125 感動の再会?
百二十五
イーバテス商会地下の隠し部屋。その寝室で目を覚ましたミラは、ぼんやりとした頭のまま起き上がり室内を見回す。
地下なので当然窓はなく、外の様子は窺えない。見上げれば、眠りを妨げない程度の淡い光が天井に灯っていた。腕輪型端末を操作して現在時刻を確認すると、早朝を少し過ぎた程度だと分かる。
ふと左を見てみると抜け殻になったベッドが。そこからもう一つ奥へ視線を向ければ、そこには半裸で眠るヘビの妖艶な姿があった。
(ありがたや、ありがたや)
ヘビに向かって手を合わせたミラは、朝一番の眼福に感謝する。だがそれでは終わらない。折角なのでと、そこから更に接近を試みようとミラは立ち上がる。と、その時、ミラは今まで寝ていたベッドの頭側に魔導ローブセットが掛けられているのを発見した。脱いだ覚えどころか、寝る前の記憶も曖昧なミラは、ここでようやく自分自身も半裸である事に気付く。
(一つの部屋に、半裸の美少女が二人。そそるシチュエーションじゃのぅ)
まだ若干夢うつつなのか、朝特有のモヤモヤが尾を引いているのか、ミラの妄想には自重がなかった。
それからミラはワンピースだけに袖を通し、もう一度ヘビを存分に拝んでから寝室をあとにする。
「おはよう、ミラちゃん」
「おはようございます、ミラさん」
リビングには既にサソリとアンジェリークがいた。サソリは部屋の隅の小さなテーブルで、なにやら薬の調合をしているようだ。アンジェリークはといえば、朝食の準備中だった。さすが本職(?)とでもいうべきか、エプロン姿がよく似合っている。そして手際もまた良く、幾つかの料理が同時進行で仕上げられていた。
実に家庭的な朝の風景である。だが料理の香ばしい匂いに、怪しい薬品の匂いが混ざり気分は台無しだった。
「うむ、おはよう」
そう返したミラは、楽しそうにせっせと薬をこしらえるサソリを一睨みしながらキッチンを通り過ぎ、トイレに入って用を足す。
「んんんっ、朝じゃのぅ」
トイレから出たミラは、その場で大きくあくびをして、解すように身体を伸ばす。それから近くの椅子に腰を下ろし、半目のまま口をぽかりと開いて、呆けたように焦点を彷徨わせ始める。
「ほら、シャワーでも浴びて目を覚ましてきて」
サソリは、ぼけが始まった老人……ぼんやりまなこな状態のミラにタオルを手渡し立ち上がらせる。そしてミラの両肩を掴み、強引に脱衣所へ連行した。そこから更にミラの服を剥ぎ取り、浴室に押し込む。
まだ短い付き合いだが、サソリは随分と朝のミラの扱いが分かってきたようである。
浴室は四畳ほどだろうか。一人なら充分な広さがあった。しかも水道設備もしっかりしているようで、水を湯にするための術具も備えてある。
ミラは水道レバーを操作して、熱めの湯を頭からかぶった。白い肌は瞬く間に水を弾きながらも艶やかに潤っていき、濡れた髪が張り付く。そして熱めの湯は強い刺激を伴ってミラの身体を這い伝い、下半身から床へと落ちる。
「あー、いい気分じゃのぅ」
ミラはその、こそばゆさにぴくりと身を捩じらせながら、眠気を吹き飛ばしていく。
すると不意に、誰かの気配が脱衣所の方に現れる。なんだろうかとミラがシャワーを止めた時、丁度浴室の扉が開かれた。
「おはよう」
そこには眠たげに瞼を擦る、ヘビの全裸があった。
かつて拝んだタンクトップとホットパンツ、そして半裸姿。そのどちらも実に魅惑的だったが、やはり一糸纏わぬ姿は芸術であり爆発だった。サソリの健康的な肌とはまた違い細身だが肉付きが絶妙で、女性の曲線美が揃った素晴らしい肢体である。
「う、うむ。おはよう」
