9 魔法少女?
九
まだ朝も早い時間、夜明けを告げる鳥の音を散らし、一台の馬車がけたたましく馬蹄を響かせシルバーホーンの大通りを疾走して行く。
早朝からアルカイト王国の国章を翻し真っ直ぐ銀の連塔を目指すその様子から、住民たちは何事かとその馬車を見送った。
少女は暗闇の中にある瞳孔を刺激する光を感じると、水面下に揺らぐ意識をゆっくりと浮上させる。
天蓋付きのベッドの上、上半身を起こしたミラは着崩れた薄い衣を整えながら、うつらうつらと脳の覚醒を促す様に小さく唇を開き空気を深く吸い込んだ。
しかしまだ漂う眠気の残滓に負けると、視界を遮断して仰向けに寝転がり、再び水面下へと潜水を始める。
意識がまどろみ始めた時、鳥の音すら届かない塔の最上階の静かな部屋に、一定のリズムで何度も何度もくぐもった音が響く。
ミラは静寂に打つ不協和音に半ば無理矢理呼び戻されると、虚ろな視線を焦点が合わないまま漂わせつつ起き上がり、贅沢感溢れる見慣れない室内に疑問符を浮かべた。
「ここは……」
つい零れた高い音色に、昨日までの出来事が脳裏から間欠泉の如く噴出す。同時に眩暈にも似た軽い喪失感と共に「そうじゃった……」と、自身の確立を意識しながら呟いた。
ミラはベッドの端まで慣れない小さな身体を滑らせると腰掛ける形で一休止おく。そこでふと翻った衣から覗いた、少女の艶かしい両脚が目に入った。カーテンの隙間から差し込んだ光がスポットライトの様に照らし、より白くより存在感を際立たせた肌にミラは言葉を詰まらせる。
思春期の少年の様に思わず頬を紅らめながらも、ミラはその肌を見つめそっと確かめる様に指先で触れた。程よい弾力と柔らかい少女の肌、そこに触れられているという確かな触覚。脳に届けられたその電気信号は、今は昨日の続きである事をはっきりと認識させ意識を天上高く覚醒させた。
「……しかし、朝から何の音じゃ?」
頭がはっきりとしてきたミラは、目覚める前から鳴り続けていた不可解なリズムに気付き耳を澄ませる。
トントントン、と硬質な物を叩く様な音の後、何者かの声が遠く掠れる。複数人であるという事だけは分かったミラは、何事かあったのかと寝室を出る。
すると、より一層近づいた音は声も聞き取れる程になり、同時にその意図もはっきりと理解出来るくらいに、雑多だった空気の振動は形を成してミラの耳へ届く。
「ミラ様、いらっしゃいませんか。ミラ様」
「リタリア様、本当にここにダンブルフ様のお弟子という方が居るのですか?」
まず聞こえたのは、上品そうな女性の声と聞き覚えの無い男の声だった。
「間違いないですわ。召喚術の塔の塔鍵をお持ちでしたし、昨日の夜この塔へと入って行く銀髪の少女を見たという者もいらっしゃいました。ならばきっとここで一夜を明かしているはずですわ」
「しかしその後、宿に行ったということはありませんか?」
「塔鍵があるのですから態々宿へ泊まる必要は無いです。設備は全て揃っているのです。私が毎日掃除してますので不備は無い筈です」
更に一人、女性というよりは少女といった声が扉の外から聞こえてくる。
ここで、今までの雑音は扉を叩き自分を呼んでいる音だったのだと認識する。
声は男一人と女二人。その内、女の声はどこか聞き覚えがあったが明確には思い出せなかった為、会えば分かると言わんばかりにミラは扉を開く。
少し見上げる形で相手を確認したミラは、「なんじゃ、リタリアとマリアナか」と見慣れたその二人を一瞥しながら眠気の残る目を手の甲で擦る。
それから直立したまま一歩後ろで控える、軍服を身に纏った男と目が合う。その右肩辺りにはアルカイト王国の腕章が付いていた。
「お主は……?」
「ミラ様! 何という格好をしているのですか!」
「貴方は向こうを向いていて下さいです!」
扉から現れたミラの姿を一瞬呆けた様に見つめたリタリアは、そのほぼ裸に近いミラの肌を抱く様にして男の視線から遮った。同時にメイドの姿をしたツインテールの少女は、サファイアの様にきらめく髪を靡かせながら、薄い衣から溢れるミラの肢体に鼻の下を伸ばした軍服の男を無理矢理回れ右させる。鈍い音と共に。
