2.雪の中でのゲルトの旅の日々のこと。
街を出るまでにお寝坊な冬の太陽が顔を出すくらいの時間になったのは、街がそれなりに大きくて広いから。普段は家の近所くらいしか用はないので、住んでいても知らない場所も多い。でも昨日の今日だからまだ道も分かる。馬車は大きな道しか通らなかったから余計に。
だからわたしは、迷わず街の北門を抜けていく。昨日はこの門の近くで馬車から落ちたのだ。そして取り残された。苦い思いは、歩くための力にしてやる。
石壁に守られた街の四方に門があるけれど、出ていく分には咎められることもない。ただ、この門を使って街を去る人たちは皆、厳しい顔つきで黙々と歩いていた。街の中は石で舗装されているけれど、ここからは土の道。溶け切らなかった雪も残ってぬかるんでいたりもする。とても歩きにくい。
農村地区を抜ける頃には、わたしがまだ子供で、それほど足が速くないから、いつの間にか置いて行かれたように周囲には誰もいなくなっていた。冬枯れた畑にも、働く人の姿はない。
でもそれはわたしにとって好都合。分かれ道に差し掛かったところで、ひとつ深呼吸してから、わたしはスキルを使う。
「友だち、友だち、ここに来て。わたしに力を貸してちょうだい」
『ああ、友だち、呼ばれて来たよ。ねえ何か食べるものを持っていない?』
「質問に答えてくれたらパンくずをあげる」
さっそくスキルで現れたのは茶色い小鳥。街の中でも見かける鳥だ。
『パンくず! ご馳走だね! 質問、なあに?』
「昨日の夕方、さらわれてしまったわたしのカミルを探しているの。ミルキーブロンドの髪の男の子。四角くて大きな馬車に乗せられて行ってしまった。どっちに行ったか知らない?」
『夕方、四角い馬車、見たよ! 知ってる! あっちへ行ったよ!』
小鳥は北に向かう道の方にちょんちょんと進んで教えてくれた。わたしはお礼を言って、パンくずをあげてから小鳥と別れて北に向かう。
わたしのスキル、それは『鳥の友』というものだ。どんな鳥であっても言葉が通るし、その場にいなくても呼ぶことができる。街の中にでも鳥は飛んで来るし、住んでいる鳥もいる。使い方によっては悪用もできるから、人前で使うなと親には言われていた。街の中でも外でも、そんなスキルを持っている子供だと知られればそれこそ悪い人にさらわれてしまうからと。
九歳になった子供は神殿の小部屋で神官と二人だけで祈る。そうすると子供は生活魔法が使えるようになる。ささやかなものばかりだけれど、あまり小さい子が使うと危ないからと、九歳までお預けなのだ。
この時に同時に、スキルをもらう子供もいる。スキルの有無とその名前が一緒に祈る神官には分かるので、スキルがあればその場で知らされることになる。神官はどの子供がどんなスキルを授かったかを口にするのを許されていない。貴族の子供だと国に報告するらしいけど、神官が公表するんじゃなくて、親がすることだから。
庶民の場合、普通は家族以外にはスキルのことは話さない。誘拐されたり、羨まれたりで、あまり良くない騒動に巻き込まれるからって。貴族と違って、たいしたスキルを与えられたりしないだろうからと、どこかに報告したりする義務もないのだ。
わたしとカイは特別親しいから、もちろんお互いのスキルのことを話していたし、使ってもみせている。恋人や夫婦がそうするように。
スキルというものは使えば使うほど強くなるんだって。わたしたちはひと目の無い屋根裏の窓辺で練習したので、順調にスキルを育てることができ、最初は近所の雀にしか使えなかったけれど、貰って一年経つ今は、どんな鳥にでも使えるようにまでなっていた。
分かれ道になる度に、わたしはスキルで呼んだ鳥に聞く。
「さらわれてしまったカミルがどっちにいったか知らない?」
その鳥が知らなければまた別の鳥を呼ぶ。やがて、
『見たよ、扉に氷の薔薇の描いてある馬車。あっちの方に向かったよ』
そう教えてくれた鳥が現れるまで。