ミラはその衝撃度に困惑しつつ、どこか上擦った声で挨拶を返す。
一人なら充分だが、二人だと少し狭く感じる浴室。そんな密室の中、全裸で全裸のヘビと向かい合ったミラは、その立派で魅力溢れるヘビの身体に目が釘付けとなっていた。
しかしヘビは、そんなミラをよそにシャワーを浴び始める。その隣、間近で知人女性のシャワーシーンを見る事になったミラは、跳ね返る雫を浴びながら脳を完全に覚醒させていった。
あとで聞いた話によると、どうやら大浴場以外でも同性なら一緒に風呂に入るというのが普通なのだそうだ。その時、気になるのかと訊かれたミラだったが、全然気にならないと笑顔で答えた。
先に浴室をあとにしたミラは、床に転がるヘビの下着を眺めながら、努めて冷静に着替えを終える。そして悟りを開いた僧侶の如き微笑を浮かべリビングに戻ると、「座って待っててください」というアンジェリークの言葉に従い、テーブルに並べられた朝食に誘われるよう席に着いた。
サソリは調合を済ませたようで、今は器具を片付けている最中だ。そのためか薬品臭さはほぼ収まり、肉を炒める香辛料の匂いが鼻腔を刺激する。
それから少ししてヘビも脱衣所から出てくると、下着姿のまま右へ倣えでミラの隣に座った。それを横目で覗き見たミラは、やはり下着は着用中こそ最も映えると確信する。
「もう少しで出来ますから」
「美味しそう」
「そうじゃのぅ」
アンジェリークが手際よく食卓を整えていくのを見守りながら、ミラはミックスジュースを一口飲み、腹の虫を鳴らすヘビに答える。
「あ、またそんな格好のまま。もう、ちゃんと服着てきて」
そこへ片付けを終えやって来たサソリは、ヘビの姿を見てそう言うと、着替えの置いてある寝室へ追い立てた。ヘビが実に自然体だったので、それが当たり前の事かと思っていたミラだったが、やはり下着姿のままというのは常識的に見てだらしないようだ。
(サソリめ、余計な事を)
そんな事を考えながら、ミラは寝室に消えていくヘビの臀部を凝視していた。
すると入れ替わりに、もう一つの寝室の扉が開く。
「なんだか、懐かしい匂いがしますー」
顔を覗かせたのは、ヨハンの弟子ミレーヌだ。朝食の気配を嗅ぎつけたのか、鼻をひくひくさせて部屋から出てくる。
「あ、えっと、ミラさん。おはようございますー」
席に座るミラを認めたミレーヌは、挨拶を口にしつつお辞儀をした。目を覚ましたばかりなのか、服は乱れ気味で寝癖も酷い。だが頭ははっきりしているらしく、寝ぼけた様子は一切見られない。どうやら単純に、ミレーヌは身なりに対しての意識が低いようだ。
「おはよう。ミレーヌちゃん」
ミラの頭越しにアンジェリークの優しい声が響いた。同時にミレーヌが勢い良く顔を上げる。そして彼女は、キッチンに立つヨハンの妻、アンジェリークをその瞳に映した。
「お、奥様……。奥様ーー!!」
ミレーヌは途端に涙と笑顔を浮かべて駆け出し、そのままアンジェリークの胸に飛び込んだ。そしてくぐもった声で「無事で良かったですー!」と喚き、アンジェリークのエプロンを涙と鼻水で汚していく。
アンジェリークは、「心配かけてごめんね」と言って、そんなミレーヌを実の子のように抱きしめる。ミレーヌもだがアンジェリークにとっても、数年ぶりの再会なのだ。こみ上げる感情もあるだろう。
それから十数秒後、僅かに泣き声が落ち着くと同時、ミレーヌが不意に顔をあげた。
「もしかして、同じ部屋で寝ていたあの女の子は……」
ミラ達が地下の隠れ家を訪れた時、ミレーヌは夢の中にいた。なのでアンジェリークが夜のうちに来た事を知らない。ミレーヌにとってみれば、朝目覚めたら隣のベッドに女の子が眠っていたという状況である。
