7.ゲルトのスキルが目覚めてカミルを取り戻すこと。
メーリヒ:ゲルトたちの住む街
アッフェンバル:辺境伯家。当主はディートヘルム(婿養子。南の公爵家の三男)。妻はエルメンガルド(家付き娘)息子はクリスティアン。
ヴォルケンシュタイン:侯爵家。当主はヒルデブレスト。兄はエグモント。
お城の通路を進みながら、先に歩く侯爵は簡単な説明を寄越した。ちなみにわたしはまたグリフォンの上だ。成人男性と同じ速さで歩くなんてできないから。
「メーリヒでアレを連れて来ることにしたのは、この地で起こっていることを収められるのではと、咄嗟に感じたからだ。早く領地に戻らねばならなかったせいで、時間があまりなかった事情もあるが。アレは自ら名乗りさえせずに、ただ帰せとだけ言い続けた。しかし私や配下が逃がさぬのを悟ったのか、遂には口すら開けずに自分の内に籠ってしまい、この城に着くと自らを封じてしまった」
何を勝手なこと言ってるんだ、この人は。というのがわたしの正直な感想だ。誘拐犯には違いないのに、それについて悪いとも思っていないようにしか見えない。偉い貴族だからって何しても良いってわけじゃないでしょう! って言いたい。すごく言いたい。どれほどカミルを攫われてわたしが怒っているか、切々とじっくり聞かせてやりたい。やりたいんだけど、そうしたところで通じないんだろうなという諦めもあった。わたしにとってカミルは全てだけれど、この人にとってはそうじゃない。
廊下を歩き続けてひとつの扉を開けて、侯爵はわたしが部屋に入るように促してきた。グリフォンの背から降りて中を見た途端、わたしは駆け出した。
「カミル!」
豪華な部屋の豪華なベッドの上。何もかもを拒絶するかのように、分厚い氷の中でカミルが眠っていた。
「火で焙っても溶けぬ氷だ。溶けぬ故、水晶のようだが、あくまでも氷なのは分かっている。だがどんな刃物で打ちかかっても砕けぬ。さて、お前にどうにかできるかな」
侯爵はわたしにどうにかできるとはまったく思ってもいないのだろう。わたしにだって、できるかどうか分からないのだから。
そっとカミルを覆う氷に触れる。水みたいに透明で、触れると冷たくて。ずっと触れていると痛みさえ覚える。それなのにこの氷はわたしの体温で溶ける様子もない。
わたしはこの特殊な氷を知っていた。
カミルのスキルは『氷結』。
スキルを得た後には、夏場は飲み物に入れたり、部屋に置いて涼んだりして重宝した。そのうちカミルは氷を凝縮するのに凝りだして、ついには溶けたり砕けたりしない氷ができるようになったのだ。夏場は普通の氷はすぐに溶けてしまうし、そうすると水浸しになって怒られたから。ただカミルのスキルで生み出された氷は、凝縮された溶けないものであっても、カミルの意思で消すこともできた。だからカミルさえ目覚めてくれれば!
「カミル起きて。ゲルトよ。一緒に帰ろう?」
でも分厚い氷はわたしの声をカミルに伝えない。届きさえすればカミルは起きて氷を消してくれるはずなのに! カミルがわたしの声で目覚めないなんて、あるはずないのに!
焦るわたしの横にグリフォンが寄り添って、他の人には聞こえないように告げた。
『友よ、自分のスキルに集中せよ。そうすれば自ずからすべきことが分かるであろう』
わたしのスキル、「鳥の友」。ここではおそらく役には立たないと思うけれど、グリフォンが言うならば何かあるのだろうと、わたしは内なるスキルと向かい合った。
スキルは。言うならば、わたしの心の中に浮かぶ宝石のようなもの。そこから力を引き出すように使う。使い方は最初から自然と分かったものだけれど、今は使うのではなくて、スキルのことだけ考えて集中する。潜るように深く集中すると、自分のスキルの中に、別のスキルがあるのが分かった。丁度、琥珀の中の虫みたいに閉じ込められて。わたしは冬眠中の虫を起こすみたいに、外側から揺らす。
そしてわたしはグリフォンが「二重スキル」と呼んだ、わたしのもうひとつのスキルを理解した。理解さえできればスキルは使える。
「守護さま、ありがとう。分かったよ」
わたしは改めてベッドの上に上がり込み、二つ目のスキルを使う。
「カミル、お寝坊さん。さあ起きて?」
わたしは凍れるカミルの顔に自分の顔を近づける。まるで氷などないように、わたし自身が溶け込んでいく。そして氷の奥にまで沈んで。わたしはカミルの冷たい唇にそっとキスをした。
王子さまを起こすのはお姫さまのキスだ。
わたしたちは王子さまでもお姫さまでもないけれど、カミルはわたしの王子さまだし、わたしはカミルのお姫さま。ちょっと図々しいかもしれないけどね?
