137 星の瞬く夜空の下で
百三十七
精霊爆弾。決して逃れる事の出来ない破壊の嵐。その中心にあったゼルは、荒れ狂う炎の中で勝利に酔う。
周辺全てを焼き尽くす炎に変換された精霊の力。しかしそれは同種の、つまりアルティネアの力を秘めたローブを纏うゼルに影響を与える事はなかった。自分以外を一掃する、究極の切り札。それが精霊爆弾に隠された真の力であるのだ。
「さようならアルティネア、そしてグラド兄さん! 僕の勝ちだ! あんたより僕の方が強いんだ!」
それは心からの叫びだった。何よりも、グラドに勝つ事。それがゼルにとって最大の目的であり、常に劣ると言われ続けた自身を、違うと証明する手段であったのだ。
実際に対峙した兄は、やはり強かった。目標は、いつまでも目標であり続けていた。そして、遂にそれを乗り越え勝利を掴み取った。その事が、より一層ゼルの心を高揚させていく。
「いや、お前の負けだ」
だからこそ油断が生じた。人が太刀打ち出来るものではない精霊の力。それに耐えられる者などいない。その思い込みが、致命的な隙となったのだ。
精霊。それは人の良き隣人として常に寄り添うように存在し、時には助け合い、通じ合える、優しき者達。そんな精霊の力だ。絆は決して消えはしない。
声と共に炎の中からグラドの腕が抜け出す。そして次の瞬間、その手に握り締められた短剣がゼルの喉を貫いた。
「がっ……ぁぁ……」
声にならない声を漏らし表情を歪めたゼルは、戦慄した瞳をその元凶に向ける。
ゼルの喉元にまで伸びた腕。その表面に浮かぶ複雑な紋様。炎にも負けず赤々と輝くそれは、グラドがアルティネアより与えられた加護の証であった。
逆巻く炎を退けるその腕を見据えたまま、ゼルは理解する。アルティネアの意思が、グラドを守ったのだと。
精霊の加護。精霊信仰の世界において、それは特別な意味を持つ。
グラドとゼル。二人は、里を代表する神官となった時、その加護を授かった。死すべき時が来るまで、常に里神と共にあり世話をする事。生涯をかけて、守り抜く事。その証として。
代わりに里神となった精霊は、里に恵みをもたらす。空の民が祀るアルティネアは嵐の精霊。風害や雨害を退け、気候を安定に保つ。そのため作物はいつも豊作で、アルティネアだけでなく、里では神官の二人も敬われていた。
けれど、だからこそ徐々にその差が目立ち始める。優秀過ぎる兄と、平凡な弟。周りの環境全てが同じ過ぎたゆえに、それは一層際立ってしまう。
挙句の果てに同じ相手を好きになり、二人の間に決定的な溝が生まれた。
何か一つでも違っていたら、別の未来があったはずだ。しかし、悲劇は訪れた。
里神であるアルティネアを狙ったキメラクローゼンの襲撃。その際、守るはずの立場であった弟、ゼルが里を裏切ったのだ。
兄、グラドとの決別。そしてグラドがもっとも大切にしているアルティネアを奪うため。
その後、生き残り達の説得を振り切り里を抜けたグラドは、愛するひとを取り戻すために優しさを捨てた。怨敵の噂を聞きつければ即座に駆け付け、情報と命を奪う。
その身はやがて憎しみ一色に染まり果て、その耳には優しい声が届かなくなっていった。目に映る全ては灰色で、敵かそれ以外でしかものを識別出来ない。まるで機械のように敵を殺め続ける。
そんな日々の中にあってもなお、グラドの心に残ったもの。それが、アルティネアを想う愛だった。
だからこそ、精霊の加護が応える。グラドが危機に陥った時、最早グラド本人すら認識出来なくなっていたとしても、それは常に輝いていたのだ。
対してキメラクローゼンに取り入ったゼルは、里で培った膨大な精霊の知識を利用して、アルティネアの力を我が物とする。
精霊信仰の里では精霊との繋がりがより強く、当然その理解も深い。ゼルは精霊力という人の身に余るエネルギーを無駄なく活用する技術を開発。キメラクローゼンの発展の八割は彼の貢献によるものだといっても過言ではないだろう。
続いてその技術を兵器に流用。戦力の増強をも成し遂げた。そう、精霊爆弾もまた彼が作り出したものだ。
結果、ゼルはその功績を認められ、キメラクローゼンの最高幹部にまで上り詰める。
更に、キメラクローゼン構成員の手によって多くの精霊達がゼルの下に送られると、その犠牲と比例するようにゼルの知識と技術は飛躍した。
精霊に関する知識において、ゼルを超える人間はいないだろう。しかし、知識だけでは及ばない事が世界には溢れている。
それが、心だ。
いつからか、ゼルに与えられた加護から輝きは失われていた。ゼルは、その原因がアルティネアという意思の喪失によるものだと考えた。
しかし今、この時。グラドの腕に燦然と輝くアルティネアの加護を前にして、それが間違いだと気付かされたのだ。
同種の精霊からなる精霊武具以外にも、精霊爆弾を防ぐ手段があった。それは、精霊を利用する事しかしてこなかったキメラクローゼンには気付けない手段。人と精霊の絆の証。精霊の加護。
