4.ゲルトが守護たる幻獣に庇護されること。
グリフォンは幻獣。滅多に人前に姿を現さないという。たいそう頭が良くて、おとぎ話では主人公を助けてくれる存在として描かれている。まさか実在の生き物だとは思いもしていなかったわたしの前で、のっそりとグリフォンは顔をあげた。その頭は鋭いくちばしを持った鷲のもの。金色に揺らめく瞳がわたしを見据えている。首から下は砂色の獅子。背中には今は畳まれている大きな一対の翼。
『うむ。もう死にかけてはおらんな』
「あの、わたしを助けてくださった、んですよね?」
生憎、そのあたりの記憶はない。
『そうだ。我は半分鳥でもあるからな。そなたのスキルに呼ばれて参った。見れば鳥の友たる人の子が死にかけておる。そこでここに運んだのだ』
あの時はもう切羽詰まっていて。とにかく助けが欲しかった。まさかグリフォンが釣れるなんて。でもそのおかげで生き延びたのならば、命の恩人―――恩獣である。
「ありがとうございました。自分ではもう、どうしようもなくて。本当に助かりました。わたしにはしなくちゃならないことがありますけど、それが終わったら、どんなことでもして恩を返したいです」
『そなたはまだ子供であろう。子供は庇護すべきもの。気にするでない』
獅子の、先にだけ毛のある尻尾が、ゆったりと上下した。
それまでただ、わたしたちの会話を聞いていたらしいディートヘルムさまが口をはさんできた。ちなみにグリフォンの言葉はちゃんと他の人にも聞き取れるそうだ。
「守護さまが君を連れて来られたので、我が家で保護したのだよ。守護さまは我が家の暖炉がお気に召していて、滅多に冬は外に出られないのだが、突然起き上がって出て行かれたかと思うと、君を運んで来られてね。守護さまの客は我が家の客。なので、ゆっくりここで過ごすがいい」
それはまさに僥倖というやつなのだろう。過信があったとしても、わたしがしていたのは無謀な行動だったのだから。ちゃんと考えれば、北の端を目指すならば春を待った方がいい。そして冬を過ごすのにきっとここ以上の場所はない。
でも、わたしがここでぬくぬく過ごしている間。北に連れ去られたカミルはどんな扱いをされるだろう。どれだけ心細いだろう。そう思うとじわりと涙がにじんできた。
「ありがとう、ございます。でもわたし、カミルを助けにいかなくちゃならないんです」
「不思議だったの。あなたのような子供が、たったひとりで雪の中にいたことが。何か事情があるなら話してくれないかしら?」
労わるような眼差しのエルメンガルドさまに問いかけられて。わたしはこれまでのことを話していった。
「ふむ。メーリヒは大きな街だ。王都に次ぐほど栄えている。そこで通りかかった旅の貴族らしい男に、いきなり幼馴染を攫われたということだね?」
ディートヘルムさまが、わたしの拙い話を整理してくれる。
「あなた、氷の薔薇の紋章というと―――」
「ああ。その人物の様子からしてもヒルデブレスト卿に違いない。雪の王とも称される彼の人だろう」
記憶の中のその人はとてもとても背が高かった。銀色の髪は短く刈られ、毛皮のマントの上から猛禽類のような鋭利な表情のままわたしたちを見下ろしていた。実際に会ったフクロウやこのグリフォンだって猛禽類のはずだが、彼の人に比べればはるかに穏やかだというのに。
「急遽、侯爵位を継がれるという噂はございましたわね?」
「ああ。王都にて陛下に継承の許しを得て領地に帰るところであったのではないか」
「あなたとお歳も変わらないのでしたわね。たしか、面識もお有りでしたかと」
「王城で何度かな。君の元へと婿入りする前の話だが。騎士としても優れた人物であったから、いきなり遊んでいた平民の子供を攫うような、そんな無体を働く男ではなかったはずなのだ」
知らない情報ばかりがご夫妻の間で進む。騎士だったというのは何となく厳しそうな印象と一致した。そう記憶を確認していると、エルメンガルドさまから質問が飛んできた。
「ねえ、ゲルト。その男性は馬車に乗っておられたのに、わざわざ降りて来られたのよね?」
