6.辿り着いた城にて彼の人と対峙すること。
メーリヒ:ゲルトたちの住む街
アッフェンバル:辺境伯家。当主はディートヘルム(婿養子。南の公爵家の三男)。妻はエルメンガルド(家付き娘)息子はクリスティアン。
ヴォルケンシュタイン:侯爵家。当主はヒルデブレスト。兄はエグモント。
途中にある町や村には立ち寄らず、グリフォンはまっすぐ領都を目指してくれた。自分ではぼんやりとしか位置が分からないから、グリフォンが連れて来てくれて感謝しかない。
ごく短い昼と長い夜をくるくると翼の上から眺めた。どこまでも白い景色の中、わたしを包んでくれる翼の、薄い茶から濃い茶、そして黒へと変わっていく色だけが確かなものと感じられる。世界は広くて、わたしの住む国もまた広いのだと知った。
そうしてわたしが飛ぶグリフォンの上で微睡んでしまっていた時、
『友よ、どうやらあれが領都のようだ』
そう教えられて、翼の横から前方を見ると、そこだけ吹雪が切れた一角がある。昼か夜かも分からない中で、雪に覆われた白の中の暗い黒に近い青が目に入った。それが私が生まれて初めて見た海。白いばかりの大地を抉ったようなものが港だろう。所々白く光っているのは海も凍っているからかもしれない。
そして港から広がる白い街と。港の中の小島に建つ尖塔をいくつも天へと向けた白いお城が、雪と氷の世界の中から浮かび上がるように、グリフォンの羽ばたきと共に徐々に大きくなっていった。
街とお城が白いのは、雪のせいばかりではなくて、使われている石材が白いからなのだと近づくと分かった。こんなに雪が多くて、海からの風も強いのに、お城は優美な塔を聳えさせている。アッフェンバルのお城はもっとどっしりとしていて、塔なんてなかったのに。
「雪で折れないのかな?」
『魔法が掛かった建物のようだ。でなければとうに崩壊しておるだろう。さて、降りるぞ』
お城の周りをぐるりと飛びながら、門へとゆっくりとグリフォンは降りてくれた。おかげでお城の観察がじっくりできる。お城は皆との中に浮かぶように周囲を塀で囲まれた中に建っていて、街との間を繋ぐ橋もない。夏場は船で、冬場は港の氷の上を渡るのだろうとグリフォンが語った。
塔はいくつもあるのに窓が少ない。あってもどれも小さいから、明り取りなんだろう。ただ今は、どの窓も固く鎧戸が閉まって、氷雪に固められていた。
門の前には衛兵だか騎士だかが立っていて、私たちに向かって長い槍を向けてくる。刃のついた武器を向けられても、あまり怖いと思うことがなかったのは、久々に生きた人間を見たという感情と、頼もしいグリフォンがいてくれるからだ。
「控えなさい。わたくしはアッフェンバル家が娘、ゲルトルード。こちらは我が家の守護たる幻獣グリフォン。火急の要件にてヴォルケンシュタイン侯爵への取次を」
丸暗記した口上を述べながら、ディートヘルムさまに渡されたネックレスをかざしてやると、槍を降ろして近づいて来た衛兵がそれを確認した。
「たしかに。アッフェンバル辺境伯家の紋章を確認いたしました。しかし先ぶれなど無かったかと」
「今、ここの領境を越えられる者がどれほどいると思って? 先ぶれを送ったところで辿り着けるかどうか。それで、侯爵閣下はいらっしゃるのよね?」
エルメンガルドさまの特訓を思い出して、お芝居の女優になった気分になる。付け焼刃でも衛兵がうやうやしく対応してくれるのは、やっぱりネックレスのおかげだろうな。
「はい。三日前にお戻りになられました」
「寒いわ。わたくしと守護さまを早く案内してくださる?」
わたし、がんばった。貴族の娘っぽかったよね? でも今は成果をグリフォンに聞けないのが残念だ。
衛兵の一人が奥に知らせに、もう一人がわたしたちを中へと導いた。門の向こうに見えるお城の敷地は、地面に降り立って眺めるととても広い。
『友よ、侯爵の前まで我に乗って行くがいい。その方の足で歩くのは厳しかろう』
ありがたくグリフォンの背に舞い戻る。のそりのそりと進むグリフォンの足取りは、印象よりも早い上に揺れもなく快適だ。
