翼の炎。銀の雷鳴
〚嗚呼、私の娘の記憶をそのまま持っていればきっとそう言うだろうね。そうでなければ時計の針が起動できなかったから〛
次の瞬間、【銀炎】の姿が残像と共に消え失せた。
弾丸のごとく驀進し、≪時針≫によって時は圧縮され、距離が消える。……嗚呼、否、弾丸などとは比較にもならない。
どんな武器さえも比較にすらならない。
「悔め!! ≪秒針≫!」
ほんの数秒の間に何度目かもわからない異界道具の行使。
どれだけ身体施術をしていても、抑制光によって副作用を抑え込んでいてもズタズタに魂を掻きまわすような頭の痛みが指先を震わせる。
鋭い烈火の突きが腹部を掠めんとする刹那、ぎりぎりで上体を反らした。
だが停滞した時の中で動き出した炎は瞬間的に向きを変えて、ディストの背中を焼き裂いて―――時が遡行する。
≪分針≫が行使されて一手前へ巻き戻る。
捻じれる炎の一撃と再び対峙して、ディストはむしろ【銀炎】へ肉薄し、飛び退って前方へ距離を取り、銀焔の加速そのものを銃を経由して撃ち放つ。
全て避けられた。……構わない。それが有効打になるとは端から思っちゃいない。ただ時間を稼がなくてはならなかった。
そのために何度だって時計の針を止めて、戻さなければならなかった。
〚意味のある抵抗とは思えないな〛
淡々と突き付けられる言葉。振るわれる銀の軌跡が描く劫火の円弧。
レーニャが砂に踵を沈め屈むように避けるならば、ディストは炎翼を伸ばし宙へ飛んだ。
「怖いんだろう!? だから俺だけに語り掛ける! レーニャと向き合えば、罪悪感で炎の勢いが消えるんじゃないか!?」
藻掻けば藻掻くほど白銀に輝きを増していく。
死の境界を踏み越えて、臨界点を越していく。でなければ炎を研ぎ澄ますことは叶わない。
心中、炎を舞い上げて猛火が滾った。迷いなく身体を突き動かす意思の焔を帯びて、逃げることなく刃を――振り下ろす。
同時、レーニャは地を焼き蹴って距離を詰めた。切っ先を突き放す。
地上と上空。三次元的な挟撃を前に【銀炎】は動じることなく軍刀を振るった。軽々と斬撃をいなし打ち流して、炎の渦の中で火花が散っていく。
ぶつかり合う金属音が劈く。加速による膂力を以て二人を突き飛ばすと銀の輝きを撃ち放った。
白銀の焔が軌道上の全てを焼き尽くす。
「逆巻け――!!」
「悔いろ――!!」
異界道具の引き金を唱えると同時、紫の蛍光を宿して【銀炎】の≪時針≫を抑え込む。
光輝の濁流がすぐ横を薙いだ。灼熱が血肉を焼いて視界が揺らぐ。
「――ッ。ハハ……くすんだ銀色だな」
ただ強がりでしかない。
【銀炎】の致命的な炎の連撃を避けようとも、異界道具による時間遡行、時間停止の過負荷によって体の内側から壊れてきていた。
だが自我が燃え消えるほど炎は全身を巡っていって、握りしめた手は灯火と同化していた。
「ディスト。命令だ。呑まれるな。焔を限界以上に込めろ。すべて燃やせ」
正気が灰燼に変わりつつある。
それでもレーニャの声を聴いて即座に正気を取り戻して、レーニャを一瞥した。彼女の長い白銀の髪は既に炎と同化していた。凛とした双眸は眩い炎を見続けていた。
「……そうだな」
それ以上の言葉は出てこなかった。溢れ止まらぬ血を拭う。
意思に関わりなく、リーダーの灯火がそうさせていた。
〚我慢比べをしたいかい? 嗚呼、実際のところ時間を止めて戻される限り君達を殺しようはないな〛
【銀炎】は加速による強襲をやめるとただ歩み寄った。歩くたびに硝子砂を融解させて、白銀の焔が砂上へ滲み、空気が膨張して歪む。
足元から立ち上がる熱霞。そして掌を軽く払うだけで噴流が疾った。
地を穿いて足元から放たれる光炎の閃柱。螺旋を描く業火が空気を巻き上げながら光の槍となって地を砕く。
眼下に閃光が広がり――停止する。
剡い烈火に胸を貫かれ――遡行する。
時計の針を止めて、戻し、突き上げる獰猛な炎の槍をしりぞける。距離を取って踏みしめた先が再び炸裂し、かろうじて凌ぐ。
――いつまで時を戻すことができる?