捨てた者と捨てられなかった者。両者の戦いは、そんな絆によって決したのであった。
その場を満たしていた精霊の力が尽きると、炎は幻のように消え去った。赤々と輝いていた周囲は瞬く間に夜の闇に覆われ、空の星々が煌きを取り戻していく。
夜空の下、鈍く重々しい音が僅かに響く。それは、ゼルの身体が地に転がった音である。喉元から血を流しながら空を見上げるその目は、既に白く濁っていた。
グラドは血に濡れた短剣を手にしたまま、その隣に佇み、小さく、微かに唇を動かし言葉を口にする。それは誰の耳にも聞こえないほどに、囁きよりも儚く、祈りよりも虚しい言葉。二人の里で詠われる、死者のための葬送句。
怒りも憎しみも喜びも悲しみも無い空っぽな顔で、グラドはゼルの胸にクロスボウの矢を落とす。そして僅かに残った力を注ぎ、蒼い炎を生み出した。
その炎は種火のように燻りながらも、徐々に勢いを増していく。
グラドは、それに背を向け歩き出した。行き先は、未だ青々と浮かぶ小さな村。
しかし、それは叶わない。
星空の下、鈍く重々しい音が力なく響く。それは、グラドの身体が地に伏した音であった。
「ここまで、か……」
グラドの身体は既に限界を迎えていたのだ。本来よりも長く継続していた禁術の効果。それは、生命までをも燃やしたからこそ得られた余命だった。
もうほとんど自由の利かない身体をどうにか動かし、グラドは仰向けに寝転ぶ。
「星は……もう、見えないな」
グラドはアルティネアとよく見た星座を探す。しかし無数のヒビが入った眼鏡では空が歪み焦点が定まらず、そのまま瞼を閉じた。
何も見えず、ただ風の音だけが耳元を掠めていく。身体は鉛のように重く、意識はまるで地の底にあるかのような、遠い感覚。
遣り残した事は何も無い。目的は達した。元よりそのつもりだったグラドは、ただ全てを委ねるようにして、意識を手放す。
そんな時だった。
『──────』
ふと微かな声が、さやさやとグラドの耳に届いた。それは今にも消え入りそうなほど淡く、曖昧な声。しかし、途端にグラドは目を見開き、霞む視界の中に想い人を探す。聞き間違えるはずの無い、アルティネアの声、アルティネアの姿を。
「アルティネア……。やっと、会えた」
その姿は、加護の紋様が浮かぶ腕の傍にあった。壊れたレンズの向こう、歪む景色の中にあっても、そこに映るアルティネアは記憶のままで、グラドは安堵の声を漏らす。
「──そう、か……。君は、ずっと一緒に、居てくれたの、か……」
ただそこに寄り添い、微笑みを浮かべるアルティネア。グラドはその顔を見つめたまま、失われた二人の時を取り戻そうとするかのように、ぽつりぽつりと言葉を紡ぎ始める。
「こんな、近く……居たのに……。気付けなかった、なんて……。──そうだね。眼鏡が、もう、合っていなかった……のかもしれない」
僅かに微笑みながら、グラドはもう動かないはずの腕を動かし、壊れた眼鏡を外す。そして歪みの無い視界にアルティネアの姿を浮かべ、小さく頷く。
「──ああ……、壊れてしまったよ。折角、君に選んで、もらったのにね。けど、だからかな。君がまた、見えた。──もう、大丈夫だ。君が、居るって分かった、から。もう、見失わないよ」
途切れ途切れにそう言って、グラドは少しだけ視線を彷徨わせると、再びアルティネアを見つめる。
「だから、また、新しいのを、買うからさ……。今度も、君が……選んで……──」
グラドは照れたように笑いながら、ゆっくりと目を閉じた。
全ての音が消え、その身に静寂が訪れた頃。人の、生命の、器の限界を超えたグラドの身体は塵となり、囁くように流れる風に攫われていった。残ったものは焼け焦げた服と、血染めの短剣、そして壊れた眼鏡だけ。
こうして一つの物語が幕を閉じた。やがて村を覆う蒼い炎も消え去り、闇が深まった時の事。それは果たして偶然か。岩場を吹き抜ける風の音が、そっと音階を奏で出す。優しく、まるで子守唄のようなその音色は、また、葬送曲のような嘆きを孕み、星が瞬く空の下に広く広く鳴り渡っていくのだった。
と、前哨戦完了です。
そういえば、人によっては今更かよ、なんて思うかもしれませんが……。
最近、気付きました。
油も調味料なのだと!
お陰様で野菜なども買えるようになり、最近は鶏肉とキャベツの炒め物などを作っているのですが、その際に使う油を先日買って来たのですよ。
今までは、とりあえずマーガリンでイインジャネー、って感じだったんですけどね。
油にまでこだわり始めるようになるなんて、自分も大きくなったものです。
で、折角だからという事で、お高い油を買ったんですよね。
トクホの油を!
で、油を使い肉を焼いていた時、気付いたんです。今までとは圧倒的に違う香りに。
もう、調味料なしでも美味しそうってくらいに良い匂いがするんですよねー。
油に拘る。
なんだか、更に上のステージに上がった気分です。