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クレアに癒やされるようになって、フレデリックはクレアをよく観察するようになった。そして、1つ、不審なことに気づいた。クレアが日に日に痩せていくのだ。ただでさえやつれていたのに、確実に一昨日より昨日、昨日より今日の方が痩せている。フレデリックはクレアのことが心配になった。
「クレア。君、ちゃんと食事を取っているのか?」
「え? あ、ええ、まあ」
クレアの言葉に、フレデリックは引っかかりを覚えた。だが、今すぐにクロリスを呼べと言えば、クレアは感づくだろう。昼食のワゴンを下げる時、フレデリックはクレアに言った。
「そうだ、クロリスを呼んでくれないか? それから、ジルも。邸のハーブのことで、確認したいことがある」
「かしこまりました。このまま伝えて参ります」
クレアはいつも通り丁寧に頭を下げてから、部屋を出て行った。身元保証人さえいれば、自分の世話係でなく公爵家の侍女としても務められそうなクレア。尤も、クレアがそんなことを望むとは思えないが。
やがてクロリスとジルがやって来た。クレアは壁際に控えている。フレデリックはジルの目を見て、クレアの方に顎を動かした。
「クレア、悪いがキッチンに行って、今あるハーブを全てメモしてくれないか? 料理に使う物も全てだ。団長の治療に役立つもの、それから薬の効きを悪くしたり善くしすぎたりするものがないか、医師のリストと照らし合わせたい。それから、庭にあるハーブも全てリストアップしてほしい。君は植物に詳しいと聞いているから、僕がいなくても分かるだろう?」
「キッチンと庭にある全てのハーブですね。かしこまりました」
クレアはいつもメモ帳をエプロンのポケットに入れている。ポケットの中身をちらと確認すると、クレアが退室した。いつも通りの丁寧なお辞儀をして。
「あんな丁寧にお辞儀をする子なんて、今時ロターニャでは見ませんね」
「クレアはロターニャの者ではないのか?」
「グラシアールからドニャソル川に流されて、前の海岸に打ち上げられていたそうです」
「川?」
「あ、団長にはまだ報告していませんでしたね」
クロリスとジルは、実は騎士団内でもフレデリックの部下だった。クロリスは外国からの女性賓客を護衛する騎士だったし、ジルは諜報を得意とする暗部にいた。クロリスが恰幅よく見えるのは実は着込んで変装しているだけだ、だが、シャルロットとチャーリーとジュードは、それに気づいていない。だからあの太ったおばさん、とか、あの陰気な庭師、なんているふうに陰口をたたいている。尤も、その内容が筒抜けだということに気づいてもいないのだが。
「クレアのことだ。なぜ毎日痩せていく?」
「どこまで続くか見守っていたのですが……実は、用意した食事を全てシャルロットたちが食べるか捨てるかしているようです」
「なぜ注意しない?」
「食事の時間に来ないのはクレアです」
「それは、俺の世話をしているせいか?」
「はい。ですから、ご一緒に食事を取ってはいかがでしょう?」
フレデリックはここのところ少しだけ動くようになった表情を見せた。
「そうすれば、クレアは自分の食事を確保できます。今、私が隠しておくパンやチーズを部屋に持ち込んでいます」
「なぜクレアの部屋に食事を運んでやらないのだ?」
「部屋を、あの3人が荒らしているからです。彼女は、この別館に来てから1度もベッドで寝ていません」
「どういうことだ?」
「毎晩暇なんでしょう、ベッドに水を掛けに行く馬鹿がいましてね。最近はケットまでクローゼットから引きずり出されて濡らされています。あの子は毎晩、床の上で寝ているのですよ」
「あの3人を解雇しろ」
「それは、私の権限ではできません。雇い主はあくまで公爵様です。何らかの紐付きである可能性もあります」
「だが、それではクレアが」
「そんなにクレアが心配なら、この別棟で一緒に暮らせばいい」
ジルの発言に、フレデリックは目を丸くした。
「何のために別館で生活してもらっていると思っているんだ! 俺が火を噴いても大丈夫なようにするためだろう!」
フレデリックの体から一気に炎が吹き出した。クロリスとジルは即座にベッドの下に作られた退避スペースに隠れる。フレデリックが苦痛でうめく声が聞こえる。
「馬鹿、団長の感情を揺らすようなことを言うんじゃないよ!」
「でも、実際クレアを守ろうとしたらそれしかないだろう?」
「そうだけど、もうちょっと言い方ってものがあるでしょう!」
「あ~あ、またテーブルとか、買い直しだな」
「ジル、あんたが行きなさいよ」
「へいへい、仰せのままに」
炎が弱まったのを見計らって、クロリスとジルはベッドの下からもそもそと出てきた。
「団長……」
感情の揺れ幅がコントロールできなくなるのも、呪いのせいだ。そして、感情がコントロールできないと魔力もコントロールできない。全力で全身から炎を吹き出してしまうため、自身もやけどを負う。苦しそうな声が聞こえる。
せっかく医師の治療を受けてくれたのに、これではまた元に戻ってしまう。
クロリスにとって、フレデリックは弟のような存在だ。フレデリックが苦しむのを見たくない。焼け焦げた部屋を見まわして、クロリスはさて、どこから片付けようかと思った。
「あの、火事ですか!」
クレアが慌てて駆け込んできた。そして、部屋の惨状を見て驚いた。それからベッドの上のフレデリックを見つけ……慌てて駆け寄った。
「団長、大丈夫ですか!」
