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「そういうわけで、お姉ちゃん。お姉ちゃんは出て行って。あ、お姉ちゃんが婚約する予定だったオスカー様は私がちゃ~んともらっておくから、心配しなくていいわよ」
呆然とする私を父と母と妹が家の外に追い出すと、鍵が掛けられた。本も、ノートも、大切な思い出の品も、何一つ持ち出せなかった。私の家は、もう私の家ではなくなったのだった。
給料を全て吸い上げられるのは仕方なかったが、恋人のオスカーまで奪われるとは思っていなかった。クレアは小さくため息をついた。もう夜中の12時を過ぎている。とりあえず一晩やり過ごそうと、クレアはとぼとぼと歩き出した。
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クレアは魔法薬師として、騎士団の医務部に勤めている。クレアの作る薬はなぜかレモンの香りがするため、たくさんいる薬師で薬を作っても、クレアの作った薬だとすぐに分かってしまう。その香りで薬が飲みやすくなると騎士たちからの評価は上々で、同僚からはどうやったら香り付けできるのかとしつこく聞かれる。だが、クレアにもどうしてなのかは分からない。クレアは町の魔法薬師の所で学んだが、師匠は異国の魔女から教えてもらったと言っていた。レシピも手順も同じであることは確認済みなので、おそらく魔力の込め方に何か秘訣があるのかもしれない、とクレアは思っている。
クレアが騎士団での仕事に力を入れるのは、家のためだ。両親は元々料理屋を営んでいたが、食中毒を出して閉めてしまった。父のチャールズはその後気力が湧かないと言って仕事をしない。母のジュリアも同じだ。妹のスカーレットは、クレアの稼いだお金で好き放題に買い物をしている。ツケで買って、クレアの給料が入るとそれを奪って払いにいくのだ。父と母も食料品店や服飾店でツケをするようになってしまい、クレアの給料は持って帰ったその日か次の日には全てなくなってしまう。クレアはそういう生活を止めてほしいと何度も言ったが、誰1人真面目に働いて生活しようとしない。
ある時は、庶民だというのに妹がドレスをオーダーしようとして、慌てて服飾店にキャンセルしに行ったこともある。平身低頭するクレアに、服飾店のオーナーは、払えない客だと思っていたから話を聞いただけで、まだ型紙だって起こしていないから大丈夫と言ってくれた。今後何か言ってきても、前金が払えない客は断るから心配するなと言われ、思わず安堵の涙をこぼしてしまったほどだ。
「それにしても、チャールズたちはどうして働かないんだろうね」
クレアは黙って頭を下げるばかりだ。だって、クレアにできることはそれしかない。
クレアは残業をして少しでも家に持ち帰る給料を増やそうとするが、帰りが遅くなるとクレアはそれはそれで苦しくなる。誰1人、家のことをしないからだ。朝、クレアが食事を作る。クレアが出て行った後で、家族3人はもぞもぞと起き出す。そしてクレアが作った食事を食べ、片付けもせず、買い物に行ったり、ぐうたら寝ていたりする。クレアが夜遅くに帰ると、食事がないとスカーレットが癇癪を起こして家の中を荒らしてしまうことが続いたため、クレアは定時に1度帰宅し、部屋の片付けをして食事を用意し、再び騎士団の医務部に戻って薬を作り、深夜を過ぎた頃に家にたどり着く。食事の片付けをし、家族の衣服の洗濯をして夜の内に干す。クレアが眠るのは夜中の3時頃。起きるのは5時だ。
ふらふらになったクレアを、何人もの騎士たちや同僚たちが心配してくれた。妻になればあの家族から離れられるからと、結婚を申し込んでくれた人も何人もいた。だが、それではあの3人は路頭に迷ってしまう。クレアは丁寧にお礼とお詫びをして、その後の関係が悪くならないように心を砕いてきた。おかげで、結婚をお断りした人たちとも良好な関係のまま、こうして医務部で働き続けることができている。
何事にも一生懸命で明るく振る舞うクレアは、上司から可愛がられ、同僚から親しまれる。騎士団の女子寮で生活すれば楽になるはずだと上司が言ってくれたが、家族のことが心配で踏み切れなかった。そんな家族思いなところと、それでも弱音を吐かずに頑張っている姿に心を掴まれる騎士や同僚は少なくない。上司は、クレアが不憫でならない。特に医務部長のジュリアはクレアの師匠の幼馴染みで、その実力で騎士団医務部初の女性管理職となった御仁である。女傑と言っても過言ではない。ジュリアはこっそりと騎士団長のロジャーの元を訪ねた。
「君が来るなんて珍しいね、ジュリア部長」
「ロジャー団長、クレアのことで相談があるの。少し時間をもらえないかしら?」
「クレアか。どうした?」
「実はね……」
