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99 幻影回廊

九十九



 幻影回廊は、岩山の遺跡にある門を抜けた先に存在している。そこは百を超える回廊が層になって上下に延々と続くという構造をしており、ひたすら広く、高く、そして深い。いわば、山の頂上から縦に真っ直ぐくり抜いたような吹き抜けだ。

 ペガサスに乗ったミラは今、その回廊の真ん中をひたすら上昇していた。それは外から見た岩山の高度をとうに越えるほどにだ。


(ここにも誰もおらぬか。それどころか、魔物も見えぬな)


 ある目印を探しつつ周囲を観察していたミラは、人影どころか魔物すらいない事に気づく。

 魔物だけならば先に進んだキメラの幹部に殲滅されたのだとも考えられた。だが問題は、その死骸すら見当たらない事である。


(律儀に処理したか、もしくは……。ふーむ。どの道、相当の手錬れかのぅ)


 キメラクローゼンの不届き者集団とでもいう印象から、どうにも魔物の死骸をわざわざ処理したと思えないミラは、もう一つの理由を思い浮かべる。

 それは、オーバーキル。つまり、超過剰な攻撃によって消滅させてしまったというものだ。

 油断するべきではないとミラは気を引き締め直す。するとその時、探していた目印を発見した。それは無数に並ぶ柱の中、円柱に紛れるように存在する四角柱の柱だ。


「あれじゃ。ペガサスよ、あの柱の向こう側にある通路に進んでくれ」


 ミラはペガサスの首にしがみつくようにして身を乗り出し、四角い柱を真っ直ぐ指差す。

 ペガサスは了承の意を込めて小さく嘶き、軽やかに宙を駆けてその通路に飛び込んだ。

 岩山の質感はそのままに、見事なレリーフで全面を飾られたその通路は数百メートルと続く。それほど幅はなく翼を広げるとぎりぎりであったが、ペガサスは卓越した飛行能力を発揮し、速度を緩める事無く疾走していった。


 程なくして通路を抜ければ、そこは先程と同じ吹き抜けの回廊だった。

 いや、正確には違う場所である。幻影回廊の仕組みを知っているミラに驚いた様子は微塵もなく、当然といった顔で、今度はペガサスに下降を指示した。

 幻影回廊もまた天秤の城塞のように、一定の法則で道を辿らなければ最深部には到達出来ない作りになっている。だが城塞ほど難しくはなく、目で見える印があった。それが柱だ。

 下へ下へと滑空しながら、ミラはまた先程のように周囲の柱を注意深く確認していた。目に入る景色には、やはり人影も魔物の姿もない。

 二つ目の回廊。そこは一つ目と同一の場所であった。というより、ここもまたループしており、条件を満たした時だけ先に進めるという仕組みである。


「ぬ?」


 途中、何か黒い染みを見つけたミラは、そこに近づくようにペガサスに指示を出す。


「焦げ跡、のようじゃな」


 下り続けること数百メートル。回廊の真ん中に残った黒い染みは、良く見れば高温で焼かれたのだろう煤の跡だと分かる。

 そしてミラはその原因に心当たりがあった。

 回廊を降る途中で巨大な蜘蛛型の魔物が出現する場合がある。いわゆる中ボスというものであり、かなりの強敵だ。その存在を知っていたミラは、この焦げ跡を、その魔物との戦闘によるものだろうと考えた。


「ふむ……。どうやら、かなりの火力持ちじゃな」


 つまり、ここを通ったであろうキメラクローゼンには、これだけの事が出来る者がいるというわけだ。


(随分な大物が来ていそうじゃな)


