101 灰色
百一
陽光すら掻き消すほどの閃光を放ち、瞬く間に広がった熱と衝撃波は、周囲に圧倒的な破壊を撒き散らした。
極限の日射ともいえる光熱と、断末魔にも似た爆音、そして津波の如き衝撃。それは幾度も連鎖するように繰り返し一面を焼き払う。
「これはなんとも……。流石は精霊王の力じゃな」
破壊の嵐が過ぎ去る。ミラはそこにありながらも傷一つなく、ひょっこりとペガサスの翼の下から顔を覗かせた。それから忌々しげに呟きつつ周りを一望して、被害状況を確認する。
空は相変わらずの透き通るような蒼だ。だが、周辺の様相はあからさまに一変していた。
あちらこちらに倒れていた守護精霊の遺体は跡形もなく消え去り、崩れかけの階段は表側のみ白く変色している。そして焼き払われた地面を埋め尽くすのは、真っ白な灰だ。
その光景にミラは、まるで一瞬で過ぎ去った時間に一人取り残されたような印象を受けた。
「零れ落ちた力だけで、これ程とはのぅ……」
ミラの正面。そこには背にした全てを守るべく両手に城壁の如き重厚な盾を持ち、身体の半分を焼かれながらも最後の砦としての使命を全うした、灰に塗れた白い騎士の姿があった。
騎士の背に一切の傷はなく、ミラの足元にもまた灰は塵一つ落ちてはいない。
「ご苦労じゃったな」
ミラはその背にそっと触れて、ホーリーロードを送還した。
ふわり。白騎士が被った灰が舞い落ちた時、周囲を大きな影が覆い、突風が巻き起こる。全ての灰を一斉に宙へと誘い、吹雪の如く大気が流れれば、ペガサスの翼がそっとミラを包み降り注ぐ灰を払い除けた。
「さて、多少なりとも収穫があれば良いのじゃが」
翼の隙間から期待を込めて空を見上げるミラは、その目に巨大な怪鳥の姿を映し呟く。
それはミラが召喚したガルーダだった。男が逃走の意思を示した際、気づかれぬよう背後に喚び出し控えさせていたのだ。
どうやらそれが功を奏したようで、ミラの前に降り立ったガルーダは、肢で掴んでいた血塗れの棺を置き、更に嘴に銜えていた何かをミラに差し出した。
「ほう、これは……。うむ、でかしたぞ」
それは小袋に入れられた壷であった。棺と共にガルーダが空中で奪い取ったようだ。
キメラクローゼンの幹部の一人。その男がとった最終手段は、鎧の強力な守りの力に任せ、精霊爆弾の強烈な爆風を利用し吹き飛んで脱出するというものだった。
流石の鎧も精霊王の力は抑えきれず、男はかなりのダメージを負ったようだが、逃走には成功していた。
だが、誤算が一つあった。ガルーダの存在である。脱出途中に襲われた結果、満身創痍の男は抵抗しきれず、もっとも大事な精霊王の力を蓄えた壷を奪われ、更に棺を身代わりにする事でどうにか難を逃れたという有様だった。
「どちらもご苦労じゃったな」
後方に転がる精霊剣と霧の剣。そして棺。幹部には逃げられたが、最大の目的である精霊王の力の奪取を防ぐ事は出来た。加えてキメラクローゼンの秘密に繋がるだろう重要な戦利品も得た。それらを改めて確認したミラは、二体を労い送還する。
それからミラは、精霊剣と霧の剣を拾い上げ、棺の傍にまとめて置く。
精霊剣は間違いなく優秀な武器であるが、キメラクローゼンが所持していた陰の剣だ。これまで得られた情報を統合すれば、犠牲となった精霊が関係していると想像出来る。なので五十鈴連盟の中に使いたいという者はいないだろう。
そしてもっとも気になるのが、黒い霧だ。
霧の剣と、霧のゴーレム。そして先日礼拝堂で目にした霧の骸骨。これらは同種であると、ミラは戦いの中で確信していた。
(精霊を蝕む呪い。たしかそう言っておったな)
礼拝堂での一件。沈黙の精霊ワーズランベールは、黒い霧を呪いだと呼称した。
呪い。すなわち、何者かが精霊を呪っているのだろうか。それとも因果関係のない現象の一つなのか。そして、なぜキメラクローゼンはこの黒い霧を利用出来るのか。
考えてみたものの、さっぱり情報が繋がらず、ミラは即座に思考を放棄する。
一番重要なのは黒い霧の正体だろう。それが判明しなければ結論の出せない問題である。
