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クレアは、今までの人生の中で最もゆったりと日々を過ごしていた。3食食べ、しっかり眠り、すべき仕事をすればよい。その、すべき仕事というのもフレデリックのお世話だ。最初こそほぼ寝たきりに近い生活だったし、痛々しいほどのやけどもあったが、今では少しずつ鍛錬を始めるほどに回復している。その上、フレデリックは紳士的で、怒鳴りつけたり暴力を振るったりすることが一度もない。なお、感情爆発による炎の放出は、クレアに対してしたことではないのでノーカウントとしておく。
これも幸せだ。そうクレアは自覚し、幸せを与えてくれたフレデリックたちに心から感謝している。幸せの形が複数あるのだということに気づかせてくれた、それも感謝だ。
一方のシャルロットたちは、嫌がらせをするチャンスを失ってイライラしていた。別棟への出入りを禁じられ、クレアがキッチンにやって来た時を狙っても遅くなれば何かしていたと気づかれるし、食事を運んでいく時に何かすればフレデリックの食事にまで問題が発生する。最近はクレアが1人の時でも、シャルロットたちの視界に必ずジルかクロリスが入る。ジュードとチャーリーは、可愛いシャルロットに振り向いてほしくてシャルロットの言うことを何でも聞いてきた。チャーリーはシャルロット一筋だが、ジュードは最近、クレアに色めいた視線を送るようになっていた。どちらが「妻」としてよいかと考えた時に、派手で遊び好きなシャルロットより、常識的でおとなしく優しげなクレアの方が御しやすいのではないかと思うようになったからだ。そうなると、フレデリックとクレアの関係が気になる。ジュードは一度、庭に用事があるふりをして別棟を窓から覗いたことがある。そして、食事をこぼしたフレデリックの口元をそっとクレアが拭き、微笑みあう姿を見てしまった。
団長が羨ましい。
自分たちの前ではおどおどとしたクレアが、フレデリックに心を開いているのが分かる。クレアがおどおどするのは自分たちのせいだというのに、ジュードは許せなかった。寝たきりで死を待つばかりだという話だったフレデリックが、立って歩いているのにも驚いた。ジュードはシャルロットとチャーリーに、クレアがフレデリックの傍でまるで妻のような振る舞いをしている、と告げた。更に、フレデリックが歩いたり剣を振ったりしていることも話した。
「団長が、回復しているの?」
「ああ、俺たちには秘密って、おかしくないか?」
「そうだな」
シャルロットとチャーリーが目配せする。以前のジュードはそれを見るのが嫌だったが、今はクレアに懸想しているためか、全く気にならない。
「団長が元気になってここを出て行けば、クレアもお払い箱になるよな。そうしたら、俺の女にしてやるのに」
「ジュード、あの女が気に入っているの?」
「一緒に遊ぶ彼女としてはつまらないが、結婚して妻にするなら、ああいうタイプは使えそうじゃないか」
「ふうん」
シャルロットは意味深長な表情をして、チャーリーと行ってしまった。まあいい、時間はたっぷりあるはずだ。ジュードの目は、クレアのやわらかな笑顔を思い浮かべていた。
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「シャルロット、そろそろ動いた方がいいんじゃないか?」
「そうね、あの団長が完全に復活する前に……」
「鳥を飛ばそう」
「ええ、お願いね」
「あいつはどうする?」
「どっち?」
「男だよ」
「ああ、放っておけばいいわ。でも、女は駄目。殺る。だって、」
暗闇でシャルロットと呼ばれた女の目が光った。
「あの団長を復活させた罪は、重いのよ」
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クレアがフレデリックのお世話係となって、半年が過ぎた。レモンの一番花が咲き始め、クレアはレモンの花をたくさん取った。
