115 サソリの策
百十五
「ほぅ、そのような事まで出来るのか。それは素晴らしいのぅ、名案じゃ」
説明を聞き終えたミラは、サソリの多芸ぶりに感心しながら、その案に賛同する。
女性を捕らえるのは、確実性の高いこの場でと決まった。サソリが提案した事は、そのあとについてのものだ。
それもまた隠密としての技能なのだろう。サソリが上手く仕事をすれば、女性の拉致に気付かれる事もなく、またメルヴィル商会に余計な警戒心を植え付けずに済む作戦であった。
そうして方法が決まれば行動は早い。二人は早速部屋を出て、そのまま注意深く四階に向かう。
部屋の中では、女性がまだ棺の中を漁っていた。だが先程見た時と少し違う点がある。女性の傍らに置いてある膨れた黒い袋だ。どうやら棺の中のものをその袋に移し替えているようだ。
入り口から僅かに顔を覗かせて相手の状態を把握した二人は、互いに小さく頷き合う。そしてそれを合図にしてサソリは薬玉に火をつけ、そっと転がすように放った。
薬玉は丁度良く女性の足元で止まり、白い煙をゆらゆらと立ち上らせ始めた。それを確認したミラとサソリは、部屋の入り口を視界に納めたまま後ろに下がる。近くにいると煙を吸って自分達が寝てしまう恐れがあるためだ。
「で、どうなったのじゃ?」
五分ほど見守ったところで、堪らずミラが口を開く。驚くほど静かだったからである。この五分間、煙に気付き女性が飛び出してくる事も、元凶の薬玉を排除するような物音といった、最低限考えられる反応が、何も無かったのだ。
「薬玉はもう燃え尽きているはずだけど」
薬は強力なものだ。気付いて対処したところで、昏睡は避けられないだろう。更に突然足元から煙が湧き、それが無臭というわけでもないので変化に気付くのは容易いはずだ。なので素人でも多少騒ぐなり警戒するなりの反応があるものだが、部屋の中からは動揺した気配が一切感じられなかった。
相手はキメラクローゼンの幹部と思しき者である。いち早くミラ達の侵入に気付き、息を潜め待ち構えているという事も考えられた。
一筋縄ではいかなそうだ。そう結論し警戒を高めた二人は、戦闘態勢を整えつつ、ゆっくりと近づいていく。
そして入り口脇で一旦立ち止まったミラとサソリは、タイミングを合わせて一気に室内へ突入した。
即座に召喚の基点を定めるミラ。サソリもまた短剣を抜き放ち姿勢を低く構える。だが次の瞬間、
「……なにやら、随分と呆気ないのぅ……」
と、ミラはそう口にして苦笑した。女性は、先程ちらりと確認した時のまま棺の傍で、その縁に引っかかるような体勢で眠りこけていたのだ。
すやすやと気持ち良さそうに寝息を立てて涎を垂らし、あからさまに熟睡している様子の女性。
だが、もしかすると狸寝入りで油断を誘うという作戦かもしれない。そう想定したサソリは、注意を払い背後から静かに近づき、女性の身体を一息に押さえ込み制圧を試みる。
抵抗は、一切皆無だった。
ころんと床に転がった女性は、強く押さえつけられても微動だにしなかった。突いたり弄ったりして確かめても女性に反応は無く、サソリは完全に薬が回っていると診断する。
「これぞ、秘伝!」
里に伝わる秘伝の眠り薬は、一瞬の抵抗すら許さないようだ。ここまで効果覿面なのかと若干戸惑ったサソリであったが、まあいいかと一笑して胸を張る。眠り薬で眠らせた。この結果が全てなのだと。
こうして敵の無力化に成功したミラとサソリは、早速とばかりに作業にかかる。
(おお、なかなかの別嬪さんではないか!)
