これがご縁というものか
「そろそろ、お茶にしましょうか」
開け放した二階の執務室の窓から、母の声が聞えた。
今日の午後のお茶は、庭の東屋に用意しているようだ。
「はい、今行きます」
わたしは書類を整理して、部屋を出る。
「それにしても今の季節に、あなたにお茶会や夜会の招待状が来なくてよかったわ。
学園で出来たお友達は、ちゃんと気を遣ってくださっているのね」
「はあ、まあ……」
わたしは爽やかな風に吹かれ、澄んだ紅茶を飲みながら、お茶を濁した。
本当のことを言えば、招待状を送ってくれるような友人は、学園時代に一人も出来なかったのだ。
わたしはアンテス男爵家の一人娘であるブリギッタ。
この春、王都の貴族学園を無事卒業し、領地へと戻って来たばかり。
学園には三年間在籍したが、自信を持って言えるのは、勉強には出来る限り頑張ったということだけ。
だって、知らなかったのだ。
王都で社交をする貴族令嬢の常識として、学園に入る前に友人を作ってキープしておくべし、だったらしいことを。
領地経営は夫に任せ、社交をする中で情報を仕入れ、人脈を広げたり、有利な派閥へ鞍替えしたりといった臨機応変さで貴族社会を泳ぎ回る。
それが、王都の貴族女性の望ましい姿だなんて、全く知らなかった。
だがしかし、そもそも、アンテス男爵領はド田舎で、主な産業は果樹栽培。
落ち着いて考えてみれば、王都で花開くご令嬢たちの真似をしてもしょうがない。
わたしは開き直って勉強に専念することにした。
そして、卒業して帰って来た今は花の季節。領地は受粉作業で非常に忙しい。
領地中を見回る父に代わり、学んできた経営学を活かすべく執務を手伝っている。
まだまだ付け焼刃のような執務だけれど、とにかくやるしかないのだ。
「あなたのお陰で、この春はお父様も果樹園の方に専念できて助かるわ」
そう言ってくれる母も、領民の相談役として、果実の加工品の開発責任者として日々忙しい。
そんな慌ただしい日々も一段落した頃、思わぬ来客があった。
「初めまして。
僕はお嬢様と学園で同学年だったヴェルナーと申します。
元は貴族家の長男だったのですが、家を追い出されまして……」
「ヴェルナー様、追い出されたって、どうして!?」
格式も敷居も低い我が家、わたしの友人という紹介だけで家族の談話室に招かれた彼は、驚くべき第一声を放った。
「ほら、僕は学園で自分の興味のあることばかりやっていただろ?
赤点ギリギリで、最終成績を見た父が激怒してね」
「ヴェルナー君、失礼だが君の実家の家名は?」
「シュタールベルク伯爵家です」
「今の当主は、オリヴァー氏だね?」
「はい、僕の父ですが」
「ほうほう、なるほど」
「お父様、なるほどって?」
「実は彼の父親とは、学園で浅からぬ縁でな……」
その時、執事が至急の手紙を届けに来た。
「あなた、何かありましたか?」
「……うーん、頼んであった修理工の派遣なんだが、仕事が詰まっていて、まだ時間がかかるそうだ」
「それは、困りましたね」
男爵領は気の利いたものは何も無いが、自然が豊か。
山から下りて来る水も豊富で、農産物の加工には水車を介した動力を使っている。
ところが、この水車のメンテナンスが滞っているのだ。
「ヨーゼフ爺の腰は、まだ良くならないの?」
ヨーゼフ爺は長い事、この男爵領で機械のメンテナンスに活躍してきた男性だ。
物凄く腕が良いので、その辺の領民をアシスタントにして、何でも作るし何でも直してきた。
だが、たった一人に頼り切ってきたことがあだになった。
ヨーゼフ爺も寄る年波には勝てず、身体の調子が悪いと仕事にならない。
「あのー、お困りごとは何ですか?」
「ああ、客人を放っておいて済まない」
「いえいえ、僕にお気遣いは無用です。
もしも、何かお役に立てることがあれば、一泊でもさせていただけるのではと思いまして」
「いやしかし、君は学園を卒業したばかりだろう。
事務的なことならば、手伝ってもらえるかもしれないが……」
「いえいえ、事務的なことは苦手ですので無理かと」
「ん? では騎士的な?」