男は突っ伏す様な姿勢で床と見詰め合う。その背後ではミラがリタリアに抱えられながら、部屋の中へと連行されていた。
「一体何なんじゃ!?」
扉が閉まり革張りのソファーの側に下ろされたミラ。なぜ強制的に部屋に戻されたのか分からず、困惑気味にリタリアを見上げながら返答を求める。
「それはこちらのセリフですわ。いくら賢者の部屋とはいえ来客もあるのですから、このような格好で出てはいけませんっ」
少々怒り気味に、リタリアはその服装について諭した。ミラはそう言われて自分の着ている物を思い出し視線を下ろす。そして天女の羽衣は確かに服とは言えず、下着というにも透け過ぎであると気付いたが、ミラにしてみればそれは大した問題でも無い。元より自室に居る時は気楽な格好で居る事が多く、今ある服といえば寝る前に着替えとして用意した戦闘用に調整されたローブくらいしかない。
最初に着ていた賢者のローブも結局は戦闘用だ。今の格好よりも快適かと問われれば確実に否である。そもそも外出する時に着て行こうとした物だったので、私室内で着る気は微塵も無かったのだ。
「生憎と、丁度良い着物が無くてのぉ」
「こちらにありますわ。せめてこれで肌を隠して下さいませ。そうでなくては劣情を抱いた変態に襲われてしまいますよ」
そう言ったリタリアは、ソファーに掛かっていた赤と黒のローブを手に取りミラに頭から被せた。
もぞりもぞりと襟から頭を出したミラは、そのローブのサイズがまったく合っていない事に気付く。裾は引きずり袖は指先すら出なかったのだ。それどころか、ダンブルフには丁度良かった襟幅はミラにとっては広すぎて胸元が大きく開いた様となり、裸とは違う妖艶さを演出している。
「ぶかぶかじゃ」
「それはダンブルフ様のですから、サイズが合わないのも無理ないです」
言いながらメイドの少女は自身の髪を括っていた髪留めを片方外すと、ローブの襟元を絞る様にして留め直した。赤いリボンの形をした髪留めは、胸元でミラをより少女っぽく飾る。
「締まらんのぅ……」
お気に入りだったデザインのローブも、髪留め一つで威厳が薄れてしまった事にミラは肩を落とす。
「ミラ様。貴女がダンブルフ様の弟子であるというのは本当ですか?」
メイドの少女はミラの襟元を整えながら、一縷の希望に縋るかの様にその瞳をじっと見つめた。
「ああ、そうじゃ。マリアナ、お主の事も聞いておる」
息が掛かるほどに迫ったメイドの少女。サファイアの如く透き通るような蒼髪と瞳、ミラとそう変わらない体躯に薄っすらと蝶の様な羽が背中で揺らいでいる。この羽は、大人になっても人間の子供の様な姿を保ち続ける妖精族であるという事の証であり、風ではなく大気中の魔力を捉えて上空へと羽ばたく為のもの。
そしてこの妖精族こそがダンブルフ付きの補佐官であるマリアナだ。
「良かったです。ダンブルフ様……」
安堵の表情を浮かべたマリアナは瞳を微かに潤わせると、赤みがかった頬を冷ますかの様に雫が幾度となく伝い落ちる。
唐突に泣き出した女の子にミラは大いにうろたえると、どうにも居た堪れなくなり半ば無意識にその頬に手を伸ばす。しかし触れる前に、マリアナの涙の意味を感じ取ると、その手を所在無げに自分の顎に引き戻した。
突然姿を消したダンブルフを想い涙を流す少女、その少女を騙しているという罪悪感にも似た感情がマリアナに触れることを躊躇わせたのだ。
ミラは涙に触発されて言ってしまおうかと思った。せめてマリアナにだけは真実を明かそうかと。しかし思い止まる。どう説明すれば通じるのか、主であるダンブルフがこの様な少女になってしまった事を受け入れてくれるのか、今まで通りでいてくれるのか、そしてマリアナはショックを受けないか。
ミラにとって今までは只のNPCとしてしか接していなかったが、自分の事を思い涙を流す、確立した自我を持つ人間となったマリアナとの接し方がまだ上手く分からなかった。