「なぜ花を取るんだい?」
「実になってから摘果してもよいのですが、花に含まれる精油にも効能があるので、私は花の段階である程度摘み取るんです」
「他の花も、精油を取っていたのか?」
「ロターニャに来てからは全く取っていませんでしたが、少し余裕が出てきましたし、お給料が貯まって道具を買えたんです。初めて自分の欲しいものを買えました」
うれしそうに話すクレアを、フレデリックも笑顔で見つめる。フレデリックの体は相当回復し、顔の黒ずみも取れてきた。呪いで残っているのは、感情が極度に高ぶった場合に魔力が暴発しやすいことだけだというのが医師の連れてきた呪術師の見立てである。
クレアは生まれて初めて、自分のために買い物をした。オスカーの隣にいた時、オスカーのためのものを買ったことはあったが。半年経っても、オスカーのことを考えると心が痛い。まだオスカーのことが好きだ。でも、それでいいと今は思えるようになった。自分の心に無理に蓋をする方が、かえって心を深く傷付けるものだと医師が教えてくれたからだ。
「花はいろいろあるのに、どうしてレモンを最初に選んだ?」
「そうですね。レモンの香りが好きと言うこともありますが、私の作った魔法薬には、何故かレモンの香りがするので、何となくレモンと私をみんなが結びつけていたんです。私自身それが嫌ではなかったので……」
「そう。クレアの香りは、レモンの香りなんだね」
なんだろう、フレデリックの言い方に妙に色気を感じた。クレアは首をかしげて、考えても仕方がないとその引っかかりは放置することにした。
「クレア。俺が騎士団に戻ったら、クレアはついてきてくれる?」
「侍女、ですか?」
「ああ。侍女がよければ侍女にしよう。クレアは騎士団で働いたことがあるといっていただろう? だから、秘書官もできるのではないか?」
「いえ、私は騎士団の中の医務部の勤務でした。騎士団長の秘書官ができるほど騎士団の仕事を存じません」
「クレアのことだから、すぐに覚えることができると思うんだ」
「そうでしょうか。あ、あの、私が騎士団にいるのは、やはり良くないのでは?」
「どうして?」
「私がいたのはグラシアールの騎士団です。もし私がロターニャの騎士団で働いていると分かれば、軍事的な問題になるのではないでしょうか?」
「そうか。そこは失念していたよ」
フレデリックが一頻り考える。
「それならば、騎士団ではなく、俺の家の侍女になればいい。それなら問題にならないはずだ」
「騎士団の関係者のところにいる段階で良くないということはありませんか?」
「それなら、今もまずいことになるよ」
「あ……そうですね」
「だから、騎士団の業務そのものに関与していないと分かれば何とかなると思うんだ」
クレアを見つめるフレデリックの目にいつもと違う光があるような気がして、クレアは少し怖くなった。
「私の仕事はけが人のお世話係でした。騎士団長だから応募したわけではありません。ずっと団長のお傍でお仕事できれば素敵だと思いますが、私はグラシアールでお尋ね者になっている可能性があります。それに、華やかな場や人が多い環境が苦手です。団長が王都にお戻りになるのであれば、私はこの町に残って別の仕事を探します」
クレアは、いつも通り何かを諦めた目をしている。
「君の薬を飲んでしまったという元恋人のことが、まだ忘れられないか?」
フレデリックの声が、何だかいつもより不機嫌に聞こえる。
「そうですね。これまでも家族から私を引き離すために何人も求婚してくださいましたが、私を見て、実際に私を守ってくれたのはオスカー様だけでしたから」
「オスカーというのか、その男は」
「はい。平民出身でしたが、誰もが一目を置く騎士でした」
クレアが泣きそうな顔をしている。
(どうしてそんな顔をするんだ、クレア。そんな顔をさせる男のことなど忘れて、俺の所へ来い!)
