126 三つの手段
百二十六
「こういうのもなんだけどさ、なんで最初からヨハンさんを監禁しなかったんだろうね? そうした方が屋敷の周りに多くの見張りとか立たせる必要もないし、監視も楽だと思うんだけど」
サソリは腕を組み小首を傾げる。
「確かに、そうじゃな。近くに置いておくと何か不都合があった。とも、考えられそうじゃ」
サソリがいうように、ヨハンの状態は非効率的といえた。母子を監禁してしてしまうという手段がとれるならば、首輪をつけるだけでなく閉じ込めてしまった方が早いはずだ。しかしヨハンは郊外の屋敷におり、外部から雇い入れた見張りを付けられていた。そこには何か意味があるのではないだろうか。
そう思ったミラは、何となくミレーヌに視線を向ける。同時、ココアのカップに口を付けていたミレーヌの背筋がびくりと伸びた。
「ミレーヌよ。黒霧石の加工について、特に注意事項があれば、そこを詳しく聞かせてくれぬか?」
「注意事項、ですか? えっと……分かりました」
ミラが言うと、ミレーヌは迷いながらも師匠を助け出すためならと頷き、部外秘の情報を口にした。
そしてミレーヌが語ったそれは、ヨハンが見張り付きの屋敷にいた理由を見事に納得させられるものであった。
曰く、黒霧石の加工前には、精霊武具といった精霊に関する品を遠ざけておく必要があるという。そうしなければ、精霊武具が壊れてしまうのだと。
加工には、第一から第五までの工程があり、進むにつれてその影響範囲も拡大するらしい。
「最初は二メートルくらいなんですが、最終工程では半径一キロメートルにまで影響が及ぶそうです。私は第一工程までしか出来ないので詳しくは分かりませんが」
そこまで説明したミレーヌは、コップに残ったココアを一気に呷ると、ふっと大きく息を吐く。少し緊張が解けた、そんな様子だ。
「やはりそうか。なんとも厄介な性質じゃな」
つまり黒霧石を加工する際、そこに秘められた呪いが何らかの作用を引き起こすのだろうとミラは考えた。それにより周囲にある精霊武具などの根源である精霊力が消されるのだろうと。
キメラクローゼンといえば精霊を攫い、その力を利用している。ならば当然、本拠地ともなると大量の精霊力で溢れていると思われる。そんなところで加工をすれば、それはもう大惨事だ。
ゆえに、もっとも見張り易く手間のかからない本拠地にヨハンを監禁せず、母子を枷として屋敷に置いておいたのだろう。
「ところで先程、お主は第一工程までは出来ると言うたな。もし出来るなら、見せてはくれぬじゃろうか?」
そう言ってミラは、センキの埋葬地から証拠品代わりに回収してきていた黒霧石をアイテムボックスから取り出し、ミレーヌ前のテーブルに置いた。
「はい……。えっと、そう仰るのなら」
そう答えたミレーヌは、リビングの隅に置いてあったカバンを持ってくる。攫う際に回収しておいたミレーヌの所持品だ。
そのカバンから幾つかの器具を取り出したミレーヌは、てきぱきと理科の実験のような準備を始める。ヨハンから貰った宝物だそうで、肌身離さず持ち歩いているらしい。
そして一通り整うと、今度はカバンから白い袋を取り出した。
「精霊武具は持ってないですか?」
袋を手にしたまま、ミレーヌがそう問いかける。持っていないと三人が答えると、ミレーヌは「なら、大丈夫ですね」と言って袋をカバンへ戻し椅子に腰掛けた。
「時に、今手にしていた袋はなんじゃ?」
思わせぶりにミレーヌが取り出した袋。それが何なのか気になったミラは、ミレーヌのカバンを見つめ、そう口にする。
「あの袋は、専用の梱包材でして、加工の影響から精霊武具などを守る事が出来ます」
「ほほぅ、そのようなものがのぅ」
ミレーヌが説明すると、ミラは感心したように声をあげ、実験器具の並ぶテーブルに視線を戻した。
「加工についてですが、先程言ったとおり私はまだ初歩しか教わっていないので、見せられるのは黒霧石を液体にするまでです。それでもいいですか?」
「うむ、それで構わぬ」
確認するように問うミレーヌにミラは小さく頷き返す。
見習いとはいえやはりプロ意識があるのだろう、器具の前に座ったミレーヌの表情は、これまでと違い随分と落ち着き真剣な色を湛えていた。
そして、ミレーヌの加工が始まる。
黒霧石を砕き、半分を欠片、半分を粉末にしていく。
