207 穏やかな夜
二百七
女性冒険者の二人が話していた、怪盗ファジーダイス。それはかつてミラがカードゲーム用のカードを大人買いした時に、唯一出たトリプルレアの絵柄になっていた人物だ。そしてミラはその人物について、アリスファリウスから帰る鉄道で乗り合わせたテレサという女性に、詳しく教えてもらっていた。
怪盗ファジーダイスとは、悪事にかかわる者しか狙わない、いわゆる義賊であるという話だ。
ミラがそんな事を思い出している内にも、女性冒険者の話は盛り上がり続ける。その話の内容によると、どうやら今日より五日後の夜に、怪盗ファジーダイスは現れるそうだ。
場所は、ハクストハウゼンという街にあるドーレス商会の屋敷。標的は、不正に得た財産の全てであるらしい。
(不正に得た財産か。ファジーダイスとやらはどこでそのような情報を調べるのじゃろうな。そしてそれを……確か孤児院などに寄付しているという事じゃったな)
女性冒険者の話を何となしに聞きながらロビー中央の階段を上るミラは、怪盗ファジーダイスについて色々と思い出していく。するとその際にふと孤児院繋がりで、もう一つの鉄道で聞いた話も思い出した。
それはテレサの後に相席した、吟遊詩人エミーリオから聞いたものだ。
盲目の女性リアーナと共に旅をするエミーリオ。彼は様々な場所を訪れており、そこで多くの情報を得ていた。
その一つが、名もなき村に出来た孤児院だ。今より約八年ほど前の事、三神国防衛戦によって多数の戦災孤児で溢れていた時期に設立された孤児院であり、聞いた限りでは、九賢者の一人アルテシアが関係していそうな気配のする案件だ。
(場所は確か、グリムダート北東の山奥じゃったな。ふむ……ここからならば、ガルーダで一、二日程度かのぅ)
グリムダート北東に広がる山脈地帯。エミーリオの話では、その合間のどこかに噂の村はあるという事だった。
問題は、それが山脈地帯のどこなのかという点だが、ここでミラは一つ閃く。
(孤児院……怪盗……怪盗……孤児院……。ふむ、聞き出せるかもしれぬな)
孤児院に寄付金を配っているというのなら、所在不明の孤児院について何かを知っているかもしれない。怪盗ファジーダイスを狙ってみるのも悪くないのでは。
ミラはそんな事を考えながら、いよいよ一泊十五万の部屋の扉を開く。そして、その贅沢振りに感激しつつ今の状況を整理する。
「さて、どうしたものかのぅ」
ミラの頭に浮かんだこれからの行動の選択肢は二つだ。
一つは一度アルカイトに戻り、ソロモンに報告する事。今回の旅でもまた、報告する事が多く出来た。ソウルハウルの発見と、期日中には戻るという約束の他、マキナガーディアン撃破によって現れた機械仕掛けの人形が残した謎のメッセージと謎の金属片。それに加えて、意味深な内容が書かれた日記の一ページ。
どちらもソロモンの元へ持ち帰れば、城の頭脳担当達が、どうにかしてくれるだろう。そう信じるミラは、一度帰ってそれらを託し、また戻るべきかと考える。
(しかしのぅ……。ここから帰るのに四日。更に、アルカイトからグリムダート北東の山脈地帯に向かうとなると、五日はかかるじゃろうな。合わせて九日か……)
一泊十五万の部屋は、価格に見合うだけの豪華さであった。ミラはウエルカムドリンクとして置かれていた果実酒を、ちびちびと口にしながら、宿場街が一望出来る大きな窓から空を見上げる。この日の天気は雲が多く、星空の中で月の光に照らされた雲は、白く薄らとした輪郭だけを浮かべていた。
「七日の差は大きいのぅ……」
もう一つの選択肢は、このまま山脈地帯に向けて出発する事。ガルーダならば山脈地帯まで一、二日だ。報告して九日をかけるか、このまま現地に向かってしまうか。
そんな事を考えていた時、ミラの脳裏に妙案が浮かんだ。
「いや待て……報告だけならば半分はこのまま達成出来るかもしれぬぞ……」
それは実に簡単な事、ワゴンにいつの間にか備え付けられていた通信装置を使うというものだ。肝心な謎の金属片を届ける事は出来ないが、それ以外は口頭で伝えられるものばかりである。
その思い付きにより、選択肢がもう一つ増えた。それは、通信装置で報告し、そのまま山脈地帯に向かうというものだ。しかしこれには一点、問題があった。
(ふーむ、こういう時のために、かけ方を訊いておくべきじゃったな……。カグラの時のように、受話器を取るだけで繋がればよいのじゃが)
そう、ミラは通信装置の使い方をよく知らなかったのだ。一度、五十鈴連盟のセントポリー支部から本拠地に連絡した時は、受話器部分を取るだけで繋がった。
けれど、その時の通信装置とワゴンに備え付けられている通信装置は、形状がまったく違う。スイッチやらダイヤルやらが色々と付いているのだ。受話器を取るだけで繋がるとは、どうしても思えない。
どうしたものか。そうミラが考えていたところで、扉をノックする音が響いた。
(とりあえず明日、適当に弄ってみるとしようか!)