わたしのスキルが透過させた溶けぬ氷は細かく砕けて、部屋の中で煌めいて消えていく。青白かったカミルの肌にうっすらと赤みが差し、長い睫毛を揺らして、大好きな青い瞳がゆっくりと開いた。
「ゲ……ルト……」
その声は長く眠っていた人のように掠れてはいたが、ずっと聞きたかった声だった。
「ええ、カミル。迎えに来たわ」
震える両手が伸びて、けれど迷わずにわたしを抱きしめてくれる。
「会い……たかった……」
「うん、わたしも」
「どうやってあの氷を溶かしたというのだ!?」
『我が友のスキルに決まっておろう。天は必要とする者に最適なスキルを与えるのだ』
背後で侯爵とグリフォンの声がしていたけれど、わたしにはどうでも良かった。カミルがわたしの腕の中に。わたしがカミルの腕の中にいる。それだけで他には何もいらないと、その時には本気で思っていた。
城内はちょっとした騒ぎになっていた。
あれほど静かで、まるで誰もいないようだったのに、実はそれなりの人がいたらしい。そういった人の手でカミルは運ばれた水を与えられ、飲んだ後にはもう、普通に話せるようになっていた。
「別に病気だったわけじゃないから。スキルで覆って時を止めてただけだから。だからもう、泣かないで? ゲルト」
ようやく会えた喜びが、傍にいて触れ合える実感が、わたしの涙腺を壊したようで、さっきからずっと涙が止まらない。見かねたお城の侍女の人が差し入れてくれた布もすぐに濡れて重くなった。
落ち着いた頃に、わたしとカミル、グリフォンと侯爵で別の部屋にいた。
赤々と燃え上がる暖炉が部屋を暖めていて、床には毛皮が敷かれているそれほど大きくない部屋だ。どうやら侯爵の居室らしい。
てっきり最初に顔を合わせた部屋に案内されるのかと思っていたから素直に聞くと、
「あれは会見用の部屋だ。敵か味方かも分からぬ相手に快適な場所で対応する訳がない」
そうして、あんなに広い部屋だと暖炉に火を入れても部屋が温まらないから、貴重な薪の無駄にしかならないとまで言い切った。だから外用の毛皮の外套を着こんでいたと。てっきり偉いことを示すためのマントだと思っていたよ。防寒の為だったとか、なんか、思ってたお貴族様と違うかも。
「この地は一年の半分が雪と氷に覆われる。人が過ごすには厳しく、領地は決して豊かではない。生きる為に身を寄せ合ってやり過ごすのだ。無駄な散財をするだけ愚かだ」
じゃあこの優美な城を建てるのはすごい散財だったんじゃと思ったのが伝わったのか、先祖がスキルで建てたと話してくれた。……すごいな、スキル。
「ゲルトといったな、娘。そしてカミルか。お前たちは貴族として生まれ育っていないから、知らないことも多いだろう。まず私の名前はヒルデブレスト。ヴォルケンシュタイン侯爵として国に認められたばかりだ。
貴族というのは元々が魔力が多い者が取り立てられ、血統には力があるほど濃縮されてきた。その為に、己の血縁が分かる。おそらくカミル自身も感じていただろうが、私はカミルの血縁、叔父だ。メーリヒで見かけた時にそれが分かったから連れて来た。お前たちからすれば人攫いに見えたかもしれぬが、家長として発見した身内は責任をもって引きとる義務と権利があるものなのだ」
色々と言いたいことはあるが、改めてカミルと侯爵を見ると、たしかに二人は似ていた。
『我から聞いても良いか、この城の主よ』
のっそりと寝そべっていたグリフォンが顔を上げる。
「幻獣の問いであれば如何様にも」
『領境のあの吹雪の壁は何だ? 何ゆえあのようなものを作った?』
「あれは私が作ったものではない。血縁とスキルで通り抜けることはできるが、一刻も早く無くしてしまいたい。その為に急いで王都まで赴いて侯爵の地位に就くことを認められるよう動いたのだ」
思わず口を挟んでいた。
