11 Side グラシアール
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オスカーが脳障害を起こして昏睡状態に陥って3日。その間、スカーレットは一度も見舞いに来ることはなかった。正式な婚約者として騎士団に登録されているため、ロジャーは心ならずも、騎士を派遣してスカーレット親子にオスカーの状態を伝えさせた。だが、戻ってきた騎士はスカーレット親子からこう言われたと言う。
「治ったら連絡ください」
ロジャーは思わず執務机に拳をたたきつけ、穴を開けてしまった。あの親子は、このままオスカーが目を覚まさなければ……いや、目を覚ましても障害が残れば、平気で婚約破棄してくるに違いない。クレアの足取りもつかめない。ロターニャまで流されたのではないか、その場合はもう生きてはいないだろうというのがこれまでの経験則だ。
ジュリアに与えられた時間は25日。ジュリアは家にも帰らず、泊まり込みで研究書を読みあさり、解毒薬の糸口を掴もうとしている。幻覚型の惚れ薬の作り方はそれほど難しいものではない。解毒できないので、死ぬまでその効果があると信じられてきたものだ。オスカーのような症状は、これまでに報告されていない。クレアが通常と異なるレシピで作っていた場合、それを突き止めるにも時間がかかる。なにせ、クレアは魔法薬師の学校を卒業していない。町の魔法薬師養成所で資格を取り、クレアのレシピの一部は魔女譲りだと言われていた。あの独特なレモン臭も、どこか何かが違うはずなのに、誰にも突き止められなかったのだ。ジュリアは必死だった。オスカーもクレアも救える方法は、自分が解毒薬を完成させることだと信じて、1分1秒でも惜しんでいた。
騎士団によるクレアの捜索は、一週間で打ち切られた。規則なのでどうしようもない。ジュリアを訪ねたロジャーは、ジュリアが研究室で意識を失っているのを発見し、運び出した。
「君が倒れたら、クレアもオスカーもどちらも助けられないじゃないか」
ロジャーは、密かにジュリアに恋していた。信頼できる相棒という立ち位置が心地よくて、それ以上踏み込むことができなかった。もし踏み込んでいたら、もっと近くにいられたのだろうか?もっとジュリアを支えてやることができただろうか?ロジャーは隈の濃いジュリアの寝顔を見つめながら自問した。どんな結果になってもいい、責任を感じて一人戦っているジュリアを支えよう。ロジャーは眠るジュリアの額にキスをすると、立ち上がった。
「すまないが、出かけてくる」
ロジャーは従者も連れずに、雪道を徒歩で出かけた……ある人物を探しに。
・・・・・・・・・・
目覚めたジュリアは、ロジャーが1人でどこかに出かけてしまったと聞いてがっかりした。相談したいことがあったのに、とぼやくと、倒れた部長を真っ青な顔で運んできてくれたんですから、ちゃんとお礼をしてくださいね、と部下に言われた。
ロジャー、そんなことしてくれたんだ。
もう30間近の自分は、この国では結婚適齢期をとっくに過ぎている。ロジャーは更にその上の35歳だ。職場の仲間といいつつも、同期たちは次々と職を辞し、騎士たちも現場を離れて指導役や相談役としてこの騎士団内から去って行った。気心知れた仲間というと、この騎士団の中ではもうロジャーくらいしか残っていない。
ジュリアは研究室に戻ると、もう1度頭を整理した。熟睡したし、点滴を受けたことで体に栄養が入った。頭が働くのだ。ジュリアがどうしても解明できないのが、幻覚キノコの幻覚を解く部分だ。もしこの国で、書物にない知識を持っている人がいるとすれば、あの人しかいない。ジュリアは決めた。あの人に会いに行こう、と。
ジュリアは雪装備を調えて、森に入った。クレアの師匠は町の魔法薬師だが、彼女は森の魔女仕込みの魔法薬を作ることができた。その魔法薬はレシピや効能が、この国の一般的な魔法薬とは違っているとクレアから聞いたことがある。書物で分からないなら、別のアプローチ……魔女の力を借りようと考えたのだ。
雪の積もった道は、いつもながら歩きにくい。普段室内にいて雪道など歩かないジュリアの目も痛くなる。夕方が近づいた。