自分を慕う少女に拒絶されたくないという我侭と、心配をかけたくないという想いがせめぎ合う。すると自然に喉元まで出かかった言の葉はゆっくりと散り沈黙へ落ちていくと、自分勝手な言い訳で蓋をした。
ミラは袖に隠れた手を情けない気持ちで見つめると黙って視線を送る。それに応じるようにリタリアはマリアナの頬をそっと拭い「よかったですわね」と囁いた。
「すいません。もう大丈夫です」
マリアナが気持ちの整理をつけて落ち着いた所で、聞き覚えのあるリズムが室内に響く。
「あの、リタリア様、マリアナ様。もうよろしいでしょうか」
少し間をおいて届いた、くぐもった男の声。マリアナに強制的に後ろを向かせられた軍服の男が正気を取り戻し、王より与えられた任務を遂行するべく再起動したのだ。
「ええ、これから向かいますわ」
そう声を返したリタリアは、本来の目的であったミラに目を向ける。当の本人は、余った袖を揺らしながらソファーの背もたれに身体を預けて伸びをしているところだ。
「して、何用じゃ。あやつは国軍の兵であろう」
「はい、先日ミラ様とお会いした後、ソロモン王様に報告させて頂きました。するとすぐにミラ様とお会いしたいとの事で迎えにいらした、使者の方ですわ」
「ほぅ、ソロモンか……」
アルカイト王国のソロモン王。プレイヤーの一人であり、この国の建国者。更にはダンブルフを自国に誘った張本人でもある。ミラにしてみれば、ルミナリアよりも付き合いが長い友の一人だ。
しかしその様な事を知るわけも無いリタリアとマリアナは、ソロモン王を呼び捨てにする不敬とも取れるこの太太しいミラの態度を、背伸びをしてみせる思春期の年頃から来るものとして微笑ましく感じていた。更にいうとミラのダンブルフと同じ口調は、親の真似をする子供の様に思われている。そしてこれはミラにとっては知らぬところである。
「ルミナリア様も、まだあちらにいらっしゃいますし、謁見の後に会えるかと思いますわ」
「ふむそうか。ならば馳せ参じるとしようかのぅ」
ソロモンが居るという事は、それはルミナリアと同じくプレイヤーの可能性がある。そう思い至ったミラは、呼び出しに応じる事にしてソファーから立ち上がる。
しかし扉へ向かおうしたところで、リタリアとマリアナに止められてしまう。
「お待ち下さい、ミラ様」
「む、今度はなんじゃ?」
「ローブを着たとはいえ、そのまま行かせるわけには参りませんわ」
リタリアの言うそのままとは、引きずった裾と手の出ていない袖。つまりサイズの合っていない状態のローブの事だ。
「ミラ様じっとしていて下さい。すぐに整えますわ」
ミラにはリタリアの目が怪しく輝く様に見えたが、その手から逃れる間もなく捕らえられる。それから嬉々とした様子のリタリアと、どこからともなく取り出した大量のリボンを手にしたマリアナに裾を上げられ袖を捲くられる。
ミラは幾分の抵抗を試みるも二人のコンビネーションに押され、整え飾り付けられていった。
「問題は下着ですわね」
「はい、その通りです」
表を一通り整え終わった二人は、ミラが羽衣一枚で出てきた瞬間を思い出し、ローブの中をどうするか思案する。それと同時に着せ替え人形にされていた少女の背筋には悪寒が全力疾走した。余りにも考えたくない単語が出てきたからだ。
今はローブを着せられて肌を隠しているが、そもそも最初は裸同然ともいえる姿だったのだ。下着を着ていたという記憶などは微塵も残っていない。つまり今ミラは、ノーパンノーブラという事だ。
女子二人は、目の前の少女がその様な状態で居る事を許すわけはなかった。
少し考え込むと、マリアナが何かを思い立った様に「あれがありました。少々お待ち下さいです」と言い、昨日の夜にミラが開き直って突撃した浴室のある扉を開く。
暫くしてマリアナが、何かを手にして戻ってくる。白い生地で出来た衣装の様だがパッと見ただけではミラには見覚えが無かった。それでもどことなく何かで見た事がある気がすると記憶を辿る。
「まあ、丁度いいですわね。さあミラ様」
