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クレアとオスカー、カウントダウン(何の?)が始まります
よろしくお願いいたします
オスカーからプロポーズされた翌日、クレアはちょっとだけ浮かれていた。ささやかな変化に気づかぬジュリアではない。
「ちょっとクレア、あなた何かあった?」
年は15歳も違うが、心は同級生のようなものである。クレアははにかみながらジュリアに報告した。
「実は、オスカー様から求婚されました」
ジュリアの目がキラリと輝いた。
「クレア! やったわね! やっとあのクズ家族とおさらばできるじゃない!」
作業場にこだましたジュリアの声に、同僚たちもどっと湧いた。
「ねえ、オスカー様なんて言ってくれたの?」
「やっぱり、指輪のケースをパッカーンて開いて、跪いたの? いや~妄想が膨らみすぎる!」
「結婚式はいつ? みんな休暇にしよう!」
「ストーップ! みんな、仕事に戻れ!」
ジュリアの声に同僚たちが我に返る。後でたっぷりお話を、そんな目でクレアを恨めしげに見ながら、各々仕事に戻る。
「申し訳ありません、私のせいで」
「叫んだのは私だから、クレアが気にすることはないよ。それじゃ、ちょっとロジャー団長の所に行ってこないとね?」
ジュリアは鼻歌でも歌い出しそうな様子でロジャーの所に行ってしまった。クレアは今日も注文された薬をひたすら作り続けて定時に家に戻り、残業をしてから夜中に家に戻った。もちろん、その隣にはオスカーがいる。
「今日団長に呼び出されてね。本当にクレアに求婚したか、確認されたよ」
「ごめんなさい、ジュリア部長に気づかれてしまったの」
「いいさ。こういう情報は早く出回った方が牽制になるから」
「牽制?」
「いや、こっちの話。でもクレア、これだけ騎士団内で情報が広まったんだ。もしかすると、クレアの家族も知っているかもしれない。何か嫌がらせをされるとか、君に危害を加えるとか、そういう可能性もあるから気をつけて。いいね?」
「分かったわ」
だがクレアはそれほど気に留めていなかった。オスカーの求婚に舞い上がり、隙が生じていたのだろう。家に戻ったクレアは、いつもは鍵のかかっている自室の鍵が開いていたのを見つけ、しまったと思った。誰かが部屋に入った。家族以外には考えられない。大切なものを盗まれたのではないか、売り払われたのではないか。そうあってほしくないと思うことほど現実に起きるもので、クレアは自分の大切なものを入れてあった、鍵のかかるチェストがこじ開けられているのを見た。駆け寄って中を見る。中にしまってあった、オスカーからのプレゼントのペンダントがなくなっていた。このペンダントがここにあることを知っているのは、しまうところを見ていたスカーレット以外あり得ない。
とりあえず荷物を置き、キッチンに入る。食い散らかした食器を料理が散乱する、ひどいダイニングテーブルを片付ける。今日の散らかしようはいつになくひどい気がする。食器を洗い、片付け、洗濯を始める。いつもより汚れているし、量も多い。冬に入って水は冷たく、洗濯物を踏む足も冷え冷えとする。何とか洗い終えてすすぎ、干す。もうへとへとだったが、朝食の下準備だけはしておく。クレアはそこまで終えると自室に戻り、泥のように眠った眠った。
翌朝、いつもの時間に目を覚ましたクレアは、違和感を感じた。なぜか家の中が暖かい。いつもはクレアが火をおこさない限り誰も火を付けないので、1番に起きるクレアは真冬になるとカタカタと震えながら火を付ける。それなのに、今日は暖かい。
誰かが火をおこした。何故?
クレアは着替えると朝食の準備のためにキッチンに向かった。そして、叫びそうになった。いつもなら起きていないこの早朝の時間に、両親と妹がいたからだ。
「お、おはようございます。どうかしたの?」
「話があるの。座って?」
スカーレットに命じられるままに、クレアが座る。何故か3対1の形になっている。そういえば、家族とこのダイニングテーブルを囲んだのはいつぶりだろうか、そんなことを考えていると、スカーレットが下から両腕で抱えるくらいの箱を取り出した。
何?