 ミラは空の上、吹き抜けの遥か上空に見える黒い円を見つめ、そこに居るであろう強敵を思う。

 それから更に下降を続け回廊の柱を注意深く見回していたミラは、ようやく次の目印を発見した。


「ペガサスや。次はそこの奥じゃ」


 そう言ってミラが三角柱の柱を指差せば、ペガサスは即座に了承し柱の奥の薄暗い通路に飛び込んだ。

 その通路もまた数百メートルと続いており、抜けきれば再び吹き抜けの回廊に辿り着く。

 すると今度は上昇を指示するミラ。同じ景色が続こうともペガサスは疑いも戸惑いもなく、即従い翼を羽ばたかせる。

 程なくしてミラが中途半端に柱のない所を見つければ、ペガサスは素早くその奥の通路に入っていく。

 三つ目の通路は随分と長かった。それでも進んでいく事暫く、不意に通路の幅が広くなり、整えられていた壁面が粗くなった。まるで天然の洞窟に突然迷い込んだようだ。

 それでもまだ先に進んでいく。するとその前方に、明るい光が見える。出口から差し込む日の光だ。


(いよいよじゃな)


 そこにいる存在は、相当な実力者だろう。出口の光を前にしたミラは一旦ペガサスから降りて、先制攻撃のために生体感知で相手の位置を確かめる。


(一人、じゃと?)


 生体感知に反応があったのは一人だけだった。キメラクローゼンの幹部が勢ぞろいしている事を想像していたミラは、更に警戒度を上げる。

 その一人は、単独で幻影回廊を攻略出来る実力があるという事だからだ。

 そうして気を引き締め直したミラは、ペガサスと共に洞窟を抜け陽の光の中に飛び出していく。

 幻影回廊の最深部。古代環門と呼ばれるそこは、周囲を小高い岩で囲まれており、それに沿うように石の柱が並ぶ、まるでクレーターの底のような場所だった。

 丁度出口の向かい側の奥。途中で崩れ落ちたかのような石段の手前。そこにはバイキングのような兜を目深に被り派手な鎧を身に着けた騎士と、傍らには黒い霧を纏った灰色の戦士がいた。

 その周囲には大きな棺、そして二人が手にかけたのであろう精霊宮殿の守護者達の姿があった。


「これは、なんという……。仕掛けるぞ!」


 もしかしたら、深部に居るのはキメラクローゼンではないかもしれない。そんな可能性も考えられた。しかし状況を確認したミラは、即座に敵であると判断し攻勢に出る。


「なんだ!?」


 気配を感じたのか石段前の騎士が振り返る。その反応速度は確かな実力を感じさせるほどに迅速であった。

 だが、それでも遅い。騎士の懐に潜り込んだミラが零距離で"錬衝"を叩き付ければ、ペガサスの雷は戦士を貫いていた。その衝撃と轟音は空気を震わせ、幾重にも木霊する。


「ほぅ、随分と堅いのぅ」


 漂う残響の中、ミラの声が鈴のように凛と響く。その声は感嘆と関心が交じったものだった。

 騎士は数メートル後ずさっただけで、ミラお得意の一撃を無傷で耐え切っていた。その鎧の強度たるや、かつての悪魔以上のものだろう。そこにミラは興味を示し、男をじっくりと注視(・・)した。


(ぬ……。あの兜のせいか……?)


 対象の簡易的なステータスを調べるという、元プレイヤーだけが使える能力。だが、それには条件があり、ミラはソロモンとの雑談でそれを聞いていた。元プレイヤーは調べられないという条件に加え、話によると顔を確認出来ない相手もまた調べられないのだ。


「五十鈴連盟か……。随分と可愛らしいのも居るんだな。しかも、想定よりかなり早い到着だ。驚いたぞ」


 騎士の男は野太い声でそう言って焼け焦げた戦士をちらりと一瞥してから、余裕すら漂わせた笑みを浮かべてみせる。そして浅黒い肌をしたその男は、兜の面の隙間から刃物のように鋭い眼光を放つ眼でミラをじっと見据えた。


