生命力を与えるわけではないので腐敗の進行が止まる事はない。常に腐り続けやがては崩れ落ち、また別の死体に取り憑く。
ミラがゼフの言葉を理解し、より一層表情を嫌悪に満ちさせるとアスバルの陰からグールの姿が目に留まった。
「うっ……!」
それは濁った瞳は焦点を定めず虚ろに獲物を見据え、唇が崩れ落ちた口は開いたまま腐りきった舌を覗かせている。痩せこけた頬と剥がれかけた頭皮には頭髪が僅かに残る程度だ。肌は裂け、所々から見え隠れする腐肉の隙間には蛆虫がびっしりと詰まっていた。
余りにも生々しく下手に人の姿を保っている為、吸い込む空気すら腐敗している様な錯覚を覚える。その現実感を伴う光景にミラは猛烈な吐き気を催した。
だが逸らした視線の先にタクトの姿が映ると、どうにか吐き気を飲み込んだ。
「先制いきます」
宣言したフリッカが一歩前に出ると、準備していた【魔術:真紅】を発動させた。フリッカが掲げた杖に魔力が集まると一瞬輝き、グールを巻き込む炎の渦が生まれる。荒れ狂う真紅の業火に包まれ肌が焼け落ち、高熱により脚が弾けるとグールは前のめりに倒れ込む。そこから更に背中に炎が覆い被さり、灰を撒き散らし内臓を焼いていく。
一時遅れの火葬の焔は、不浄に取り憑かれた憐れな骸を浄化する様に燃え盛り、臭気ごと焼き尽くした。
赤々と周囲を照らす炎がゆっくりと収まると、範囲に巻き込まれずにいたグール二体が進行を再開する。だが、それと同時にエメラとアスバルが飛び出すと一体は微塵に切り裂かれ、もう一体は上半身を潰され肉片と蛆虫を撒き散らかしながら地に伏せる。いくらアンデッド系の魔物といえど、ここまで破壊されてはもう動く事は出来なかった。
「一通り片付いたかな」
ほんの数十秒の出来事であったが、ミラはゲームが現実になったという状況を改めて理解する。
ゲーム時代でもリアルな描写だったため初めてグールを見た時は、直視する事が出来なかった。だがそれはゲームを続けていく事で問題無くなる。
しかし現実となり再会した今、生々しい腐敗具合と視覚だけでなく嗅覚でも伝わる本物の腐乱死体は、耐性があっても慣れるものじゃない。
皆が構えを解くとホーリーナイトの盾の裏から、鼻を抓んだままのタクトが顔を覗かせる。
灰になったグールは問題なかったが、二人が蹴散らしたグールから腐臭が漂い始めていた。ミラはその臭いに再び表情を歪ませる。
「タクト君、薬飲んどいた?」
「はい、飲みました」
エメラの問いかけにタクトは鼻声で答える。
「ならそれ程気にならないとは思うんだけど」
「しょーがないんじゃないかなー。オレ達は慣れているけどさ、タクトは初めてなんだよな。薬で軽減していても早々どうにかなるもんじゃないさ」
疑問を浮かべるエメラに、ゼフはタクトの頭をグリグリ撫でながら言う。エメラは「そういえばそっか」と、自分の初めての頃を思い出し頷いた。
「のぅ、薬とは何の事じゃ?」
会話の中に気になる単語を見つけたミラは、吐き気を再燃させそうな臭気から、口元を袖で覆い問いかける。
「それはもちろん、臭抗薬だけど……もしかしてミラちゃん持ってきてないの!?」
「しゅうこうやく? 初めて聞くのぅ」
「簡単に言うと、すっごく臭いのがちょっと臭いになる薬……かな?」
「アバウトすぎるが、そうだな」
ミラが知らないのも無理はない。臭抗薬とは嗅覚に働きかけて、その機能の一部を麻痺させる薬だ。完全にではなく上限を設けるという効力で、一定以上の刺激臭から鼻を守る効果がある。匂いが無かったゲーム時代では考えられる事も無い効果だろう。だが、現実となった今、こういった薬の需要が上がり一般化したのだ。