「それも無理ですね」
「……いや君は、何が得意なのだ?」
「実は僕、機械いじりが好きでして。
そればっかりやってて学業を疎かにして、家を追い出された次第で」
「それは……君の父上に非は無いかもしれないな」
「全く仰る通りで」
「だが、機械だと? からくり的なことは多少わかるのかね?」
「はい、多少は」
「では、ちょっと一緒に来てくれるか? 実は水車が故障して困っているのだ」
「是非、見せて下さい」
父はヴェルナー様を連れ、馬車で出ていく。
「あらあら、素敵なお友達ね。それに何とも間がいいわ」
見送った母は、上機嫌で私を見た。
「彼とは、どうして知り合ったの?」
疑問ももっともだ。
貴族学園は男女別クラス。
茶会も夜会も無縁なわたしに、男子と知り合う機会は少ない。
「ヴェルナー様は本当に機械が好きで、食事をとるのも疎かにするくらいで」
そのことが、彼とわたしを出合わせた。
学園入学のために王都へ出たわたしは、寮には入らなかった。
タウンハウスがあるからだ。
男爵家では王都に直接商店を出しており、懇意にして頂いている伯爵家がお持ちの建物をまるっと一棟借りている。
一階は商店と倉庫、二階は事務所や商談用スペース、三階以上は従業員の寮。
そして、最上階が男爵家のタウンハウス。
タウンハウスと言っても、普段ここには叔父夫婦が住んで、商店を切り盛りしている。
わたしの両親が王都に用事がある時には、ここの客間を使う。
いくら、男爵家で借りている建物だからと言っても、普段暮らしている人の生活空間にお邪魔するわけだから、わたしも最初は緊張した。
けれど、叔父夫婦は家族として温かく接してくれたので、ずいぶん気が楽になった。
そして、まだ幼くて可愛い盛りの従弟妹たちは学園生活で疲れたわたしの心を癒してくれた。
そう、学園生活は慣れないことが多く、最初の頃は疲れるものだった。
それもこれも事前情報に乗り遅れ、準備が全く出来ていなかったせい。
結局、登校初日からずっと、お友達なんかできないし、グループになんか入れなかった。
でもまあ、王国全体からいろんな貴族子女が集まるのだ。先生たちは慣れっこである。
グループ学習では生徒に勝手にメンバーを決めさせるなんてこともなく、わたしが余ることはなかった。
ただひたすら、休憩時や昼食時に、隣にお友達がいないだけ。
どこかで期待していた分、少し寂しいような気もした。
だが、学園へは勉学しに来たのだ。
仲間に入れなければ勉強ができないわけでは無い。
というわけで、昼食時はボッチ。
初日に覗いてみた食堂はグループ活動のたまり場にしか見えない。
そこでのボッチ活動は少々きついので、わたしは弁当を持参することにした。
そこはそれ田舎暮らしの娘である。料理は出来る。むしろ得意。
厨房の隅を借り、食材を分けてもらって、毎朝弁当を作った。
すると、それを見ていた従弟妹たちが自分たちも食べたいと言い出したのだ。
ついでなので、彼らの分と一緒に子守りをする人の分も作ってあげたら、大変に喜ばれた。
さて、ボッチの昼食場所と言えば、定番は裏庭である。
一人で寂しいか、と言えば微妙。
なぜなら、学園内のボッチ人口は少なくも無いからである。
グループが常識とされるならば、はみ出し者も当然のように生まれる。
はみ出した理由はそれぞれだが、裏庭にはそういった人々が三々五々集まってしまうのである。
すなわち、他人の目は常にあり、治安は良い。
そんな中、丁度わたしの目に入ってしまう男子が一人居た。
ボッチたちは群れないが、なんとなく毎日同じようなメンツが同じエリアに集ってしまう。
だから、同じ人物が毎日視界に入る、という状況は自然だった。
彼は毎日、昼休みの時間中ずっと、機械部品みたいなものをこねくり回していた。
じっと観察し、何かを思いついたようにノートに書き込む。
おそらく、その場で分解やら組み立てやら始めてしまうと部品が行方不明になるということも起きるだろう。
変なところで時間切れ、もあり得そうだ。
落ち着ける場所で分解組み立てをしているのか、部品はたまに違う物になっていた。