粉末を水に溶かして加熱し、黒い湯が煮え立ったら、そこに欠片を投入。あとはそのまま、欠片がなくなるまで掻き混ぜる。
ここまでがミレーヌの出来る全てで、第一工程というらしい。加工自体はあと四工程残っており、次に進むには、この状態で一日置き安定させる必要があるそうだ。
「なんだか、気持ち悪い水だね」
粘りつくようなとろみのある黒い液体を見つめながら、サソリは眉根を寄せる。ヘビも心なしか表情を顰めていた。
見る限り、加工自体は実に単純なものだった。
だがその最中、ミラは時折、部屋の隅にも届かない程度だが、薄っすらとした黒い波紋のようなものが容器から広がっていくのを確認していた。そしてこれが精霊力を消し去る呪いなのだと直感する。
「一つ思いついたのじゃが、先程の袋、専用の梱包材なのじゃろう? ならば、その素材で部屋を覆ってしまえば、どこでも加工出来るのではないか?」
確かな現象を目の当たりにしたミラは、同時に浮かんだ疑問を口にすると、部屋の隅に置かれたカバンに再び視線を向ける。
「はい。確かにそうすれば、どこでも加工出来ると思います。梱包材を作るための素材は高価ですが、そのキメラという悪い人達は惜しまないでしょうし」
そう言いながらミレーヌは立ち上がり、カバンから小さな白い欠片とコートを手にして戻る。
「ただ、きっと彼らはこの存在自体を知らないと思います。これは師匠が独自に作ったものですし、そんなに悪い人達には絶対に教えないはずですから」
余程ヨハンを信じているのだろう、ミレーヌは真っ直ぐミラを見つめ返してそう言葉にすると、手にした白い欠片を黒い液体の中に落としてみせた。
するとどうだろうか、黒い液体がみるみる薄まり、灰色を越えると更に白く染まっていった。それと同時にミラは、呪いの波紋が掻き消えたのを確認する。
「今のなに。なに入れたの?」
容器を凝視しながら、サソリが捲くし立てるように声をあげた。気味の悪い液体から、純白のさらさらとした液体に変化したのだ。驚くのも無理はない。
「えっと、天寿石の欠片です。液体の状態でのみですが、黒霧石の効果を抑える事が出来ます。そして梱包材は、この天寿石を加工して作ります」
そう口にしたミレーヌは、容器をかき回していた手を止める。すると液体だったそれは、みるみる凝固し、石のように固まった。ミレーヌはそれを取り出しながら、「こうなれば、ゴミと一緒に捨てられます」と言って笑ってみせる。
「それと、このコートは精霊武具ですが、天寿石を使った特別な溶液に浸したので、影響を受けません」
続けてミレーヌは、誇らしげにコートを掲げた。ヨハンからのプレゼントだと言っていた精霊武具のコートだ。
「そんな事も出来るんだ。凄い」
「うん、これは重要」
ミレーヌが言った内容、それはつまり、忌まわしいキメラクローゼンの武装に対抗出来る可能性を示唆するものだった。
精霊達の味方となり保護する組織、五十鈴連盟。そのメンバーの多くは、精霊武具を所持している。当然、正の精霊武具だ。しかし、それゆえに、キメラクローゼンが使う黒い武器は悩みの種であった。
しかし今回の話で、そこに光明が見えたのだ。サソリとヘビの表情は実に明るい。
「ふーむ、なるほどのぅ」
ミラは椅子に深く座り直すと顎先に指を沿え、得心がいったというように頷き、要点をまとめる。
黒霧石の加工は、精霊の力が周囲に無い状態で行う必要がある。そして、キメラクローゼンの本拠地にそのような場所は無いだろう。
それを解決する素材は、ヨハンが独自に開発したものであり、キメラクローゼンには知られていない。
つまり、ヨハンが連れて行かれた場所は、キメラクローゼンの本部ではなく、周囲に精霊の力を利用した品が一切ない場所であるという可能性が高い。
「とりあえず、精霊の力を利用していないメルヴィル商会関係の施設とかを当たってみるのがいいかな」
「そうじゃな。まずは、そうするしかないじゃろう」
得られた情報を合わせ結論を出すと、サソリがこれからの大まかな方針を提示しミラも同意する。
キメラクローゼンの本拠地に比べれば、幾分か難度は下がるだろう。とはいえ、メルヴィル商会はローズライン公国で現在一番の成長株だ。建造中を含めれば方々に無数の施設があるだろう。調べる必要がある場所は、実に広大だ。
