191 研究交換
百九十一
『一先ず、わしが簡単に説明しよう』
ミラはソウルハウルの手を握ったまま、その場に腰を下ろし、精霊王ネットワーク(ミラ命名)について説明した。
精霊王の加護、その一端である繋ぐ力。それによって精霊王といつでも会話が出来る事、場合によってはその場で様々な知識を教えてもらえ、時には相談にものってもらえる状態にあると話す。
『それとマーテル殿は、愛ではなく植物の始祖精霊じゃという事を訂正しておこうか』
『ああ、ミラちゃんの意地悪ぅ』
そして最近、植物の始祖精霊であるマーテルと出会い、こうして会話も出来るようになったと笑い、ミラは説明を締め括った。
「始祖精霊か。どこかの文献に書いてあったな。精霊王に次ぐ始まりの精霊だとかなんとか。んで、そのどちらも味方につけたとは……。流石は長老だな」
神にも匹敵するといわれる精霊王と、その次に続く力を持つという始祖精霊。ただ知り合うだけでなく、こうして容易く会話が出来るなどと言われ、どれだけの者がすんなりと信じるだろうか。
けれどソウルハウルは、そんなミラの言葉を疑う事無く受け入れた。わざわざ騙す意味がないという点もあるが、何よりも遠く離れてはいたが親友であるからだ。
だがミラとソウルハウルに、そんな感覚はない。ほぼ無意識なのだろう。だがその信頼の形を、加護の繋がりを介して感じ取った精霊王とマーテルは、人を結ぶ絆の強さに感心していた。
『まあ、そういう訳でのぅ。相談してみたところ精霊王殿より、一つ提案があったのじゃよ』
そこまで言うと、ミラは細かな説明を精霊王に任せた。それを受けた精霊王は厳かに、そして力強く告げる。
『話は全てミラ殿より聞かせてもらったぞ。ソウルハウル殿。我は貴殿の心意気に感銘を受けた。ゆえにその業を、この我が引き受けようではないか!』
第一声でそう宣言した精霊王は、ミラに話した事と同じ説明をソウルハウルにも聞かせた。上級の術が制限されている原因、禁術の反動を引き受ける事が出来る。そして多少の反動程度なら、精霊宮殿にいる限りこの身に影響は皆無であると。
「何だって、そこまでしてくれるんだ?」
術を維持したままで、上級の術が使えるようになる。そんな精霊王の提案に、ソウルハウルは驚きながらも困惑した。都合が良過ぎる気がすると感じたのだろう。
『決まっているわ。何よりもお二人の愛の成就のためよ! ソウルハウルさん、貴方の熱い想い、聞かせていただきました!』
困惑するソウルハウルの脳裏に、絶好調なマーテルの声がまた響いた。
「お二人の愛? 誰と誰のだ?」
心当たりがなく、ソウルハウルは訝しむようにミラへ視線を向ける。同時にミラは、さりげなく視線を外し「どうにも勘違いしておるようでな」と呟き応えた。
「ああ、そういう事か」
どうやらソウルハウルは、そんなミラの態度と言葉で大体の状況を理解したようだ。二人、つまりはソウルハウルと宗教家の女性の事だと。
「話した事については何も言わないが、愛だの恋だのじゃあないって断言したはずだよな」
「わかっておる。わしもそう伝えた。結果精霊王殿は英雄の如き云々と言っておったが、どうにもマーテル殿がのぅ、愛だの恋だのが好きなようでな……」
そう信じて疑わないのだと、ミラは苦笑する。それを受けてソウルハウルは「クラスに一人はこういう女子がいたよなぁ」と、納得した様子でどうにもならない状況に乾いた笑いを浮かべた。
「まあ、あれじゃ。その辺りは大目に見てやってくれぬか。わしが出会うまで数千年も独りだったという話じゃからな」
「ふーむ。その反動ってなら仕方がないって事にしておくか……」
そう言ってこの件を締め括るミラとソウルハウル。そんな二人の会話を聞きながらマーテルは、素直じゃないんだからと温かい目でソウルハウルを見守る。そして精霊王は、心の中で詫びていた。