そして攫われた当時、ヨハンの娘アンネはまだ三歳だった。そして今は八歳。隣で寝ていた女の子の背格好が一致すると、ミレーヌは気付いたのだ。
「ええ、アンネよ」
「大きくなってー!」
アンジェリークが笑顔でそう答えると、ミレーヌはまた大声で泣き出す。アンジェリークは、それをまた受け止め優しく微笑んだ。
簡素な衣服に着替えたヘビは寝室から出て来ると、そんな二人を横目に少しだけ嬉しそうに頬を綻ばせながら着席する。
アンジェリークとアンネを助け出せて良かった。そう思い顔を見合わせたミラとサソリは、騒々しいながらもミレーヌの泣き声を、どこか心地よく感じるのだった。
ミレーヌが落ち着いたところで食卓を囲み、ミラ達は朝食を口にした。朝にしてはやや量が多かったものの、全員、相当に空腹だったようで、ものの見事に皿は空になっていく。
そして朝食中。予想通りアンジェリークとアンネはメルヴィル商会の施設にて監禁されていたと、ミレーヌに説明する。
それを聞き、助け出したミラとサソリに礼を言ったミレーヌは、ふとリビングを見回し、続けて寝室のある廊下に顔を向ける。そして「師匠は、まだ就寝中ですか?」と口にした。
監禁されていたアンジェリークとアンネを施設から救出した事は、遅かれ早かれ判明する。その時、枷の外れたヨハンに対して、キメラクローゼンとメルヴィル商会は確実になんらかの行動を起こすだろう。だからこそミラ達は救出したその足で、ヨハンの安全を確保するため屋敷に向かったのだ。
しかしヨハンの姿は既に屋敷にはなく、メルヴィル商会との取引資料も消えていた。現場に残された痕跡を確認したところ、ヨハンは攫われた恐れが強い。そうミラは説明する。
「そんな。師匠は無事なのでしょうか……」
「ヨハンの技術は奴等にとって重要じゃからな。その点は大丈夫じゃろう。ただ今後の扱いがどうなるか──」
と、ミラがそこまで口にした時だ。
「ママー!」
今にも泣きそうな、アンジェリークを呼ぶ声が響いた。どうやらアンネが目を覚ましたようだ。アンネにしてみれば、寝て起きたら、まったく見覚えのない場所に一人でいたという状態だ。不安になるのも当然だろう。
「聞きたい事があったら呼びますので、アンネちゃんと一緒にいてあげてください」
「すみません。ありがとうございます」
サソリが言うと、アンジェリークは勢い良く立ち上がり、お辞儀をしてから足早に寝室へ駆けていった。その後ろ姿を見送ったミレーヌは、ふと食卓を囲む面々に視線を移す。そこにいるのはミラとサソリ、そしてヘビ。ミレーヌにとっては、失禁させられた二人と、顔に似合わぬ手段を用いる尋問官という印象が最も強い相手だ。
ゆえに一人取り残されたミレーヌは、得体の知れない恐怖と緊張感に耐えられず、この場から逃げようと腰を浮かす。
「では、私もアンネちゃんの様子を──」
「お主は座っておれ。聞きたい事が残っておるからのぅ」
「はい……」
不意に出た言い訳は即座に却下され、ミレーヌはうな垂れたまま再び腰を下ろすのだった。
あらかた朝食を終えたミラ達は、場所を食卓からリビング端のソファーに移し、金属製のテーブルを囲んで本格的な会議を開始した。
会議内容は今後の行動についてであり、優先すべきはヨハンの救出だと早々に意見が一致する。
その安否に関しては、黒霧石を加工するために彼の技術が必要となるので、命をとられるような心配はないだろうとミラは推察していた。
そしてヨハンが仕事をすればするほどキメラクローゼンの武装が整い、精霊達の被害が拡大する事になるだろうとも。
