11 続馬車道中
十一
夕暮れの街角亭で食事を済ませたミラは、シェリーに貰ったイチゴオレで喉を潤す。
甘くてイチゴの酸味が程よく混じったミルクの味は、ミラの味覚と相性ばっちりで自然と表情が綻んでいる。
もちろんシェリーがその一瞬を見逃すはずも無く「ミラちゃんかっわぃーーーー!」と抱きしめる。イチゴオレをサービスして貰ったという事と、シェリーには何を言っても無駄だと理解したミラは完全に諦めされるがままだ。
ガレットはそんな二人を微笑ましそうに見つめながら、この宿の店長でありシェリーの父であるバルガと談笑していた。「それで、いつ嫁に貰ってくれるんだ」と、冗談交じりに言いながらも目が笑っていないバルガ相手に、苦笑するしかないガレット。早い話が、これが余りこの宿に立ち寄らない原因でもあったりする。
このバルガという男、シェリーと同じ色の短髪で、山で鍛えられた立派な身体で非常に繊細な料理を作る。
二人の食べた食事の内容は、雉の話を覚えていたガレットが頼んだ鳥のローストと野菜を白パンに挟んだチキンサンドと、シェリーがミラに食べさせようと持ってきたプリンのタルトだ。このどちらもバルガ作であり、味はもちろん見た目にもこだわりが溢れている。なのでオススメを案内する際は自分の事は抜きにしてガレットはこの宿を紹介するのだ。
「ではそろそろ参りましょうか」
ミラがイチゴオレを飲み終わるのを見計らい、カップのハーブティーを飲み干し立ち上がるガレット。同時にシェリーが口を尖らせる。
「えー、もう少しゆっくりしていきなさいよー」
「そういうわけにはいきません。これでも仕事中ですしね」
「うむ、早く行くとしよう」
ミラは今が好機と察しシェリーの手から逃れるように席を立つ。
「ああん、ミラちゃんってば」
すり抜けていったミラを残念そうに見つめながらもカウンターを片付け始めるシェリーは、店の看板娘として人気者だったりする。
「ではご馳走様でした。また今度来ます」
「ご馳走様じゃ」
「また来てくれよ。それとお嬢ちゃんもな。いつでもイチゴオレを用意して待ってるからな」
リボンまみれのローブを整えながら、イチゴオレという言葉に反応するミラ。
「ふむ、この娘が不在のときに邪魔させてもらうとしようかの」
最低限の妥協ラインを提案する。
「ミラちゃんのいじわるぅー」
「大体昼前に買出しに出かけてるから、その時がいいかもな」
「ほほぅ、覚えておくとしよう」
「お父さんまでーー」
シェリーは、わざとらしくカウンターによろめき、味方が誰も居ない現実に打ちのめされた。
夕暮れの街角亭を後にすると、二人はそのまま駐車場に戻り、ミラは視線に晒される前に馬車に乗り込んだ。二頭の馬は管理員に良く世話をされご機嫌だ。ハーネスを装着されると、ここまでの疲れを微塵も感じさせない位に気力十分と嘶く。
ガレットが受けた任務は千里馬車を出す程、急ぎのものだ。しかし丁重に護送せよという指示のため、いくら急ぎとはいえ朝食を我慢してもらう事など出来ない。なので本来は素通りするはずだったシルバーワンドで休息を取ったのだ。
若干、時間が押していると感じつつもガレットは手綱を握り馬車を走らせる。
そんな事など知る由も無いミラは、馬車の窓からシルバーワンドの街並みを興味深げに見渡している。
(この三十年で出来た街という事かのぅ)
シルバーワンドという名の街はミラの記憶に無い。時代の流れを感じながら、通り過ぎる景色の新鮮さに心を躍らせる。
馬車は大通りを抜け街を後にすると、林道へと入っていく。そのまま真っ直ぐ道なりに登ると、やがて拓けた場所に辿り着く。正面は切り取られたような断崖で、無数の石のブロックにより補強されている。その中心にある半月型の大きな穴の中へ、長く奥まで公道は続いていた。
馬車に乗ったままのミラは、森から拓けた場所に出たと思ったら突如薄暗くなった景色に驚く。窓から見える石の壁はどこまでも奥へと続いていて、入り口の光は徐々に小さくなる。