だからといって三人が尻込みするはずもない。今出来る事が地道な調査で絞り込む事くらいならば、それを徹底的にこなすだけである。
「あとは、黒霧石を加工するのを見張るくらいかのぅ。半径一キロにまで影響するという事なら、あの黒い波は壁を抜ける性質があるのじゃろ? そいつを外から確認すれば一気に見当が付きそうじゃ。問題は、監禁されたヨハンがいつ加工を──」
「ちょっとミラちゃん。待って待って」
ミラが考えを思いつくまま口にしていた途中、サソリが困惑した表情を浮かべ遮るように声をあげた。
「む、なんじゃ?」
「色々分からないんだけど、さっき言った黒い波って何の事なの? 黒霧石の加工とどう関係あるの?」
見ればサソリに同意するようヘビとミレーヌも疑問を顔に貼り付けていた。ミラはそんな三人を見回すと、その質問の意味に首を傾げる。黒霧石加工の第一工程の時に見えていたではないかと。
「何と言われてものぅ。ほれ、ミレーヌが加工していた時に、そこから出ていたじゃろうが」
ミラは、ミレーヌが作った白い塊を指差すと、身振り手振りを交えその時の事を説明した。
粉末を溶かした黒い液体に欠片を入れた時から、脈動するように薄く黒い波紋が周囲へ広がり始めたと。そしてそれは天寿石の欠片を入れた途端に収まり、今は見えない。
更にミラは、状況と見た目からして、あの黒い波紋が精霊力を消し去る元凶だと思われる事。部屋の外にも影響が出るというなら、工程が進み範囲が広がれば広がるほど、外からでも観測し易くなるだろう事。その結果、ヨハンの居場所に見当がつけられるだろう。そうミラは語った。
「そんなの見えなかったけど……」
「見えなかった」
「えっと、私もです」
サソリとヘビ、ミレーヌは三人で顔を見合わせたあと、ミラに向き直りそう口にした。どうやら、本当にミラが言っているものが何なのか分からないようだ。
「なんと……。では、わしだけ見えたという事か?」
そう呟いたミラは、一つため息をついてから腕を組み椅子にもたれかかって天井を見上げた。そして、三人が見えていなかろうと見えたものは見えたので、自分が見張り役をすればいいと結論する。
(ふーむ。もしや精霊王の加護の影響じゃろうか)
更にミラは、なぜ自分だけ見えたのかと考え、一つの大きな違いを要因として思いついた。話によれば、精霊王の加護と聖剣サンクティアを使う事で、鬼の呪いを浄化出来るという。ならば、その加護の力に知覚出来るようになる何かがあってもおかしくはないだろう。
なんとなくだがそう感じたミラは、精霊王の加護が馴染んできたのかと思いながら、虚空に向かってにやりとほくそ笑む。精霊王の加護は、ミラもまだ知らない未知の力であり、どうにも期待が抑えきれない様子だ。
ちなみに精霊の加護を馴染ませるには、大きく分けて二つある。その精霊が司る場所に身を置くか、その精霊が司る属性を行使するかだ。
そして精霊の加護が馴染めば馴染むほど、単純に影響が強くなっていく。
なのでミラは折角得たのだからと、精霊王の加護を馴染ませるために何かと努力していた。といっても方法は簡単で、暇があれば精霊王と一番関係が深そうな聖剣サンクティアで遊ん……訓練するだけである。
「まあ、そういう訳じゃからのぅ、わしが見張るとしよう。きっと加工が始まれば分かるはずじゃ」
訓練の効果により、鬼の呪いの波動を見られるようになったのだろう。そう適当に理由を付けて納得したミラは、自信満々に自分の役目を決めた。
「分かった。じゃあ、ミラちゃんには見張っていてもらう事にして、私とヘビは直ぐに加工作業が始まらなかった時のため、メルヴィル商会の施設を一つずつ当たっていく。とかでいいかな」
「それが確実」
「うむ、そうじゃな。それが良いじゃろう」
サソリが今後の動きについてまとめを提示すると、ヘビとミラもそれに同意を示し、一先ずこれからの方針が固まった。
「おお、そうじゃ。時にミレーヌよ。ちと聞いてもよいか?」
行動開始とばかりに準備を始める中、アイリーンの街の地図を眺めていたミラは、ふと思いついたように顔をあげた。
「なんでしょうか?」
錬金術の工具を片付けていたミレーヌは、その手を止めて振り返る。
「お主がしていたあのマスクじゃが、あれの出所は分かるか?」