「そういうお主は、キメラの犬で相違ないな?」


 蒼一色の空の下。ミラは男を真っ直ぐ見つめ返し、僅かに口角を吊り上げる。


「犬とは言ってくれるな。これでも三つ首の一人なんだがな」


 肩を竦めて余裕の笑みを浮かべた男は、言いながら徐に剣を抜く。


「キメラじゃから、三つ首という訳か。ならばお主は、山羊といったところかのぅ」


 獅子の頭に山羊の胴、そして毒蛇の尻尾を持つ怪物の名を冠するキメラクローゼン。ゆえに三つ首と理解したミラは、男の兜の二本角を見つめながらそう言った。


「印象だけで言っているだろう。ならばせめて毒蛇にしてほしいものだな」


「ふん、ヘビはもう間に合っておる」


 剣を構える男に、ミラがそう返した次の瞬間、空から一筋の光が走り轟音を響かせ騎士の男を貫いた。ペガサスが放った落雷である。


「これは、少し驚いたな」


 僅かに空を仰ぎ雲一つない事を確認した男は、そのまま視線をペガサスに移す。落雷に打たれてもなお男は平然としており、それどころか鎧自体に一切の傷もついていなかった。


(ペガサスの雷を受けてビクともせぬとはな。本人の能力か、それともあの防具の能力か。予想以上に厄介じゃのぅ)


「随分と強力な防御じゃな。もしやそれが奪った精霊王の力か?」


 ミラが探るように言葉を口にすれば、男はそれを一笑する。


「だと良かったんだがな、生憎と往生際が悪い。まあどのみち、時間の問題だろう」


 そう言って男は、後方の崩れた階段に視線を向ける。見ればそこには、不思議な模様の刻まれた壷が置いてあった。


(やはり、まだじゃったか。しかし、もう始まっておったとはな)


 壷の上。見上げれば遠い空の彼方に門があり、そこから零れ落ちる光の粒子が、まるで雪のように上空で集まり幾つもの塊を作っていた。

 

「あと何回くらいだろうな」


 そう言って男が空に手を向ける。すると浮遊していた光の玉が急激に高度を下げて降り注ぎ、幾つかの光が壷に吸い込まれていった。


「ふむ、そういう仕組みか……」


 精霊王の力の奪取は既に始まっているようだ。司令室の柱のスケッチは、精霊王の力を奪うのに必須ではなかったという事である。とはいえ、精霊王の力は膨大だ。なので一度では奪い切れず、更に強力過ぎるため容易に制御出来るものでもない。

 ゆえに効率よく収集出来てないのだ。このあたりが、天秤の城塞でのスケッチを必要とした要因だろう。

 状況からそう判断したミラは、今ならまだ間に合うと確信する。


「お主等の企み、邪魔立てさせてもらうぞ」


 僅かに笑みを浮かべたあと、ミラがそう言って睨みを利かせれば、ペガサスもまた同調するように戦意を滾らせ嘶く。


「やってみろ!」


 それを男は小さく笑い飛ばし剣を振り抜く。するとその剣先が辿る軌跡が赤く輝き、途端に津波のような豪炎が噴き出した。

 男の持つそれは炎の精霊剣だった。その力によって生じた炎は、まるで竜のブレスの如き勢いをもってミラに襲い掛かる。


(これはなんとも、とんでもない威力じゃな)


