100 賢者 対 幹部
百
幻影回廊の最深部、古代環門にてキメラクローゼンの男と対峙するミラ。
探り合うように交わされた二人の視線。それが外れた瞬間、戦況は途端に静から動へと移り変わった。
男の周囲に黒騎士が姿を現し一斉に斬りかかったのだ。そう、ミラの同時召喚である。
「さっきも見たが、早いな」
唐突に出現すると共に行動を起こす三体のダークナイト。その迅速な召喚速度に僅かな焦りを浮かべるも、一気に降り注ぐ黒い大剣の強烈な一撃を剣で受け切った男は、そのまま腰に帯びたもう一本の剣を撫でるように振り抜き黒騎士達を切り裂いた。
「残念だったな。精霊斬りが出来るのはゴーレムだけじゃねぇんだ」
三体の黒騎士が瞬く間に霧散していく中、男はそう言って二本目の剣を再び鞘に収める。ちらりと見えたその刀身には、黒い霧が纏わりついていた。
「また一つ、問わねばならぬ事が増えたようじゃな」
黒い霧は精霊を蝕む呪いだと聞いたミラは、それを利用する男を忌々しげに睨みつける。精霊という共通点を持つ、黒い霧とキメラクローゼン。今回の一件により、その関係は深部に繋がっているだろうとミラは直感する。
「さて、それも答える義理はないな」
男はふてぶてしく口角を吊り上げて精霊剣を振り上げると、ミラを真っ直ぐ見据えその腕を振り下ろす。するとその軌跡は赤く輝き、再び豪炎が生み出された。
視界を埋め尽くす赤の嵐。それを白の騎士で受け止めたミラは炎の中、あらかじめ設置していた召喚地点から術を発動させた。
追撃のため再度剣を振りかぶった男の死角より、黒騎士が斬りかかる。
「同じ事を!」
それは精霊武具の性能か、見るまでもなく黒騎士の気配を咄嗟に察知した男は小さく舌打ちして振り返り、黒の大剣を半身で躱す。そしてそのまま素早く踏み込み霧の剣を抜き放てば、黒騎士の胴を一撃で寸断した。
霧の力によって黒騎士が塵と化す、その直後だ。霧の剣を手にした男の腕に、黒い大剣が打ち下ろされる。
その大剣は、男の腕が完全に伸びきった時、回避を許さぬ絶妙な瞬間を狙って放たれた。
刃が男の腕に触れる。同時に鈍い金属音が響き渡ると、それが鳴り止まぬ内に大剣は幻のように消え去った。
「空中から腕が現れたように見えたな。今のも召喚術って事か。まったく、驚かせてくれる」
それは確かに直撃したはずであった。しかし男は中空を睨みつつ、事も無げにそう言って霧の剣を鞘に戻す。
どうやら精霊の力が宿ったガントレットは、ダークナイトの一撃すら防ぎ切るほどの強度があるようだ。
「かすり傷一つないとは、自信を無くすのぅ」
炎が燃え尽きたあと、ミラは半壊した白騎士の傍で佇みながら男の腕を見つめ、そうぼやく。その表情には言葉と正反対だろう不敵な笑みが浮かべてだ。
「どの面でそれを言う」
それを見据えながら男は腕を強調するように構え直し、口角を吊り上げ笑い返した。
「この面じゃ。可愛いじゃろう」
そう言ってミラが頬に掌を添え自信満々にポーズを決めれば、男は「それは認めるが、俺の好みではないな」と吐き捨て、一気に踏み込み攻勢に移る。
「なんじゃ、つれないのぅ」
その重装からは想像も出来ない俊敏さで駆け抜ける男。ミラはそれを迎え撃ち、ダークナイトを連続で召喚していった。
男は全方位から続々と迫る黒の大剣を捌きつつ霧の剣で切り捨て、それこそ術士とは思えない体術でミラに迫る。
「マナは底なしか?」
男が瞬く間にミラの目の前まで到達すれば、そこに最終防衛線が立ち塞がる。三体のダークナイトだ。
「鍛え方が違うのでな」
今度の黒騎士は、これまでと違った動きを見せる。一斉に斬りかからず囲むようにして間合いを計り、波状攻撃を仕掛けたのだ。
だがそれでも、男は見事に対応した。黒の大剣を精霊剣で防ぎ、胴を霧の剣で両断。そして、そのまま手を返し背後から迫る黒騎士を斬り捨てて素早く向き直る。
瞬く間に二体が倒され、残る黒騎士は最後の一体。
黒騎士の渾身の一撃が振り下ろされる。その剣を男は、慣れたように容易く精霊剣で受け止め、霧の剣を持つ手に力を込めた。
その時である。
突如、黒騎士と男の間から甲高い破裂音が響き、閃光が迸った。
サンクティアの力だ。最後の黒騎士は、黒の大剣ではなく召喚された聖剣を手にしていたのである。