「はい、そうです。いきなり豪華な馬車が目の前に止まって、並んで遊んでいたわたしたちを見下ろしたかと思うと、『この子か』とだけ言ってカミルを抱えて馬車に押し込んだんです」
この夫妻の前で話していると、私の頭も整理できる。ただ何故という思いは消えないけれど。
「そのカミルという子は、これまで侯爵とは面識などなかったのかな?」
「カミルは、一歳くらいの頃からわたしとずっと一緒でした。だから、わたしが知らない侯爵なんて方をカミルが知っていたはずありません」
「その子は、あなたと同じ平民だったのよね?」
「そのはず、だったんですけど。もしかしたらカミルは貴族の血をひいてるかも」
実は小さい頃から、カミルがあまりにもきれいなので、そうではないかと周囲でもよく言われていたのだ。フリーダおばさんも普通の平民よりずっと育ちが良さそうな美人だったし。でも貴族でも没落して平民になることもあるらしいから、結局そのまま受け入れられていたけれど。ただ、父さんたちが出発前に話していた感じでは、カミルの父親が貴族っぽかった。
「だが、貴族の血を引いていそうだというだけで、いきなり攫うだろうか?」
「ゲルトの話によると、とても綺麗な子だったようなので、そういうご趣味があったとか?」
「こらこら、君がそんな低俗なことを言ってはいけないよ。少なくとも王城で会った彼にそういう噂はなかったはずだ。高潔で厳格な騎士と評判だったのだから」
わたしの頭の上で話されるご夫妻の会話が通り過ぎていく。お貴族さまの事情なんてわたしには分からない。ただ、わたしの大事なカミルがさらわれたという事実だけは決して消えない。
「雪が解けるまでここにいらっしゃいな。それから侯爵に連絡をとってみましょう」
「だが、素直にゲルトをカミルという少年にも会わせるとは思えないのだが」
普通ならば。ただの平民のわたしが侯爵さまになんて人にお目にかかることすら無理だろう。忍び込んでカミルを取り戻すつもりだったんだけど、それが今はあまりにも考えなしだったと身につまされる。
「それならば、ゲルトをわたくしたちの子供にしてしまいましょう! 他家の貴族の娘の面会とあらば、あちらも無碍にはできないはずですもの」
いやいやいや、エルメンガルドさまってば、何を言ってくださっているんだか。私が貴族の養女とか、そんなのありえないし!
ぶんぶんと首を振る私を見て、いたずらを思いついた子供のような顔をされたディートヘルムさまは、エルメンガルドさまの提案をあっさりと呑んでみせた。
「ではそうしようか。我々には既に跡継ぎの男子はいるから継承で問題もない。ああ、君が気にすることはないよ。書類上のことだからね。だが、貴族と渡り合うつもりならば、身分は邪魔にならないし、むしろ必要だろう」
『我には身分なぞ意味はないが、必要とあらば手配してやるといい。だが、この友たる人の子は、おそらく春が来るまで待てまいよ』
とんでもない話に目を白黒させるばかりだったが、そこにゆったりとグリフォンの声がかかる。内容は、うん、まったくその通り。少しでも早くカミルのところに行きたい、それが一番の願いだ。
「彼の侯爵領であれば、春になっても状況は変わらない可能性もあるか」
「それはどういうことですの?」
「彼のスキルはよく知られているのだ。雪を自在に扱うという。そして一年前より、侯爵家との領境は季節に関係なく常に吹雪いているという噂がある」
「では、『雪の王』という異名は」
「スキルから付けられたのだろうよ。噂が真実であれば、彼の意図が理解できないのだが」
「季節に関係なく雪に閉ざされるとあれば、領民の暮らしにも影響があるのでは?」
「そういえば昨年より、侯爵領より隣の伯爵領に住民が押し寄せているという報告が上がっていたな」
ご夫妻に尋ねると、元々北の地は農耕に向かず、住民はトナカイを飼ったり、森で狩りをして暮らしているのだという。領境が一年中雪に閉ざされれば、その影響は領地全体に広がるんじゃないの? 侯爵さまとやらは、一体何を考えてそんな馬鹿なことをしているのだろう?