ところがそうこうするうちに日は暮れて、途方にも暮れた。一日中がんばって歩いて、もうすっかり疲れ果て、冬の冷気に晒されて身体は氷のように冷たくなっている。それなのに人家なぞどこにも見えない。これは街育ちのわたしの完全な計算違いだった。家なんてどこにでもあると思っていたから、そこに泊めてもらうつもりでいたのだ。しかも、街からひたすらに北の方角へと進んできたせいか、すっかり周囲は雪だらけ。街から出たことのないわたしの手には、薪になるような小枝さえなかった。
「友だち、友だち。誰か来られる?」
困り果ててスキルに頼る。もう今日は何度も使ったから、その分の疲労も伸し掛かっていた。そう、スキルは使うと体力が奪われるのだ。
『どうした友だち、呼んだかい?』
雪景色に溶け込むほど真っ白なフクロウが目の前の木へと飛んで来る。そうだった、普通の鳥は夜だと目が見えないのだと思い出す。
「もう夜なのに泊まるところがないの。この辺に家とかない?」
『友だちのその足ではまだ遠い。今夜はここでお休みよ』
「こんなところで寝たら、わたし死んじゃうわ」
『前に人が、雪に穴を掘ってその中で寝ていたよ』
「もう雪を掘る体力もないし、道具もないの」
『ではついておいで。林の中にアナグマが住んでいた穴があるよ』
フクロウが賢いとは聞いていたが、ここまでとは思わなかった。道を外れて林に足を踏み入れ、元巣穴に案内されてお礼を言う。
「友だち、本当にありがとう。あなたはパンくずを食べる?」
『いいや。私が食べるのは野ネズミにリスに虫に小さな鳥。パンくずはいらないよ』
「それじゃお礼ができないわ」
『いいさ。私はこれから狩りの時間。友だちは寝るといい』
そう言い残して飛び去ったフクロウを見送った後、小さな巣穴へと潜り込む。幸い、どんな動物もいなかったが、前の住民であったアナグマのせいか、やけに獣臭かった。
「匂いくらい我慢しないと。せっかくフクロウさんに教えてもらった寝床なんだもの」
問題は。アナグマという動物が小さいということだ。彼らが掘る巣穴は当然、彼らの大きさに添ったものだから、立ち上がることも、座ることさえできない。もちろん、方向転換も無理。だが一応、わたしの全身が収まるほどの奥行はあった。
「わたしが入れるほどに掘ってくれたのはいいけど、これはさすがに厳しいわ」
おかげで一旦入ったものの、ずるずると入り口まで後退する。外に出たことで寒さが一層堪えたが、広い空間に解放感はあった。
風をなるべく避けて、バッグから鍋を取り出す。時間停止の付いたマジックバッグで本当に良かった。おかげで父さんが作ってくれた温かいスープは温かいままだ。スープと、鳥にやったせいで小さくなったパンで夕食を済ますと、今度は足から穴に潜り込んで、そのまま寝た。こんな場所で寝られるかと疑う前に眠っていた。きっと疲れていたせいだろう。
風と雪からは守られた巣穴での一夜が過ぎると、またカミルを追うための旅がはじまる。
慣れない移動の連続に、慣れない硬い地面の寝床。疲れが取れたとは言い難いが、眠れただけでもありがたいと、固まった身体をほぐしてから歩き出す。
「あっちは馬車なのに、こっちは徒歩だもんね。きっとすごく差がついてるんだろうな」
寝ている間にも少し雪は降ったらしく、道の上も薄っすらと白くなって、馬車の轍を隠してしまっていた。出発するまでに家で一晩過ごした分の差もあるだろう。でもどれほど差がついていたとしても、わたしがカミルを追わない理由はない。歩いている限り近づいていくだけだと自分を慰めた。
両脇が林なので道は雪が少なく、まだ足が埋まるほど積もってもいない。でもこのまま北に向かうのであれば、きっと雪が深いだろう。ただ道を行くだけで体力を奪われることになる、そんな予感に駆られても、わたしにできることは進むことだけだ。
「馬車でも通ったら乗せてもらえるよう頼むつもりだったけど」
残念ながら、馬車どころか人にも会わない。そしてもう随分と人家すらない。一体どんな遠くまでカミルは連れて行かれたのか。
