曇天の銀
エピローグ:曇天の銀
僅かな休憩の時間が終わる。
穏やかな微睡みを搔き乱すのは機械油とヘドロの匂い。
そして点滅する電光だった。
ディスト・クラークスは顔の火傷痕を掻いて体を起こした。
ガラクタだらけの工房を器用に歩き進んで、曇った鏡を見ながら灰髪を整える。
――――今日は珍しく客が多い。
同じ時間に客がダブったのも久しいことだった。
「ねぇ、早くしてくれない? 時間は有限なんだよ?」
頭部と胴体の一部を義体にした少女が、機械仕掛けのモノアイでジッと睨んでくる。
「…………ワタシは後で構わない」
そう言ってくれたもう一人の客も視線は突き刺すように鋭かった。
「えー……それじゃあ先に入金……ああ、もうしたのか。ただ契約書にも書いた通り、麻酔がないんであなたの代わりに痛みを受ける使い捨ての人格を埋め込んで――――」
説明をしながら施術を済ませていく。
モノアイの少女からぼろっちい義手を外し、瞳事務所の中古品の義手につけかえる。
……接続の完了。
すぐに次の客の義体も同様に付け替えだの改造だのをするのが日常だった……のだが。
「申し訳ないがあんたの義体は俺が手をつけないほうがいい。フェンリル社だろ? 保証書があるはずだ。あそこは最大手だからな」
――待ってくれた客の義体があまりに高価過ぎる。
どれも酷い戦闘の傷でボロボロなのは確かなのだが、不用意に手を出したくない案件だった。
「…………整備だけでいい。お願いしたい」
睥睨は憂いげな視線へと変わる。
縋るような、はたまた弱みにつけ込むような。
澄ましていて無感情な表情が、なぜか少しばかり蠱惑的で、ディストは気まずそうに頭を掻いた。
「……わかりました」
「…………ありがとう」
「仕事ですので」
点検していく。腕の動き。瞳の反応速度。耐久性。確認すべき項目は全身に及んだが彼女は慣れた様子だった。
言う直前に上着を脱いで背中を向けてくれた人は初めてだ。作業の順番に理解があるらしい。
「……本当は義体を取り替えるべきですが。そう簡単ではないでしょうしこちらで調整だけしておきました。……大丈夫ですか?」
どうしてか、彼女の双眸は涙に潤んでいた。
強く堪えるように震える唇。引き攣った頬。
理由はわからないが、どうしようもなく胸が締め付けられる。
――大丈夫ですか? なんて尋ねておきながら、釘付けになるみたいに呆然と見つめてしまっていた。
「っ……。問題ない。すまなかった。ディスト」
「ああ……?」
手渡した水を勢いのまま飲み干して逃げるみたいに出て行ってしまった。
――――なんだか変わった客だった。
今日のことはよくあることではないが、だからと言って何かが変わるなんてことはない。
そのあとはいつものように誰かの肉体や遺伝子、機械をツギハギ。
そんなことを日に数回するうち夜が訪れる。
珍しく電気が止まることはなく、衣服はきちんと乾き切っていた。
点検をしただけなのに、随分多くのチップをくれたらしい。
おかげでため息をつかずに済んだ。
帰り支度を整えて外に出る。
Jn14区は都市の防波堤のような区画で、極寒灼熱の白い砂漠から砂塵が吹き荒んでくる。
中央区画の摩天楼は遠くで煌々と煌めいていて、光が眩いほど影差す場所は暗闇ばかりだ。
「……はぁ」
未だ煌々と明るい工場、入り組んだアパルトメント群を通り過ぎていく。
ガシャガシャと音を鳴らす金網の地面。足元で流れていく汚水。どれも気に障る。
寒々と白い砂塵が風に乗って散っていく。
ひらけたストリートはゴミに溢れていて人通りは皆無に等しい。
不気味なほどの静けさに包まれていた。
ディストはピタリと足を止めた。
振り返ると同時、発砲。
銃声が夜闇を劈いて轟く。
「何か不備がおありでしたか? お客様。あーいや、もう営業時間は終わってるから違うんだ。……何の要件だ? 保証書でも欲しくなったのか? 悪いが、そういう書類は残さない主義なんだがな」
対峙した。
開き直るように姿を見せたのは朝方対応した頭部義体の少女だ。
「ワタシはあなたをいい技術者だと思ってるんだ。だから手を頭の上においてよ。じゃないと、手を置く頭、飛ばしちゃうよ」
ノイズ掛かった機械音。互いに向け合う銃口。