ミラはその場所と状況、そして耳鳴りが起きた事を照らし合わせて、馬車がトンネルに入ったのだと思い当たる。
だが、ルナティックレイクとシルバーホーンの間にある山に、トンネルなどあった覚えが無いミラは御者台に顔を出す。
「このようなトンネルがあるとはすごいのぅ。いつ出来たのじゃ?」
「ベネディクトトンネルですか? 確かこのトンネルは、ソロモン様の指示により着工が三十年前。五年の歳月をかけて完成したと聞きました」
「ほう、そうであったか」
(あやつ。ちゃんと仕事しとるんじゃな)
ミラはそのまま正面を見ると、等間隔に並んだ無形術による明かりが灯り、トンネル内を照らしているのが分かる。若干の薄暗さはあるものの、読む本が無ければ問題無い程度だ。
首都であるルナティックレイクとシルバーホーンは山脈により隔てられているため行き来するには非常に不便であり、浮遊大陸が使えず移動手段が今のように馬車等しかない場合、このトンネルは必須ともいえる交通手段となる。
そしてミラはガレットの情報から一つの言葉を拾い上げた。それは、ソロモンの指示と三十年前という言葉だ。
つまり、ダンブルフが居なくなった三十年前から今まで、ソロモンはこの世界で暮らしていたという事にもなる。
後はプレイヤーのソロモン本人か、それ以外かを確認するだけだ。
トンネルを抜けて山脈を越えられるならば到着もそう遅くないとミラは座席に戻り、千篇一律な窓の外をただ眺める。
反響する蹄鉄と車輪の音、単調な景色、程よい満腹感と揺り篭にも似た振動。これらが絶妙に合わさった結果、ミラはうつらうつらと頭を揺らし小さな寝息をたて始めた。
トンネルを抜けると前方には青空が広がり、その空の色を映した三日月型の湖が遠くに望める。
湖に接する中心付近にアルカイト王国の国王ソロモンが住むアルカイト城があり、湖の周囲に首都ルナティックレイクが広がっている。
ミラを乗せた馬車は現在、山を下ると裾に広がる森を抜けて、淡く夕暮れ掛かったラゲッド高原をひた走る。
草原には草木と無数の岩肌が雑じり、そこに潜む小動物が時折隙間から顔を覗かせて何事かと馬車を見送った。
ミラは、太陽が傾き始めた事で差し込んだ光で目を覚ますと手の甲で目を擦り、光から逃れるように逆側へと身を寄せる。それから小さく欠伸をして窓枠に腕を置き頬杖を付く。手前は早く遠くは遅く流れていく景色を眺めながら、渇きを感じた喉を潤すべくアップルオレを取り出してビンを傾ける。
窓から入り込む風はミラの銀色の髪を靡かせ、昼寝から起きたばかりの火照った身体を掠めるように撫でていく。
「ほう、こっちもでっかくなっとるのぉ」
視線を前方に移したミラは、進行方向に遠く広がる三日月型の湖に寄り添う大きな街並みを見るなり感嘆の声を漏らす。
ラゲッド高原から遠く見下ろすように見える首都ルナティックレイクは、満月のように大きく円を描く城壁に湖ごと囲まれている。
その街はミラの記憶よりも更に規模を大きくしていた。
その内に、やけに目立つ大きな建造物を見つけたミラは再度御者台に顔を出す。
「のう、街にあるあの大きな建物はなんじゃ?」
「大きな建物ですか?」
ミラが街の方を指差しながら声を掛けると、ガレットは少女の楽しそうな横顔を目にすると、気持ちを弾ませながら指し示す先を確認する。
大きな建物と言われてまず目に入るのは中央に鎮座するアルカイト城。だが、そんな初歩的な質問をミラがしているとは考えにくいと、ガレットは城以外で目に入る大きな建物といえる建造物を四つ確認する。
街の中、距離的に王城から城壁の丁度中間辺り、東西南北に位置する場所に一際目立つ特徴的な施設が存在している。それはルナティックレイクに住む者ならば誰もが知っているものだ。
「ああ、五行機構の事ですか」
「五行機構とな?」