衛兵の片割れがトナカイに乗って建物の方へと向かっているのが見えた。また、門の内側にある詰め所らしき所から別の二人組の衛兵が門を守る体制に入って、無人にはならないようにしているのが視界の端に映って、随分と規則正しいものだなと感心する。私が知っている庶民だとこうはならない。兵隊としての訓練と意識の差なのだろう。
屋根のある回廊を衛兵の案内で進み、そのまま城内へと導かれる途中、門と城の間にあるものが気になってしまった。それは一本の大木で、天を目指すように聳えている。白一色の中で、雪を積もらせもせずに葉の緑が鮮やかなのが異質だった。
「守護さま、あれが何か知ってる?」
小声で尋ねると、守護さまも小さく答えてくれた。
『おそらく神木であろうよ。あれからは天界の匂いがする』
神木が何かという説明はなかったが、特別なものなのだろうと納得した。
城内に入っても、寒々しいのは消えない。天井も高いし、とにかく広いせいかもしれない。風こそ壁と天井で防げているが、火の気もない。アッフェンバルの居城は、暖かくするための工夫があちこちにされて、人が住むためというのが感じられたものだけれど、この城はむしろ人を拒絶している気がした。
そして、進む自分たち以外に音を立てるものがいない。静かすぎる。正確に言うとグリフォンは足音を立てないので、先導する兵の鎧がこすれあって鳴るくらいだが。私は相変わらずグリフォンの上だ。自力で歩いていたら、足元からの冷気にたちまち動けなくなっていただろう。
いくつも廊下を通り、いくつか階段を上り。そうして案内されたのは謁見の間、という感じの部屋だった。相変わらず生活感もない空間で、床に敷かれた絨毯と、奥に据えられた豪華な椅子だけがある。
椅子に座るのは、間違いない。カミルをさらった貴族だ。その銀の髪と暗い青の瞳は忘れることなんてできなかった。背筋を伸ばして毛皮の縁取りの付いたマントを羽織っていて、下に着ているのは門の衛兵たちの軍服に似ていて、華美というより質実剛健な感じがする。片手は鞘に入った長剣に添えられていて、機嫌でも損ねれば切り捨てられそうな雰囲気があった。少なくとも、友好的に歓迎されている空気はない。
わたしは怒りに任せて飛び掛かりそうになるのを必死で抑え、グリフォンから伝わる気配も、わたしをなだめ、落ち着かせてくれた。
背から滑り降りて絨毯の上に立ち、椅子に座す人に向かって教わった礼を取る。
「アッフェンバル家が娘、ゲルトルートにございます。侯爵閣下にお目にかかれて光栄でございます」
丸暗記の口上を告げると、予想通りの返答があった。
「アッフェンバルに娘がいたとは聞かぬが」
「養女にございます」
そこから多少は儀礼的な会話が続くのかと思っていたが、相手の方から切り込んできた。
「それで、わざわざここまで乗り込んできた狙いはなんだ? 幻獣まで連れて。領境の壁のことなら最早どうにもできぬ。無駄足であったな」
「わたくしは―――」
エルメンガルドさまごめんなさい。これ以上はもう取り繕えない。わたしはまっすぐに侯爵を睨みつけて言い放つ。マナーも何もなく、仁王立ちになって。
「わたしのカミルを返してもらいに来たのよ!」
「カミル? 誰の事だ? ――ああ、もしやアレのことか。メーリヒで拾った子供」
侯爵の反応は、思っていたどれとも違い、事もあろうにカミルをアレ呼ばわりしやがった。私の怒りが沸騰する。
「この誘拐犯! カミルに会わせて! カミルはわたしのものよ! 返して! そのためにメーリヒからここまで来たのよっ!」
激高するわたしに対しても、侯爵の無表情はそのままだった。まるで氷の彫像のように作り物じみて。客観的に見れば美丈夫という容姿のせいもあるかもしれない。
侯爵はしばらくわたしを観察し、考えを巡らせていたようだが、再び口を開いた。
「アレは、そう、見込み違いであった。見つけた瞬間は使えると思ったのだがな。……良いだろう。もしお前にできるというならば、アレを起こして連れ帰るがいい」
侯爵は立ち上がるとさっさと部屋を出て行こうとした。そうして私を振り返る。
「どうした、ついて来ないのか」
「行くわよ!」
挑発されたと感じたわたしは、白い白い廊下を走るように長身の影を追いかけた。