まず手始めにマスクを外し女性の素顔を露にすると、ミラはその整った目鼻立ちに若干高揚した。
「なんだか、幹部のわりにぱっとしない顔だね」
女性の顔を覗き込みながら、サソリがぽつりと口にする。同性であるサソリの目には、ごく平凡な顔に映ったようだ。
確かにその女性は、誰もが振り返る美人というわけではないだろう。かといって気にならないかと聞かれればそうでもなく、素朴な魅力がそこにはあった。紫のショートヘアーは、良く手入れがされているようで艶もあり、清楚さと知性を感じさせる。それでいて、涎を垂らし眠りこける無防備な寝顔は、少女のような愛嬌に満ちていた。いわゆる、男性受けするタイプといえるだろう。
素顔を確認した二人は、それから容赦なく女性の身ぐるみを剥いでいった。
サソリが精霊武具のコートを脱がせば、ミラは怪しげな笑みを浮かべながら靴を脱がせる。
サソリが上着を剥ぎ取れば、ミラは一層笑みを深めて女性のスラックスを下げていく。
そうして下着だけを残し女性を裸にしたあと、サソリは小物入れから包帯のように巻かれた布を取り出した。呪文のような文字と文様がびっしりと描かれているその布は、捕縛布という名の拘束具である。これで縛られたり包まれたりした者は能力を五割方封じられ、抵抗力を失う。警察の手錠のようなものであり、警備などにあたる者は大抵所持している。
だが五十鈴連盟の扱う捕縛布は、ウズメこと九賢者カグラが得意の陰陽術で強化したものだ。その性能は九割にまで引き上げられており、これで捕らわれれば逃走はまず不可能だろう。
「じゃあ縛っていくから、ミラちゃん、足の方持ち上げて」
「うむ、分かった!」
サソリが指示を出すや否やミラは食い気味に答え、女性の脚を抱きかかえるように持ち上げた。そして相手が寝ているのをいい事に、その手でじっくりと柔肌の温もりを堪能する。完全に痴漢、変態に類する者の行動だ。
だが、そんなミラの下心に気付ける者はそういない。今の締まりのない顔を見てもなお、飛び抜けた美少女であるミラの内心を察する事は非常に困難だろう。正体を知る者達以外は。
当然サソリは気付くはずもなく「その位置で止めておいて」と言って、ミラの行動に微塵の疑いも持たず女性の両足を縛りあげていった。
「はい、出来た。次は両手を後ろ手に結ぶよ」
「うむ、分かった!」
元気良く返事をしたミラは女性の脚をそっと下ろして上半身側へ移動すると、女性に跨り正面から胸元に抱きついて、よっこいしょと身体を起こすように持ち上げた。
「えっと、じゃあ縛っちゃうから少しそのままで」
「うむ、任せておけ!」
サソリは、うつ伏せにひっくり返すだけでよかったけどと思いながらも、頑張って抱き上げたミラの意を汲んで、手早く女性の両手に布を巻きつけていく。その間ミラは、全身で温もりを味わっていた。
サソリの手際の良さもあって、捕縛作業には数分とかからず、最後に猿轡を噛まして女性の拘束は完了した。
それをミラは、一歩引いた位置から眺める。
目立つところはほとんどないが、その肢体は女性らしい丸みを帯びていた。そして肌色の目立つ下着姿のまま、その女性は両手両足を縛られている。極めつけは口元の猿轡だ。
実に犯罪的な光景ではないか。
(キメラなどに加担するから、こうなるのじゃ!)
ミラは、じっくり観察するように見つめては、心の中で正当性を主張した。
「それじゃあ、予定通りにいこうか」
拘束に緩みがないかと隈なく点検して確認を終えたサソリは、そう言いながら今度は自らが服を脱ぎ始める。
「じゃあミラちゃん。これお願いね」
ミラの目の前で下着姿を晒したサソリは、脱いだ服を全て差し出した。
「うむ、しかと預かろう!」
ミラは力強く返事をして、まだ温もりの残る脱ぎたての服を受け取る。そして女性から剥ぎ取った服を拾い上げていくサソリをじっくりと視界に収めた。
サソリの下着は丈の短い黒のレギンスと、これまた丈の短い黒のタンクトップだ。それ自体に色気といった要素は皆無であるが、程よく引き締まったサソリの身体と合わさった結果、シンプルな分その健康的な肉体をより際立たせ、一つの完成した色気を生み出していた。
これもまた素晴らしい。ミラはサソリの下着姿にそんな感想を抱きつつ、締まらぬ顔でにやにやと見つめながら、サソリの服をアイテムボックスに収納する。
そうこうする間にも、サソリは堂々と覗くミラの視線に気付く事なく、女性の服に袖を通していった。
「あ、あ、あー、あー。サソリじゃないでーす」
サソリは全身着替え終えると、今度は発声練習を始めた。その声は一言ずつ変化していき、少しして別人のものになる。その声は、目の前で眠っている女性のものだ。
愚痴を零していた女性の呟きを記憶していたサソリは、それを見事に再現したのである。
「見事な特技じゃな」
ミラは、まるで創作物語に登場する怪盗の如き妙技に心底感嘆した。
「ものまねは子供の頃から習ってたからね」
ミラに褒められて気を良くしたのか、サソリは得意げに仕上げのマスクを被りながら声を弾ませる。それはもはや、ものまねという域を超えていたが、物心ついた時から訓練していたサソリにとっては他愛ない事のようだ。
