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短編集【ホラー】

僕を愛してくれますか?

作者: ポン酢
掲載日:2023/10/17

あれは、冷たい土砂降りの夜。


「ねぇ、死ぬの?」


その声にビクリと震えた。

飛び降りようと柵を登りきった私にかけられた声。

ドッドッドッと心臓が重く拍動した。


引き止められる訳にはいかない。


やっと死への抵抗を抑え込んだのだ。

この機を逃したくない。


「ねぇ……死ぬの??」


振り向くな。

このまま柵から飛び降りれば終わる。


そう、終わる。

やっと終わる。


ほっとした。

これで終われるのだと安堵した。


「ねぇ……。」


「うるさい……っ!!」


そのやっと訪れた平穏を邪魔され、私は苛立った。

苛立ちにより、反射的に振り返ってしまった。


「…………え……っ?」


そして虚を突かれた。

土砂降りの雨の中、真っ暗な屋上。


私は振り返って見たものの意味がわからなかった。



「ねぇ……?死ぬの??」



穏やかな声。

その中に僅かに潜む喜び。


この声は、自殺を止めようとしているものじゃない。



「ねぇ……??」



この状況に静かな楽しさを含ませている。

私に呼びかけるその口元は、歪に口角を上げている。


ゾワッと寒気が全身を捉えた。

雨が冷たいからじゃない。


彼に……。


私に呼びかけるその人に、恐怖した。

フェンスを握る手が柵を強く掴み、ガタガタと震える。


彼は笑った。


無邪気に……。

残忍に……。



「……死ぬなら、ちょうだい??」


「な……何……を……??」


「お姉さんの命。」


「!!」


「ねぇ、ちょうだい??」



彼は笑っていた。

この土砂降りの中、傘も刺さずに。


彼の体を伝う雨水が、ぽたりぽたりと赤い雫を落とす。


何故なら彼は血まみれだった。

それが絵の具やインクなどではなく、血だとわかっていた。


何故なら……。


彼の手には、人の頭が握られていた。

長い髪を無造作に掴み、逆の手には大きな鉈が握られている。



意味がわからなかった。



冷たい土砂降りの夜。

明かりのない屋上。


誰もいないはずだった。


奥歯がガチガチと音を立てる。

死ぬ事への恐怖心は抑えられていたけれど、「殺される事」への恐怖心はそれとは別物だった。



「……ねぇ、お姉さん?死ぬの??」


「あ……。」


「死ぬならちょうだい?お姉さんの命……。」



私は自分は気が狂ってしまったと思っていた。

泣き叫ぶ声さえ枯れた絶望を何度も何度も与えられ、きっともう狂ってしまったのだと思っていた。


浴びせられ続ける罵声。

蔑み聞えよがしに小馬鹿にされる。

集中しようとしていても、横からやってもないミスに気をつけるよう怒鳴られる。

集中が切れる。

嫌味と罵声に意識が削がれる。

始終悪意に取り囲まれ、息をすることもできなかった。


実際、自分の行動の意味がわからない事が多かった。

自分自身で自分がわからなくなっていた。

どんなにしっかりしようとしても、どんなにミスをしないよう気を張っていても、何度も同じ様なミスが続く。

一つを気をつければ別のところに、気をつけていたはずなのにミスをする。

もう無理だと思った。

自分には正常な判断能力が失われている。

もう人間ではないのだと。


だが……。


今、この冷たい土砂降りの中。

誰もいるはずのない真っ暗な屋上。


私に呼びかける純粋な狂気。


それを見た時、自分はまだまともだと知った。

まだ人間なのだと。

正常な判断能力は残っているのだと。



「ねぇ……。」



無邪気な笑み。

その声は静かで、穏やかで。


本当に恐ろしいものは、静けさの中にあるのだと思った。


これが気迫迫る怒号と共に走ってきたなら、きっと生存本能が反応して、私は弾かれたように逃げただろう。

でも彼は、とても静かに音もなくそこに現れた。

そして穏やかに笑う。

普通の会話をするように話す。


私は逃げられなかった。


気づいた時には、目の前の狂気に囚われていた。













私はソファーで彼の頭を撫でる。

彼は無垢な子供のように私の膝に甘え、目を閉じている。

とても無防備と言えるが、彼の皮一枚下は底のない粘着質でドロドロとした腐った血液が生ぬるく流れている事を私は知っている。

だから抵抗はしない。

この薄皮が弾けてしまったら、私の手に負えるものではない。


「今日はいい獲物を見つけたんだ。」


「そう……。」


彼の身の回りの世話は私の役目だ。

血まみれで帰ってくれば風呂に入れ綺麗に洗う。

タオルで包んで全身を拭く。

彼の好きなシャンプーで洗った髪を丁寧に乾かす。

そして食事を与え、寝かしつける。


たくさん抱きしめ、頭を撫でる。

子猫のように戯れついてくれば気が済むまで遊び相手をし、疲れればそれを癒す。


「ねぇ、お姉さん?」


「はい。」


「僕を愛して?」


「……はい。」


「ずっとずっと……僕を愛して?」


「……ええ。」


「ずっとだよ?」


「……はい。生きている限りは。」


「ふふっ。わかった。」



彼は無邪気に笑った。

満足そうだった。


彼に出会うまで私は穏やかな静けさの中にこそ本当の怪異がある事を知らなかった。

無垢さという真の狂気を知らなかった。


純粋な狂気が、何を考えているのか私に理解する事は難しい。

けれど絶望に打ちひしがれ、正常な判断能力を低下させていた私にはちょうどよかった。

それが異常であろうと、そう判断する力が弱まり感覚が失われていた。


だから彼を受け入れた。

私にはそれができた。


何も考えなくていい。

彼が求める何かでいればいい。



「どこにも行ったら駄目だよ?」



出がけ、彼はそう言った。

私は頷いた。

彼は後ろ髪引かれるように私にすがりつく。



「いい子に待っててね、お姉さん……。いい子にしてたら、飽きたらちゃんと殺してあげるから……。」



彼は純心だ。

無邪気に笑う。


私はその狂気に囚われ、溺れた。

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