使い方がわからない以上、適当にやってみるしかない。往復に九日かける以外の有力な方法が見つかった今、意地でもあがいてやろうと思いながらも、それはそれ。ミラは扉を開けた後、実に鮮やかな所作でテーブルに並んでいく豪勢な夕飯を前に頬を綻ばせる。
「お食事が済みましたら、扉脇の呼び鈴を鳴らしてください。食器を下げさせていただきます」
そう言って、食事を運んできた係員達は退室していった。
任務の事は一旦端に置いて、ミラは並べられたご馳走に、早速食らいつく。
流石は一泊十五万というべきか。この日の夕飯は王城での食事に勝らずとも劣らない、素晴らしいものだった。厚切りのローストビーフに、黒コショウの辛味と香りが絶妙なソース。新鮮でいて彩も鮮やかなサラダと、ポタージュスープ。そして、食欲をそそる香り高いガーリックライスだ。
「やはり肉は美味いのぅ!」
厚さが二センチはあるだろうローストビーフを真っ先に口にしたミラは、その柔らかさと溢れる肉汁に思わず頬を綻ばせる。淡いピンク色のローストビーフは、その厚さからは考えられないほどに柔らかく、口の中でほろりと解けていった。ただのローストビーフだと、こうはいかない。料理についてはさほど詳しくないミラでも、余程の手間暇がかけられているのだろうと実感出来るほどの一品である。
(数日前の夕飯も極上じゃったが、それとは比べられぬ美味さがここにはあるのぅ!)
数日前の夕飯。それはマーテルにご馳走になった新種野菜と果実のフルコースだ。ミラの夕食にとマーテルが特別に用意したそれらは、正に極上。野菜の質が全てを左右するサラダというステージで、これに勝てるものは世界のどこにもありはしないだろう。つまり極上を経験してしまったミラの身体は、そこらのサラダでは満足出来なくなっているという事だ。
しかしステージ違いの肉料理は違う。それはマーテルの専門外であり、そして何より人類の英知の一つ、料理という概念がそこにはあった。
「やはり、料理というのは素晴らしい」
彩り鮮やかなサラダはマーテルに敗北したが、それ以外、ガーリックライスやポタージュスープなど、調理されたものは、素のままで食べるのとはまた違う味わいで、何よりもその温かさが不思議な安心感をもたらす。
マーテルの生み出す、最上級を超える至高の野菜や果実。それに迫る事が出来るとしたら、料理しかあり得ない。ミラは、テーブルに並ぶ豪勢な料理を堪能しながら、いつかマーテルに美味しい料理を食べさせ、ぎゃふんと言わせてやりたい、などと思うのだった。
夕食も終わり食器が下げられた後、ミラは浴室に向かう。一泊十五万という値段だけあって、隣には大きな個室風呂があるのだ。
「これまた、絶景じゃのぅ」
脱衣室で素っ裸になったミラは、浴室に入るなり正面の大きな窓から見える景色を見て、感嘆の声を上げる。
浴槽の直ぐ脇にあるその窓からは、グランリングスの街並みが一望出来た。早速とばかりに風呂に浸かったミラは、空と街の両方を眺めながら、大きく身体を伸ばし、「くぅ〜っ」と声を漏らす。
「向こうはまだ賑やかそうじゃが、ここらは静かな様子じゃな」
遠く、宿場街の向こう側、冒険者総合組合のある方面は、多くの明かりで賑わっていた。きっとまだ、冒険者達が大勢いるのだろう。対して宿場街だが、特に高級な宿が軒を連ねるこの周辺は、随分と落ち着いた雰囲気になっている。
眼下に見える限りは、人の数も少なく、街灯の落ち着いた光がぽつりぽつりと並んでいるのが良く見えた。
「お、あれは巡回の警備兵かのぅ。ご苦労ご苦労」
宿の傍を、揃いの鎧を身に着けた二人組の騎士が通った。街中で時折見かけた警備兵だ。それが二人組とは、流石は高級宿場街。防犯面もばっちりなのだなとミラは感心する。
と、その時、騎士の二人に動きがみられた。二人してどこかを見つめ、何やらしゃがみ込んだではないか。
どうしたのだろうか。そう気になり観察を続けたミラだったが、事実は非常にどうでもいい事だった。
野良猫である。比喩ではない。騎士の二人は、道端で出会った猫に声をかけて誘っていたようだ。
騎士は野良猫を抱き上げ、二人して可愛がり始めた。そしてどこからともなく取り出した餌を与える。野良猫は随分と人に慣れているようで、警戒する様子はみられない。もしや、あの騎士の二人は、猫を餌付けしているのだろうか。そうとれなくもない光景だ。
「……今ならば隙を突き放題じゃのぅ」
これで防犯面はばっちりなのだろうか。そう少しだけ心配になるミラ。高級な宿が並ぶこの辺りは、裕福な商人や奮発した観光客などが多く集まっている。それでいて警備の兵が、仕事もそこそこに野良猫に夢中だ。金目の物を狙う悪人にとって、ここは相当に条件が良い狩場となるのではないか。