二人が考えた作戦とは、サソリが女性のふりをして外に出てしまうというものだった。そうする事で入り口の警備兵は幹部女性が帰ったと認識する。その後いなくなったと分かった時には、そのように証言もする事だろう。それによって、メルヴィル商会の敷地内で拉致したという真実を隠す事が出来る。余計な警戒心を与えずに済むのだ。
幸いにも女性は素顔を隠すマスクをしており、顔は幾らでも誤魔化しようがあった。背丈も同じくらいで声は似せられる。なのでサソリは、この作戦を提案したわけだ。
絶好のこの場面で確実に幹部を捕縛して、なおかつ、その目的を曖昧にぼやかす事も出来る。もしもミラが一人で来ていたら、こう上手くはいかなかっただろう。
「あ、ミラちゃん。これ見て」
作業道具だろうか、女性の持ち物をまとめていたサソリは、ふと棺の中を見つめたまま手招きする。
「ぬ、どうした?」
言われるままに歩み寄り、ミラは棺の中に視線を落とした。そこには、ぼろぼろに薄汚れた布に巻かれた何かが横たわっていた。
包まれているものが何かは見えない。だが、見ただけで大体の予想は出来るだろう。布に巻かれて棺に納められた物体。
そう、ミイラである。しかもそれはただのミイラではなかった。女性の手によってだろう、布の一部が剥がされており、そこからは真っ黒な霧を漂わせる腕が覗いていたのだ。
「この霧は……もしや」
驚いたミラは、その手を伸ばしミイラの頭部にあたる布を掴んで、おもむろにそれを取り除く。布は内側になるほど黒く染まっていた。そしてミラが最後の一枚を剥がした直後である。
骸の顔が露になると同時、黒い何かが一気に噴き出したのだ。
緊張感を突き破ったその勢いに、「ひぃっ」と堪らず小さな悲鳴をあげたサソリは、壁際まで飛び退いた。その隣でびくりと肩を震わせていたミラは、声までは出さなかったものの布を放り投げ、その場で硬直する。集中していた分、驚きもひとしおだったようだ。
その黒い霧は噴き出しただけで他は何もなく、ただ天井に衝突すると溶けるように消えていった。
「びっくりしたぁ」
「まったくじゃ。心臓に悪い」
気を取り直したサソリは、笑いながらそう言って棺の近くにまで歩み寄る。ミラはといえばむすりと唇を尖らせ、露になった骸の顔を睨みつけていた。
その顔は、ミイラとはいえほとんど皮膚は残っていなかった。布の奥にあったのはほぼ頭蓋骨だ。
しかし、普通の頭蓋骨とはまったく違う。それは闇のように黒かった。そして噴き出した霧は消えたが、頭蓋骨は未だに不気味な黒い霧を纏ったままである。そしてなにより特徴的なのは、額に生えた二本の角だった。
「これって、もしかして」
人の形をしていながらも、明らかに人のものではない特徴を有する頭蓋骨。つい先日知ったばかりであるその特徴を前に、サソリが息を呑む。
「やはりそうか。するとまさか、この全てが……」
ふと浮かんだ疑いが真実となる。ミラは目の前の骸から視線を外し、そのまま周囲の穴に向け、そこに収められている棺を一望した。
呪いの黒い霧、そして二本の角を持つ骸。それは正しく鬼そのものの姿である。
ミラはサソリの手を借りて、他の棺を幾つか検める。結果、どの棺にも鬼の遺骸が納められていた。
「なるほどのぅ。これを利用したから、精霊相手に戦えたという事じゃな」
棺から足元に置かれた袋に目を移したミラは、その中を確かめ納得したように頷いた。袋の中には店で黒霧石と呼ばれていた欠片、鬼の骨が詰め込まれていた。
このカタコンベは、鬼の埋葬地だったのだ。精霊を蝕む呪いの大元である鬼の骸が、ここには幾らでも眠っているのである。この大量の呪物を利用出来たからこそ、キメラクローゼンは、精霊という強大な力を相手に圧倒出来たのだろう。
そして古代環門で戦った幹部の男が持っていた武装から、これらを利用する研究も随分と進んでいるはずだと予想出来る。
ミラ達は、剥ぎ取った布を骸に再び被せて棺を閉めて、それらを全て元の位置へと戻した。そして忘れ物はないかと、一通り確認する。もしも拉致に気付かれた場合に備えての証拠隠滅だ。
(これだけの呪いを放置は出来ぬが、今は仕方がないじゃろう)
最後の点検を終えたミラは、ふとそこにある棺を見回して、そう思う。
精霊王の加護でサンクティアの真の力を引き出せば、鬼の呪いを祓う事が出来るかもしれないという事で、ミラは空いた時間に慣れない聖剣を手にして、色々と試していた。しかし未だに、その感覚を掴めていない。
だがそれも当然と言えるだろう。精霊王は人知を超えた存在だ。そしてサンクティアもまた人知を超えた存在の娘であり、契約したばかりという状況も相まって真の力どころか、通常の力にすら遠く及ばないのだから。
(いずれ必ず、約束は果たそう)
今はだめでも、いつかは。ミラは薄っすらと笑みを浮かべながら、そう身のうちに宿る精霊王の力に誓うのであった。
噂には聞いていましたが……。
先日、ストリートビューで海外旅行をしていた時の事。
こんなところで、ぐだぐだ暮らしたいなと考えながら、ふと民家の窓を覗くと。
なにやら、不気味な顔が……。
ジーザス。