123 イーバテス商会へ
百二十三
酷く荒らされたヨハンの屋敷の地下室。そこでヨハンのものらしき血痕を発見したミラ達は、その後、手分けして散らばった書類を適当にまとめて確認する。その結果、メルヴィル商会との取引に関する書類が全て消えている事が分かった。
「やはり、動きに気付かれたと見るべきじゃな」
「でも、どうしてだろ? 人の知覚だけでなく、最新鋭の魔力検知も騙せるくらいだから、どんな術具でも私達の存在に気付く事や、話を盗み聞きする事なんて出来なかったはずだよ」
書類の山を一瞥したミラは憮然とした様子で眉間に皺を寄せ、サソリはといえばワーズランベールを見つめ、その反則技を思い返す。
静寂の精霊の力は確かなものだ。ヨハンとの接触と交渉は慎重を期して、彼を完全隠蔽の効果に巻き込んでから行った。ゆえに、その内容が漏れる事はまず無い。
ミラ達を裏切りヨハンが自ら報告した、という事も考えられるが、彼の話通りアンジェリークとアンネは実際に監禁されていた。つまりはヨハンの言葉が真実だったと証明されているのだ。まず、ありえないだろう。
だがそれでも、ヨハンと書類が消えたというのが現状である。
「一先ず、屋敷を探ってみるとしようか。何か手掛かりが残っておるかもしれぬ」
「うん、そうだね。そうしよっか」
可能性は薄いが、何もしないよりはましだろうと、ミラ達は屋敷中を調べ回り始めた。
ヨハンも見張りもいないとなれば、もう遠慮はいらないと無形術で周囲を照らしながら一階を隈なく探っていく。だが、これといった手掛かりはなく、ただアンジェリークが懐かしむような表情で調度品を見つめていただけだ。
続けて二階へと上がったミラ達は、そのままヨハンと出会った研究室に赴く。簡単に見回してみた印象では、ミラ達が立ち去った時と変わらない様子だった。ヨハンは、あの話のあと直ぐに取引の書類をまとめにいったのだろう。そして何者かに襲われ連れ去られたという事か。
研究室を調べてみるものの、やはりこれといった手掛かりは発見出来なかった。調べ終わったあとアンジェリークは、家族の思い出が集められた棚をじっと見つめ、涙を零す。その隣でミラは、羊のぬいぐるみを手にして、ぐにぐにと潰すように押していた。よくある話、中に何かが仕込まれてなどいないか確認するためだ。
結果、ぬいぐるみ中に盗聴器といった類の術具は仕込まれてはいなかった。
研究室を出たミラ達は、二階にあるもう一つの部屋に向かう。だが、そのまま扉を通り過ぎたミラとサソリは、廊下の突き当たりでぴたりと立ち止まった。
最初に屋敷を訪れた時、そこには暗闇の中で幽鬼の如く不気味に佇む甲冑の調度品があった。しかし今、どういうわけかその姿が忽然と消えていたのだ。
「ここにあった鎧は、どこにいったのかな……? もしかしてヨハンさんは、動き出した鎧に……」
引き攣った笑みを浮かべながら、サソリはゼンマイ人形のような動きでミラに振り向く。そこには確かに全身甲冑の調度品が飾られていたはずであった。若干の恐怖とともに記憶しているサソリは、どこか怯えたように尻尾を逆立て、周囲に気を配り始める。
「さて、どうじゃろうな。……まあ、どこかにいったのは確かのようじゃが」
ミラはそう言いながら屈み込み、甲冑が立っていたあたりを良く観察した。見れば僅かに埃が積もっており、そこには確かに足の跡が残っていた。
「あの、鎧って、そんなものがここに置いてあったのですか?」
ミラの頭の上から顔を覗かせたアンジェリークが、ふとそんな事を口にする。
話しを聞いてみたところ、どうやらアンジェリーク達が屋敷にいた頃は、ここに甲冑の調度品など無かったそうだ。
となれば、すなわち、ヨハンが妻子を人質にとられた以降に置かれたものとなる。
「もしや、中になにか仕込まれていたのかもしれんのぅ」
「うん、そうかも。探知の術がかけられたマスクもあるくらいだし。見張りが出来る術や術具だってあるかも」
鎧ならば中に幾らでも仕掛けられる。やりようによっては、休み無く見張らせる事も出来るだろう。真に用心するべきは、外ではなく中だったのだ。
思わぬ伏兵の存在に顔を顰めたミラ達は、そのまま残りの部屋の探索を手早く済ませた。
その後、ヨハンがいなかったのは予定外だが、一先ずアンジェリークとアンネだけでも匿おうと、残り時間がぎりぎりの完全隠蔽を使い『王様の隠れ家』に向かうのだった。
誰に見つかる事も、後をつけられる事もなく、ミラ達はイーバテス商会の本店に到着する。石木造りで四階建ての見事な店舗だ。