そんな彼を観察して一か月後。
わたしはあることに気付いた。
彼は時間いっぱい、部品を観察している。
ということは、毎日昼食を抜いているのだ。
しっかり食事をすることこそ正義、な田舎で育ったわたしには耐えられない状況だった。
「これ、良かったら召し上がってください」
「え?」
翌日、わたしは彼に弁当を差し出した。
すでに毎日四人分を作っている弁当だ。五人分でも手間は変わらない。
「毎日昼食を抜くのは、身体に悪いですから」
「確かに。ではお言葉に甘えて」
彼は疑いもせず弁当を開く。
無難にサンドイッチにしておいた。
従弟たちには食欲がわくように彩りも考えるが、そこも省いた。
食べやすさ第一だ。
「いただきます」
やはり、お腹は減っていたらしい。
あっという間に食べ終わり「ごちそうさま、美味しかった、ありがとう」と満点のお礼が返って来る。
そして、彼が昼食を食べたことに、わたしはひどく安心した。
だから、あくまで自分のために申し出た。
「迷惑でなければ、明日からも作ってきますが」
「君の手作りなの? 料理、上手なんだね。
……その、すごく美味かったので、ご馳走になれるならありがたいんだけど。
僕は、何も礼が出来そうになくて」
「毎日四人分作っているのを五人分にするだけなので、手間も材料もさほど増えません。
あくまでついでだから、お礼なんて気になさらなくても」
「では、お言葉に甘えて、お願いしようかな」
そうして彼と話をするようになり、お礼の気持ちなのだろう、休日に展示会に誘ってもらったこともある。
展示会、と聞いた時に想像した通り、行ってみれば最新機械のそれだった。
グループ活動に勤しむ常識的な令嬢方なら『そんなところへ淑女を誘う紳士など、あり得ない』とでも言いそうだが、幸いわたしは違う。
なぜなら、農業機械の展示もあったのだから。
ちゃんとパンフレットをもらって、実家に送った。
そんなこんなで三年間を過ごし、気付けば卒業。
卒業パーティーには互いに相手が見つからないので、当たり前のようにパートナーとして入場。
ダンスはちらりと見るだけにして、二人して主にビュッフェのご馳走を楽しんだ。
「美味しいですね」
「うん、美味い。でも君の作ってくれた弁当も、これに劣らない美味さだったよ」
「そんなに褒めても、もう作ってあげられませんよ」
「実に残念だ」
お別れの日、彼はせめてもの礼だと、品の良いシンプルなネックレスをプレゼントしてくれた。
「趣味の部品にこづかいを注いでしまってるから、安物で済まないが」
「いいえ、お気持ちがこもっていて、嬉しいです。
ありがとうございます」
そうして、わたしたちは別れの挨拶をし、おそらくもう親しく話すことは無いのだと思っていたのだが。
「ヴェルナー君、今日は助かったよ」
「お役に立ててよかったです」
ヴェルナー様は見事に水車の不具合を直し、我が家で夕食の席についている。
「君はこれから、どうするつもりだ?」
「僕は、機械の職人になりたいんです。
いろんな機械装置について学んで、いつかは自分で考えた新しい機械を作ってみたいと思っています」
「そうか。家を追い出されて行くあてはあるのか?」
「いえ。どこかの街で、見習い職人になれたらと思うんですが」
「それは、なかなか難しいかもしれないな」
「ええ」
見習い職人は、平民の子供が十歳前後でなるものだ。
貴族学園を出た十八歳のヴェルナー様では相手にしてもらえない。
実家の領から、師匠を探して旅をしてきたが、見つからないまま一夜の宿を求めて、この男爵領にたどり着いたのだとか。
「もしかして、今ならヨーゼフ爺の弟子にしてもらえるかも……」
わたしは思わず言ってしまった。
「今なら、って?」
母に訊き返される。
「頑固な人だけど、仕事が回らないことを嫌うし、今なら弱ってるから……」
「ブリギッタも酷いことを考えるな」
父が責めるような言葉をはく。
「いや、弱点があるなら突かなくちゃ、だと思います」
なんとここで、ヴェルナー様がわたしの味方に!