「旦那様、彼の地で何が起こっているのか調べる必要がございますわ。我が領土にも無関係とは思えませんもの」
「そうだな。伯爵領だけでは受け入れきれなかった住民がこちらに流れてくることも考えられる」
「それだけならまだしも、治安の悪化も考えられますわ」
「ああ。生きる糧を得るために、山賊などに身を落とす者もいよう。山賊になられてしまえば、こちらとしても討伐するしかなくなるからな」
山賊と聞くと、恐ろしさに身が震える。街に住んでいると自分とは関係のない遠い話。でも一人雪の中を行くのならば、出会えば命もないかもしれない。これまで人の善意ばかりしか知らなかったけれど、暴力に抗う術なんて私は持っていない。できたら、ううん、絶対会いたくない。
ただ、ずっと住んでいた処では生きていけないからと逃げてきた人たちであったならば、同情もする。でも山賊とか絶対駄目だと思う。その道を選んでしまったら、討伐されても仕方ないんじゃないかなあ。ディートヘルムさまだって、その為に兵を出して討伐とか、本当はしたくなさそう。でもそうしなくちゃならない立場の人なのだと分かってしまう。自分の領民を守らないといけないから。
『人と人が争うのは直接食らうわけでもなく不毛なだけよ。この友たる人の子は、目的地まで我が運んで行こう。ならば安全であろう』
暖炉の前に寝そべって目を細める様子は、身体が獅子だからか、まるで大きな猫っぽい。グリフォンも香箱組むんだ。
「どうして、そんなに良くしてくれるんですか?」
これまでスキルで呼びだした鳥たちだってそこまではしてくれなかった。単純に大きさや知性のせいかもだけれど。
『我の半分がそなたを友だと主張しておる。それにのう、滅多に現れぬ二重スキル持ちには恩を売っておくものだ』
グリフォンの鷲の頭部が笑っている。鳥類にはあまり表情がないのだけれど、この時はグリフォンが笑っているのは間違いないと確信できた。スキルなんてなくっても、多分。
「二重スキル?」
それよりも、わたしが、何?
「二重スキル持ちか! それは珍しいな」
「わたくしたちが保護するに十分な理由にもなりますわ!」
ご夫妻もなんだか興奮しているけれど、わたしにはさっぱり分からない。
「どうやらゲルト自身も知らなかったようだな。神官から聞かなかったのかい?」
「聞いてません。私のスキルは鳥の友、とだけ」
今更だけど自分のスキルを明かしてしまっているけれど、グリフォンも言ってたし、この方たちは私を利用しようとは考えてないみたいだから、きっといいよね。
「低位の神官では気付かなかったのではないかしら。守護さまのお力は高位の神官よりはるかに上ですもの」
「二重スキルというのはね、持っているスキルに紐付けされた別のスキルがまだあるという奴だ。それが何かは――守護さま、聞かない方がよろしいですか?」
『今はな。だが直に明らかになるであろうよ』
自分に何が起こっているのか分かっていないわたしに、エルメンガルドさまが説明してくださる。
「普通にスキルを持っている人だって、多いわけではないわ。けれど二重スキルともなればもっと少ないの。そうね、もしかしたら今、この国であなたしか持っていないのではないかしら。その能力が何か、よりも、希少な二重スキル持ちというだけで、下手に知られれば高位貴族、いいえ王族さえもあなたを取り込もうとするでしょう。その方法が穏便なものとは限らないわ。決して口外してはいけないと覚えておいて。わたくしたちも他人には話さないから安心して頂戴ね?」
「人は希少なものを有難がり、他者への権威付けに使おうと考える者も多い。かつて二重スキル持ちを巡って、国同士が争ったという記録もある。高位貴族の矜持に掛けて、我々は君を守ることを誓おう」
きっと、このお二人は信じていい。だって幻獣のグリフォンが傍にいる方たちだから。グリフォンは善き者の味方だもの。
そしていつの間にか養女の話は決定となって、最早、わたしが口を挟めないところにまでいってしまった。身の安全のためと言われたら拒否なんてできない。さらに。
『北の一年中吹雪いている処に行くとなると、我に乗っていくだけでも今はまだ体力が厳しかろう。もう何日か養生するがいい。ああ、我の翼は強いからな。馬やトナカイなんぞより余程早く着くから安心して過ごすがいい』
グリフォンの言葉に、この邸での滞在が続くことが決定した。