「うう……ク、レア、か……」
皮膚が焼けている。出血も見られる。クレアはラベンダーの精油を練り込んだ消炎クリームを取り出すと、沁みると思いますが我慢してくださいね、と声を掛けてフレデリックの顔に塗り始めた。フレデリックのうめき声が大きくなるが、フレデリックから炎が吹き出されることはない。クロリスは目を見張った。痛みで火を噴くのは日常茶飯事。それなのに、クレアのために耐えているようにしか見えなかったのだ。顔に塗り終わると、喉、腕、と言う具合に、少しずつ塗っていく。いつの間にフレデリックはここまでクレアにさせるようになっていたのだろう、とジルも不思議そうだ。
「ジルさん、私では触れられない所がありますので、ジルさんにお願いしてもいいですか?」
「ジル……駄目だ……炎が……」
「分かっていますよ。クレア、薬はここまででいい」
「ですが、全身に症状が……」
「無理することないんだ。魔法薬があればいいんだが、この国には魔法薬がない。いや、正確に言うとあるんだが、王族と騎士団専用なんだ。魔法薬師がほとんどいないから……」
「えっ……そう、なんですか……」
「ああ、だからクレアが気にしなくていいんだ。治療を受けて、消炎クリームを付けて、少しずつ回復させること。それから、さっきみたいに炎を出さないように感情をコントロールすること。この2つしかできることはないんだ」
「……はい」
クレアは意識を飛ばしかけているフレデリックの顔を覗き込むと、そっとその頭に触れた。クレアは、フレデリックの髪が燃えていないことに気づき、顔以外の頭部にはやけどがないことを確認していた。痛くないのは頭だけ。クレアは髪を撫でた。何度も何度も。クロリスとジルは黙ったまま2人を見つめる。クレアの手がやさしくフレデリックの頭に触れるたび、フレデリックの顔から苦痛が少しずつ消えているのがわかる。そのうちフレデリックは眠ってしまった。完全に寝付いたのを確認すると、クレアは手を離した。そっと立ち上がって、まだそこにクロリスとジルがいたことに初めて気づき、顔を赤くした。
「あ、あの……」
「団長があんなに心を許しているなんて、呪いを受けてから、いや、その前からずっとなかったことだよ。クレア、ありがとう」
「いえ、そんな……」
「クレア、お前、シャルロットたちから嫌がらせを受けているだろう? 部屋をこの別棟に変更する。それから、食事は全て団長とこの部屋で取れ。これは提案ではなく、指示だ」
「あの、どうして?」
「団長が、クレアが痩せていくのを心配している。団長の感情を安定させるために、食べている所を見せてやってくれ」
「いいんでしょうか、失礼にはあたりませんか?」
「団長も望んでいる。だから、大丈夫だ」
「今から私も一緒に行くから、部屋の荷物を動かしなさい。まあ、着替えとハンカチくらいしかないって知っているけれど、あいつらに絡まれるとうるさいからね」
「その間は俺が団長を見ているから、クロリスとさっさと行ってこい!」
「はい、お願いします」
クレアの部屋は、フレデリックの部屋と一つだけ部屋を挟んだ所になった。シャルロットたちは文句を言ったが、クロリスが黙らせた。
この結果、クレアがシャルロットたちのいる別館に行くのは、キッチンに行く時だけとなった。基本的にフレデリックの食事を取りに行く形なので、シャルロットたちも邪魔できない。最初にクレアの食事も一緒に運ぼうとした時にはずうずうしいなどと文句を言われたが、団長のご指示に背くのかとクロリスに言われると、3人は黙ってしまった。
その日から、クレアは半人前にも満たない量ながら、1日3食取れるようになった。人生初の1日3食である。クレアはフレデリックに、こんな贅沢をしていいのかと困惑したように言った。
「クレアは極めて常識的なのに、自分のことになると非常識だということをきちんと認識すべきだ」
とフレデリックに言われて、クレアはますます困ってしまう。だが、クレアと一緒なら、と言って、フレデリックがテーブルで食事を取るようになった。ベッドの上で隠れるように食べていた頃とは大違いだ。もちろんまだ麻痺があるから食べこぼしも多いが、クレアに拭われるのがうれしそうだ。
食欲が出たこと、治療を受けるようになったこと、そしてクレアのラベンダー入り消炎クリームをしっかり塗り続けた成果だろうか、フレデリックのやけどが治り始めた。あの日以来、感情が高まって炎を吹き出すこともない。フレデリックの調子が良くなると同時に、クレアの体にも変化があった。肌や髪に艶が出、痩せすぎだった体が痩せ気味レベルの体型になった。力が入るようになったので、フレデリックの歩行訓練にも肩を貸せるようになった。フレデリックはまだ回復途中のため、しばしば休憩を取らねばならないが、できることが増え、フレデリックは自信を取り戻しつつある。別棟は、春に向かって温かい空気に包まれるようになっていった。
チューリップの蕾が上がってきている。クレアも、フレデリックに教えてもらった桜の花を見るのを楽しみにしていた。クレアは、こんな穏やかな日々を過ごすことが幸せなのだろうかと考えるようになっていた。好きな人と結婚して家族になって、楽しいことも苦しいことも一緒に乗り越える、そんな日々を「幸せ」と考えていたクレアにとって、新しい「幸せ」の形だった。
だが、幸せというものは長く続かないものらしい・・・クレアの人生において、は。
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