「俺の金と記憶が目当てか? せこい副業だな。大したお金も貰えないんだし、命を張るべきじゃないぞ」
一歩、また一歩と距離を取って、なんとか逃げる算段を考えていると。
不意に、夜闇の奥から銀の光が瞬いた。
同時、衝撃が突き抜けて焔が広がる。
ディストを脅していた少女が呆気なく白銀の劫火に塗り潰されて消えた。
「……っ!?」
飛び散っていく火の粉を前に、数瞬、目を覆った。……視界が煌々と照らす銀色を前に眩む。
炎の切っ先は鋭い刃のようでありながら、穏やかに揺れていた。
……綺麗な炎だった。
訳もわからずにただじっとその灯火を見つめていると、――ゆらりと。
焔を御して人影が輪郭を帯びていく。
「……あんたは」
炎と同じ色をした髪が首まで伸びていた。鋭い翡翠と紫の眼。生真面目そうな顔つき。
昼に点検した少女だった。
凛然とした眼差しが向かう。
不思議と目が合ってしまうと、彼女は無遠慮に歩み寄ってくる。
「怪我はないか?」
「ああ、あんたが助けてくれたからな。けど理由がわからない。……お前は誰で、何の要件で接触してきた?」
尋ねると。
意を決するように固唾を呑んだ音が聞こえた。
……自覚はないかもしれないが、彼女は緊張や寂しさのようなものがよく顔に出るタイプだった。
何かを決意するように鋭く眦を決して、すっと華奢な手が差し出される。
「ワタシは――――」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「ワタシは…………。本当にディスト・クラークスを誘うべきだろうか」
レーニャ改め、ソラは車に戻るや否や、憂いげに窓の外を眺めてぼやいた。
「HAHAHA!! 今更躊躇うなよ。ソラちゃん。なんだ? もしかして言えなかったのか? スカウトしに来たって」
「そうだ。そうだともルーディオ。悪いか? ディストに話そうとしたが、まともな言葉が出なかったんだ。点検だけして帰ってきたんだよワタシは。貴様にはこの苦しみはわからないだろうな……!」
開き直るみたいにブチギレた。
黙ったら気まずいだけだとわかってか、ルーディオは嘲り続けて、そのうち本物のレーニャとルサールカ、ミルシャにしばかれていく。
それでも心はちっともスカッとなんてしない。
むしろ今更になって色んなことに後悔して、はぁぁぁぁ……と。絶望の底に落ちるような深いため息が溢れる。
もっと髪を整えるべきだっただろうか。いや、ルサールカが決めてくれたものを信じられずに何を信じることができる?
ソラは窓に映る自分自身と睨み合って髪の毛を弄っていく。
前は長く伸ばしていたが今はウルフカットだ。いまだに髪が短いのは落ち着かない。
「不安……? 大丈夫だいじょーぶ。超美少女だよぉ」
見透かされて、ルサールカに背を叩かれる。
けどそれだけじゃない。
もっと喋るべきだった。
もっと柔らかに接したかった。
そもそも客として入ったのが間違いだったんだ。あれじゃまともに喋れはしない。
指で頬を引っ張って笑ってみせる。……笑えない。
「……ミルシャも、苦手です。もっと……可愛く振る舞いたいのに」
「HAHAHA! みーんなオレからすれば美少女さ! 抱かせてくれ」
「懲りないですね。今はガールズトークなんです。黙っててください」
ミルシャの雷が落ちて騒がしい男が沈黙した。煤けた義体から煙があがっていく。
そんな様子を見ていると、先ほどの点検のことを思い出して笑みがこぼれた。
「……ふっ」
嗚呼、ほんとうに久しい。……ようやくディストに点検してもらえた。
手順だけは昔……いや、違う未来と変わらなくてなんだか安堵してしまいそうだった。
懐かしさが喉の奥から込み上げて、……なのに言葉は聞いたこともないような丁寧語。
まるで他人だった。いや、紛れもなくワタシ達はまだ他人なのだ。
それで、どうしようもなく目頭が熱くなって……。
――――逃げてしまった。
……だってディストはワタシのことを知らない。
ワタシが甘いもの好きだということも、ディストがいたからワタシがここに存在するということさえ知り得ない。
色付きを仕留めるなんて滑稽な伝説はワタシしか知らない。
……胸が痛む。息ができなくなりそうだった。