だからこそヨハンの救出が出来れば、キメラクローゼンの戦力を大きく削ぐ結果に結びつく。そしてそれは、いつかくる決戦の時に、五十鈴連盟を勝利に導く要因となるはずだ。
現状においてヨハンは、それだけ両陣営にとって重要な人物だった。
だがミラ達が抱くヨハンの価値は、それだけではない。彼は、それ以前にアンジェリーク達の大切な家族でもあるのだ。出来れば再会させてあげたいと思うのが、人の情というものである。
ただ生きているとはいえ、彼がどこに連れて行かれたかが問題だ。それ程までに重要な人材であるヨハンなのだから、容易く見つけられるような場所にはいないだろう。
もしかするとキメラクローゼンの本拠地に連れて行かれたとも考えられる。
ただ、それ以前に一つだけ疑問があった。そもそもなぜ、ヨハンの反抗が気付かれたかである。
「ところでミレーヌよ、屋敷の二階に置いてあった甲冑の調度品について何か知らぬか?」
簡潔に現状をまとめたあと、ミラはそう言ってミレーヌに視線を向けた。
屋敷に入る時と出る時は完全隠蔽の効果により、全ての感知を欺いていた。ヨハンとの会話も、彼自身を隠蔽範囲に巻き込んで行われたため、第三者が確認する事は不可能だ。
しかし、現にヨハンは拉致されている。つまり、ミラは屋敷内のどこかに彼を監視する何かがあったのではと考えていた。
その第一候補が、ヨハンや見張りと共に姿を消した甲冑の調度品である。中が空洞なら、監視するような術具を幾らでも仕込めるだろうと睨んだのだ。
「二階の甲冑ですか? えっと、あれは……」
驚いた表情を浮かべたミレーヌは、どこかそわそわと落ち着き無く、というよりどうにも恥ずかしそうな様子で甲冑についての説明を口にした。
ミレーヌが言うに、甲冑自体はミレーヌが作ったものだという事だ。父が鎧鍛冶師だそうで、ミレーヌは錬金術でその技にどこまで迫れるか研究していたという。そして出来上がったのが、あの甲冑だそうだ。父の作る鎧に勝るとも劣らない最高傑作であると、ミレーヌは誇らしげに微笑でいた。
そしてその鎧は、軽さと強度を追求しただけのもので特別な術などはかかっておらず、全身鎧であるにもかかわらず実に使いやすいものなのだとミレーヌは自慢げに語る。
ヨハンに見せたところ初めて褒められたらしく、それから数日後、気付けば二階廊下の隅に飾られたそうだ。
それを見てミレーヌは、師匠が一人前と認めてくれたのだと喜んだという。しかし、その日以降も待遇は相変わらずで、勉強も厳しいものだったとミレーヌは苦笑した。
肝心の中身については、当然鎧なので空っぽのはずだとミレーヌは答え、飾られて以来、覗き込んだりした事もないとの事だ。
「謎じゃのぅ……」
「そうだねぇ」
判明したのは鎧自体の出所だけだった。惚気にも似たミレーヌの話を聞き終えたミラとサソリは、そう口にすると同時にため息を漏らす。
そんな話をしたあと、その鎧がどうしたのかと何かに期待するようにミレーヌが口にすれば、ミラは目立ったから気になっただけだと言って一笑する。
それから暫く、ミレーヌは遠い目をして「術士には分からないんだから」と繰り返し呟いていた。
先日、ストリートビューで散歩していた時なんですが……。
あ、またその話かよって思いましたね。
でも話します。
ふらふら進んでいたら、まさかの夜景があったんです。本当にちょっとだけでしたが急に夜に切り替わってびっくりですよ。
あと、たまに入れる建物もありますよね。
ポテチ食べながら散策する博物館は、なかなか見ごたえがありました!