128 アイザック・マイヤー
百二十八
よく思い返せば、アイザックを目にしたのは昨日の深夜、ローズライン公国首都アイリーンにあるメルヴィル商会の倉庫街だ。セントポリーまではそれなりに距離もある。
ペガサスに乗って空を飛べるミラならば二、三時間程度だが、陸路になると半日以上はかかる事になるはずだ。
しかしアイザックは、今ここにいる。つまり、彼もまたペガサスに匹敵するような、何かしらの移動方法を有しているという事だろう。
(なかなか侮れぬ奴じゃな。しかし好都合じゃ)
更に初めて出会った場所を踏まえれば、アイザックがメルヴィル商会の関係者だと容易に想像出来る。
つまり、この場で開かれようとしている闇オークションには、メルヴィル商会が一枚かんでいる可能性が高いという訳だ。場合によっては、不明とされていた主催者こそがメルヴィル商会、などという事もありえるだろう。
詳細に調べ上げれば、決定的な情報だって得られるかもしれない。
ミラは警戒を強めながらも、だからこそ有力な手掛かりにもなりそうだと考え、アイザックのあとを追った。
闇オークション関係者らしき者達と何事か話しつつ、アイザックは地下施設内を巡っていく。話自体の内容は、出品順や手数料などなど運営に関わるものばかりで、キメラクローゼンやメルヴィル商会についての有力な情報はなかった。
しかし、そのやり取りの口調や態度から、アイザックは運営陣の中でも相当上の地位にいるだろう事が窺えた。
そうして約一時間ほど歩き回ったあと、今度は階段を上へ上へと昇っていく。
辿り着いたところには金属製の扉があり、アイザックはそこを開けて更に進み続ける。
扉の先は、荒野の岩場に繋がっていた。どうやら地下施設の出入り口は、あちらこちらに存在しているようだ。
現在地は、セントポリーの北北東にある岩山地帯で、十から数十メートル級の岩山が山脈のように連なり広がっている。
アイザックは、谷にあたる道をどこかに向かって迷う事無く進んでいた。足場は決して良いとは言えず、ミラは足音で気付かれぬよう、二十メートル程度の距離を空けて尾行する。
歩き続ける事、一時間弱。数が減る代わりに高さを増した岩山が周囲に聳え始めた頃だった。
「居るのはわかっている。何者だ!」
そう唐突に、アイザックが叫んだのだ。瞬間、足を止めたミラは、正面を見据えて構える。時間に制限があるため、全ての知覚を遮断する完全隠蔽は温存していた。代わりに視覚を誤魔化す光学迷彩を使用していたが、勘の鋭い者なら気付いてもおかしくはないだろう。
(ふむ……一筋縄ではいかぬか)
ばれてしまったのならば仕方が無い。こうなれば力づくで情報を聞き出そう。
と、ミラが決めた時だ。
「どうやら聞いた通り、雑兵という訳ではないようだな」
そんな声と共に、側面の岩山から一人の男が姿を現したのだ。その男は背が高く、しかし細身で赤紫色の長衣を纏っていた。腰に佩びるのは、細剣とクロスボウ。そして細長い楕円形の銀縁眼鏡と、灰色の瞳に頭髪。
(あやつ……あの時の)
ミラはその男の姿に見覚えがあった。そう、天秤の城塞で遭遇した空の民である。
「ふん、それだけ殺気を振りまいていれば気付かない方がどうかしているさ」
振り返ったアイザックは、岩山の上にいる男を睨みつけた。
同時に気付かれたのは自分ではないらしいと確信したミラは、巻き込まれないように、ゆっくりこそこそと移動を開始する。
「お前に訊きたい事がある。全て話してもらおう」
「訊きたい事だと? ふん、私をセントポリー貿易国外交官代表、レイトン・ノックスと知っての所業か?」
長衣の男が腰のクロスボウを手にして構えると、それを真っ直ぐ睨み返しながらアイザックはほくそ笑み、余裕を顔に浮かべた。
(セントポリー貿易国の外交官代表レイトンじゃと? 誰の事じゃ?)
