124 秘密基地
先日、ルーターが壊れました。
急いで買い直したものの、接続に必要なIDとパスを紛失……。
右往左往したのち、ようやく……。
百二十四
地下通路は、階段を中心にして左右へ伸びていた。石材で補強されたそこには頼りない明かりが、ぽつりぽつりと人魂のように浮かぶ。空気はひやりと肌にこびり着き、ミラとサソリの足音だけが遠くへと反響する。
「ここまで来れば、もう誰かに見られる事もないじゃろう。ご苦労じゃった。ゆっくり休んでくれ」
来た道と左右の通路を確認したミラは、そう言って完全隠蔽を解除させる。アンジェリークとアンネは、屋敷からずっと隠し続けていた。ゆえにミラ達以外でその行方を知る者はいないだろう。
「もっと気兼ねなく力を振るえるとよいのですが」
能力を解除したワーズランベールは、申し訳なさそうに眉尻を下げる。
「構わぬ構わぬ。完全隠蔽でなければ、まだまだ誤魔化せるのじゃろう? それだけでも充分に強力じゃからな。契約が深く結ばれるまで互いに精進しようではないか」
「ええ、そうですね。末永くよろしくお願いしますよ」
背負っていたアンネをアンジェリークに返しながら、ワーズランベールはそう口にして笑う。
それから、ワーズランベールとがっちり握手を交わしたミラは最後に、暫くは頻繁に喚ぶだろうからよろしくと伝え送還する。途中アンジェリークが「ありがとうございました」と頭を下げると、ワーズランベールは「いえいえ」と気さくに微笑を返した。直後、夫がいるにも関わらず、どこか乙女な目をしたアンジェリーク。それを見て見ぬ振りをしたミラは、心の中でヨハンに同情する。
「なんか、いいね、そういう関係」
絆が必要な召喚術士特有というべきだろうか。ミラとワーズランベールの間にある、どこか特別な繋がりを垣間見たサソリは、ただ何となくそう口にしていた。
「そうじゃろう。召喚術士になれば、友達いっぱいじゃよ」
ゲームが現実になり、契約した相手が確かな意思を持った事で関係がより顕著になった。それを強く感じ、それを特に喜んでいたミラは、実に自慢げに胸を張り屈託なく笑ってみせた。
その場を満たす無機質な静寂を足音で払いながら、サソリを先頭にミラ達は地下通路を進んでいく。
「そういえばサソリよ、お主こういう所は平気なんじゃな」
ミラはヨハン屋敷で甲冑の影に怯えていたサソリを思い出しながら、そう口にした。脱出経路の限定された空間、先の見えない薄明かり、反響する足音。ここはホラーシネマで良くありそうな、実に雰囲気のある場所である。
「こういうのって、どういうの?」
しかし、サソリは微塵も気にしていない様子であった。屋敷では怖がりな一面を見せていたが、どうやら今の状況はなんともないようだ。
「ほれ、館で甲冑の置物に怯えておったじゃろう。幽霊のようなものが怖いのかと思ったのじゃが、違うのか?」
ミラがそう言うと、サソリはちらりと前後の通路の先に視線を向け、目を凝らす。ミラの言葉で、不安が湧いてきたのだろう。
「それはね、その……ほら。あの時は、変な人影が見えたから……。そもそも暗い場所は私の庭みたいなものなんだから怖いわけないよ。怪しい人影に警戒していただけだよ」
地下通路に怪しい影が無い事を確認したサソリは、背筋と尻尾をぴんと立てて、強がるようにそう弁明を口にする。サソリの恐怖心は不気味に見える場所ではなく、なにかしら不明確なものが目に映った時に生じるようだ。
「サソリよ、知っておるか。このように光が乏しく閉塞された場所は、怨霊達の好む棲み処じゃという事を。そして本当に恐ろしい怨霊とは、遠くではなく、近く、しかも唐突に現れるという事を」
ならば試しとばかりに、ミラは雰囲気を盛り上げる話をサソリの耳元で囁いた。正に曰く付きの場所で、それにまつわる話をするような気分である。
「な……何を言っているのかな、ミラちゃん。驚かそうとしたって無駄だからね。私の目は暗闇でも見えるんだから。そんな近づかれるまで気付かないなんてありえないよ」
サソリはまるで自分に言い聞かせるかのよう饒舌に語る。目に見えないだけで、そこにいる。同じような状態になれる完全隠蔽を体験したからか、サソリは本当にいるかどうかも分からない得体の知れぬ相手を警戒し始めた。