 その炎は、一瞬のうちに召喚された白騎士の盾に直撃し、激しく周囲へと残滓を撒き散らす。一帯の空気が瞬く間に熱せられ、焼け付くような風がミラの頬を撫でていった。


「この炎……、どうやら陰の精霊剣じゃな。珍しいのぅ。しかしどういうわけじゃろう。最近も見た記憶があるのじゃが」


 周囲を埋め尽くした炎の唸りは、怨嗟の声に満ちていた。それを聞いたミラは顎先に指を添え、赤熱して溶け出した白騎士の後ろから歩み出る。


「聞きたい事が一つ増えたのぅ」


 ミラは白騎士を召喚し直しながら、男の剣を睨みつける。

 陰の精霊武具。それは希少である精霊武具の中でも、更に稀有な品だ。

 数日前に襲撃してきたカイロスがそれを多数所持していた事から、その疑いはあった。そして今回、短期間で二度も目にしたこれらを関連付けない理由はない。


「さて、何の事かは分からんが、答えてやる義理はないな」


「そうじゃろうな」


 ミラが言うと、それを合図にして傍らの白騎士が跳躍する。そして瞬く間に男との距離を詰めてその剣を振り抜いた。

 守りに特化しているからといっても、ホーリーナイトは攻撃が不得手という事ではない。技術面で見ればダークナイトと同等ですらある。

 そんな白騎士が放つ斬撃は鋭く、曇りなき半月の軌跡を描く。


「まあこうなるだろうな」


 それを容易く剣で受け流してみせた男は当然といったように笑い、間髪入れずに斬り返す白騎士の剣を弾く。それでも尚止まらず振り下ろされた白騎士の剣に対し、男は剣をかざし受け止めた。

 高らかに金属音を響かせる白騎士の膂力を込めた一撃が、男の両腕に圧しかかる。


「下級でこの重さか。厄介だな。だが……」


 下級召喚の力。つまりミラの持つ最低限の攻撃力を把握した男は、そう言って苦笑する。だが直後に薄らと口角を吊り上げ、剣に添えていた片手を離して傍らに向けた。

 男の手が淡く光る。するとペガサスの雷で倒されたはずの戦士が再び起き上がり、一気に駆け出し間合いを詰め、手にした剣で白騎士をその象徴たる塔盾ごと両断してみせた。

 否、それはまるで斬られたというより、かき消されたかのような光景だ。


「この現象、もしやサンクティアの時のあやつと同類か?」


 その戦士は、全身に黒い霧を纏っていた。つい先日、湖の底の礼拝堂で見た骸骨と同じような気配を放つ霧だ。その時見た霧は精霊を蝕む呪いであり、状況から判断するなら戦士の霧もまた同質である思われた。


(厄介じゃのぅ)


 防御特化の白騎士が容易く消されたように、霧に対して武具精霊は無力だ。しかしそれは、ミラにしてみれば一度見た能力である。

 霧の戦士が男を守るように立ち塞がる。それを一瞥したミラは驚く素振りもなく不敵に笑う。


「やはり死霊術士じゃったか。しかし、それだけ着込んで術士というのもまた、最近見た覚えがあるのぅ」


 霧の戦士は、死霊術で作られたゴーレムだった。そしてミラは、男が死霊術士であると既に予想していた。この場に来る少し前、生体感知によって生きている者は一人だけだと事前に知っていたからだ。

 ミラは不気味に揺らめく霧を見つめ、優しくペガサスの鬣を撫で付ける。


「あれは任せたぞ」


 そうミラが声をかければペガサスは高らかと嘶き、力強く大地を蹴って飛び出す。

 初速から最高速に達したペガサスは、尋常ではない速度で霧の戦士に肉薄し勢い良く蹴り上げて、更に遠く離れた場所に蹴り飛ばした。そしてペガサスはそのまま天を駆けて追撃に向かっていく。

 戦闘時のペガサスは荒々しく、駆け抜けるその速度は、正しく天馬の如しであった。

 ミラを背にした時の遊覧飛行とは大違いである。


「なんだあれは。とんだ猛獣だな」


 どうにか立て直した霧の騎士を横目で確認した男は、見た目にそぐわぬペガサスの暴れっぷりに失笑する。


「何を言うか。寂しがり屋で優しい子じゃよ」


 ミラがそう反論すれば、男は「親馬鹿にも程がある」と言って笑い飛ばす。


「さて、これで一対一じゃな」


 軽く周囲を見回してから構えたミラは、改めるように目つき鋭く男を睨んだ。


「召喚術士には、一番似つかわしくない言葉だな」


 男は口端を吊り上げたまま、剣の切っ先を突きつけるように片手で構え真っ向から睨み返す。


「融通の利かぬ男じゃのぅ」


 ミラはそう言って、不貞腐れたように唇を尖らせる。だがそんな表情とは裏腹に、その目は狙いを定めるような鋭さで男に注がれていた。

季節的に、今の時期は春キャベツしかないのだろうか……。


オコノミヤキタベタイ。

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