クレアが首をかしげているのを見て、スカーレットの口がにやりと上がった。
「この中に何があると思う?」
「何があるの?」
「覗くだけよ?」
そう言ってスカーレットが箱を斜めにして中身をクレアに見せた。クレアが叫ぶ。
「返して!」
そう、クレアの大切な魔法薬のノート、本、そしてオスカーにもらったペンダントが、無造作に入れられていたのだ。
「ちょっと用事があってね、預かっているの。クレアが私のお願いを聞いてくれれば返すわ。でも、聞いてくれなかったら……」
スカーレットは酷薄な表情で宣言した。
「箱ごと燃やすわ」
「やめて!どうしてそんなことを……」
「決まっているじゃない。こうでもしないと、クレアは私のお願いを聞いてくれないでしょうから」
クレアはオスカーの言葉を思い出した。こういうやり方で来るとは思っていなかった。自分の油断だと、唇をかみしめる。
「私ね、好きな人がいるの。でも、その人には別に好きな人がいてね。だから、惚れ薬を作って。そうすれば私はその人と幸せになる。私がその人に嫁ぐためにこの家を出れば、クレアがこの家を将来的に継げるでしょう? 私に早く出て行ってほしいんじゃないの?」
「そんな、お父さんもお母さんもスカーレットのことが大好きなんだから、お婿さんを取ってスカーレットがここにいればいいじゃない!」
「あら、それもそうね。でも、私が幸せにならないと、クレアも幸せになれないよ? だって、いくらクレアがお姉さんだって言っても、美人の私が先に結婚しないと、クレアの結婚は許さないって、お父さんが言っているもの」
父が大きく頷いている。そんな、オスカーになんと言ったらいいのか……。
「だから、早く、1日も早く惚れ薬を作って? そうしないと、クレアも結婚できないよ?それどころか、この本やペンダントが」
「分かった! 分かったから、返して!」
「今は返せないよ? 惚れ薬と交換で返してあげる。そうね、猶予は1週間。」
「待って! 材料が1週間では集められないわ。もうツケでの買い物もできないんだもの」
「それなら、このペンダント売っちゃおうかな? そうすれば」
「やめて! もうやめてよ……」
床に泣き崩れるクレアを、父と母と妹がにんまりと見下ろす。
「仕方がないわね。2週間待ってあげる。給料日を挟むから、できるわよね?」
くぐもった嗚咽の声だけが、キッチンに響く。
「じゃ、よろしく。私たちはもう1度寝るから、ご飯作っておいてね、クレア」
母がそう言って立ち上がると、スカーレットの手元にあった箱を父が持ち上げる。
「盗むんじゃないぞ」
父が吐き捨てるように言う。3人がキッチンを出て行った後、クレアは泣き疲れて動くことができなかった。しばらく放心状態になったが、日の出に気づくと顔を洗って、朝食の支度をする。元気が出ないので、今日は卵焼きもサラダも作らず、余った材料を入れたスープだけ作って、いつもより早い時間に家を出た。そして、近くの森へ行き、簡単に集められる惚れ薬の素材を集めた。集めた素材をサブバッグに入れて、いつもの時間に出勤したクレアだが、やはりジュリアには気づかれてしまう。
「クレア、何があった?」
「いえ、なんでもありません」
惚れ薬は、法律的にグレーゾーンにある。どちらかというと「クロ」だ。そんなものを作ろうとしていると分かったら、騎士団から追い出されてしまうかもしれない。
「おかしいわ。その瞼、泣いた後でしょう?」
「家の中のことです。お気遣いなく」
「家族に何かされたの?」
「ですから、何でもありません!」
思いのほか大きな声になってしまい、クレアの大声を聞いたことのない同僚もジュリアも吃驚してしまった。
「申し訳ありません。ですが、記憶にないことをつつかれても、何ともお答えできません。失礼します!」
クレアは走って作業場を出た。そのまま倉庫に入ると、声を上げて泣いた。自分のことが大嫌いだ。人に嘘をつき、心配してくれる人を遠ざけて、一体何をしているのだろう。こんな自分ではオスカーにも会えない。一頻り泣いた後、クレアは事務所に戻り、ジュリアに早退を申し出た。ジュリアは理由を聞かずに認めてくれた。まだ日が高いから、護衛も付かない。クレアはオスカーに、今日は早退するとも連絡せず騎士団を出た。その足で、朝出かけたのとは違う森に向かった。最後の素材がそこにある。採取が難しい場所だが、取れれば給料から素材を買わなくて済む。ただでさえ家計が逼迫しているのだ。給料は食費の支払いに回したかったクレアは、迷わず森に入った。