アイザックの名は、確かにアイザックである。レイトンなどではない。どういう意味かと疑問を浮かべたミラだったが、その答えは直ぐに提示された。
「違うな。用があるのは、キメラクローゼン開発部副長である、アイザック・マイヤーだ」
長衣の男がそう言うと、動揺したのだろうか、アイザックの眉根が僅かに上がる。
「ならば人違いだろう。私の名はレイトン・ノックス。生憎と君が言うような人物には心当たりが無いな」
だが、それはほんの一瞬、彼は淡々とした声で否定した。
そんな二人のそのやりとりで、ミラはまず一つ把握する。セントポリー貿易国外交官レイトン・ノックス。こちらが隠れ蓑となる身分なのだと。
「惚けても無駄だ。お前の部下である三人から既に証言は得ている」
長衣の男はクロスボウに続き剣も抜き放つと、その切っ先をアイザックに向け薄っすら笑みを浮かべる。しかしそれは犯人を追い詰める探偵のようなものではなく、相手を殺す正当性を見つけたとでもいうような、歪んだものにみえた。
「三人……。そうか、連絡がつかなくなったのは貴様の仕業か。しかもその殺意、五十鈴連盟ではなさそうだな。濁り過ぎている。一体何者だ?」
証言をしたという部下の三人。その者達に心当たりがあるのか、アイザックの表情が一変する。そして彼は偽る事を止め、腰の短杖を手にして長衣の男に向けた。
「お前が知る必要はない」
ただ酷く冷徹な声でそう返した長衣の男は、言うと同時、トリガーを引く。放れたクロスボウの矢は、一直線にアイザックの額へ迫った。
だが直前で、矢は炎に包まれ燃え尽きる。
魔術だ。アイザックの短杖から迸った炎が高速で飛来する矢を撃ち落したのだ。それは魔術士として相当な技量があると窺える一撃で、ミラは敵ながら天晴れと感心し、暫く傍観する事に決める。
間髪入れずアイザックが二撃目の炎を撃ち出すと、今度は長衣の男も青い炎を放った。退魔の蒼炎だ。
赤と蒼は二人の間で衝突し、爆炎を撒き散らす。
そしてそれを合図にして、二人の戦いが始まった。
長衣の男とアイザック。二人の戦いは壮絶であった。
遠距離では魔術士であるアイザックがやや有利か。多くの属性や、その特性を巧みに利用して長衣の男を翻弄する。
更にアイザックは、黒霧石を利用した武器も所持していた。そしてこの黒霧石由来の武器、錬金術師ヨハンから預かった資料によれば精霊を蝕む以外にも、加工によって特殊な効果が発生するという事だ。
アイザックが手にするのは、刃が螺旋に捻じれた黒い短剣。ひとたび振るわれると黒い霧が生まれ、それに触れた全ての攻撃が長衣の男に返っていく。
攻撃の反射。それが螺旋短剣が秘める効果だった。
遠距離からの攻撃は全てこの霧で反射され、ボウガンは完全に無力化、されたかに見えた。
ボウガンから矢が打ち出されると、アイザックは慣れた手付きで螺旋短剣を振るい霧を生む。
そして矢が霧に触れた時、水飛沫が舞い上がったのだ。
「これは!」
微かに光るその水は、退魔術の触媒である聖水だった。長衣の男が、聖水が仕込まれたクロスボウの矢を反射の直前で炸裂させたようだ。
とはいえ、聖水は聖水だ。それ自体に攻撃性は無い。しかし、術の触媒として使用されたならば、その限りではなかった。
【退魔神法:断罪の蒼炎】
長衣の男が退魔術を発動させる。すると同時、それはまるで油のように燃え盛り、アイザックを青い炎で包み込んだ。
「くそっ、小癪な真似を!」
炎に囲まれたアイザックは、燃えた外套を脱ぎ捨て、その場から大きく飛び退いた。
その直後、細剣の切っ先がアイザックに迫る。長衣の男は僅かな内に急接近していた。不意をついた炎すら、ただの目くらましだったのだ。
細剣がアイザックの肩を捉える。
瞬間、甲高い金属音が響き渡った。
「これに反応出来るとはな」
長衣の男が多少感心したように呟く。見れば切っ先は刺さる事無く、咄嗟に割り込んだ短杖の先端を抉っているだけだった。
「ふん、残念だったな」
螺旋短剣でクロスボウを制しながら、アイザックは至近距離で魔術を発動させた。それは強烈な風を巻き起こす術であり、長衣の男諸共、弾き飛ばされるようにアイザックは宙を舞う。
そして二人は、ほぼ同時に着地する。立ち位置は戦闘開始とほぼ同じ。得てして、アイザックが最も得意とする遠距離だった。
魔術は瞬間火力においては全種の術のトップである。一撃でも入れば重傷は免れないが、今回アイザックは上手く威力を調整し、苦手な接近戦を回避するという使い方をしたようだ。己の力量を熟知した戦術だった。