「それで、本当にそんな事が出来るのか? 途中で術が切れたりなんて事はないよな?」
改めてソウルハウルが問う。反動を移し替えたとしても、その結果術の効果が切れてしまい、女性の時間が動き出しては元も子もない。特にそのような試みなど初めての事なので、流石のソウルハウルも慎重になっているようだ。
『ああ、出来る。だがそれには条件もある。まずソウルハウル殿が使ったという禁術について教えてくれ。術式と理論、そして、そこまで反動を抑えられている仕組みもだ』
精霊王曰く、まずは術の構造を全て理解した上で己に転写する事によって、術者と同じ『器』を作る必要があるという。そして器とソウルハウルのマナを繋ぎ同調させる。それが安定してから、繋がりを介して反動のみを移し替える。簡略化すると、こういった手順らしいが、話を聞く限りでは、どれも相当に複雑な作業のようだった。
「なるほどな。わかった。教えよう」
精霊王の話を聞き終えたソウルハウルは、そこに確かな可能性を感じたようだ。頷き答えると、早速とばかりに禁術《幽世の牢刻》について語った。
その術は、様々な術を組み合わせて生み出した、ソウルハウルオリジナルの合成術だそうだ。死霊術を基盤として、多種多様な無形術に退魔術、陰陽術の要素も組み込んでいるという。
ソウルハウルは、そう説明しながら、アイテムボックスより一冊に束ねた紙を取り出す。見るとそこには、複雑な術式が無数に書き込まれていた。
「反動の軽減については、これが答えだ。同調する印を作り、嫁達に組み込んでいる」
そこに書かれた内容によると、どうやらあの時、古代神殿ネブラポリスの最下層で見たメイド服を着せられた女性達には、細工がしてあったという事だった。
その細工とは、女性達に特別な術印を埋め込む事。そしてそれの効果は、女性達の身体をソウルハウルであると偽るものらしい。
魂は既に抜け落ちているが、身体の構造はそのまま。死霊術で少し弄れば、充分に反動を受けられる器に作り替えられるのだとソウルハウルは言う。
そして、その器を百体近く用意したそうだ。そうする事で理を破った際に発生する甚大な反動は、ソウルハウル本人も含め女性達にも分散するため、本来より軽微に済んでいるという事だった。
「器を作るところから始めるなら、そのあたりも少しは役に立つだろう」
そう続けたソウルハウルは、術印に使われている術式や、死体をどのように処置したのかといった点を補足していく。
一つの大きな器か、小さな複数の器か。その構造や仕組みは違えど理屈は同じであるため、ソウルハウルはその情報も役に立つと踏んだようだ。
『ふむ……これだけの術式を組み上げるとは、見事。ここまで詳細にわかれば、当初の予定とは違い、我自身を器にする必要もなさそうだ。むしろ、より完璧な器を仕上げられるだろう』
様々な利点や欠点なども含めたソウルハウルの説明は、かなり効果的であったらしい。中々に特別な器が作れそうだという。
精霊王は、繋がりを介して簡単にソウルハウルのマナ波長を分析すると、早速とばかりに器を作り始める。
そしてそれにはマーテルの力も必要だという事で暫くは静かになるのだが、作業を始める前『嫁達って、どういう事かしら』と、マーテルは先ほどソウルハウルが漏らした言葉に過剰反応していた。
終わった後、何かと騒がしくなりそうである。
「これまた随分と研究しておるのぅ」
細かい説明も終わり、精霊王の作業を待つ段階になったところ、ミラは興味津々とした様子でソウルハウルが書き記した紙束を掻っ攫う。
書き込まれた術式には数多くの考察、研究結果、そして理論。そこには長年かけて蓄積されたソウルハウルの英知が集約していた。
「おい、ずるいぞ長老。見るなら見せろ」
