前を見るという勇気
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
――――青い光が収縮していく。転送によって生じる空間の亀裂音が耳鳴りの残響だけを刻んで掠れていく。
眩い閃光が絶え、広がっていく白い地平線。
砂漠の果てでは既に日が沈み、深く沈んだ曇天の空が空を覆っていた。
感傷に浸るように黒と藍、そして銀に染まった空をほんの数秒、ただ見上げていた。
白い砂漠の外気が風となって頬を撫でる。耳元を裂く音が途切れ途切れに響いていく。……冷気に締め付けられるように小さく息を呑んだ。
吐いた息が白く散る。頬を刺す霧となってすぐに凍っていく。
靴底が押し潰す砂の音が、広大な静寂の中では異様に大きく思える。
どれもいつもの慣れた音と乾いた空気でしかないはずなのに、研ぎ澄まされた感覚はこれが最期であるかのように鮮明、繊細に知覚し続けていた。
「……あの野郎は俺たちが逃げずに来るとわかってるみたいだな」
夜の闇に満たされるはずの砂漠の奥、星のような白い輝きを見た。
……見間違うこともできない白銀の光輝。
【銀炎】は――待っているのだろう。
「……今更だが、ディストは怖くはないのか?」
「娘の父親に彼氏として会いに行くってなら怖いかもしれないが……俺は俺たちの敵に会い殺するだけだ。……今更怖いことはない。皆の炎もあるからな」
「……冗談はつまらんが。……ふん、そうだな」
レーニャは緊張を解くように透かした笑みを浮かべると、静かにうなずいて、ディストに飴を押し渡した。
「…………」
何も言わず受け取って、そのまま口に放り込んだ。
硬質な糖の感触が歯に響き、舌の上でゆっくりと溶けていく。
口の中に広がる甘さが乾いた空気で滲む血の味に混じる。かすかに金属の匂いが鼻腔をかすめ、遠ざかるたび、胸の奥の熱が静かに固まっていく。
覚悟はとうに決めていたから。研ぎ澄まされた視線で砂丘の向こうを見据えた。
夜の闇さえ眩む光の奔流と灼熱を予感しながらも、二人は止まることなく灯火の差す方へ歩き進んだ。
そのうち風の音も聞こえなくなった。
靴底が砂に沈む足音だけが響いていく。
……静謐は嵐の到来を、固唾を呑んで待っているかのようだった。
「…………」
飴を嚙み砕いて飲み込んだ。乾いた甘味の余韻が喉の奥へ消えて、胸の奥で何かが音を立てて締まる。
呼吸が白く散った。背後の闇がゆっくり遠ざかる。
――白い砂の丘を越えた先に引き返す道は…………否、とっくにここが一本道だ。進み始めたレールを戻る選択肢はない。
後悔も躊躇いもとうに燃やしていたから、稜線を踏み超える。
瞬間、白銀の光が目を焼いた。
視界に広がっていたはずの夜の帳は破かれていた。
太陽のごとき白銀の炎を前に、闇は焼失し、星灯りはより眩く燦然として燃え揺れる炎に塗り潰されていた。
視界を裂くかのような炎の奔流を前に影が消えた。照らされた砂は融け、刃のような光の破片となって宙に舞い上がっていた。
硝子化した光の塵がより鮮明に≪時針≫と灼熱によって歪む空気を映し出す。熱と冷気の境目で脆く砕け散っていく。
【銀炎】の心臓が、核が強く脈打つたびに、銀に燃える炎炎は研ぎ澄まされ、刃のように鈍色に煌めている。
数瞬の沈黙をおいて、【銀炎】は彗星のごとく輝く深紅の双眸がディスト達を一瞥した。
〚長かったよ。私の愛する娘が持っていた時の力を制御するまで、砂漠を横断するまで、君達が時計の針を起動するまで、……嗚呼、とても長かったよ。だがこれで苦しみは終わる〛
――人の声ではなかった。
金属が擦れ合うような音が形成する歪な言葉。振動が強化胸骨にまで響き、肌の下を這い上がってくる。
ディストは不快感を隠そうとはせず睥睨を向け返した。
――人の姿ではなかった。
肉体は輪郭を保たない。白銀の炎が人の形を真似ている異形……怪物に他ならない。燃えさかる外殻は絶え間なく剥がれ落ち、再び形を成していく。
炎の温もりはない。優しい熱はない。自身さえも劫火に包むほど激情が醜く、おぞましく剥き出しになっていた。
「それで長く、長く時間を掛けた挙句にやることってのは自分の娘を複製して、傷つけて、ぶっ殺すことか? だとしたらお前はひとでなしだな」
時計の針を確実に一つは起動するために自分の娘をそのまま再現して、殺し、傷つけた。
〚それは少し違うよ。巻き戻して、私が愛する娘を助けたなら複製をつくる理由がないのだから。殺した先の未来ではそもそも存在しないんだ〛
――人の心はなかった。親の心も残ってはいない。
燃やす激情は留まることのない狂気と執着だ。炎の輝きに人間らしい揺らぎは一片も存在してはいなかった。
「いいや、お前は嘘をついている。本当に心の底から割り切れてるならお前みたいな態度にはならない」
〚ふぅん……。お前みたいな態度っていうのはどんなものなんだい? 後学のために教えてくれると嬉しいよ〛
【銀炎】は淡々とした様子で問いかけると剡い視線をディストへ向けた。目と目が合う。一見すればそれは真摯な態度にも見えたが、違う。
「…………そうだ。その目だ。ずっと俺を見て、レーニャから逃げている。一度だってレーニャのことを真っ直ぐ見ちゃいない。お前は自分の罪悪感と向き合っていない。我が儘と向き合っていない。後悔と向き合っていない。……ぜんぶ、ぜんぶ向き合おうとしちゃいない。だからなかったことにしようとする」
〚酷い解釈だね。けど、愛する人が殺されたことを、なかったことにできるなら……私ならどんな代償を支払っても、どんな手を使ってでもそれに縋るよ〛
【銀炎】が断言すると、レーニャは帽子のつばをおろして視線を隠し、僅かに俯いた。吐く息が白く震えていく。
しかし決然として【銀炎】を睨み据える。抜刀し、白銀の炎に濡れた切っ先を父親だった者へ向け構えた。
「……後ろだけを見ている者に銀色の空は仰げない。……父さん、いいや……【銀炎】!! ワタシは貴様の色を塗り潰し、膿み爛れ腐りきった炎を消してやる」
レーニャの言葉に【銀炎】は。
――――目も向けなかった。
〚私は先を見ているだけだよ。愛する家族が死んだ世界なんて目も当てられないだろう?〛
銀の業火の奥で真紅が細く瞬き――カチリ、と刻む一拍。
時が音を響かせた音だった。
≪時針≫が作用し、【銀炎】の時間だけが加速する。焔は白い残像の尾を曳いて銀閃が地表を裂いた。硝子化した砂が細雨のように舞う。
炎の残光が幾重にも重なり、空間に刃の層を描く。
距離が消える。熱だけが遅れて頬へ届く。視界を塗り潰す銀の輝きを前に、ディストは双眸を光輝させた。
異界道具の抑制を伴う紫の蛍光。そして≪秒針≫。
「悪いが俺はその愛する家族がお前のせいで死んで――目を継いで前を見てるんだ。分かり合えはしない……!!」
時間の歪みが激突する刹那、ディストは目を逸らすことなく、むしろ真っ向から眼光を突き刺した。
残灰さえも残らない銀の焔で互いの激情を燃やし、焼き付ける。