とっくに脳神経は過熱しているのを、銀の炎による加速で補い続けて、自然治癒を強引に前借りし続けているに過ぎない。
ディストは苦渋を噛みしめた。地を貫いた炎が夜の闇を貫き裂いて、流星のごとく降り注いでいた。
握り締めたままでいる圧縮した炎を行使すればすべて避けられるだろう。だが、――その選択肢はない。
藻掻くのではなく、目の前の怪物を射殺さなければ先はない。
レーニャも理解していたのだろう。視線を交えた一瞬、互いに頷き合った。
迫る災禍のごとく炎の流星を前に真っ向から地を蹴った。足元へ衝突する光が飛沫をあげて血肉を燃やす。
轟く衝撃波が頬を削った。
広がる熱霞で肺が縮み、喉の奥が金属味で満たされる。義体の一部が耐熱性の許容値を越えつつあるのだろう。
降り続ける壊滅的な炎が影を奪う。焔はまっすぐなだけではなかった。鞭のように屈曲し、背面へ回り込み、逃走経路を覆い尽くす。
肉体を貫く炎だけを最低限の動きで回避し続けようとも、攻撃が途絶えることはない。
広がり、地を穿ち、天から降り注ぎ、斬撃の円弧を描いて飛来し続ける。
螺旋し、裂いて、抉り、空気の流れを加速させて獄炎の渦へ引き寄せる。
白銀の焔は意思のままに形を変え、逃げ場を削り取っていく。
――だがここで焼け死ねばレーニャの望む未来はないだろう。
銀の空を見上げることはできないだろう。
夢半ばで息絶えればルーディオに顔向けできない。
だから、願いを燃やしていく。
夢を燃料としてくべていく。
尽きることのない感情によって炎炎と燃え上がる。
絶えることのない銀の炎、そのエネルギーを速力のみに変換する。
継いだルーディオの灯火を用いて、二人は背に銀焔の翼を咲かせた。
薄刃の羽根が炎の羽を舞い散らす。反転の一拍で爆ぜる推進。羽ばたきを一閃し迫る銀色の濁流を斬って旋回し軌道変更。
地表すれすれで火線を引いて追いすがる流星を置き去りにしていく。同時、握り続ける炎の熱さえも加速に変換し、蓄積し続けた。
焔で炎を穿つことができないから、いっそ熱を捨て、速度による衝撃のみを圧縮していく。
〚ルーディオの翼炎か。彼は才能を持っていた。嗚呼、彼とは古い付き合いだったよ。私が色付きになる前から何度も酒を飲み交わしたな〛
――――ならば何故。
そう問い叫びたくなる衝動を抑え込み、理不尽への無力さをも炎にくべる。
白銀に光輝する流星を避けて、避けて、飛んで、旋回し、急降下し、地を蹴って避けて、避け続ける。
だが、脚を掠めて体の感覚が欠落した。尾を引く炎が背を撫で、外套の裾が灰になる。片脚が完全に消し飛んでいた。
幸い、途方もない熱が肉を焼いて出血は少ない。時を止める? 否、≪秒針≫を刻むことができるのはあと一回だ。
だからレーニャも遡行しない。できない。
脚程度、炎にくれてやる。
崩れかけた態勢を焔の勢いだけで相殺して砂塵を裂いて致命傷を凌いでみせる。そして燃やす。
恐怖を、悲観を、絶望を。ミルシャがきっとそうしたように、後悔をしないためにすべてを燃やす。
焔で炎を貫き穿つことはできないから、握り締めた獄炎を、――炎を穿つための銀の轟雷へと変えていく。
〚それは……よくないな〛
【銀炎】の声が凍てつくように響いた。白銀の残像が幾重にも重なって時間と距離を消し飛ばす。
「させるものか……!!」
レーニャは最後の≪分針≫を行使して前へ出た。
ディストの胸倉を掴んで背へ押しやり、迅烈たる破壊の劫火、【銀炎】の振るう斬撃を焔と刃で受け止めて見せる。
大地が唸りをあげた。何条もの亀裂を奔らせ、地盤を狂わせるほどの衝撃が、津波の如くすべてを呑み込み、炎となって広がる。
【銀炎】が一度でもレーニャ・アルフィンテルンと向き合うことができていたのならば、その炎が全てを灰に帰していただろう。
だが【銀炎】は――――向き合うことはできない。
レーニャは白銀の炎を打ち弾き、押し返した。踏み止まった足で地を穿ち、刃を再び正面へ振り下ろす。
【銀炎】は即座にレーニャを炎の圧力で吹き飛ばしたが。
たった一拍。ディストに斬り込む余白を拓いた。
≪秒針≫の最期の一回を行使して刹那の時を停滞させる。
「はぁああああああああああああああああああああああああああ!!」
そして、全てを賭べて雷哮をあげた。
激する雷斬を迸らせて猛る。収斂し続けていた銀の輝きを――
――――解放する。
「―――――――――――――――――――――――――――ッ!!!!!」
【銀炎】の炎へ、ルーディオとミルシャが遺した傷痕へ腕を突き入れ、零距離での砲撃が【銀炎】さえも吹き飛ばす。
軌道上の全てを呑み込む白銀の雷炎が砂漠を穿いて、残響が刻まれる。
……音が途絶えた。