ソウルハウルは、紙束に目を走らせるミラを睨みつけながら、催促するように右手を差し出す。
「ぬぐぅ、仕方がないのぅ」
ぐいぐいと頬を突いてくるその手に耐え切れず、ミラは一冊のノートを取り出した。それは、これまでの空き時間など合間をぬって書き溜めた、ミラの研究ノートだ。そこにはソウルハウルの紙束に負けず劣らずの術式や考察などが、びっしりと書き込まれている。
「へぇ、随分と精霊関係が多いな。しかも、とんでもなく深い。流石は精霊王の加護持ちな召喚術士か」
そう呟きながら、ソウルハウルはミラの研究ノートを熱心に読み始めた。
「そうじゃろう、そうじゃろう」
ミラは自信満々に笑いながら、ソウルハウルの研究書を読み進める。
ミラもとい、ダンブルフとソウルハウル。かつてより銀の連塔所属の術士は、国の繁栄のため切磋琢磨するライバルであり、また同志でもあった。ゆえに、その知識の大部分は共有されており、今の二人のように情報のやり取りはいつもの事なのだ。
そうして誰もが何かに夢中になって、暫くの沈黙が訪れた。時折、聞こえるのはミラとソウルハウルが頁をめくる音くらいだ。
(ほほーぅ、これは素晴らしいのぅ。気にはなっておったが、なるほどなるほど。合成術とはこのような仕組みじゃったか)
合成術。その名の通り、各種の術を合成して新たな術を生み出すという技術。アルカイト学園でも研究されているというそれを、クレオスから多少は聞いていたミラ。けれどそれはまだどこか曖昧なものであり、気にはなっていたが手は出していなかった分野でもある。
しかし今、その認識が大きく前進する。ソウルハウルの研究書には、学園での研究よりも、遥か先を行く技術が書き込まれていたのだ。
術式研究。この辺りに関してソウルハウルは、九賢者内でも一、二位を争うほど熱心だった。ちなみに争っていたもう一人は、無形術の賢者であるフローネだ。
紙束には既に実用レベルの術式と理論が羅列されており、ミラはその英知に目を輝かせる。しかし、その技術はどれも理解は出来るが複雑で、一朝一夕では成し遂げられないものばかりであった。
(ふーむ、せめて最低限でも書き写してしまおうか)
そう思い立ったミラは、メモ帳と筆記用具を取り出すためにアイテム欄を開いた。と、その時だ。先日、ディノワール商会で買い込んだ品々の中の一つが、ミラの目に留まったのである。
(お、確かこれは、書いたものを転写出来るという紙じゃったな!)
それは、一枚の大きな合成紙だった。用途としては、一部の術で必要となる複雑で緻密な魔法陣用であり、使うたびに描く手間を解消するためのものだという。
術種によっては、特別な魔法陣が必要となる術がある。そしてそれらの術は、準備が必要であるという欠点はありながらも、切り札に成り得る強力なものが多い。
必要な魔法陣はマナが込められた紙などに、元から描いておけばよく、以前だとこれらの術の使い手は手すきの時間などに、一枚一枚魔法陣を描いては保管していた。中には原版を作って、判子のように量産している者もいたほどだ。
しかし現在、この合成紙、商品名『写し紙』の登場で状況は大きく変わる。低コストで手軽にコピー出来てしまうため、魔法陣を一度描いてしまえば、もう描く必要はなく、そして重くてかさばる原版を持ち歩く必要もなくなった。
魔法陣を利用する術士にとって、この商品は革命だったのだ。
「おお、これは便利じゃな」
そんな魔法陣愛好家御用達の『写し紙』を、ミラはただのコピー紙代わりに利用していた。一枚が大判であるため、左上の辺りから順に、ぺったんぺったんとソウルハウルの研究書をコピーしていく。
少しして、裏側に文字がじわりと浮かび上がってくる。完璧な出来栄えだ。
本来の用途とは違う使い方だが、書き写すなどよりも圧倒的な効率で、その出来栄えにミラはしてやったりとほくそ笑む。