けれどミラは、ふと思う。
(そういえばここらには、上級冒険者も多く泊まっておるからのぅ。この周辺で下手に尻尾を出せば、あっという間に捕まりそうじゃな)
そう、この高級宿場街には冒険者という、警備兵すら凌駕する悪人ハンターが大勢いるのだ。ゆえに、この近辺で法を犯そうとするなら、最低でも頭一つ抜き出たその者達を相手にする事となる。これほど、割に合わない事はないだろう。
もしも警備兵の出番があるとすれば、それは冒険者同士の諍いの仲裁などかもしれない。
(だからこそ、あの緩み方なのかもしれぬのぅ)
もう一度警備兵に目を向けたところ、一人と二匹が増えていた。遠目から見て女性らしい一人は、どうやら近くに宿泊する冒険者のようだ。言葉は当然聞こえないが、猫について語り合っているように見える。そして二匹の方はどちらもまだ小さな子猫であり、一匹目の子供だと思われた。冒険者の女性が、アイテムボックスから色々と取り出しては、猫達に与えている。
静かな夜の高級宿場街は、随分と平和な様子であった。
間接照明の淡い光に照らされた浴室。浴槽で寛ぎながら外の景色を眺めていたミラは、「平和じゃのぅ」と呟きながら、浴室内に視線を戻す。と、その時だ。
「む……あれは何じゃ?」
贅沢三昧な浴室の端にあったガラスの壁。その向こう側に、大きなラッパのようなものがついた装置が置かれていた。
一体何なのだろうか。気になったミラは湯船から上がって、それに近づいていく。そして間近で見てみると、それが何なのかはっきりした。
「これは確か……蓄音機とかいうやつじゃったな」
ガラスの壁の向こうにあったのは蓄音機。つまりは、レコードプレイヤーだ。しかも普通のプレイヤーとは違い、随分と大型のそれはスイッチ一つで幾つもあるレコードを交換出来るというハイテクレコードプレイヤーだった。
(レコードか……。このようなものもまた、作られておったのじゃな)
思えばこの世界の音楽には余り触れていなかったと、ミラは気付く。覚えがあるのは、まず一番に音の精霊レティシャだ。そして先ほど思い出した吟遊詩人のエミーリオ。後は鉄道旅行をしていた際に、どこかの宿で演奏されていたのを聞いた事が僅かに記憶に残っているだけである。
(いつかエミーリオの歌が、こうしてレコードになっているのを見る日が来そうじゃな)
彼の歌声は、素晴らしいものだった。きっとレコード制作に携わる者が聞けば、彼をスカウトする事だろう。そんな事を考えながら、ミラはガラスの向こう側を眺める。そこには、レコードプレイヤーに装填されているレコードの表紙であろうものが並べられていた。
「しかし風呂場に蓄音機とは、なかなかしゃれておるではないか」
きっとガラスは、水濡れと湿気防止用なのだろう、レコードプレイヤー本体に触れる事は難しいが、それを操作するスイッチはビニールのようなもので覆われ、手前に置かれている。風呂に入りながら音楽も堪能出来るという趣向なのだろう。それは一泊十五万というだけあって実に優雅な楽しみ方だと、ミラは感じる。
「どれどれ……どのような曲があるのじゃろうな」
折角なので優雅にいこう。そう決めたミラは、早速とばかりにレコードの表紙に目を通す。
そこに並ぶのは、ざっと見て五十曲ほど。どのような基準で選んだのかは不明だが、『暁に佇む』『ロリック聖歌』『たんぽぽのブーケ』『兎が月下に誘われて』『君にマジカル☆ハッピースマイル』『耕せど耕せど芋しか出ない』『ネギは鍋に入りますか?』などなど。真面目そうなタイトルから、アイドルチックなタイトル、そしてネタに走ったようなタイトルまで、高級宿としてはかなり冒険したラインアップだった。
「……この辺りは除外するとして、他は聴いてみなければわからぬな」
そうこうして選曲を終えたミラは、早速対応するスイッチを押してみた。すると、僅かな駆動音と共にレコードプレイヤーが動き出し、下部に装填されているレコードがアームで運ばれ、ターンテーブルに置かれた。
レコードが回り始めると、その上にゆっくりと針先が下りていく。
いよいよ針先がレコードに触れた時、レトロでどこか懐かしさすらある音が溢れ出し、浴室内に広がった。
「ほぅ、これは悪くないのぅ」
どうやら選んだのはクラシックと同じ系統だったようだ。耳に心地良い旋律は、優雅な入浴にはぴったりである。
ミラは、より一層の贅沢感を覚えながら、湯船に浸かり直し「極楽じゃー」と満足そうに呟いた。
何と今回、感想の方でオススメとあった、ゼッピンというカレールーを買ってみちゃいました。
普段買っているルーの2倍というお値段でしたが、頑張ってみました。
絶品でした。
カレールーといっても、結構違いがあるものなんですねぇ。
やはり、高いものは美味しいようです。