「君まで何を言い出すんだね?」
「いやもう、何軒も弟子入りを断られていますから、僕もなりふり構っていられないので」
機械職人の不在は男爵領の死活問題。
翌日、父は、ヨーゼフ爺さんの家へヴェルナー様を伴った。
父の話を聞いた爺さんは一言、彼に言ったそうだ。
「そこの机の上の部品をばらして、もう一度、組み立ててみろ」
「はい」
その試験に、彼は見事に合格した。
その後、ヴェルナー様は無事、ヨーゼフ爺に弟子入りし、仕事を手伝うようになった。
ついでに、今まで頑なに街の外れで一人暮らしをしていたヨーゼフ爺に、男爵家の離れへ引っ越してもらった。
もちろん、弟子も同居だ。
なにせ、急な修理の仕事に出かけるのはヴェルナー様の役目になったし、修理の依頼の知らせは男爵家に届く。
修行と仕事の両方をこなす忙しい彼のためにも、縮められる距離は縮めた方がいい。
それに、近所の人に世話になっていたヨーゼフ爺だが、誰の手も空かずに困っていたこともあったらしい。
その点男爵家なら、使用人に様子を見に行ってもらったり手伝ってもらったりと、いろいろ便宜を図れる。
どうしても爺が現場に行かなければならない時は、家の馬車を出すことも出来るのだ。
「では、行ってきます!」
「行ってらっしゃい」
ヴェルナー様が男爵領に来てから早や一年。
わたしは、今日も遠方の村へ修理に向かう彼を見送る。
我が家の馬に道具入れを括りつけ、さっそうと跨る姿が様になっている。
ヨーゼフ爺の弟子になった彼は学生の頃より生き生きしていて、身体を動かしている時間が長いせいか、ずいぶん逞しくなった。
正直、気を抜くと見惚れるレベル。
彼が貴族家出身だと知らぬ領民は、ただのヨーゼフ爺の弟子だと思っている。
で、格好良くなったヴェルナー様にコナをかける街のおねえさんもいたらしい。
だが、彼は機械馬鹿。まったく無反応で、色っぽいおねえさんに呆れられてしまったそうだ。
たまたま現場を見ていたうちのメイドが、わたしに教えてくれた。
「弁当ありがとう、楽しみだな」
「いつもと同じサンドイッチですよ」
普段の食事は、母屋の料理人が作って離れへ運んでいるが、彼の弁当はわたしが作っている。
彼のリクエストだから。
「……今度、休みが取れたら隣領の街へ一緒に行かないか?」
隣領の街は、ここよりずっと洒落た店が多いのだ。
きっと、最近よく離れへ酒瓶をぶら下げて行く、わたしの父から情報を得たのだろう。
「デートですか?」
「うん、給料が貯まったから、何かアクセサリーを贈りたくて。
……指輪なんか、どうかな?」
「ええ、是非」
わたしは、彼が見えなくなるまで見送る。
それが最近の日常だ。
この前、両親から改まって告げられた。
父曰く。
「シュタールベルク伯爵とは知り合いだから、とりあえず、ヴェルナー君の貴族籍を保留するよう頼んである」
どうやら、ヴェルナー様の父上とうちの父は、学園時代の悪友だったらしい。
父によれば、シュタールベルク家の跡継ぎは、優秀な次男がいるので心配ないとのこと。
つまり、ヴェルナー様はこの男爵家に婿入りが可能なのである。
母曰く。
「一度餌付けをしたからには、最後まで面倒を見るべきよ」
……ご縁なんて、そんなものなのかもしれない。