フレデリックは、いつものように心の中で叫ぶ。だが、言えない。クレアを思うからこそ、クレアに軽々に愛を伝えてはならないのだ。フレデリックは愛を伝える代わりに、呪いの話をすることにした。
「呪いのこと、聞いてくれるか?」
「はい」
クレアが、いつもの静かな湖面のような瞳でフレデリックを見つめる。
「ロターニャには地方の騎士団と国全体を活動範囲とする騎士団がある。俺は、国全体で活動する騎士団の団長だ。辺境で戦闘があれば、その地域の騎士団と協力して国を守る。この国は不死鳥を神獣としているので、騎士団も不死鳥騎士団と呼ばれる。不死鳥騎士団の団長は火魔法に長けた者と決められているんだ。それで、今は俺が団長になった。
1年前のことだ。スタリオンとロターニャの間で小競り合いがあった。ロターニャ側に、スタリオンからの難民キャンプがあるんだが、その中にスタリオンの軍人が潜んでおり、ロターニャ攻略の足がかりを作ろうとしているという情報が寄せられた。我々は情報を得てすぐに難民キャンプを取り囲んだ。だが、誰が軍人で誰が難民か分からない。そうこうしている内に、スタリオン側からの攻撃が始まり、それに呼応して難民キャンプからの攻撃も始まった。我々が仕方なく難民キャンプを攻撃対象にした。キャンプにいた者を全員調べれば良かったのに、その手間を惜しんだんだ。我々の攻撃は火魔法だ。我々は難民キャンプを焼き払った。
多くの難民が、国からせっかく逃れたのに、他国でも虐殺されたのと変わらない。これに神獣がお怒りになった。騎士団のことで問題があった場合、団長が責任を取るだろう? 神獣は、不死鳥騎士団を虐殺集団と断定した。そして、難民を殺すという決断をした俺に、責任を取らせるとして呪いを掛けた。それが、難民が受けたのと同様に重度のやけどを、自分の火魔法で負い続けるというものだった。俺はそれを理不尽だと訴えたため、更に感情が不安定になるように呪いを上書きされた。
その日俺は不死鳥に焼かれた。重度のやけどを負って、急いで医師たちに治療をさせた。だが、俺は感情が不安定になったせいで些細なことで怒り、その度に体中から炎が吹き出し、俺と医師たちを焼いた。医師たちはやがて恐れて近づかなくなってしまった。重度のやけどを負っても、呪いのせいで死ぬことさえできない。俺は絶望し、そのたびに炎を吹き出した。治しても治しても俺がすぐにやけどを負うものだから、もう嫌になったのだろう、どこかへ去ってしまった。俺は困った。そして、国王もまずいことになったと気づき、フェルディナント……公爵に俺を預け、治療できるならば治療してほしいと頼んだんだ。俺は気づいたよ、厄介払いなんだって。療養先で死ねば、自分が危険に巻き込まれないからな。公爵には悪いことをした。この別棟を何回も焼いてしまったし、備品もどれだけ焦がしたか数え切れない。その内扉は耐火扉になるし、世話係として来た者たちは逃げ出すし、自分が必要とされていないと感じるようになっていった。早く死にたかった。だから、鎮痛剤だけ処方してもらって治療を断り、最低限の食事だけにしてもらうようにした。
そんな時にクレア、お前が来てくれたんだ。俺に怯えず、一生懸命に世話をしてくれるお前に、俺がどれほど感謝しているか、お前には分からないだろう。
俺の呪いのことは、実は公表されていない。そして、この呪いは一生解けない。王都に戻れば、療養の内容を秘密にした上で生活することになる。だから、この呪いのことを理解した上で、俺の傍にいてくれる人が必要なんだ」
難民のことを考えると、クレアは苦しくなった。一番悪いのは、難民を盾にしたスタリオンの軍人たちだ。騎士なら体つきで分かっただろうが、軍人という言い方をしたのだ、おそらく工作員だろう。工作員なら、子どもや老人に扮することもできる。なぜ神獣はフレデリックにだけ罰を与えたのだろう?
「俺にだけ罰が与えられた理由か? 上に立つ者が責任を取る。それだけのことだ」
「え、あの、私口に出していましたか?」
「出てはいない。だが、そう考えていそうだと思った」
「そうですか。あ、でも本当にそう考えていました。団長は心も読めるんですね」
「読めるほどにその人の表情と言葉を知らなければ、読めないよ」
クレアが顔を赤らめて困ったようにフレデリックを見つめる。
「反則だよ、クレア。逆効果だ」
フレデリックがクレアの手を取った。その手の甲にキスをする。
「今日返事が欲しいわけではない。いずれ俺は王都に帰る。その時までに、考えておいてほしい」
では、鍛錬に行ってくる、と言ってフレデリックは部屋を出て行った。クレアの顔がじりじりと赤くなる。
「団長こそ、そんな不意打ち、反則です」
クレアの小さな言葉は、覗き見ていたジュードだけが聞いていた。
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