これではワタシは【銀炎】と同じだ。
ディストにワタシの知るディストを投影して、……勝手に傷ついて、向き合えなかった。
「まだ始まってすらいないことを憂いでどうする」
リーダーが諭すように尋ねた。真っ直ぐな視線を前に、ソラは重い影を差して俯いた。
「……ワタシが知っているディストではないんだ」
「んなことはわかってる。お前が自称銀雲急便一課だったときに、馬鹿げた話をしてくれたからな」
リーダーの双眸が銀を灯した。
両肩を握られる。
「後悔はするな」
「…………わかっている」
だから奔り抜けた。だから前を向いた。だから今だって、窓から見上げる空は銀に美しい。
「……ワタシが悩んでいるのを見るとへんな感じがしますね」
本物のレーニャが神妙な表情でぼやいた。
ワタシの存在が彼女の何かを変えたのか、口調はずっとそんな調子だった。
「…………ディストが来ても惚れるなよ。ワタシのだ。絶対レーニャには渡さない……」
ボソリと警告。レーニャはなんだか憐れむような、余計に気難しそうに表情を濁した。
「人の顔で惚気ないで欲しいですね」
「ほんとだよ! 存在しない時間でイチャついたからって私の弟と恋人気取りはどうかと思うな。……緋色の瞳にうつらないから本当に嘘は全くついてないみたいだけど」
ふん、と少し不機嫌そうにアメリア・クラークスは、しょげながら恥ずかしがっているソラの頬をグリグリと苛めていく。
「まぁでも約束通り私達を雇用してくれるなら全然許そう。違法な義体施術師を続けるよりよっぽどいいからね。だから――頑張ってよね。じゃないと困るし」
バチコンとデコピン。額に響く小さな痛みを経由して、ソラはようやく決意を固め直した。
少なくともうじうじしていては何も始まらない。
「夜になったら行く。……ディストの仕事が終わったらだ。それまで数時間はあるからその間に一度シャワーを浴び直し、制服を整え、髪を梳かして……準備してから行く」
――――長い時間をかけてここまで来た。
Jn14区は都市の防波堤のような区画で、極寒灼熱の白い砂漠から砂塵が吹き荒んでくる。
だが白い砂漠を横断した者からすればただの砂埃にすぎない。
中央区画の摩天楼は遠くで煌々と煌めいていて、光が眩いほど影差す場所は暗闇ばかりだった。
だが銀の炎を灯せば影など消える。夜の闇など白銀に塗り潰されて消える。
――――ほんとうに長い時間をかけてここまで来た。
ワタシが存在すらしない過去にひとりぼっちになってから三年。
時は止まることも戻ることも、早送りになることもないから。ただ前へ進み続けた。
長い時の積み重ねの果てにこの街に来たのだから……、だから緊張もする。
心臓の音がはち切れそうなくらいなのも仕方がないことだ。
変な汗が滲むのも、緊張で頬が引き攣りそうになるのも……仕方がないことだ。
「そうだ。ワタシは悪くない…………」
そうやって正当化していると、少しばかり胃のムカつきも和らいだ気がして歩を急いだ。
未だ煌々と明るい工場、入り組んだアパルトメント群を通り過ぎていく。
ガシャガシャと音を鳴らす金網の地面。足元で流れていく汚水。
ひらけたストリートはゴミに溢れていて人通りは皆無に等しい。
物語の始まりを待つかのような静けさに包まれていた。
嗚呼……長い準備をして正解だったと思える。
おかげで規律を保ちながらも容姿は万全で崩れることはない。
なにより、……この静寂と緊張に押し潰されることもない。
(大丈夫!! 絶対っ可愛いから)
ルサールカがくれた激励に一層強く背を押されて、早足になっていく。
――そして、見つけた。
ディスト・クラークスの姿を。
ワタシにとっては炎がなくとも灯火のように眩く思えた。
嗚呼、どうやって登場しよう。銀の焔を使って颯爽と現れようか?
それとも曲がり角で偶然を装うべきか?
否、スカウトしにきたのだ。偶然はありえない。だから――。
ぐちゃぐちゃとめぐる思考を断ち切るように、不意に銃声が夜を劈いた。
ビリビリと痺れる鼓膜。
どうやら昼にいた客が、それもワタシの二人きりの時間を台無しにしてくれた奴が不埒を企んでいるようだった。
全くもって腹立たしい。こんなことが許されるものか?