そんなサソリの様子に悪戯心を高まらせたミラは、更に低い声で畳み掛けていく。
「それは難しいじゃろう。奴等は普段、目に見えぬ存在じゃからのぅ。見える時とは、すなわち、襲う瞬間──」
ミラが調子に乗って語っていた、その時だ。突然ミラ達の真横の扉が開くと、そこから赤黒い血に染まった白衣を纏い冷笑を浮かべる少女が、二人の目と鼻の先に現れたのだ。
「ぎゃぁぁぁー!!」
「ふにゃぁーーー!!」
瞬間、咄嗟に抱き合ったミラとサソリは、地下通路に悲鳴を響かせながら勢い良く後退し、壁に背中を強かに打ちつけ蹲った。ミラ達より幾らか後ろにいたアンジェリークは、むしろ二人の狼狽振りの方に驚き顔を強張らせる。
「なにしているの?」
余程痛かったのだろう、ミラとサソリは床に転がったまま呻き声をあげ、アンジェリークはアンネを抱いたままうろたえる。そんな中、聞き覚えのある淡々とした声が小さく響いた。
薄っすら涙を浮かべながら、その声にミラとサソリが顔を上げる。すると二人の目には、どこか呆れた様子で見下ろすヘビの姿が映ったのだった。
タイミングを計ったかのように見事なヘビの登場は、半分偶然だった。ヘビが出てきた部屋は、ホテルで襲撃してきた内の一人を監禁している場所だそうだ。そこで丁度尋問を終えたヘビは、ミラ達の話し声を聞き迎えに出た。
それが先程の結果に繋がったという事だ。
そんな偶然もあるよねと誤魔化すように笑ったミラとサソリは、何事も無かったかのように気を取り直し足早に奥へ歩みだす。その後ろで、初対面のヘビとアンジェリークは互いに自己紹介を済ませていた。
初めは血塗れの姿に驚いていた様子のアンジェリークだったが、白衣を脱いだヘビと二言三言交わしたところで緊張を解いたようだ。
蛇足だが、ヘビの白衣は尋問用に着色しただけのもので、脅す際にとても役立つという事だった。
そうこうして地下通路の一番奥に到着する。そこには、とても頑丈そうな鉄の扉があった。サソリの話によると、緊急避難用の地下居住施設だそうで、十年前の悪魔襲撃のような事案に備えて造られた場所だという事だ。見れば確かに、物理以外に対する仕組みらしき魔法陣やらなにやらが無数に仕込まれていた。
「ミラちゃん、これも良く見ててね」
サソリは隠し扉の棚の仕掛けを動かした時のように一言口にしてから、鍵穴らしきところに指を入れる。すると鉄の扉全体が光り始め、不思議な模様が浮かび上がった。
サソリはミラに見せるように、それを操作していき、十秒ほどで扉が開いた。
「って、感じ。こうしないと開かないから覚えておいてね」
「あー、うむ。これはまた、なんじゃのぅ……」
サソリの説明は丁寧であったにも関わらず、操作は複雑で途中からさっぱりついていけなくなったため、ミラは苦笑いを浮かべるばかりだ。
そんなミラにヘビが言う。こういった事に関してサソリは天才的であり、普通は覚えられないと。
言ってみればこの鉄の扉は、開錠方法を記したものが鍵の代わりになるといっても過言ではない。そしてヘビがその操作方法を書き留めているらしく、ミラはあとでそれを写させてもらう約束をした。
余談だが、複雑な操作を記憶している者がサソリの他にもう一人。その者の名はウラシス・テレス・イーバテス。ローズライン公国次期大公第二位のイーバテス商会会長その人である。
「これまた、随分と広いのぅ……」
玄関をくぐり短い廊下を抜けると、そこには奥行きの長い板張りのリビングが広がっていた。三十畳はあるだろうそこには、シンプルながら頑丈な造りをしたテーブルが四台並び、天井から吊り下げられた四つの球体がそれぞれのテーブルを明るく照らしている。
「いざという時、何年も過ごす事になるからだって。なんでも、閉塞感がなんとかかんとか……。えっと、狭い所にずっといるとイライラしちゃうらしいよ」
微妙に曖昧な説明を口にしたサソリは、続けて地下室にある設備の案内を始めた。
国で首位を争う程の商会というのは、有事に備えるための資金も潤沢にあるようだ。地下室は、生活に必要な全てが整った場所であった。
キッチンには一通りの調理器具が揃い、水や火も特製の術具によって不便なく使える。そんなキッチン傍にある三つの扉の内二つは、それぞれトイレと風呂に繋がっており、これもまた問題なく利用出来る状態だそうだ。