この地域は国境地帯で、クレアが今いる森は、そのまま隣国へと繋がっている。この森を抜けて隣国に入ることはもちろん密入国になるが、森に境界線は引かれていないため、両国の人が素材集めや狩りにやって来て、しばしば出くわすことがある。同じ言語を使っているため話はできるが、文化や考え方が異なるためにトラブルになることも多く、お互いにできるだけ接触しないようにしている場所だ。
クレアが探しているのは、幻覚キノコだ。魔法で干渉すると、惚れ薬の成分として入れられる血液の所有者を、フェロモンレベルで感知して惚れさせる効果を持つ。スカーレットが誰に飲ませようとしているのかおおよその察しがついているが、クレアは別の人物であってほしいという一縷の望みに掛けている。幻覚キノコは見つかった。だが、やはり簡単に取れない。この幻覚キノコは楓の木の近くに生えるのだが、楓から取れるメープルシロップをすすりに、熊たちが入れ替わり立ち替わりやってくるからだ。クレアは、熊たちがいなくなるまで、物陰に隠れて待ち続けた。ようやく最後の熊が離れた時、既に月が空高く光っていた。クレアは周囲の様子を窺うと、そっと幻覚キノコを採った。そして、家に帰った。
「ねえ、食事ができていないんだけど」
イライラするスカーレットに、素材を集めに行っていたのだと説明すると、少し態度が軟化した。
「まあ、いいわ。早く用意して」
クレアは黙って夕食の用意をする。そして、そのまま自室に籠もって、素材の下処理を始めた。下処理を終えると、持ち込んでいたビーカーに手順通りに素材を入れ、火に掛ける。沸騰しないように弱火でじっくり煮出す。液体の色が紫に変化したところで火を止め、冷ました。ボトルに入れたその薬は、三日ほど月の光に当てれば完成する。
1回分だけ作ると、あとの素材は捨てた。2度と作りたくない。こんなもののレシピを知らなければよかったとクレアは思う。家族が寝静まった頃合いを見て、食い散らかした後片付け、洗濯をして、クレアがようやく家の中に入ろうとした時、小さな声で自分の名を呼ぶのが聞こえた。オスカーの声だ。声がした方を見ると、オスカーがいた。月明かりに照らされて、心なしかしょんぼりしているように見える。
「早退したって聞いた。どこか具合が悪かったのか?」
「いえ、ちょっと家族と揉めただけ」
その言葉に、オスカーが気色ばむ。
「何を言われた?」
「たいしたことじゃないわ」
「でも、クレアが声を荒らげるなんて、普通じゃないだろう?」
ああ、やはり伝わっていたのだ。クレアは観念した。
「私の結婚は、スカーレットより後でないと認めないって。だから、スカーレットの恋が成就するように力を貸せって言われたの」
「それ、相手は誰なんだ?」
「分からないわ。でも、スカーレットがその人と結婚してしまえば私を邪魔する者はいないっていう言い方をしたの。だから、オスカー様じゃないとは思うんだけど……」
「……俺かもしれないって思っているんだな」
「うん。スカーレットのことだから、そんな簡単にオスカー様を諦めないと思うの」
「はあ。参った」
オスカーはクレアを腕に囲い込んで抱きしめると、このまま連れて帰りたいとつぶやいた。クレアも、それができたらどんなに気が楽か。だが、大事な本やノート、それにオスカーからもらったペンダントトップを奪われたままにはできない。
「何だか良くないことが起こりそうで、俺も不安だ。クレア、キスしていい? 君が確かにここにいるってことを確かめたい」
小さくクレアが頷けば、うれしそうに微笑んでオスカーがクレアの唇に触れた。ただ、いつものオスカーと違ったのはそれが唇をついばむような優しいものではなく、深く心を届け合うようなキスだったことだ。蕩けたような顔をしたクレアの額にもう1つキスをすると、オスカーは帰って行った。あと何日、こうして2人でいられるのだろう、そう思うと、クレアは涙をこぼした。
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