「あれはあなたのスキルで作ったものじゃないの?」
「ゲルトよ、あの壁は我が領にとって害にしかなっておらぬ。周囲に人が住めぬどころか、他領との行き来も阻害しておる。私が作る意味がない。あれは我が兄、先代侯爵エグモントのスキルで作られたのだ」
『城の主よ、あの壁は作られて一年近く経つ。通常の人の子がスキルを発動させれば、とうに生命を削り切っているはずではないか?』
ここに来るまでにグリフォンが教えてくれたスキルのこと。限界を越えれば自分の生命そのものを使うことになって死んでしまうって。グリフォンもそれを不思議に思ったのだろう。
「己がスキルを使用するだけであったならば、壁を作るだけでも尽きていたものを。兄はこの地を治める者に許される権能を壁に注ぎ込んでしまっているのだ」
爵位って、ただ王様から任命されるだけじゃなくて、領地がある場合は領地――土地そのものが持つ力を委託されるんだと侯爵は話してくれた。ただ普通ならその力――権能というらしい――はあくまでも領地のために使うんだって。
『私用は許されざることのはず。何のためにそのような愚挙を?』
「世界を閉ざして、受け入れられぬ事実を拒絶するために」
そうして侯爵が話してくれたのは、エグモントというお兄さんのこと。優秀な跡取りとして育った穏やかで真面目な性格の人だったらしい。
「その兄が王都の邸に勤める侍女と恋に落ちた。侍女とて貴族の娘ではあったが、最下位の男爵家だったために二人の仲は許されず。やがて侍女は身を引いたらしく姿を消した。兄は以降、一切の縁談を拒否。恋人の行方を探し続けた。そうこうするうちに両親も没して兄が家を継いだ。私は次男であったので、騎士として国に仕えていたが、兄と領地に異変が起こったため、事を収めるべく侯爵となるよう勅命を受けた。どうやら去年、兄は探していた恋人が死んでしまっていると報告を受けたらしい。それで絶望してスキルが暴走したようなのだ」
スキルは。持ち主の精神状態に左右される。カミルが侯爵を拒絶するために氷に閉じこもったみたいに。……あれ、なんか状況が似てる?
「カミルを見つけて、少なくとも兄の子供が生きていると知ったので、兄に会わせれば暴走が納まるかと思ったのだが。カミルを無理やり連れて来たせいで、先程までのように自らの内に閉じこもってしまったのでそれも出来ずにいたのだ」
「最初からきちんと説明してくれてたら、カミルだってあんな風にはならなかったはずでしょ」
ちょっと呆れた目で侯爵を見てしまった。
「……面目ない。焦りで判断を誤った」
「だいたい、カミルを連れて来るよりも、フリーダおばさん連れて来た方が良かったんじゃないの?」
会ったことの無いカミルよりも、恋人だったおばさんに会わせたら、もっと簡単だと思う。
「ん? つまり義姉上はご存命ということか?」
「フリーダおばさんなら、うちの宿をずっと手伝ってくれてるけど」
なんというか、この人はこの人でいっぱいいっぱいだったみたい。ちゃんとカミルと話をしていれば良かっただけなのに。
それまで黙って話を聞いていただけだったカミルが、そこで口を開いた。
「つまり、あなたのお兄さんが僕の父親だってことですよね? そして偽の情報でおかしくなってしまったと」
「そういうことになる」
「僕が息子だって信じるでしょうか?」
「私が気付いたように、会えば分かる。親子であれば更に確実に」
「では、会わせてください。言いたい文句もありますし」
よく似たふたりの間で話が決まっていく。でも待って欲しい。吹雪の壁はとっとと取っ払って欲しいけど、せっかく会えたカミルと離れるなんて嫌だ。
「わたしも一緒に行くよ!」
「もちろん。ゲルトとはずっと一緒だから」
カミルと手を繋いで微笑みあって。それだけでわたしは何にだって立ち向かえると感じていた。




