第六話 羽とキノコ
さあ、一休みできたところで、蝶の話の続きを聞いてみましょう。
「そんなずぶ濡れのヤツが私の真上を通過した。そうなると、どうなり、こうなると思う?」
蝶はギロッとアリスの方を見て問いかけました。
「当然、ずぶ濡れになってしまうわね。特に蝶の羽はよく濡れそうだし。」
「その通り!”超”できるようになったではないか!」
蝶がご機嫌な様子で反応するので、アリスも素直に嬉しくなりました。
しかし、アリスにはまだ疑問が残っています。
「でも、ずぶ濡れになっても、そのうち乾くんじゃないかしら?あなたは雨の日に飛んだりはしないでしょう?」
皆様の中にも、アリスのように考えた方がいるのではないでしょうか。
いくらずぶ濡れでも、いずれ乾きますものね。
「ドードーのずぶ濡れ具合を甘く見るでないぞ。そう簡単に乾くような水じゃないから、みんなに忌み嫌われるんだ。」
それを聞いて、アリスは絶対にドードーには会いたくないと思いました。
もし出会ってしまったら、アリスのサラサラな金色の髪の毛も、鮮やかな色のお気に入りのワンピースも、乾かなくなってしまいますからね。
皆様も頭上にはご注意ください。
「そして、私の自慢の羽は乾くことはなく、ただの重りになってしまった。どうしようもなくなった私は、ついに自慢の羽をこの手で引っこ抜いてしまったのさ。」
蝶は悲しそうな表情と声色で弱弱しく言いました。
アリスはこの生き物がとても可哀想に感じ、慰めるような視線を向けます。
「夢にまで見ていた大空を!自らの手で!手放したのだ!こんな苦痛が他にあるか!」
「ないと思うわ。あなたの気持ち、今ならわかる気がするわ。」
「そう言ってくれるなら、語った甲斐があるってものだ。」
アリスと蝶は、初対面の時よりはずっと仲良く見えます。
「ところで、お前さんはなぜここにいるんだい?」
アリスはハッとしました。
アリスは夢の中に出てきたあるものを手に入れるためにここまで来たのです。
「そうだわ!ねえ、蝶さん、体を大きくしたり、小さくしたりできるキノコを知らないかしら?」
「それなら、知っている。」
アリスは嬉しくなりました。
ようやく7センチの体とはおさらばできるからです。
「本当!それはどこにあるのかしら?」
「今お前さんが座ってる”それ”だよ。」
アリスは自分が座っていたキノコから降りて、慎重に”どこをかじるのか”を考えています。
なぜなら、アリスの夢に出てきたキノコは”片方”を食べると大きくなり、”もう片方”を食べると小さくなるからです。
”片方”とはどこから見て片方なのかって?
それは残念ながら、私もアリスもわかりません。
「うーん…どっちなのかしら…?」
「”そっち”だ。…違う、もっと”そっち”だ。…だから、そこからもっと”そっち”だ。」
なにやら蝶が位置を教えてくれてるようですが、”そっち”としか言わないので、曖昧過ぎてアリスにはわかりませんでした。
結局、アリスはキノコの周りを何回かグルグルと回ってしまいました。
「もう!本当にわからないわ!もうここにしましょ!」
内心イライラしていたアリスは、思い切って目の前の”片方”を右手で、その反対側にある”もう片方”を左手でそれぞれちぎりました。
そして、右手でちぎった”片方”を少しずつかじりました。
夢の中ではかじりすぎて、木よりも大きくなってしまったからです。
アリスはチマチマとキノコの”片方”をかじっていき、やっと元の大きさくらいになりました。
近くで見守っていた蝶はもうすっかり小さく見えています。
「ほう、思ったより大きいのだね。」
「おかげで元の大きさくらいに戻れたわ。ありがとう、蝶さん。」
アリスは両手に持っていたキノコの切れ端を、ワンピースの左右についているポケットにそれぞれ入れて、蝶に向かって丁寧にお辞儀しました。
「良い所作だ。それで、これからどこにいくのかね?」
「えーっとー…」
アリスは右手の人差し指の先端を頬にくっつけ、空を見上げながら夢の中のことを思い出します。
お辞儀の所作はいい感じだったのに、なにかを思い出すときの所作は急に子供っぽくなりましたね。
まあ、そこがアリスの可愛らしい部分ではあるんですが。
おっと、失礼しました。
どうやら、私が話してる間に、アリスは夢のことを思い出したようです。
「そうだわ。公爵夫人のところに行くんだわ。蝶さん、どっちに行けばいいかしら?」
「公爵夫人か。それなら、あっちの方に向かうといい。」
蝶は片手で、アリスから見て右の方向を指さしました。
「ありがとう、蝶さん。じゃあ、お元気で。」
アリスはその方向に嬉々として駆け出しました。
アリスが見えなくなったくらいで、蝶はボソッと独り言を言いました。
「公爵夫人、まだ生きていたのか?風の噂で、この前死んだと聞いたんだが。まあ、だからといって、どうってことはないがね。」
なんだか不穏ですね。
当然、アリスにはこの言葉は聞こえていません。
この先、いったい何がアリスを待ち受けているんでしょうね。