否、許されない。
「……っち」
ソラは舌打ちをして銀に燃えた。迷いを燃やす。苛立ちをくべる。そうして白銀に夜を染めて地を踏み蹴った。
聖火のごとき軌跡の尾を曳いて、銀の残像を置き去りにした肉薄。
どこの馬の骨かもわからない女を蹴り飛ばして舞台から叩き落す。
「……あんたは」
ディストは困惑の言葉をこぼしながらもすぐに銃を下ろした。
こちらに敵意がないことは理解してくれたようだった。
アメリアの眼を継いでいないからか、双眸は同じ色をしていた。
……それでいい。ワタシの知るディストではないことの証明であり、悲劇を塗り潰した結果だ。
ジッと言葉も出ずに見つめてしまうと、必然的に目が合った。
……今しかない。そう確信して、ソラはディストへと歩み寄った。
「怪我はないか?」
「ああ、あんたが助けてくれたからな。けど理由がわからない。……お前は誰で、何の要件で接触してきた?」
怪訝な視線が突き刺してくる。
剥き出しになりそうな胸の痛みにじわりと弱弱しい炎が滲む。
……色んなことがあった。
(レーニャ・アルフィンテルン。銀雲急便一課所属。貴様の言った通り、ワタシが運ぶべき時計の針の一つであり、分針です。以上)
(あー……どうも。隊長よりも隊長らしい真面目さだな)
初めて会ったときはちゃらけた奴だと思った。ワタシもワタシで、ほんのわずかな関係だと思っていたからよそよそしかったか。
(ワタシを守ろうだなんて考えるな。いや、……考えてもいないのか。誰が相手でも、反射的に、訳もわからないまま飛び出したということだ)
(お前だって、割り込んで助けにきてくれただろ)
無鉄砲で、助けたがりのバカだから……すぐに死んでしまうと思った。
しょうもない理由でくたばって、≪秒針≫を守れなかったらどうしてくれるのかと思っていた。
(そうだな……。失敗はあっちゃいけない。だから俺が死なないようにもっと訓練をつけてくれ。強くなりたい。それで力がついたらさ。正面切って言えるだろ? 俺が俺とお前を、父さんのところまで連れて行く……! ってさ)
(……レーニャの夢を俺に叶えさせろ。俺を……お前の隣に立たせろ!)
(俺は死なない。レーニャのことだって死なせない。約束は守る)
ディストは約束通りワタシを【銀炎】のもとまで送り届けてくれたのに、一番守ってほしい約束だけをよりにもよって破った。
……破ってくれたからワタシは生きている。
ワタシは覚え続けている。
朝焼けの訪れない凍えた街で共に走ったことを。
何度も口にした飴の味を。
ぬいぐるみを買って、アイスクリームを食べたときの穏やかな時間を。
好きだと言ってくれた瞬間を。
長く、長く……ハッカ味のキスをしたことを。
だから…………その全てを飲み込んだ。
鋭く眦を決した。
双眸の奥、迷いの消えた炎が光輝を灯していく。
「ワタシは――――」
手を差し伸ばした。
「――――銀雲急便一課のソラ・クラークスだ。……ディスト・クラークス及びにアメリア・クラークスを銀雲急便一課の一員として雇用するためにここに来た」
ディストは…………何も言わなかった。
困惑や疑問を口にすることさえなく、ただジッと視線が重なる。
ただそれだけで感情が溢れた。
差し出した手に銀の焔に濡れていく。
「疑問に思うことは多くあるだろう。それでも……。どうか、この手を――」
言い切る前に握手を交わしていた。強く握られる手。
炎が伝う。熱はなく、ただ白銀に輝いてワタシ達を照らしていく。
「そんな顔されたら断れねえだろ。――――それで? 俺はどうすればいい」
ディストが透かしたような笑みを浮かべて尋ねてくる。
なんだかその笑顔を見ていると、無性にムカついた。握られた手の熱にほだされかけた自分にもムカついた。
もうこれ以上喋らせないために飴玉を押し込む。自分の口にも放り込んで、すぐにバリボリと八つ当たりみたいに噛み砕いた。
「…………黙って付いてこい」
ソラは握った手を離さないまま、顔を真っ赤にして命令した。
恥じらいを、誤魔化すように空を見上げる。
――――美しい曇天の銀色だった。
まずはここまで読んでくださり本当にありがとうございます。15万文字だなんて、小説一冊分より分厚い文字数ですからね。本当にここまで読んでくださり感謝しかありません。
先の展開とか、伏線とか、プロット通りに進行すべきかとか、色々考えているうちにパンクしそうになりましたがそのたびにブックマークや感想、レビュー。沢山のものが支えになりました。
おかげで後悔しないために炎を灯し続けることができたものだと思っています。
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