繁華街に面したそこは未だに賑やかだが、店自体は既に閉まっており、酔っ払いが軒先に若干転がっているだけである。見れば飲食店以外の店先は、だいたいこのような状態であった。
イーバテス商会の敷地は実に広く、本店の左右から伸びる赤煉瓦の壁は三百メートル四方はあろうかというその敷地をぐるりと取り囲んでいた。
ミラ達はサソリの案内に従い、その壁に沿って裏へと続く小道に入っていく。見上げるほど高い壁を横目に暫く進んでいくと、そこには小さな裏門があった。
「どこに目があるか分からないから、アンジェリークさん達は隠したままでいいかな?」
「そうじゃな。匿っている事すら誰も知らなければ、追っ手が及ぶ心配も減るじゃろう」
アンジェリーク達の行方を知る者が少なければ少ないほど情報も制限される。このまま誰にも見られず匿ってしまえば、一先ず安全といえるだろう。ミラとサソリは、そう短く確認し合うと、二人だけで完全隠蔽の効果から抜ける。
それから門を叩いたサソリは、なにかメダルのようなものを見せながら出てきた門番と挨拶を交わす。メダルが通行証代わりになっているようで、それを確認した門番は一言「お疲れ様です」と言ってから門を開いた。
まずワーズランベール達隠蔽組を先に通してから、サソリとミラも門をくぐる。その際、艶やかに流れるミラの銀髪を門番が惚けたように目で追っていたが、気づいたものは誰もいなかった。
石畳で舗装された敷地内には等間隔で明かりが灯されており、周囲は優しく照らされている。見ればそこは、小さな町のようであった。馬車と人が並べるだけの幅がある通路、その左右には一般的な造りの民家が軒を連ね、夜中でありながら確かな生活感を漂わせていた。サソリ曰く、従業員用の住まいなのだそうだ。社員寮のようなものだろう。
更に見れば飲食店のような建物も見受けられた。そこでは格安でありながらとても美味しい料理が食べられるという。ただ従業員だけしか利用出来ないらしい。つまり社員食堂のようなものだ。
そんな小さな町の中、夜の闇の中にあってもなお、はっきりと存在が際立つ建造物が二つ見えた。内一つは薬や術具を扱う店舗である。
そしてもう一つは、そんな店舗より一回り大きく、総石造りで実に頑丈そうな建造物だった。サソリが案内するのも、こちらの方のようだ。
その建造物は倉庫を兼用した事務所であり、内部は実にシンプルな造りになっていた。
エントランスホールのような場所は無く、玄関入ってすぐ脇に受付のカウンターが置かれている。正面には階上に続く階段があり、左右には廊下がずっと続く。そして途中途中に各部署への扉があった。
深夜であるにも関わらず屋敷内は明るく、働く者もまだ、ちらほらといるようだ。
「こんばんは、レノスさん」
受付に向かい挨拶するサソリ。そこには几帳面そうな一人の男が座っていた。だがやはりというべきか、少し眠そうな様子だ。
「いらっしゃいませ、サソリ様!」
眠気の原因は退屈から来るものだったのだろうか、男はどこか楽しげに立ち上がり期待に満ちた目でサソリと、そしてミラを見つめた。
「また部屋を使わせてもらいますね。それと、彼女はミラちゃん。私達の仲間です」
受付でメダルを提示しながらそう言ったサソリは、続けてミラの事をそう紹介する。
「となると、巨悪と戦っておられるわけですね。なんと素晴らしい! あ、一応規則なもので、身分証などを確認させていただいてもよろしいですか」
興奮した様子から一転、レノスはどうにか自制心を働かせて落ち着きを取り戻してから、申し訳なさそうな表情を浮かべた。
冒険者証でも良いという事で、可愛らしいカードケースを取り出したミラは、そこから冒険者証を抜き取り提示する。
「なんとCランクですか。それだけ可憐な美を湛えながら、武までも持ち合わせるとは実に素晴らしい。巨悪に立ち向かう方というのは、やはり違いますな!」
興奮した様子で受付から飛び出しミラの手を半ば強引にとったレノスは、「応援しております!」と言いながら手を握る。実に良い笑顔だった。
「なに、悪に立ち向かうのは当然の事じゃ」
レノスの押しの強さに困惑しながらも、正面から真っ直ぐと賞賛を受けたミラは、まこと単純に調子に乗って自信満々でふんぞり返る。
それから散々上下に手を振り回されたあと、満足した様子でレノスが手を離すと、ミラの手にはサソリが持っていたものと同じメダルが残されていた。
「そちらがイーバテス商会の特別滞在許可証になりますので、失くさないようにお願いしますね。まあ、失くしたところで所有者判別の無形術がかかっているので、悪用なんて出来ませんが」