あのマスク。それは探知の術がかかっていた、怪しいデザインのマスクの事だ。下手に持ち歩く事も出来ないため、宿に放置したままである。
「出所、ですか? えっと、メルヴィル商会の施設に入るための通行証代わりだって師匠がくれたんですけど、出所までは……」
「ふむ、分からぬか。つまりヨハンが作ったものでもないという事じゃな?」
思い出すよう中空を見つめながらミレーヌが答えると、ミラは更に問いを口にする。マスクには、メルヴィル商会の施設にある魔力感知装置の反応を無効化出来る機能が組み込まれていた。だからこそ通行証なのだろう。
「師匠は錬金術だけですから、術具はからっきしです」
「となれば、別の誰かが作ったという事かのぅ」
ヨハンは、術具を作る事が出来ないようだ。似ているようで分野がまったく違うのだから当然ともいえる。
「では、作ったのが誰か知っておるか?」
納得したミラは、そう続けた。マスクが作られたものだとするなら、そこから依頼主を辿る事で何かしらの手掛かりが掴めるかもしれない。ミラはそう考えていたのだ。
そしてサソリとヘビも、二人のやりとりがきになったのか、足を止めてミレーヌに注目する。
「誰か、ですか……。えっと……んっと……」
腕を組み瞼を閉じたミレーヌは、うわ言を口にしながら眉間に皺を寄せる。そして、そこから更に表情を一周させた時、ミレーヌは不意に「あ!」と声をあげた。
「そういえば……箱が……。えっと、箱のまま受け取って……。白い箱で……。なんだっけ……。なんとか工房って……」
何か記憶の中に心当たりがあったようだ。当時の動きを再現しているのだろうか、ミレーヌはおかしな身振り手振りを繰り返しながら、ぶつぶつと呟き始めた。
「あの、すみません。この子がお腹空いたと……」
ミラ達が固唾を呑んで見守る中、ふと奥の扉が開き、そこから申し訳なさそうにアンジェリークが顔を覗かせた。その傍らには、少々戸惑いを浮かべたアンネの姿もある。
と、その時だ。
「あ、思い出した! オールフラット工房だ!」
アンジェリークの姿を見た直後、ミレーヌはこれでもかというくらいに瞳を輝かせてそう叫んだ。これが俗にいうアハ体験というものだろうか、実に清清しい笑顔をしている。だがその視線の先に佇むアンジェリークは、不意に表情を凍らせた。
「ちょっと、ミレーヌさん。なぜ私を見て、その、オールフラット工房というのを思い出したのかしら?」
それは一瞬だった。静かに燃え盛る炎を瞳に宿したアンジェリークは、瞬く間にミレーヌの目と鼻の先に迫っていたのだ。
「えっと、奥様、それは、ですね……」
しどろもどろに言いよどみながら、ミレーヌはアンジェリークの胸元にちらりと視線を向けてしまう。それが決定打となったのか、ミレーヌの周囲は快晴から一転、暗雲が立ち込め始める。そして彼女は、静かに鳴り響く雷鳴に身を竦める事になるのだった。
嵐が過ぎ去ったあと、軽い朝食を作ったアンジェリークは「失礼しました」と言い、再び奥の部屋に戻っていった。その後ろ姿を直立不動で見送ったミレーヌは、途端にテーブルへ突っ伏した。ミレーヌ曰く、普段は優しいアンジェリークだが、ある一点について触れると、こうなる、という事だ。
ちらりとヘビに視線を向けたミラは、二人が風呂場で鉢合わせない事を心から祈るのだった。
そんなちょっとした騒動を経て、話はマスクの製造元に戻る。
ただ持ち主であったミレーヌは、そのオールフラット工房がどういった工房なのか知らないそうだ。
だが代わりに、ヘビが知っていた。ヘビは、この街に来てからメルヴィル商会の繋がりに関して調査をしていたらしく、その中にオールフラット工房の名があったという。
とはいえヘビの話によれば、その工房はまだメルヴィル商会の傘下ではないようだ。勧誘を受けているが、今は断っている状況だという。
そんな工房の業務内容だが、どうやら様々な術具を専門に製作しているという事であった。
「ふむ、術具専門店という事か。勧誘を受けているとなれば、腕前も確かなのじゃろうな」
ヘビの話を聞き終えるとミラはそう呟いて、ある可能性を思い浮かべる。メルヴィル商会の施設にあった魔力感知器は、オールフラット工房製だったのではないかと。
「それでミラちゃん。そのマスクがどうかしたの?」