そしてもう一つの扉の先には、リビングよりも広大な畑になっていた。今は何も植えられておらず照明も切られているが、作物を育てれば、確かに数年と暮らしていけそうな環境である。
しかもこれら全てを支える術具は全て特注品で、充魔が出来るという。つまり術士などのマナ保有者がいれば、術具にマナを補充する事が出来るため、半永久的に活用出来るという事だ。
(生きている限り永久機関か。これで司令室でもあれば完璧なのじゃがな)
サソリに案内され各設備を見回りながら、ミラは子供時代に憧れた秘密基地を思い出しほくそ笑む。
次に案内された場所はリビングの更に奥へと続く廊下で、そこには左右に五ずつの扉が並んでいた。その部屋の広さはどれも八畳程度だ。リビングと同じ板張りの床には、なにも置かれていない。だが内二部屋にはベッドだけが置いてあり、その一つにミレーヌがいた。毛布を抱いて眠るその姿は、随分と幸せそうだ。
そしてアンジェリークは、そんなミレーヌの顔を懐かしむように見つめたあと、その隣のベッドにアンネを寝かせた。
地下室の説明が一通り終わり、リビングに戻ったミラ達はテーブルを囲み着席する。そしてそのまま報告会議を始めた。
まずは、ヘビの尋問結果からだ。
追跡者の二人は、ヨハンの屋敷を見張っていた内の二人だったそうだ。彼らはメルヴィル商会に雇われた傭兵であり、内情については何も知らない部外者という事である。
依頼内容は、ヨハンを屋敷から出さない事。また弟子のミレーヌが規定外の行動をとった時、その内容を確認し、場合によっては保護するというものらしい。
キメラクローゼンとの繋がりについて彼等は一切知らされていなかったようで、それは反応からしても間違いないとヘビは語る。
つまり、捕縛した二人だけでなく、あの場にいた全員がキメラクローゼンとは無関係の者達だったという事だ。
「そっかー。残念」
有力な手掛かりは無し。そう聞いてサソリはため息をついた。
彼等傭兵の配置は妥当といえるだろう。見張りとなれば、すなわち見張る側も居場所が固定されるという事でもある。そんなリスクを、あのキメラクローゼンの構成員が負うはずも無い。
もしもヨハンの事が外部に知られた場合でも、本人だけ確保すればキメラクローゼンに関する秘密は守られる。情報を持っていない見張り達は幾らでも斬り捨てられるというわけだ。
「ふむ、容易く情報は得られぬか」
「彼等は使い捨て」
残念そうにミラが呟くと、ヘビは詰まらなさそうに辛辣な言葉を口にした。大した情報が得られなかった事が気に入らないのだろう。
そうしてヘビの報告が一段落した時だ。ミラは大きなあくびをすると、茶を飲み干し、それでも堪らず瞼を瞬かせる。
「ミラちゃん。もう随分遅いし先に寝ちゃってていいよ。こっちの報告は私がしておくから」
半目でぼんやりした様子のミラの肩をサソリが優しく揺する。二人は一緒に行動していたので報告する内容も同じであり、ヘビの報告を聞き終えた今、確かにミラがいなくても問題はなかった。
「ぬぅ、しかしのぅ。わしだけ先に眠るわけには」
たまに真面目な事を口にするミラは、そう参加の意を表しながらも、生理現象には逆らえず二度目のあくびをもらす。
「大丈夫大丈夫。今日は簡単に報告したら、私達もすぐ眠るよ。本格的な会議は明日にね」
「むぅ、そうか。ならすまぬが、先に休ませてもらうとしようかのぅ……」
眠気に逆らい切れそうも無いと判断したミラは、渋々そう言って立ち上がる。そして、やけに丁寧な動作で椅子を戻し「おやすみー」と呟いて、ふらふらと玄関に向かい歩いていく。どうも完全に寝ぼけたような様子だ。
「そっちじゃないよ、ミラちゃん」
結果、サソリに抱えられたミラは、そのままミレーヌとアンネが寝る部屋とは別の寝室に運ばれる。そしてサソリに優しくベッドへ寝かせられ、夢の中に漕ぎ出していくのだった。
ネットが無いからか、随分とゆったりした時間を過ごしました。
まとめ買いしたゆるゆりの新装版をのんびり読んだり、
イヤホン使って大音量で、カラフィナのアルバムを聴いたりと、
結構充実するもんですね。