(次々と生み出す人々の進歩とは面白いのぅ。他にどんなのがあるか楽しみじゃわい)
この世界に来て初めて冒険らしい冒険をしている今、次々と現れる現実感にミラは高揚していく。
だがしかし、現状は何ら変わらず臭気が満ちている。タクトは思い切って指を離して慣れようと努力していた。薬の効果でどうにか耐えていられる。
そんな時、ミラの脳裏にある事が浮かんだ。それはこの後の事だ。
今居る場所は、古代神殿ネブラポリス。不死パラダイスの地下墓地だ。序盤のグールでさえこれなのだ。今後も大量に湧き出し、三層目にはジャイアントグールという巨人のゾンビが居た事を思い出す。その存在はもはや計り知れない。
この瞬間、ミラはまともに冒険する事を放棄した。
ミラは五人から少し離れると、右手を横に伸ばす。
【召喚スキル:アルカナの制約陣】
ミラがスキルを発動させると右手の先に青い背丈ほどの魔法陣が浮かび上がる。だがミラの行動はそれだけでは終わらなかった。魔法陣を確認すると今度はそのまま手を左に向けたのだ。
【召喚スキル:アルカナの制約陣】
二つ目の魔法陣が現れる。ゆっくりと回転しているその魔法陣は、アルカナの制約陣と呼ばれるものだ。召喚術士の特殊なスキルで、この魔法陣の近くに居る召喚体に様々な恩恵を与える事が出来る。数により効果は重複し、基礎能力を上げたりスキルの消費マナを軽減したりと追加効果が増えていく。
だが、ミラの目的は召喚の強化では無い。アルカナの制約陣は、もう一つのスキルの条件にもなっているのだ。
「ミラちゃん。何をやってるの?」
「まあ、見ておれ」
エメラの問いに簡潔に返すと、ミラは魔法陣に手を伸ばす。
「さて、ではゆくぞ」
【召喚スキル:ロザリオの召喚陣】
ミラが魔法陣に触れると、二つの魔法陣が一斉に輝き始め書き換えられていく。その光景に何が起こるのか分からず、五人はただただ息を呑む。
収まった光から一回り大きな二重の魔法陣が現れた。赤く光る二つの魔法陣は、先程とは違い強力な魔力が溢れ出ていた。その気配を感じ取ったフリッカは喉が渇くのも忘れて魅入る。
そしてこれで準備が整った。そう、これは上位召喚の為に必要な特殊召喚陣だ。
『天駆ける乙女に問おう、閃光を剣とし魔を払う者の名は』
ミラは片方の召喚陣の中心でそう囁く。召喚術だけではなく、全ての術は上位になると専用の詠唱が必要となる。そして囁いたこの言葉こそが上位召喚の詠唱の一つだ。
『問いに答えます、その名はアルフィナ。主に忠誠を誓いし剣の名』
もう片方の召喚陣から声が響く。この返答により問題なく召喚準備が完了した。そしてその声は後方の五人にも届いた様で何事かと辺りを見回すが、すぐにミラの居る方向からだと気付き視線を戻す。
『我が元へ参じよ【召喚術:ヴァルキリー】』
ミラが上級召喚の使用を宣言すると、周囲の召喚陣がミラの魔力に呼応する様に光り輝く。
「なにこれ、何が起こるの!?」
「すごい魔力……今度は何?」
眩しさに手を翳すエメラと、目を細め興味深げに凝視するフリッカ。他の三人は見た事も無い光景に言葉を失い、ただただ傍観している。
ミラの元にある召喚陣が一際輝いた後に掻き消える。その直後、もう片方の召喚陣が高速で回転を始めると内側の陣と外側の陣に別れ上下に開いていった。
「召喚に従い参上しました。お久しぶりです、我が主よ」