「ええ、あの施設はソロモン様発案の五行都市計画を元としていまして、ベネディクトトンネルと同じ時期に建造され始めたものなんです。
南の廃棄物処理場、北の創薬研究所、西の職人工房、東のアルカイト学園と順に建造されまして、それらをまとめて五行機構と呼んでいます」
「ほほぅ、なるほどのぅ」
木火土金水という風水などに使われる陰陽五行思想。京の都などでも見られるその都市造りをここでやってのけたソロモンの政策に、あいつの考えそうな事だとミラは大いに納得する。
ソロモンの風水好きは、ゲーム中のある出来事から始まった事だ。それから熱心に勉強しており、ミラは事ある毎に金運がどうだとか仕事運が上がるだとか言って色々と聞かされた。
マリアナが風水に拘るのも元を辿ればソロモンが風水を教え込んだのが原因でもあるのだ。
納得したミラは座席へ戻ると、再び窓枠に腕を置き頬杖を付く。今はまだ遠くに見える街を視界に捉えると、時期的にのんびりとした渡り鳥の群れが鳥雲に入る景色を眺めながら飲みかけのアップルオレに唇を付けた。
天気も良く、長閑な高原を背景に馬車に揺られている今の状況。
戸惑う事もあったが、どちらかと言うと今のこの状況は『幸せ』の部類に入るのではないだろうか。ミラは段々とそう思い始める。
飲み終わったアップルオレのビンを足元の隅に置くと新しいアップルオレを二本取り出す。
御者台にちょこんと顔を出したミラは、「お主も飲むか?」とそれをガレットに勧める。
「あ、ありがとうございます、ミラ様」
無邪気そうに微笑みながらも淑女の様な雰囲気を纏わせたミラにガレットは一瞬惚けると、慌てたようにアップルオレを受け取る。
「のう、お主は何故軍に入ったのじゃ?」
何気なく訊いたミラ。何か話したい気分だったのだ。
「軍に入った理由ですか」
ガレットは「そうですねぇ……」と呟きながらアップルオレを口にして、その絶妙な味わいと心が癒される様な感覚に「これ、おいしいですね」と反射的に言葉を漏らす。ミラは「そうじゃろう」としたり顔で答えた。
「やっぱり父の影響ですかね」
「ほう。親父さんも従軍しておるのか?」
「はい。こう言うのも恥ずかしいですが、私の憧れです。魔法騎士団の一番隊隊長で、私もいつかは魔法騎士団に入り父の元で働きたいと思っています」
「孝行息子じゃな。言えばさぞかし親父さんも喜ぶ事じゃろう」
「いえいえ、流石に面と向かっては、こんな事言えませんよ。これは内緒ですからね、ミラ様」
口元に指を当てて、内緒ですよと言うガレットの表情はとても優しく、心から父を想っている事が分かる。若干、子供に諭す様な仕草でもあったが、温かい感情が広がったミラの心はそれを寛容する。
「まあいいじゃろう。親父さんは幸せ者じゃのぅ」
「そうなんでしょうか?」
「うむ、わしも父ならばお主の様な孝行息子が欲しいところじゃよ」
「ミラ様ならば、父ではなく母なのではないですかね」
「あー、そうなるかのぅ……」
ついつい忘れてしまいがちだが、今は少女だったという事を再認識して苦笑する。
ミラは最後に「精進するのじゃぞー」と言いながらガレットの頭を仕返しとばかりに撫で回してから座席に戻る。恥ずかしそうに「はい。ですが流石にこれは」と言うガレットに、してやったりと笑顔を浮かべたミラだった。
父ではなく母。まったく考えていなかったが、親となるならばそうなるなと思い返す。
とはいえ、そうなるならばそういう行為が必要だが、まず自分が誰かに抱かれるなど一片も想像出来無いし、したくないとミラは思考するのを放棄する。
子供は嫌いでは無い。むしろ自分に子供が出来たら何をして遊ぼうか、どうやって名前を付けようか。そんな事を恋人と一緒に考えていた事もあったなと思い出す。今は遠い思い出だ。
親には成らずとも見守れればそれでいいかと、ある意味悟ったミラ。その時はその時に考えようと、第二の人生の新しい形として今を楽しめばいい。そう結論付けると、二本目のアップルオレを飲み干した。




