5.アッフェンバルの居城と新たな旅立ちのこと。
アッフェンバル家のお屋敷で療養という名目で過ごさせてもらっている間、これまで食べたこともないご馳走をいただいた。宿で出す食事に取り入れたら良いんじゃないかと思いながら食べている。故郷のメーリヒよりも寒い土地だからか、身体が温まるメニューが多い。シチューはもちろん、それをパイ皮で覆ったものとか。生姜を使ったものはいいね。
エルメンガルドさまは次々にわたしにドレスを着せたり、髪を結ったりと楽しそうだ。この方は本当に女の子が欲しかったのだと分かる。にしても、小さい頃のドレスが今も着られるって、保存状態がよくってびっくりだ。これは使用人の数が多くて、いろんなところに手がまわるからと、エルメンガルド様がずっと大事にされてたせいだろう。
布そのものが高価だから、わたしたちが普段着ているものは古着を受け継ぐか買うかになる。近所でも年齢によってひとつの服がぐるぐる回って着られていったりもするし。特に子供は成長するし傷みやすいから。大人になると体型が大きく変わったりしないから、子供ほど必要ではない。
それに貴族は自分の着ていたものを使用人にあげたりするそうだ。あげた分は新しく作るんだって。貴族ってやっぱり世界が違う。
そういうノリで、わたしの部屋には、エルメンガルドさまの子供時代のドレスが次々に増えていく。下賜する子供が身近にいなかったせいと、思い出のためにとご両親が残しておられたらしい。さすがにこのお邸で元から着ていたわたしの服はみすぼらしい上に、あくまでも旅用の外着だから、おとなしく着せ替えられるままになっている。お世話になった恩、こんなことで返せるわけもないけれど、エルメンガルドさまが楽しそうだからってことで。美女が笑っておられると、それだけで周りが明るくなるね。
ディートヘルムさまとエルメンガルドさまのお子さまにもお会いした。クリスティアンさまという、四歳の男の子だ。ディートヘルムさまと同じ黒髪とエルメンガルドさまと同じエメラルドの瞳のとても可愛い子で、
「ねえさま?」
と呼ばれて胸がきゅうんとした。カミルが四歳の頃はもう、それはそれは可愛かったけれど、その次くらいには可愛い。一緒に絵本を読んだりして遊ぶ。
わたしは平民だけど、うちの街の識字率は結構、高い。さらに我が家は宿屋だったから、読み書きと計算はしっかり教わっているので絵本くらいなら問題ない。
「侯爵さまにお会いした時のために口上は覚えておきましょうね」
エルメンガルドさまが考えてくれたあいさつを丸暗記。今から貴族のマナーを身に付けるとか無理だから。それっぽく見えるようにお辞儀だけは何度も練習させられたけど。ただいま、それが原因で筋肉痛。お姫さまって、意外と体力勝負……。
食事やお茶(お菓子が出る!)はクリスティアンさまとご一緒している。貴族の子供はマナーをちゃんと覚えるまで親とご飯も食べられないんだって! 必然的にクリスティアンさまの先生から、一緒に食事のマナーを学ぶはめに。四歳児と同レベル? いえいえ負けてますとも。
そうやって過ごしたのは十日ほどだったけど、なんか濃かった。雪道を歩くよりもずっと現実味がなかったのは、これまで縁がなかったことばかりだから仕方ない。
お世話になった侍女のハイディさんに聞いたところ、アッフェンバル家は辺境伯という地位らしく、侯爵家と同等だそうだ。伯爵家の東隣に広がる領地を治めていて、伯爵領との間にある山脈のせいで寒さと雪は少しマシだけれど、隣国との国境に接しているから騎士や兵士の多い土地ということだ。家付き娘だったエルメンガルドさまのところにディートヘルムさまが婿養子に入って辺境伯家を継いだとか、政略結婚だけどお二人はとても仲がいいとか、色々教えてくれた。
この家の人たちは皆、グリフォンをとても大切にしていて、グリフォンも居心地良さそうにしている。お願いしたら羽毛部分とか獅子の背中に触らせてくれた。スキルのせいか、わたしの側も居心地がいいみたい。
『そろそろ出立の用意をせよ』
グリフォンがそう言って、わたしの支度も整えられた。邸の中で着せられていたのは絹で、着心地よりも怖さが勝ったけれど、旅装は毛織だけれど暖かくて可愛いドレス(下に何枚もペチコートを重ねている)で少し安心。毛皮が内側についたマントとブーツ、手袋。帽子も毛皮だ。元から着ていたものはマジックバッグに仕舞った。
「あなたはもう私たちの子供でもあるのだから、カミルを連れて帰ったら、必ずここに立ち寄ってね?」
両手を入れる毛皮のマフを付けてくれたエルメンガルドさまに抱きしめられ、
「ねえさま、いつ帰って来るの?」
クリスティアンさまには泣かれた。
ディートヘルムさまはわたしの首にペンダントをかける。
「これにはアッフェンバル家の紋が刻まれている。これを持てるのは我が家の者だけ。あちらに着いたら、門番に見せなさい」
グリフォンに横座りして(ドレスだから)、ふわりと浮き上がると、みるみるアッフェンバル家――お屋敷じゃなくてお城だった!—―の見送りの人も建物も小さくなっていく。たくさんたくさん手を振って別れて、ちょっと涙も出た。
『最初はゆっくり飛ぶが、慣れればもっと早く飛ぶからな。我の背中にいる限り、落ちることはない。多少の雪や寒さも防げよう』