再び、アイザックの魔術が怒涛の勢いで長衣の男を襲う。雷が落ち、氷の飛礫が降り注ぎ、暴風によって長衣の男の動きが制限される。
長衣の男は再度接近を試みるものの、弾幕とも言うべき激しい魔術の応酬に、防戦一方だ。
しかし、長衣の男の顔には焦り一つ浮かんでいない。ただ細められたその目からは、射殺すような眼差しがアイザックに向けられていた。それは正に、狩る側の目であった。
対してアイザックは、若干の焦りを浮かべていた。魔術を撃ち続けていた彼のマナは、そろそろ限界だったのだ。それでいて長衣の男は、ことごとく全ての直撃を避けている。
このままではまずい。アイザックはそう意識した時、彼に好機が訪れた。
直前で回避された落雷が、長衣の男の足場を粉砕したのである。
「くたばれ!」
長衣の男が大きく体勢を崩す。アイザックはその隙を逃すまいと、残りのマナをありったけ込めて無数の炎弾を放った。
まるで大砲のような爆音を響かせて、炎弾が次々と着弾する。黒煙があがり、大地が微かに震えた。
それは魔術の真骨頂ともいえる瞬間火力だった。上級の魔物でも、致命は免れないだろう。
「ばかな……」
だが、長衣の男はそこに立っていた。見ると薄い膜のようなものが男を覆っている。
それは結界だ。今回使われたのは【結界術:炎防陣】。退魔術の一つであり、種類ごとに様々な効果を発揮する守りの術だ。
とはいえアイザックの魔術は相当なもので、結界はそのあと直ぐに消滅した。
長衣の男は健在のまま、ゆっくりと歩を進め始める。
「くそっ!」
既に限界のアイザック。長衣の男を足止めするマナは、もう残っていない。しかし炎弾を超える威力があれば結界を破れるはず。そう判断した彼は短杖を捨て、懐から取り出した切り札を迷わず振り下ろした。
それは短剣である。しかもただの短剣ではない。精霊の力が宿っていたのだ。
瞬間、炎の嵐が生まれた。地の底から響いてくるかのような轟音、周囲一帯を蒸発させてしまうのではないかという熱量、そして毒々しく渦巻く赤の光。無理矢理奪われた精霊の無念が恨みとなり、炎となり、長衣の男に襲い掛かった。
『鎮まりたまえ』
焼却のみを内包する炎の波。人の身では抗えないだろうと思わせる圧倒的な精霊の力。しかし、長衣の男がただ一言を紡いだ、その時。猛り狂った豪炎が、それこそ魔法のように霧散した。
「なんだと!?」
余程自信があったのだろう、大きく目を見開いたアイザックは、呆然とした様子で中空を睨み肩を震わせる。そこに残るのは、ただ熱せられた空気だけであり、それも間もなく霧散していった。
それは正に必殺の一撃だった。しかしそれを理解の及ばぬ何かで無力化されたとあっては、動揺が生じるのも仕方がない。アイザックは決定的な隙を晒してしまう。
そして当然、常にアイザックを捉えていた長衣の男の目は、それを見逃すはずもなかった。
動揺したといっても、実際は一秒もなかっただろう。だが、その瞬間、アイザックの膝をボウガンの矢が貫いた。
声にならない声をあげて、倒れ込むアイザック。そこへ更に二射目が飛来し、今度は肘を穿つ。同時に、その手に握られた精霊の短剣が地面に転がる。
「お前の負けだ」
機動力を封じ、攻撃力も封じ、それでも長衣の男は油断なく歩み寄り、落ちていた短剣を細剣で弾き飛ばした。アイザックは苦しげな顔で男を見上げ、忌々しげに睨み付ける。
直後、アイザックはなけなしのマナで《火炎》を発動した。
魔術の初歩とはいえ、熟練者が使えば侮れない威力を持つ火の玉。目と鼻の先で放たれたその火弾を、長衣の男は切り捨てる。
それでも足掻きはまだ終わらない。アイザックは続けざまに、もう片方の手に持った螺旋短剣を投げつけたのだ。
微かな炎の揺らめきに隠れ飛来する短剣。だが長衣の男は見えているかのようにクロスボウを一振りしてそれを弾くと、一瞬で照準をつけてその片方の肘も射抜いた。共に苦悶の声が響く。
それは、隣で誰かが助言しているのではと疑いたくなる程の、圧倒的な反応速度だった。
「では、答えろ。お前達の仲間にゼル・シェダルという男がいるはずだ。そいつは今、どこにいる?」
長衣の男はボウガンを照準をアイザックの額に移し、恐ろしく冷たい声でそう問うた。
今更ですが、食パンのコスパの良さに気付きました。
8枚入り税込みで80円!
そして次に取り出しますは、業務用焼きそば!
1kgで税込み180円!
おおっと、この組み合わせはもしや……。
フフフ。真似してもよろしくてよ。
そして週一用の贅沢、あおり炒めの焼豚チャーハン!
この布陣、もはや死角なし!