ミラは改まるように棺へと向き直った。
その棺には鍵がかかっていた。下手に開けようとして壊してしまうより、持ち帰って専門家などに任せたほうがいいだろう。
そう思い持ち帰ろうとしたミラだったが、どうにも棺はアイテムボックスに収められない分類のようだ。ならばと取っ手を掴んだが、棺はびくともしない。
またガルーダを召喚して、地上に下ろしてもらおうか。
ミラがそう考えた時、不意に灰塗れの世界が一変した。
「なんじゃ!?」
慌てて見回してみれば、空に幾億の光の粒が輝き、振り返れば虹に彩られた街が延々と広がっていた。そして正面には、宝石の如く煌く大宮殿が天高く聳えている。そこはまるで、宇宙に漂う夢の国のようであった。
「……わし、死んだ?」
ミラがそう思うのも無理はない事だ。光の粒が流れ落ちれば一斉に空が動き、幾万の光の線が描き出されるその光景は、もはや人知を超えた世界なのだから。
余りの状況の変化に流石のミラも焦りを浮かべ、おろおろと落ち着きなく同じ地点を回り始めた。そんな時だ。
「驚かせたようだな。すまない」
その声とともに大宮殿の門が開く。するとそこには、圧倒的な存在感を放つ偉丈夫が立っていた。しかも純白の法衣を纏うその男は、ミラの三倍は超える身の丈があり、視覚的な迫力もまた抜群だった。
「これはなんとも……」
ミラはその男が何者かを知らない。しかし、一目見ただけでその男が何者かを悟る。
直感、本能、そして状況。その全てから導き出された名は、『精霊王シンビオサンクティウス』。全ての精霊の頂点にある存在だ。
「全て見させてもらった。我が力の流出、それを阻んだ貴殿の尽力を。精霊王シンビオサンクティウスの名において、貴殿に感謝を送ろう」
精霊王はミラの正面にまで歩み寄ると、身を屈めてそう礼を述べた。それでもなお、その顔はミラの頭上高くだが。
「当然の事をしたまでじゃ」
精霊王に感謝された。その事実に興奮したミラは、いつもの如く自信満々にふんぞり返る。
「当然の事か」
ミラの言葉には『人類の善き隣人である精霊を助けるのは当然』という意味が込められていた。それを汲み取った精霊王は、尋常ではない威光を放ちながらも淡く優しい笑顔を浮かべ、心底嬉しそうにそう呟く。
「おお、そうじゃ。これに力が封じられておるようじゃから、精霊王殿に返そう」
そう言ってミラは、不思議な模様が刻まれた壷の蓋を開けて差し出す。すると、そこから光の粒が噴き出した。
「おお!? これは、なんとも……」
まるで滝をひっくりかえしたかのように止めどなく溢れる光の奔流は、空一面を多い尽くす。小さな壷のどこにこれだけの量が入っていたのか。ミラは、呆然とした様子でそれを見つめていた。
暫くして流出が落ち着くと壷は砕け散り砂となって消える。その直後、今度は光が流星の如く降り始め精霊王に吸い込まれていく。
「流石は精霊王の力じゃのぅ」
その光景を前にしたミラは、これだけの力の爆発によく耐えられたなと、改めて精霊爆弾の事を思い出し苦笑する。
「確かに受け取った。重ねて礼を言おう」
溢れ出した全ての光が収束し、再び静寂を取り戻した空は、これまで通りの輝きを満天に映す。どちらにせよ目に映る景色は圧倒的で、ミラは空を見上げたまま「当然の事をしたまでじゃ」と再び口にした。
「そうかそうか」と呟いた精霊王は、まるで孫を可愛がるかのような温かい目でミラを見つめる。
「それと貴殿は、我が眷属達からも随分と愛されているようだ」
ミラの内に宿る多くの精霊達の加護を見抜いた精霊王は、なおも嬉しそうにそう言ったあと、何かを思い出したように「おお、そうだ」と声を上げる。
「あの者達と戦う貴殿に是非我も助力したいと思い、ここに呼ばせてもらったのだった」
「なんと!」
その申し出は願ってもないものだ。精霊武具で武装した男は相当な戦力を有していた。そして、精霊爆弾などという非道な兵器までも所有しており、当然、他にも精霊の力を利用した兵器があるだろうという事は予想出来る。キメラクローゼンが、どれだけ戦力を隠しているか未知数だ。それに対抗するため、上位の力を得るのは非常に有効だろう。