術具だったとはいえ、それほど脅威になる術がかけられていたわけではない。ではなぜ行動開始直前でその事に触れたのかと、サソリは疑問を口にする。
「いやなに、大した事ではない。あのマスクが作れるものだとしたら、それを作った者は何者かと思うてな」
そう言ってミラは、マスクにかけられていた探知の術の他もう一つ、魔力感知を無効化する仕掛けを挙げて話した。
倉庫街からの脱出時に垣間見た魔力感知装置の性能は、警備網の要にもなりうる確かなものだった。
そんな警備を抜けるための仕掛けを施せるとなれば、つまり魔力感知の装置自体も、その工房が開発したと考えられる。
となれば、あれだけ大掛かりな装置だ、定期的なメンテナンスや故障時の対応なども必要になるだろう。
そうであれば、工房側には装置の設置箇所などについての、いわば顧客情報が控えられている確率が高く、それを調べれば表からは確認出来ないメルヴィル商会の重要な施設などを発見出来るかもしれない。
場合によっては、キメラが直接関係する施設や、ヨハンの監禁場所についての手掛かりを入手出来る可能性もある。
「と、そういう訳じゃが。こういうのは信頼が何よりも重要じゃからな。見せてくれと頼んで見られるものではないじゃろう」
予想通りに上手くいけば、数多くの情報を得られる好機であるが、やはりその点が問題であった。
工房がメルヴィル商会に関わっているとはいえ、その仕事内容は至って真っ当なものだ。加えてヘビの調査によると、利用者も多い信頼のある工房だという。
キメラクローゼンが相手ならば手荒にも出来るが、ただの商売人となれば、そうもいかないのは当然だ。
「ならやっぱり潜入するしかないよね」
「そうなるじゃろうな」
一般に迷惑はかけられない。また正面から行って見せてもらえるようなものでもない。理由の全てを打ち明けて良心を刺激するという手もあるが、メルヴィル商会に目を付けられる恐れが強く、そもそもそこまでの良心を持ち合わせているかも不明である。
だが情報は欲しい。そうなればもう、誰にも気付かれないように情報だけを盗み出すしか方法は無いだろう。
「まあこれで、丁度良く方法が三つ出たわけだね」
そう口にしてから、サソリは各々を見回した。
現在の最優先目標は、メルヴィル商会とキメラクローゼンの関係を証言出来る、生き証人ヨハンの救出だ。
そしてどこへ連れ去られたのか不明な彼を見つけ出すための作戦が、話し合いの結果、三種挙がった。
一つ目は、黒霧石の加工によって発生する特殊な波動を捉える事。ただこれは、ミラでなければ観測が出来ない。
二つ目は、その波動に起因しているだろう影響を想定した捜索だ。黒霧石を加工する際、近くに精霊武具や精霊の力を利用した道具等があった場合、その力を消してしまうという副作用が発生する。ゆえに加工出来る場所も限られてくるため、当たりが付け易くなるわけだ。
三つ目は、オールフラット工房に控えてあると思われる、魔力感知器を設置した場所についての顧客情報の入手だ。その中から、倉庫街とは別のメルヴィル商会名義の施設がないか探るのである。もしあったならば、そこには警備を厳重にするだけの何かがあるという事だろう。もしも、その場所の周囲に精霊関連のものがなければ、ヨハンが監禁されている可能性も生まれるわけだ。
「とりあえず、工房は私の担当かな」
「私は、精霊と無縁の施設を探す」
「わしは、ひたすら観測じゃな」
各々の担当を口にした三人は、テーブルのカップに残ったココアを同時に飲み干した。
潜入工作に長けるサソリは、工房に忍び込む。術士であり精霊を知覚出来るヘビは、精霊の力が周囲に無い施設の捜索。そしてミラは、黒霧石の加工時に発生する波動を観測するための見張りと決まった。
ただ、ヨハンが黒霧石の加工を再開するには多少の時間を要するだろう。屋敷を見た限り急に連れ出されたという状態だったため、必要な器具などが揃っていないと予想出来るからだ。この点に関してミレーヌに訊いてみたところ、黒霧石の加工には特別な器具が幾つも必要なため、一朝一夕では準備出来ないはずだという事だ。
つまりミラは、観測とは言ったものの、多少の猶予もあった。
そうして次に集合する日時を決めた三人は、アンジェリークとミレーヌに、ヨハンの事は任せろと約束してから地下室をあとにした。