促すように言ったリタリアだったが、その両手で軽々とミラを持ち上げるとマリアナが「失礼します」と半ば強制的に手にしたそれを穿かせる。そこにミラの意志が入り込む余地は無かった。
ミラは穿かされたそれを見て、その半ズボン状のものが何だったかを思い出す。それはゴスロリといった服でよく見る下着、ドロワーズというものだ。
「なぜこのようなものが、わし……いや師匠の部屋にあったのじゃ……」
どうにか搾り出した言葉は、何てことはない只一番に浮かんだ疑問だ。
下着という種別の装備品は確かにあったが、かつてのダンブルフには女性の下着を収集する趣味は無かったし、そういった物を部屋に置いた覚えも無いのだ。下着類であると言えば、川上り祭りで揃えた七色の褌くらいなものだ。
「ダンブルフ様の私室は、浴室が大きくて気持ち良いのです」
「確かに立派じゃが……」
「私の着替え用です」
「そ……そうか……」
その瞬間ミラは完全に抵抗の意志を失い、大きく項垂れると完全な着せ替え人形と化した。
数多くのリボンで装飾されたローブは、裾がフレアスカートの様に織り込まれ、袖は適度にだぼついた形でリボンを巻かれている。一見すると勘違いした魔法少女といった様相を呈していたが、リタリアとマリアナはやり遂げたかの様にその出来栄えに満足して頷き合う。しかしそれとは反比例する様に、ミラの表情は苦笑に苦笑を重ねたまま固まっていた。
「それではミラ様、参りましょう」
「使者の方がお待ちです」
「着替えたいのじゃが」
「これ以上待たせるわけにはいきませんわ」
「わしが待たせたわけでは」
「あの様なお姿で居るのが悪いのです」
「じゃからと言って……」
この二人相手では勝算を微塵も見出せないと諦めたミラは、視線を下ろしその魔法少女然としたローブ姿の自分を一瞥し「締まらんのぅ」と盛大に溜息を漏らした。
「では参りましょう」
リタリアが先行し扉を開くと、そこには軍服の男が最初に見た時と同じ様に直立の姿勢で待機していた。若干頬が赤くなっているが。
ミラが私室を出てからマリアナが静かに扉を閉める。男はミラのリボンまみれになったローブ姿を隅々まで視界に収めると、その変わり様に驚く反面、先程の肌色が大部分を占めていたミラの姿が脳裏に浮かび上がり若干の興奮を思い出す。
それに逸早く気付いたマリアナは、竜すら沈黙させそうな視線で男を睨みつける。直立だった男は多少ひるんだ様子を見せるも、軽く咳払いをすると右手を胸に置いた型で一礼する。これはアルカイト王国の軍式の礼の仕方だったが、同時にミラの表情が微妙に引き攣ったものとなる。
それというのもこの軍式の礼というのは、絶望的と思われていたアルカイト王国建国後に開戦した初めての戦争に勝利した時、気分絶好調だったソロモンとダンブルフ、ルミナリア、フローネで考えたものだったのだ。言うなれば、テンションが振り切りどうかしていた時に設定したものだ。
戦争時ならばその雰囲気や心持から、揃って礼をする兵士達は壮観だったと記憶しているミラだが、流石にそれを対一でされると気恥ずかしさを押さえられなくなってしまう。
「お初にお目にかかります、私はアルカイト王国の戦車隊副団長を勤めさせていただいているガレット・アストルと申します」
「ミラじゃ」
「ダンブルフ様の弟子、ミラ様でございますね。国王様よりの伝言を預かり参上させていただきました」
「話は済んでおりますわ。ミラ様は王への謁見を快く引き受けて下さいました」
「おおそうですか。ありがとうございます。では表に馬車を用意しておりますので早速向かいましょう」
そう言った男は真面目な表情を最低限取り戻すと、ミラを馬車の前まで案内した。
「道中お気をつけて行ってらっしゃいませ」
「ミラ様、出来れば後日ダンブルフ様の事をお聞かせ頂いてもよろしいですか?」
「ふーむ、そうじゃな。今度会う時に話すとしよう」
「ありがとうございます。お待ちしてます」
「うむ、ではな」
ミラは二人に軽く手を振り別れを示すと馬車に乗り込みながら、今度会う時ダンブルフについての説明をどうするかで頭を悩ませ始める。