幻獣のグリフォンは人の使う魔法やスキルとは似ているけれど違う力が生まれつき備わっているそう。暖かい服に毛皮もあって、家を出てから一番快適な旅が始まった。
快適だったのは辺境伯領を出るまでだった。辺境伯領も侯爵領と隣接している部分があって、そこまで飛んできたのだけれど。
『むっ、あれが例のスキルとやらか』
私たちの前には白い壁が左右どこまでも続いている。高く飛んでいるのに、壁ははるか天まで聳えるかのように立ちふさがっていた。
「これ、通れるの?」
『今、この壁を探査してみたが、どこも薄いところはないようだ。出入りをまったく考えておらんのか。通り抜けるしかあるまいな。友よ、人の子よ、我の首にしっかりと掴まるのだ。行くぞ』
白い壁の正体は吹雪だ。辺境伯領では少しも吹雪いていないのに、突入した壁の中は激しい風と雪が暴力的なまでに吹き荒れていた。もしここまで自力で辿り着けていたとしても、この壁を一人で越えることはできなかっただろう。
耳のすぐ横でごうごうと風が唸る。わたしは伏せるようにグリフォンにしがみついているしかできない。グリフォンの翼は力強く吹雪をねじ伏せるように羽ばたくが、あとからあとから吹雪いて、壁を越えた頃にはすっかり時間の感覚さえないほどだった。それでも幻獣の力は人のスキルに勝るのだとでも言いたげに、壁を越えたグリフォンは大きく唸りをあげた。
『済まぬが予想外に力を使った。少し休ませてもらう』
「守護さまが守ってくれたから壁を越えられたんだもの。ゆっくりし休んで」
吹雪の壁の向こうにあったのは、どこまでも白い世界。何もかもが雪に沈んで、まだ昼間のはずだというのに、物音さえ何も聞こえないほど静まり返っていた。さらに言うと、まるでもう夜のように暗い。空は雪雲で覆われている。
地面に降り立ったグリフォンが座り込むと、畳んだ翼の中に入れられる。翼の威力で吹き飛ばされた雪の下は、硬く硬く凍り付いていた。でもグリフォンの翼の中は暖かい。
「生き物の気配が全然しないね」
『皆、隠れておるのだ。本能であろう。通常の冬と様子が違うと感じ取っているのだ』
旅の間に見かけた雪の上の動物の足跡すら見えない。どこまでも白くて、どこまでも静かで、まるで全部が死んでいるような場所だった。
『スキルは使い熟せれば強力なものだ。魔法と違い、一点に力を集中するからの。だがこんな風に使い続けていれば脆弱な人の子には必ず反動がくる。今の季節には吹き荒れる吹雪を利用することで負担を軽減しているのにせよ、使用している人の子は命を削っているようなもの。ましてや他の季節にも使っていると聞く。もはや自滅を望んでいるようにしか思えぬ。友よ、そなたもスキルを使いすぎるでないぞ』
スキルを使うと疲れると思っていたけれど、決して使いすぎないようにしようと心に誓った。そんな原因で死にたくない。
「侯爵はどうしてそこまでするんだろう? 命を削っているって知らないのかな?」
『そなたはスキルを使うと疲労を感じるのだろう? この壁に先年より広い範囲でスキルは使い続けられている。当然、健康状態にも影響は出ているはずよ』
カミルがさらわれた時に垣間見たその人は、ただただ厳しい顔をしていた。もしかしたら身体に不調があったのかもしれない。アッフェンバル家で聞いた話だと、貴族は弱みを見せないように振る舞うんだそうだけど、あの表情は具合が悪かったから? でもカミルとなんの関係があるというの?
十分に休んだというグリフォンの背に再び乗せられて、侯爵領の内部へと進んでいく。領境に近いあたりでは、放置され崩れたままの人家がいくつか見えた。人影はない。
グリフォンが力強く羽ばたく度に、すいすいと景色が流れていく。きっと馬よりもトナカイよりも本獣の言う通り、早いのだろう。
アッフェンバル家に滞在している間、近隣の簡単な地図を見せられた事を思い出す。詳しいものは軍事的秘匿のために公開されてはいないけれど、まったくないのも不自由なので、簡略なものは入手できる。宿のお客さんもよく持っているやつだ。それの北方三領版。
その地図によると、侯爵領は北の天辺から西側が海に面していて、東側は山脈が続いている。山脈は一度途切れ、今度は辺境伯領と伯爵領の間に続いているみたい。
侯爵領の領都は、西の海岸沿いにあるそう。この季節には凍り付いて使えない大きな港を有しているとも教えられた。海も港も見たことがない私は、ただ聞いて頷いているだけだったけど。侯爵の居城は当然その領都にあるので、目的地がどの辺りか、なんとなく分かったような気がする。
今いる辺りは、もう随分と北に位置しているから、日が出ている時間が短い。出ていても空が少し明るいかくらいの差しかなかった。冬場は領境のスキル壁関係なく、それなりに吹雪く地域なので、一日中ずっと雲が分厚く暗い。ただ、吹雪のやんだ晴れた夜には、天を覆う煌めくカーテンが見えるとグリフォンが教えてくれた。オーロラと言うんだって。自然の見せる景色の中でも極上に美しいものだと。こんな北の果てまで来ないと見られないのは残念。わたしはまだ見ていないけど、せっかくだから再会したカミルと見たいなあ。