「先程見せてもらったが、我が娘の力を使っていたな」
「ぬ……? 娘、誰の事じゃ?」
知っていて当然とばかりに精霊王が口にした言葉に、ミラは疑問符を羅列して問い返す。精霊王の娘。しかも先程の戦闘で、ミラはその娘の力を使ったという。
とはいえミラは、そもそも精霊王に娘がいるという事自体が初耳であった。
「サンクティアだ。会った事があるだろう」
「なんと……先日会ったばかりじゃ! しかし武具精霊じゃったと記憶しておるが……」
サンクティアは聖剣の武具精霊だと認識していたミラ。武具精霊は、まず先に武具があり、そこに生まれ宿るという存在だ。その流れにあてはめると、精霊王との繋がりは存在しないように思えた。
それとも、精霊全てが子だという、壮大な話なのだろうか。考えた末、そんな答えに辿り着くミラだったが、正解はまったく別だった。
「傍に聖剣があっただろう。あれは我の指の骨で拵えたものでな。サンクティアもその時生まれたのだ」
そう言って精霊王は、左手をミラの前にかざす。見れば、確かに小指の長さが短くなっている。つまり、精霊王の左手の小指の骨で聖剣が作られたという事だ。
「精霊王所縁の聖剣とは……これはたまげたのぅ」
ミラは想像した曖昧な答えよりも明確で密接だった、サンクティアと精霊王の関係に心底驚嘆する。そして、聖剣自体の希少性にもだ。
全ての精霊達の頂点であり、神にも等しいといわれる精霊王が作り出した聖剣。それはミラが記憶している聖剣魔剣の類の中でも、頭一つ飛び抜けた逸話であった。
もはや聖剣ではなく、神剣の域だ。ミラが驚くのも無理はないだろう。
「本来、我が精霊力を人が扱う事は出来ない。だが我が分け身ともいえる娘と繋がる貴殿ならば、娘の力と合わせる事で我が精霊力を多少は活用出来るだろう」
精霊王がそう説明してから右手をかざすと、不意にミラの服が解けるように脱げ落ちた。
「おお!?」
服も下着も全て脱がされ裸にされたミラは、その不思議な感覚に驚き声をあげる。
「貴殿には、我が加護を授けよう。暫くじっとしていてくれ」
精霊王はそう言ってから、ミラの胸元に指先を当てる。するとミラの全身を熱い何かが駆け巡り始めた。
「心得た! 精霊王の加護とはありがたい!」
驚いたのも束の間、ミラは即座に納得し動きを止め、そして同時に歓喜する。
精霊の加護にはそれぞれ決まった文様があり、それは目に見えない特殊な色彩で身体の一部に刻まれる。
そして今回も例に洩れず、精霊王の文様がミラの身体に刻まれていった。しかし、唯一違っていたのは、身体の一部ではないという点だ。それはまるで大地に広がる根のように、胸元から全身に広がっていったのだ。
「流石に、格が違うのぅ」
ミラは、身体の隅々にまで浮かび上がる文様を見つめながら、嬉しそうに声を上げた。
「この加護を通せば、多少なりともサンクティアに宿る我が力を引き出せるはずだ。慣れぬ内は負担も大きかろうが、そこは上手くやってくれ」
触れた手を離すと、精霊王は何かを託すようにそう言ってから、今度はそっと左手をかざす。すると解けた服が逆再生するようにミラの身体を包んでいった。
「ところで、娘は……。その、どうだった。元気だったか?」
すくりと立ち上がった精霊王は、急にそわそわとしながら、ちらりとミラに視線を向ける。強大な存在感はそのままであるにも拘らず、精霊王のその気遣うような表情は、正に親の顔そのものだ。
「安心するとよい。友人にも恵まれ笑顔満面じゃった」
精霊を蝕む黒い霧のせいで長い間閉じ込められ、危険な状態だった。そんな既に解決した過去には触れる必要もない。そう考えたミラは、助け出したあとの事を思い浮かべて答える。
「そうか。そうかそうか」
精霊王は安心したように微笑み、好々爺然とした様子でミラを見つめ「ありがとう」と小さく言葉にした。
「時に、一つ聞きたい事があるのじゃが。よいじゃろうか?」
「ああ、構わない。言ってくれ」