と、そんな中、ミラの研究ノートを読みふけっていたソウルハウルが声を上げる。
「ああ、くそっ、流石に覚えきれん!」
どうやらソウルハウルにとってもミラの研究ノートは、貴重な英知の山だったようだ。全て記憶するという手段に出たが、欲しい情報が多過ぎて限界に達したらしい。なのでソウルハウルは、大人しく紙とペンを取り出した。当初のミラのように書き写すつもりなのだろう。
「なあ、長老。このノート貸してくれないか。いつか返すから」
写し始める前に、ソウルハウルは僅かな希望を抱いてそう言った。
「駄目に決まっておるじゃろう」
「だよなー」
当然、ミラの答えは否である。まだまだ、そこに書き込む事が無数にあるのだから。ソウルハウルにしても、紙束を見せる事はあっても、貸す事はない。なので諦めて写し作業を始め、ようとした瞬間、ソウルハウルはミラが行っている作業に目を留めた。
「長老……それは『写し紙』か!?」
コピーを続けていたミラは、突然食いついてきたソウルハウルに驚きながらも、先ほどの言動とその様子で全てを察し、にやりと微笑む。
「そう、『写し紙』じゃよ。いやはや、これは便利じゃのぅ。魔法陣以外もこの通りじゃ!」
丁度、最後の頁を写し終えたミラは、その大きな紙を掲げてみせた。そこには確かに、一字一句間違いなく、研究書の内容が写されていた。実に短時間であり、手軽で低コストな作業だろうか。
「長老、この余った余白の部分だけでもいいから、くれないか」
魔法陣用の『写し紙』は、その用途ゆえに二メートル四方ほどの大きさがある。数枚に及ぶコピーの末、研究書の後半を写し終えた状態で、まだ下半分ほど余白が残っていた。ソウルハウルは、その辺りを掴みながら、そうミラに懇願する。
「まあ、いいじゃろう。切るのも面倒じゃからな、新しいのをくれてやろうではないか」
ミラはあっさりとその願いを聞き入れた。全てを察していたからである。
別途、魔法陣が必要になる術というのは各術種ごとに数多くあり、この『写し紙』というのは、ミラの目から見ても非常に便利な道具であった。
召喚術の場合は、特殊な専用技能により、マナで中空に魔法陣を描けるため、そこまで重要ではない。けれど、他の術種の場合は、その恩恵を十分に受けられる事だろう。
そしてそれは、死霊術でもいえる事だった。けれどソウルハウルは、存在を知っていながら、これだけ便利な道具を持っていないらしい。
なぜなのか。その答えは簡単だ。魔法陣を利用する死霊術は、全て上級だからである。あの日より、上級の術に使用制限がかかっているソウルハウルにとって、『写し紙』は現状必要のない道具だったのだ。
ミラは、そういった諸々を考え「他にもその内必要になるじゃろう」と、『写し紙』を一束ほどソウルハウルに手渡した。研究ノートのコピーだけでなく、今回、精霊王の試みが上手くいけば、上級の術が解禁になるからだ。場合によっては、この後に控えるマキナガーディアン戦で早速出番となるかもしれないと。
「そういや、準備もしとかないとだな。感謝するよ、長老」
オマケの分の意味を理解したソウルハウルは、そう口にしてからミラの研究ノートのコピーを開始した。
ちなみにミラが召喚術には必要のない『写し紙』を買っていたのは、特殊な精錬用のためだ。自己強化のために、いずれ必要になると考えての用意しておいた分であったりする。
もう今年も終わりですねぇ。早いものです。
ちょっと前まで、クーラーのありがたさを噛みしめていたはずなんですけどねぇ。あっという間です。
しかし、今の鍋食が基本になってから、まだ一年も経っていないという。
あともう1ヶ月くらいでしょうか。
鍋食一周年記念は、何にしようかな……。
牛豚鳥の、三食肉鍋とか、どうだろう!!
来年が楽しみになってきました。
では、よいお年を!