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対峙するために


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 ……ぼやけた輪郭が段々と線を結び始めた。


 視界はピントが合わないスクリーン越しのように滲み、明暗の差だけが脳に伝わってくる。


 ……聴覚が先に戻った。低く、規則的な電子音。機械の駆動音。空調のノイズ。


 遅れて、五感全体が鮮明さを取り戻して、脳の奥で火花が散るような痛みと微かな違和感。だがすぐに消えて、ゆっくりと目を開けた。


 無機質な天井が映り込んだ。感覚は広く深く、研ぎ澄まされていて、部屋の向こうにいる気配や空気の流れが視える。


 すべてが以前よりも明瞭だった。


 肉体の施術は完了したらしい。


 脳に流れ込んでくる過多な情報量。数秒ほどひどい吐き気に脳を焼かれたが、深呼吸をしていくうちに、神経系が情報を受け入れていく。


 自分のものではなくなった部位が疼痛を訴えていたが、肉体を認識するにつれてそれもなくなっていく。


 片目。耳。相貌。皮膚。両腕両脚。靭帯。肩。腰。骨。神経系。脊髄。両肺。心臓。血……。体のあらゆる部位が自分ではなくなった。


 異常な情報量を処理するために脳にもメスを入れただろう。


 負荷抑制のためにありもしない臓器が増えただろう。


 機械的な義体から人間のものではない化け物の生体臓器。


 異界から持ち込まれた身体強化の魔術的な刻印まで。


 施術内容の詳細を一瞥して自嘲が零れる。


 自分たちはもはや、試験的な兵器の域で改造を受けたようだった。


 鏡の自分と向かい合うと、緋の瞳は相変わらず時計の針を刻んでいた。


 もう一方の眼はフェンリル社の持つ異界道具を抑制させる紫銀の蛍光を灯している。


「…………」


 実感を掴もうと自分の手をジッと見つめた。ルーディオと同じように金属製になった手。動きを確かめていると、銀雷が指先を奔った。


 遅れて、銀の炎が溢れ出た。自分自身ものではない意思の雷焔が滾り、周囲を銀に灯して、そして体の一部となっていく。


 ――――ルーディオとミルシャの炎が継がれた。


 ……吐く息が震えたが、涙はもう流れない。


 ディストは沈黙したまま、ただ力強く炎を握り込め、立ち上がる。


 手術衣のまま部屋を出た。


 脚の感覚も問題はない。脳に届く神経信号の遅延はゼロだろう。補助筋繊維と金属骨格は生身以上に完璧に同期している。


 真っ白な廊下に出たとき、同じタイミングで左から音がして隣室のドアが開いた。レーニャだった。


 彼女も薄い手術衣一枚だけを着て部屋を出たらしい。


 自然と目が合った。瞳から漂う薄紫の蛍光。


 無力さを憎み握られた拳から零れ出る雷焔。


 レーニャの瞳が、脆く確かな光を帯びたまま動揺を隠しきれずに揺れた。


 向き合った刹那、痛むように心臓の拍動が増していく。


 だが苦く歯を噛みしめると、渦巻く怒りをそのままに冷静さだけが頭のなかを満たしていった。


 自分が、自分ではないかのように錯覚してしまいそうだった。


「……はは、少しは変わったかな。俺たち」


 言葉に意味はなかった。ただ何か言わなければ現実を咀嚼できなかった。


「変わっていなければ困る……。そうじゃないとミルシャとルーディオに合わせる顔もないだろう」


「……悪いが二人にはしばらく会わないでくれ」


「…………」


 会話が途切れる。レーニャは何も言えなかった。出そうとした声は掠れる吐息に混ざり消えて、言葉にならなかった。


 レーニャはただ一歩、義足で踏み出した。


 そして、そのままディストの肩に額を預ける。


 涙は流れなくて嗚咽だけが滲んだ。


 依然としてぬくもりは確かにあったが、かつての鼓動はもう聞こえない。


 人工心臓の静かな圧送音だけが密着した体に伝っていく。


「……少しつまらんな。前はもっとバクバクって音がしていた」


「そっちもだろ」


 冷静さを取り戻すように他愛ないことをぼやいた。


 静けさが満たして、ゆっくりと腕をほどいた。


「っ……レーニャ! ディスト!!」


 ルサールカが駆け寄った。毛並みの乱れた尾が揺れる。目が合ったのは一瞬で、彼女はすぐに俯いてしまった。狼の耳が伏せていく。


「……その、あ、あのね……!?」


 ルサールカはしばらく言葉を探していた。緊張と自責を堪えるように尾が激しく揺れていく。声が上擦って引き攣っていく。


 ――――あいつらはどうなったか。そんな問いかけを飲み込んで、じっとルサールカに眼を向け続けた。


 尋ねる必要はなかった。彼女の表情が、継いだ銀の灯火が全てを語っている。


 小さく震えるように唇。肩。ルサールカは深呼吸をして嗚咽を誤魔化すと、空元気を振り絞るように微笑んだ。


「二人さ……二人ともさ…………すごく、恰好よかったんだ。でも、バカだよ……本当ッバカだよ…………」


 敬意であり、追悼であり、呆れであり、悲しみであり、怒りでもあった。


 それ以上の説明はなかったが、あまりにも重い言葉だった。


 ディストは沈黙し、レーニャは静かに拳を握り込んだ。

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