残像の様に残った光の柱から、一人の女性が姿を現す。その姿は麗しく、紺碧の軽鎧にガントレット、グリーブを身に付けている。額には黄金に輝くサークレット、草原の風の様に流れる碧の髪は背中の辺りで一つに結われている。腰に佩びた剣は身に付けた装甲と同じ紺碧の鞘に納められているが、そこからは神々しい光が洩れ出ている。
正にその名に恥じない戦乙女が突如五人の前に現れた。
「うむ、久しいなアルフィナ」
ミラはそう答えながらも、アルフィナをじっと見つめる。
召喚されたヴァルキリー、アルフィナはミラの前で跪き敬意を示している。
「我が主よ、随分と様変わりなされましたね」
ミラの姿を一望したアルフィナが、そう言葉を口にした。
「う……ま、まあ色々あってな」
「そうでございましたか」
ミラは動揺しない様に予想し構えていたため、どうにか差し障り無い態度を保てたが、よもやここまでとはと苦笑する。
ゲームの頃は命令に対してのみ返答するという最低限の会話しかなかった。しかし目の前のヴァルキリー、アルフィナは個別の意思を持ち言葉を紡いでいる。その事にミラはやはりかと確信した面持ちだ。
この世界が現実だと分かった時から、予想していなかったわけではない。むしろ驚きよりも喜びの方が大きい。
ミラが契約した召喚体達には高度な知能を持った者も多い。ヴァルキリーもその一人だ。つまり、他の者とも会話が出来るという事になる。ソロでの行動が多かったミラにとってこれは僥倖だ。
「アルフィナよ、お主は今までどうしておった?」
折角呼んだので、好奇心に駆られ少し会話をしてみようと試みるミラ。
「おもに姉妹達と修練の日々です。いつ主に呼ばれてもいい様にと勤めておりました」
「ふむ、そうか。流石じゃな。頼り甲斐があるのぅ」
「お褒めに預かり光栄です」
ミラは、これで一人旅も寂しくないと表情を綻ばせる。
「ね……ねぇ、ミラちゃん。そちらの方は?」
突如現れた、只ならぬ雰囲気を纏うヴァルキリーに目を見開いていたエメラが、どうにか一歩を踏み出し問う。フリッカの方は溢れ出す魔力に絶句し、ゼフはその美貌に目が釘付けとなっている。
「ヴァルキリーのアルフィナじゃ」
ミラがそう答えるとアルフィナが立ち上がりエメラの方へ振り向く。
「主のお仲間の方々ですね。我が名はアルフィナ、以後お見知りおきを」
そう言い一礼する。その姿は余りにも優雅であり、エメラは慌てて「こ、こちらこそよろしくお願いします」と、ぎこちない礼を返した。
「しかし別嬪さんだ。っていうか、そっちの騎士とは何か違うな。話せるしよ」
我に返ったアスバルが、アルフィナを見つめながら感心した様に呟く。アスバルもアルフィナの纏う別次元の気配を感じ、その桁違いの圧力に舌を巻いている。
「そうじゃろうそうじゃろう。認識は改まったかのぅ」
やや天狗気味にミラは腕を組み胸を反らせる。これで一先ず、召喚術の力を見せ付けるという目的は果たせたと確信したミラだった。
「主よ、ご命令を」
振り返ったアルフィナは再び跪き指示を待つ。
それに対してミラは、エメラの今までの準備や心配事を全て吹き飛ばす命を下した。
「ここより五層目までの魔物を殲滅せよ!」
流石にもうグロテスクなグール等は目にしたくも無い。ならば先行させて片っ端から片付けさせてしまえばいい。ミラが考えたのはそういう事だった。
「御意に」
アルフィナは鞘から剣を抜き放つと、閃光の尾を引きながら古代神殿の奥へと飛び込んでいった。