「これは!?」
発現した聖剣の力は男の持つ精霊剣を弾き飛ばし、光は男の視界を光で埋め尽くして視力を奪った。
それは、防御において鉄壁を誇る男がみせた一瞬の油断だ。
だがその一瞬は、計算されて生み出されたものであった。黒騎士の剣が直撃しても鎧は砕けない。その事実が、剣への注意力を散漫にさせたのだ。
「さて、口は閉じておいたほうがよいぞ」
男は未だ眩む目を無理矢理こじ開けた。しかし、その視界にミラの姿はなく、その声も遠くなった耳には霞んで聞こえていた。
僅かであるが隙を見せた事を把握した男は、咄嗟に守勢をとる。黒騎士による一斉攻撃、いや、それ以上にも備えてだ。どのような攻撃だろうと鎧は傷一つつかないだろう。とはいえ、無防備に数十と撃たれれば綻びが生じるかもしれないと想定しての行動である。
しかし、それは悪手だった。
男の正面。それも懐深くにまで潜り込んだミラは、姿勢低く備える男を金色の魔眼でちらりと見上げ口端を吊り上げる。
「受け取れ。とっておきじゃ!」
力強く両脚を大きく広げ重心低く構えたミラは、開いた右手を鋭く男の胴に向けて突き出した。
【仙術・相伝:十六夜風車】
その瞬間、膨大な風が生まれ爆発するように吹き荒れた。
「なに!?」
身を横たえて激しく渦巻くその風は、男を巻き込み空間を貫いていく。その圧倒的な風圧は男の身体をいとも容易く宙に巻き上げ、幾度も激しく地面に叩きつけた。
ミラの手から放たれたのは、竜巻だった。咆哮を轟かせ激しくうねるその姿は、それこそ地を駆ける龍そのものである。触れる全てに爪を立て、無慈悲に破壊していくその龍は、同時にミラの腕にも牙を剥いていた。
(ここまで痛むか……。流石に、相伝はしんどいのぅ)
ミラは血の滲む腕にちらりと目を向けて、ずきりと響くその痛みに眉根を寄せる。
仙術相伝。それは仙術の中でも特殊であり、ミラの力をもってしても膨大な魔力の余波を抑えきる事が出来ず自傷してしまうほどの術であった。
だがそれゆえに、効果は絶大である。覚悟を持って放たれた暴虐の風は、散々荒れ狂ったあと正面の直線状に無数の爪痕を残し消滅した。
「ぐっ……。こうきたか……」
古代環門の奥。暴風に弄ばれた男は、崩れた階段の傍にまで押し返されている。階段の端に手を置いて覚束ない足で立ち上がるものの、途端に男は表情を苦痛で歪めて跪くように体勢を崩す。
「少しは効いたようじゃのぅ」
ミラはそう言いながら地面に落ちた霧の剣を拾い上げて、そのまま背後に向けて放り投げた。
ダークナイトの一撃すら防ぐほど強靭な鎧。加えてペガサスの雷も通らなかった事を考慮すれば属性攻撃にも相当な耐性があると予想出来た。それはもはや無敵にも近い鉄壁の守りだ。
しかし、硬いだけで相手出来るほど、九賢者というものは易しい存在ではないという事だ。
どれだけ硬い鎧でも、否、だからこそ何度となく地面に叩きつけられれば衝突被害は免れないものである。
「おっと。どうやら、あちらは終わったようじゃな」
そう言ったミラの視線の先では、ペガサスが雷を纏った後ろ足でゴーレムを蹴り砕いたところであった。
「これほどとはな……。欲をかきすぎて引き際を見誤ったか」
ゴーレムが砕け落ちる音が小さく響く。男は相当な痛手を負ったようで、立ち上がる事を諦め片膝をついたままゴーレムが土くれに還るのを横目にする。そして、その目に僅かな恨みと畏敬の色を浮かべミラへと視線を戻した。
「それだけの防具を身に着けておっては、慢心するのも無理はないのぅ」
そう口にしつつ歩み寄っていくミラの下に、戦いを終えたペガサスが駆けつける。そして、術の余波で傷ついたミラの腕を見た途端、慌てたように翼を広げ、癒しの光でミラを包み込んだ。
そんなペガサスにミラは「もう大丈夫じゃ。助かったぞ」と声をかければ、早速直ったばかりの手で、今度は精霊剣を拾い上げ一瞥する。そして「これも相当じゃのぅ」と、男を睨み責めるような口調で呟いて、また後方に投げ捨てた。
「慢心か。そうかもしれないな」
男は、ミラが攻撃力に加え回復力も備えていたと知り自嘲気味に笑いながら階段をよじ登り、そこに置かれていた壷を手に取って覗き込む。中には蛍のような、小さな光がいくつも浮かんでいた。