レノスは随分と気楽な様子でそう言いながら、受付の帳簿にミラの名前を書き込む。どうやら、握手をした時、メダルにミラを認識させる無形術をかけていたようだ。
「便利なものじゃな」
その効果は確かなもので、ミラが持つメダルをサソリに渡してみたところ銀色のメダルは瞬く間に赤く変色していった。そしてミラが手にするとまた銀色に戻る。ミラは無形術の進歩具合に、もう何度目になるか分からない感動を覚えるのだった。
サソリ達がイーバテス商会から借りている秘密基地は、ここの地下にある、緊急避難用シェルターのようなところだという。
受付で手続きを終え、正面の階段を上り廊下を進んでいく。その途中で、サソリがレノスの事について笑いながら話す。彼のフルネームは、レノス・イーバテス。現会長の孫にあたるらしい。
そんな彼は英雄譚が大好きだという。三神国の『三神将』や、アトランティス王国の『名も無き四十八将軍』に、ニルヴァーナ皇国の『十二使徒』。そしてアルカイト王国の『九賢者』などなど。
そして今回、人類の良き隣人たる精霊達を害する巨悪キメラクローゼンに立ち向かう正義の組織であるサソリ達に、新たな英雄の誕生を予感して興奮覚めやらぬ調子なのだそうだ。
錚々たる英雄達と共に九賢者の名を連ねられた事に悪い気のしないミラであったが、視線を横に向ければ、そこには渾身の美少女の姿が窓に映っていた。いつかの時代とは似ても似つかぬ今の姿に若干やるせなさを感じ、ミラはため息を漏らす。
そうこう話しながら階段を上がり、気付けば三階の廊下を歩いている。そこでふとミラの脳裏に疑問が生じた。
「なぜ三階まで来ておるのじゃろう。地下と言うてなかったか?」
職員がちらほら見える三階の廊下を進みながら、ミラはサソリの背に向けてそう問いかける。
「地下なんだけど、ちょっと特別な部屋みたいでね。そこには三階端の階段から下りないと行けないようになってて、入り口はそこに隠されているんだ。ちょっと手間だけど、その分匿うには打って付けだよね」
「なるほどのぅ。随分と厳重な造りじゃな」
サソリの説明に納得したミラは、実に歴史を感じさせる内装と建造物そのものに興味を移し見回し始めた。
そうこうしている内に三階端の階段に辿り着き、階下へと歩を進める。総石造りの建物は、それでいて温もりを感じさせる内装で、踊り場に置かれた調度品などは隙のない感性を窺わせた。
今はメルヴィル商会がトップの座に君臨しているが、それはキメラクローゼンの暗躍など、人道に反した手段による結果に過ぎない。実質の王者は、やはりイーバテス商会だと思わせる風格がいたるところに満ちていた。
階段を下りきり一階に到着すると、そこには扉が一つだけあった。開けて中に入ってみると、色々な術具や薬品などが棚いっぱいに並んでいる。一見しただけでは分かり辛いがサソリの話によると、ここにあるのは全て試作品か失敗作だという。
雰囲気的には完全に夜の理科準備室のようで、かなり不気味である。不安なのか、アンジェリークはワーズランベールが背負うアンネに添うように身を寄せていた。
どこか迷路のように並ぶ棚の間を抜けていくミラ達。そうして部屋の奥にまで辿り着くと、サソリはそこに佇む棚の前で立ち止まる。そしてミラを手招きした。
「ミラちゃん、良く見ててね」
ミラが隣に来たところでサソリはそう言うと、失敗作に紛れるように置いてあった箱を開ける。そしてそのまま前後をひっくり返すように回して蓋を閉じ、もう一度反転させた。
サソリがそんな不可解な行動をした直後である。なにか小さく鈍い音が響き、ひとりでに棚が横へとずれていったのだ。すると正面、棚に隠されていた扉が姿を現した。
「おお!」
まるで本当の秘密基地のようだと、ミラの気持ちが一気に盛り上がる。布にせよ扉にせよ、隠されたものはどうしてこうも男心を擽るのだろうか。
扉を開けてみると、地下に続く階段があった。ミラは我先にと飛び込む。全員が入ったところでサソリが扉を閉めれば、また先程の鈍い音が響いた。表側の棚が元の位置に戻った音である。
地下特有の、ひやりとした空気が漂っている。無機質な石の階段が深くまで続くが、点々と淡い照明が灯っているため、さほど暗くはなかった。だが若干、足元が覚束ない。段差がまちまちだからだろう。サソリが言うには、侵入者に対する用心だという話だ。
そうして百メートル近い階段を下りきったミラ達は、更に奥まで続く地下通路に到着した。
最近のマイブーム。
ストリートビューで見知らぬ土地の街の路地裏に入り、ふと空を見上げる事。
建物の隙間から覗く空がイイ感じ。
いやはや、展開遅くてすみません。
それでも着実に進んではいますので、勘弁してください。