「これ以上は進まない方がいいな」
ちょうど近くに洞穴がある。1晩をそこで明かそうと考え、ジュリアはその前に立った。そして……
「ねえ、こんな所で何やってんの、ロジャー」
ロジャーは答えない。真っ青な顔に、冷や汗と見られる汗をだくだくとかいてうなされていた。
「ジュリアか。すまない、狼の群れとやり合ったのだが、その時に噛まれて傷口が化膿したようだ」
「まったくもう。どこ? 見せなさい」
ジュリアがロジャーに示されて右足のふくらはぎまで裾をまくると、大きな咬傷があった。傷口も化膿しているが、この熱、まさか・・・。
「いつ噛まれたの?」
「一昨日だな」
ジュリアは覚悟を決めた。
「ロジャー、よく聞いて。あなた、もしかしたら狂狼病かも知れない」
狂狼病は、狂狼病に感染した狼に噛まれることで人も感染する病気だ。噛まれて24時間すると発熱が始まる。患部の化膿はひどく、傷が残る。恐ろしいのは、48時間を過ぎると幻覚を見るようになることだ。その幻覚の内容は分からないが、発狂するようにして亡くなるケースも多い。似たような病気に狂犬病があるが、それが発症までに1ヶ月あるのに対して、時間がない分狂狼病の方が厄介だ。さらに、この病気は治療法がない。
「いつ幻覚を見始めるかも分からない。あなた、ここで待つ? それとも、私と一緒に魔女の所へ行く?」
「なんだ、俺が先に魔女のところに行って教えてもらおうと思っていたのにな」
「行き先も知らないくせに1人で行くからこんなことになるのよ。」
「ジュリアと行けば良かったのか」
「そうよ。私を置いていったからいけないの」
「そうか。それなら、ジュリアを置いて先に逝けないな」
「え……」
「俺がいつまで保つか分からないが、この先もずっとジュリアと一緒にいたいから、魔女に治してもらわないとな」
「ロジャー、あなた……」
ジュリアはロジャーに抱きついた。ロジャーはうれしそうにジュリアを抱き寄せると、ずっとこうしたかった、とつぶやいた。ジュリアを抱く腕も体も、高熱で燃えるように熱い。
「狂狼病では、キスもできない。早く治さないとな」
ジュリアはロジャーの腕の中で小さく頷いた。雪の積もる夜の森は移動できない。2人は抱き合ったまま夜を明かした。
翌朝、ジュリアはロジャーと一緒に洞穴を出た。一刻も早く魔女のところに行って、ロジャーの治療法とオスカーの解毒薬の作り方を教えてもらわないと行けない。ロジャーは高熱で体が言うことを聞かない。幻覚も出始めたようで、あらぬ方を見て敵だと言ったり、体をびくつかせたりしている。ジュリアはロジャーに肩を貸して歩く。何度も転び、そのたびにロジャーの筋肉質の大きな体をなんとか引き起こす。ようやくたどり着いた魔女の家に、魔女はいなかった。ロジャーを扉の前にもたれ掛けさせたが、視点が定まらない。ジュリアはロジャーをこのまま失うかもしれないと思うと、何もかも捨ててしまいたいと思った。クレアが川に飛び込んだ(のかもしれない)気持ちが今、よく分かった。
ジュリアはロジャーの隣に座って、空を見上げた。森の木がここだけ切り倒されて、上から見たらぽっかり穴が空いたように見えるのだろうか、などとどうでもいいことを考える。このままロジャーと2人で逝くのもありかもしれない。そう思った瞬間、握っていたロジャーの手に力が込められた。
(肯定? 否定? どちらなのかしら?)
だが、ロジャーは反応しない。
(気のせいだったのね)
「家の前で心中しないでくれるかい?」
唐突に上から声が振ってきた。からすが1羽、こちらを見ている。
「幻聴?」
「まったく、世話の焼ける奴らだ。おいで」
からすは目の前に下りてくると、人間に姿を変えた。魔女だ。
「あの、魔女様、」
「何も言わなくていい。昨晩聞いた」
「昨晩?」
「洞穴にいただろう? コウモリが私に病気の人間がいると伝えにきた。薬の素材を取ってきたから、中に入りな。お代はしっかりいただくよ」
「はい、お願いします」
ジュリアはロジャーを引きずって魔女の家に入った。
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