イーバテス商会事務棟の一階倉庫。隠し扉が閉まるのを見ていたミラは、サソリにもう一度開け方を訊き、アイテムボックスにあった適当な紙にそれを書き記していた。パズルのような事を記憶するのは苦手なのだ。
周りは術具や書類でごちゃごちゃとする薄暗い倉庫の中。サソリにメモした内容が合っているか確認したあと、アイテムボックスに紙と高級そうな万年筆を戻す。と、そんな時、ふと一つの書類がミラの目に留まった。
「っと、そうじゃった。忘れておったわ」
そう呟いて、ミラはその書類を取り出す。それは、数十枚にも及ぶ紙の束であった。
「あ、それって」
サソリも思い出したようだ。だがヘビはそれを受け取った時にいなかったため当然分からず、ミラの手元を覗き込みながら「これは?」と問いかけた。
「ヨハンから預かった、黒霧石についての資料じゃよ」
ミラは無形術で明かりを生み出すと、書類の表紙を捲ってみせる。そして暫く、三人は顔を寄せ合って、その記述に目を通していった。
そこには、黒霧石の加工方法や他物質との結合法、数々の研究成果に一定の組み合わせで現れる特性などが記載されていた。
そして注目するのは、後半のページだ。そこには黒霧石の様々な加工品を相手にした時の対抗手段などが、事細かく書き込まれていたのだ。
妻と娘のために従いながらも決して屈せず、そして非人道的な物質を作る自身を断罪するかのようなヨハンの気迫が、その資料からは見て取れた。
加えて記述の中には鬼という文字も記されている。鬼と精霊の関係。知る者の少ない希少な情報だ。
ゆえに、この資料の信憑性が遥かに増すというものである。そしてこの資料を託したヨハンの想いもまた確かにミラ達へ伝わったのだった。
「どうにも戦況を左右しそうな情報じゃのぅ。早めに、あの娘っ子……ウズメの元へ届けておいた方が良いかもしれぬな」
一通り読み終えたミラは顎先に指を添えながら、思った以上に重大だった記述内容に苦笑いを浮かべる。
「うん、そうだね。本部には職人さんも多いし、早ければ早いだけ書いてあった対抗手段をいっぱい再現出来るかも」
「優先するべき」
サソリとヘビもまた同意するよう、そう口にした。対抗手段として記されていた内容には、手間のかかるものが多い。資料を良く解析して、尚且つ素材を揃え加工するには、それなりの時間が必要になるだろう。
戦い備えるため、少しでも早く準備を始めた方がいい。そう三人の意見が一致する。
「では、わしが届けてこよう。黒霧石の加工が再開するにも数日を要するはずじゃ。加工段階を踏まえれば今日明日で外から観測出来るほどに影響は大きくならぬじゃろうしのぅ」
ペガサスに乗って往復すれば、二、三日で帰ってこれる。そう考えたミラは、配達を引き受けると申し出た。
黒霧石の加工により発生する黒い波紋は、加工の段階が進むにつれて範囲が広がるという。たとえ昨日の今日で設備を整え作業を開始したとしても、二、三日程度ならばミラの言う通り、外に影響が出るまでにはならないだろう。充分に間に合うだけの余裕があると考えられた。
「分かった。ミラちゃんに任せるね。ただ、そのくらいの大きさなら、もっと良い方法があるよ!」
サソリは考える素振りもなく即同意したあと、どこか自慢げにそう言った。そして、五十鈴連盟には特別な配達方法があると続け、その概要を口にする。
その方法とは、数多くの街にある五十鈴連盟の支部から、本部に特急便を要請するものだという。
緊急性が高い時に使われる手段だそうで、半日もあれば本部に届くという話だ。
「この街には支部がない。あるのはセントポリー。商業区南の外れ」
サソリが説明し終えると、ヘビはそう言いながら地図を取り出し、支部があるという地点を指し示して見せた。
「うむ、把握した」
地図を覗き込みその場所を確認したミラは、先日空から見下ろしたセントポリーの街を思い浮かべつつ、あのあたりだろうと当たりをつける。
「それと合言葉。『森に光、精霊に安らぎ』と支部長に告げれば、本部直通の通信機が使える。それで要請する」
「ふむ、森に光、精霊に安らぎ、じゃな。分かった」
そう答えながらもミラは再び紙と万年筆を取り出して、しかと合言葉を書き留めたのだった。
先日、遂にペヤングが近くのスーパーに入荷されました!
まだまだ品不足なのか前に比べて高めですが、懐かしの味に歓喜。