ジュリアの相談とは、夜中の12時過ぎに帰るクレアを、騎士たちで見送ってくれないか、というものだった。若い女性が、歓楽街のすぐ傍を通り抜けながら夜中に帰るのだ。これまでも酔っ払いに絡まれたことが何度もある。狼藉者にひどく腕を捕まれてあざを作ったこともある。そして一昨日、不埒な輩に物陰に連れ込まれそうになり、抵抗した所で殴られ、頬に青あざを作ってきたのだ。そのあざを見た時、ジュリアは初め家族に殴られたのではないかと聞いた。これまでも家族からの暴行があったと聞いていたからだ。だが、
「帰り道に変な男に連れ込まれそうになって、抵抗したら殴られてしまいました。」と何でもないように話すのを聞いて、ジュリアの理性の線が一本ブチッと千切れた。一晩考えて、ジュリアはクレアを守る為に、騎士の力を借りようと決めたのだ。
「深夜だから、夜番の人にお願いする形はとれないかしら?」
「希望者が殺到するのではないか?」
「そこはロジャー団長がうまくやってちょうだい」
「敢えて希望者を募って、プライベートな時間をクレアのために割ける、そんな奴の方がいいのではないか?」
「……送り狼にさせたくないわ。それに、クレアが固辞しそうよ」
「そうか。勤務の一環とすれば、クレアも納得するか。ならば、帰宅が20時以降になる女性職員を無事に送り届ける、という任務を作り、クレアだけが特別ではないようにしたらどうだろう?」
「あら、素敵。その噂だけで、騎士に興味津々の若い女の子たちが騎士団での仕事に殺到しそうね」
「騎士たちの婚活も、団長の仕事だろう。下手に飲み屋で紹介パーティーを開かれて、潰れたところをお持ち帰りしたりされたりでは敵わないからな」
「あら? そうやって今の奥様と出会った人は誰だったかしら?」
「実体験があるからこそ、うまくいけばいいがトラブルも多いんだ。娘を傷物にされたから責任取れと怒鳴り込まれて結婚したら、実は何もなくて、破瓜の血を見て青くなった騎士が何人もいる。そんな夫婦がうまくいくはずないだろう? すぐ離婚する。そうなると、騎士への悪評が高まる。騎士団への信頼がなくなれば、有事に問題が発生しかねない」
「それもそうね。いいわ、制服を着ていれば送り狼になりきれないだろうし」
「見られているという自覚は、最大の抑止力だからな」
クレアはこの話を聞いた時、自分のせいで騎士たちに負担をかけることになったのではないかと意気消沈した。だが、女性職員の護衛任務には特別手当が出るため、騎士たちにとって美味しい話なのだと言われ、少しだけほっとした。
その晩、クレアについたのがオスカーだった。夜中の12時過ぎに医務部を出て鍵を閉めたクレアに、オスカーは騎士らしく「任務ですので送ります。」と言ってくれた。守衛所に鍵を預け、二人で歩く。話ながらの帰り道は楽しかった。いつも走り抜けていた歓楽街近くの道にはやはり酔っぱらいが数人いたが、オスカーの姿を見るとクレアに近づこうとはしなかった。
「オスカー様、ありがとうございました。こんなに安心して帰れたのは久しぶりです」
月の光の中で微笑んだクレアは、疲れているはずなのにはっとするほど美しかった。
「また送ってもいいか?」
「夜番の方たちの任務だと伺いました。ご無理なさいませんよう」
クレアは丁寧に頭を下げると、おやすみなさい、と言って、家の中に入っていった。オスカーはそれを見届けると、静かに騎士団への道を戻った。何だか物足りない。2人の会話が思いのほか弾んだことに、実は話し下手なオスカーは驚いていた。
それに、とオスカーは思う。あんなにきれいで、一生懸命で、まっすぐな子は、なかなかいない。オスカーは振り返った。もう見えないクレアの家の方向を見る。
俺が守りたい。
そのオスカーの気持ちは、実行に移された。オスカーは、毎晩クレアを送ると宣言したのだ。他の騎士たちから、自分たちにもチャンスをくれと言われたが、オスカーが絶対に譲らなかった。毎晩クレアの送りを続ける内に、やがてオスカーとクレアの会話から敬語がなくなり、少しずつ距離が近づき、とうとう手をつないで帰るようになった。初めて手をつないで送った日、顔を真っ赤にしたオスカーを見た騎士たちは、もう自分がクレアに近づくことはないだろうと嘆息した。
しばらくすると、オスカーとクレアが付き合い始めたという噂が流れた。ジュリアがこっそりクレアに確認すると、クレアは真っ赤になって「そ、その……オスカー様から付き合いたいと言われまして……」と目を泳がせて言うものだから、ジュリアはクレアが可愛くて仕方がない。その足でロジャーの所へ行き、騎士としてのオスカーの評価を尋ねた。
真面目、実直、冗談も言えないほど口下手。剣の腕は一流。平民の出だから、平民のクレアとも釣り合う。さらに、多くのファンがいる美丈夫。
「ファンがうるさいかもしれないが、オスカーが黙らせるだろう。クレアとオスカーなら、騎士団も歓迎だ」
「そうね。2人ずっと働いてくれそうだし」
「腕のいい剣士と魔法薬師の夫婦か。いい組み合わせだ」
だから、誰もが驚いたのだ……オスカーが、クレアの妹スカーレットと婚約したことに。
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