ミラが話の流れ上、ふとある事を思い出し問いかけると、精霊王は真剣な表情を浮かべて頷いた。
「……先程の戦いで、わしが戦っておった男の持っていた剣と、ゴーレムなのじゃが。精霊を消し去る力があった。あの黒い霧の正体を、精霊王殿はご存知か?」
ミラはあえて礼拝堂での一件を出さず、同種であろうキメラクローゼンが利用していた二種類を例に出す。
「ああ、知っている。それは、鬼の残留思念であり、滅んでも尚続く、憎しみの呪いだ」
ゆっくりと目を閉じた精霊王は、遠い過去を思い出すような口調で答えた。
「鬼の、じゃと? それは、この鬼じゃろうか?」
言いながらミラは、人差し指を立てた両手を両耳の上に添えて角に見立て、よくある『鬼』のポーズをしてみせる。
「そうだ。二本の角を持つ、その鬼だ」
どこか滑稽なミラの格好に思わず微笑んだ精霊王は、そう言ってから、鬼について語った。
数万、数十万年の昔に、精霊と対立していた存在。それが鬼なのだという。
鬼は己がために自然を食い荒らして数を増やし、更に自然を破壊していく。当然その性質から、自然を生活の場とする精霊達との諍いは絶えず、事ある毎に問題が起こった。
初期の頃は精霊達が歩み寄り、棲み分けるという事で落ち着いていた。だが自然を荒らしつくした鬼達はその約束を破り、精霊達の棲み処を奪い始める。
そしてそれは次第に加速していき、遂に精霊と鬼の全面戦争が勃発したのだった。
勝利を得たのは現状から分かるとおり精霊側だが、結末は実に悲惨であったようだ。
多くの自然が失われ、精霊達の数も激減した。そして精霊王は当時の戦いで、世界の理に干渉するという<禁じられた魔法>を使った事で、現世にいられなくなるという咎を負ったのだという。
そして敗北した鬼側は糧を失い、その結果、絶滅した。だがその直前、鬼達は精霊達を強く恨み憎んだ。
その強い思念が、今でも呪いとなって世界に残留している。そう言って、精霊王は話を締め括った。
「鬼、か。そのような歴史があったとはのぅ……」
余りにも古く、そして想像もつかないほどに途方もない話である。壮大すぎる内容に、ミラはただただ呆然と呟いた。
「まあ、今は昔の事だ。それよりも呪いについてだが。我が精霊力とサンクティアの真の力を合わせれば消滅させる事が出来るはずでな。後始末、と言ってはなんだが、どこかで見つけたならその都度消してほしい。もちろん、その分礼もしよう」
「なんと、そのような力が。ふむ、善処すると誓おう!」
精霊を完全に無効化されてしまう厄介な呪い。その対処法がサンクティアに秘められているようだ。ミラはその朗報に喜び、それはそれは嬉しそうに了承した。
「では、我が眷属たちの事を頼む」
精霊王はミラに真っ直ぐ向かい合い、改まってそう口にした。
「うむ。尽力しよう」
ミラもまた姿勢を正して正面から視線を受け止め、力強く答える。
「ああ、それとだ。その加護が身体に馴染んだ頃にまた来ると良い」
精霊達への確かな愛を秘めたミラの姿に『流石は娘が選んだ人物だ』と満足した精霊王は、ふと思い出したようにそう言葉を付け加える。するとその言葉でミラの様子が激変した。
「なんと! 必ず来ると約束しよう!」
加護が馴染んだ頃に。つまり、精霊王の力を使いこなせるようになったら。この言い回しは、様々な物語で頻繁に見られる新たな能力を得るための、お約束だ。精霊王の言葉を即座にそう解釈したミラは、喜色を満面に浮かべ全身で喜び高らかに再来を宣言した。
「なにやら意気込みに差があるように聞こえたが」
ミラのあからさまな態度を前に、精霊王はどこか楽しそうに言う。
「気のせいじゃろう。わしは精霊を愛しておるからのぅ」
対してミラは、なんの事だとしらを切り自信満々にふんぞり返った。精霊王は、そんなどことなく頼もしく見えるミラの姿に笑い「では、またな」と言ってその頭に優しく触れる。
直後、世界は再び一変して、ミラは灰塗れの古代環門に戻って来たのだった。
面白い夢だったという記憶はあるのに、内容をさっぱり覚えていない……。
なぜなのか。