「まだ二日目が始まったとこ。そんなに簡単に追いつけないって。どこまでも追いかけるって覚悟したはずじゃない」
弱音を踏みつけるようにしてひたすら歩く日々が始まった。
その日は、夜になる前に集落を見つけたので、頼み込んで納屋に泊めてもらった。火の気のない納屋だからと、熱い白湯をふるまってくれて毛布まで貸してくれた気の良い家主が、どこまで行くか聞いて来る。
「えっと、氷の薔薇を家紋に使っている貴族のとこまで」
「氷の薔薇っていうと、もしかして北の侯爵さまじゃないかねえ」
「北の侯爵さま?」
「ここは男爵領。お隣が伯爵領。その先にある北の端だよ」
「それって、まだまだ遠い?」
「うんと遠いさ。馬車でも半月以上はかかるんじゃないかな」
「ねえ、その紋章のついた馬車を見なかった?」
「わしは見ておらんが、家内が昨日だか一昨日だかに、見たと言っとったなあ」
この辺り、馬車が行き交うことは少ないらしい。商人も別の道を通るのだという。
「この先は雪が多いからな。馬では途中で往生してしまう」
「じゃあ、荷物の多い人とか、それこそ貴族さまとかはどうするの?」
「伯爵領や侯爵領では冬の間、馬車よりも橇で移動するらしい。牽くのはトナカイらしいぞ」
「トナカイ……橇……」
それはわたしにとっておとぎ話の中でしか知らないものだ。メーリヒにも雪は降るけれど、そこまでじゃない。宿のお客も南の王都と行き来する商人が多かったから、そんな話は出なかった。
「そうだなあ、嬢ちゃんが歩いてくなら、うちの領地の中までがせいぜいじゃないか?」
行ってみないと分からないことだってあるはずだ。それに、カミルを乗せた馬車の持ち主がいるのは侯爵領だと推測もできたから、目的地さえ知らないままよりずっといい。
その後、わたしの旅の夜は、運よく人家に泊まらせてもらったり、人家がない時はフクロウに教えられたように、雪に穴を掘って(穴掘りしやすそうな枝を拾っておいた)過ごしたりになった。掘れたのは生活魔法を駆使してもアナグマの巣穴と大差ないものがせいぜいだったけれど。
疲れは眠っても解消できずに、わたしの中に降り積もっていく。丁度、道への積雪が増えるように。
男爵領の領都に辿り着くまでで七日かかった。生まれ育った街よりも随分と小さい町で、人も家もまばら。ずいぶんと寂しくなった食料を買い足そうにも、店に置いてある食品は少ない。父さんに教わって、わたしとカミルは少しなら料理もできるけれど、これでは自分で作るにも足りなかった。すぐにどこででも物を買えたメーリヒとは違う。それを実感した。
分かったのは伯爵領を超えて侯爵領まで行く隊商などもなく、乗り合いの馬車もせいぜいお隣の伯爵領との境までしかいかないということだけ。父さんが持たせてくれた路銀を考えると、馬車を雇うのも無理。行けるとこまで行こうと、伯爵領の境までの乗り合い馬車に乗ることにした。
宿には泊まらず、早朝出発するまで乗り合い馬車の中で過ごさせて欲しいと御者と交渉した。その分、余計に料金は払うことになったけど、下手な安宿だと今度はわたしがさらわれかねないから避けた感じ。
乗り合い馬車は幌は付いているものの、前も後ろも開いているので大変寒い。それでも天井があるだけありがたい。それに、旅に慣れてきた私は、そんな中でも丸まって眠ることができた。
そうして半日かけて伯爵領との境まで来たものの。領境だというのに、そこは開いた門があるだけで兵もおらず人家もなく。下車したのはわたしひとり。呆然とするうちに、馬車はさっさと来た道を戻って行ってしまった。宿のお客の話だと、街道にある領境の門には兵が詰めているということだったし、伯爵領を進むために、ここの兵に相談してみるつもりだったのだ。なのに、誰もいない。
さすがに途方に暮れたけれど、進むしかない。わたしは半分以上、雪に埋まった街道を歩き始めた。
物語の主人公って、いきあたりばったりで無謀だよね。