(少ない……が、まあ、仕方がない。呼び水としては使えるだろう。計画変更だと報告するか)
今後の予定、そして現状の打開策を練りながら壷を腰の袋に納めれば、男は徐に右手をかざしマナを収束させる。すると、向けられた手の先に転がっていたゴーレムが再び起き上がった。
「なんじゃ。先程と形が違うのぅ」
そのゴーレムは、人型ではなく獣の姿をしていた。だが牙などはなく腕も細い、戦力としてはどうにも頼りない姿だ。
その意図は何か。思案するミラの隣でペガサスが警戒の目を向ければ、その獣ゴーレムは四本の足で男の方に歩いていく。
「これは回収が目的だからな」
男がそう言うのと同時に、ゴーレムは壊れた階段の傍にあった棺の中に入っていった。そして即座に蓋を閉めた男は、その棺を担ぎふらつく脚で無理矢理に立ち上がる。
「なにやら帰り支度をしておるようじゃが、容易く帰れると思うのか?」
古代環門の端。そこには窪地を囲む五メートルほどの高さの坂がある。その坂に向かって徐々に後退し始めた男を、ミラは魔眼で睨みつけた。
(これは……。なるほどな。急ぐ必要がありそうだ。まったく、五体満足では帰れそうにないか)
魔眼から放たれる呪力は、精霊の力を秘めた鎧によって減退される。だがそれでも呪力は徐々に染み込み、ゆっくりと男の身体の自由を奪いつつあった。
自身に何が起こっているのか即座に判断した男は、何か諦めたように天を仰いでから、今度は前に一歩踏み込んだ。
「さて、逃げるなら今のうちだぞ?」
男はそう言ってベルトから銀の筒を外し、見せ付けるようにその手を突き出す。その顔に脅しの色はなく、何かを覚悟した者特有の悲壮感染みた余裕が浮かんでいた。
「なんじゃ、それは」
得体の知れないその気迫に足を止めたミラは、男が手にした銀の筒に注目する。それは親指程度の大きさで、端から長い紐がぶら下がっていた。
「これは信管というものだ」
男は不敵に笑いながら、その信管から出る紐を指先で抓み引っ張ってみせる仕草をする。それは近づくなという意思表示にみえる動きだった。
「信管じゃと? それだけでどうするつもりじゃ。爆薬がなければ役に立たぬじゃろうに」
友人伝手だが、ミラはその名称に覚えがあった。
信管は爆薬と組み合わせる事でその真価を発揮する部品だ。ゆえに信管のみでは爆発を起こせず、その事も理解していたミラは疑問符を浮かべ、男の全身に目を走らせる。爆薬を別にして持っていないか確認するためだ。
すると男は、そんなミラの反応により一層笑みを深める。
「あるんだよ。爆薬がな」
そう言って地面に視線を向けた男は「この場には、零れ落ちた精霊王の力が溜まっている」と言葉を続けた。そして強調するように信管を握り、
「こいつは、精霊爆弾の信管だ」
と口にして締め括る。余程の威力を秘めているのだろう、男の表情は自信に満ち満ちていた。
「精霊、爆弾じゃと?」
余りにも不快な響きの言葉に、ミラは顔を顰めて男を睨みつける。同時に、考えうる最悪の想像が脳裏を過ぎった。
「ああ、その名の通り、精霊の力、または精霊そのものを利用した爆弾の事だ」
ミラの反応が気に入ったのか、男は僅かに口角を上げながら、まるで挑発するかのような口調でそう言った。
「ふざけるでない!」
最悪の想像が、現実となる。精霊の命を軽んじ、まるで道具のような扱いをする男の言葉に、ミラは激昂して叫ぶ。
すると男は、そんなミラをあざ笑うかのように、信管から伸びる紐を引き抜いた。そして悦に入った表情を浮かべる。
「威力はその身で確かめろ!」
ミラが跳ぶよりも早く、男は信管を地面に叩きつける。銀の筒はかつりと小さな音を鳴らして跳ね返り、両端から白く小さな火花を飛び散らせた。
それを目にした瞬間、ミラは反射的にホーリーナイトを三体召喚し、同時にホーリーロードへと変異させる。一瞬で形に出来る最大防御だ。
直後、急激に空気が収束すれば、耳鳴りに似た高音が辺り一帯に響き渡り、目に見える全てが白に染まった。
ゆとりが出来てきたおかげか、数年ぶりに新たな漫画の発掘を再開。
読む時間が余りないですが……。
でも、未読漫画の山を見つめて、そこにまだ知らない物語があると思うのも、楽しいです。