炎のなかへ
終章:銀焔は熄まず
次元門を超え、踏みしめたのは白い砂だった。砂漠に戻ってきたらしい。ルーディオとミルシャは熱気を吞み込んだ。
眼前、白い砂漠の地平が歪んでいる。陽光がもたらす蜃気楼ではない。
空間が【銀炎】を中心に沈む。風が退き、大気は膝を折って燃え揺らぐ。
砂は溶けて硝子に成り果て、白銀の炎に煌めいていた。
「なぁ、こうなる前にあったのは二年前だったか? ……そんときはこいつもいなかったから紹介もしてなかったな。……【銀炎】」
【銀炎】――感情を燃やし糧にする炎に全身を浸蝕された姿は異形そのものだったが、ルーディオはなんてことのないフリをして、ぽふぽふとミルシャの頭を撫でた。
「こいつはオレの部下のミルシャだ。お前より賢いし、理性的だし、お前より可愛げがある。……うらやましいか?」
〚くだらない無駄話をしにきたわけじゃないんだ。ルーディオ〛
金属が擦れ合うような歪な音で形成された言葉が鼓膜を震わせる。
銀の炎は穏やかに熱を帯びて揺れて人の姿を模しているが、ルーディオ達には人でなしにしか見えなかった。
双眸が青白い星のような光を鋭く曳いて、見透かすように燃えている。
「そう言うなよ。【銀炎】。……オレは幾つか気になってたんだ。昔のよしみだ。……前は一緒に飲んだりもしてたじゃないか。俺の身体がこうなる前はさ」
冗談を含ませたはずの声色から温度が抜け落ちると、空気が張り詰める。
重装外骨格の脚部が微かにうなった。駆動システムが熱圧縮を始める音が耳を刺すと銀の炎を翼のごとく広げ空気を裂いていく。
〚……私にとっては無意味な過去だよ〛
【銀炎】の焔が揺らいだ。怒りでも嘲笑でもない。ただ、まったく別の温度で世界を視ている者の反応だった。かつての因縁も友情も思い出もすでに届かないところにあった。
【銀炎】はただ一歩、音もなく白い地を踏みしめた。砂は硝子へと変わり、硝子は赤熱して溶けて、砂漠が揺れる。
ルーディオを守ろうとするようにミルシャは険しく睥睨を向け前に出た。
指先が微かに動いただけで、空気中の粒子が振動し帯電し始める。白い砂が乾いた音を立てて散り、電磁波がうねりを描いた。
パチ、という小さな音が空間を裂く。碧の雷電が交差し、肌にまとわりついた静電気が銀色の閃光を迸らせる。
〚……美しい炎だね。私は君たちのような部下を持てたことを誇りに思おう〛
「気持ちも熱も籠っちゃいねえ言葉だな。【銀炎】。あんたからすれば俺たちは蝋燭の火か? お前は見るたびに火力が強くなってたからな。嗚呼、特に二年前と今じゃまるで別人だなぁおい」
ルーディオは――構わず話を続けた。必要なのは時間を稼ぐことで、必要なのは彼の情報で、ちゃらけた素振りで手段を隠しながら任務を遂行し続ける。
「最初はあんたの話を聞いて、本物の娘がお前に炎を継いだのかと思ったが……少し違う。まるでお前が二人いるみたいになったな」
ルーディオから生じる銀の輝きは劫火となって砂塵すらも焼却した。
【銀炎】がもたらす焔さえも呑み込むように広がって、佇んだまま静かに互いの炎を焼き払う。
「【銀炎】、お前は誰から炎を継いだんだ? お前は一体、何を燃やしてここに立っているんだ?」
問いかけに、【銀炎】は自分の手を僅かに一瞥した。銀の炎と完全に同化した心身が答えであるかのように、さらに一歩、距離を詰める。
【銀炎】の支配領域が喰い込んでいく。
〚自分の大切な、たった一人の娘を守るために炎に身を投じることもできない父親がいると思っていたのかい?〛
【銀炎】から滲む銀の炎が、焔焔として燃え上る。白い砂漠を覆うように広がり、硝子化した大地に何条もの亀裂が走っていく。
「そりゃ立派な父親だな。んで、その父親ってやつは死んだ娘を複製して自分で殺す役目でもあったのか? じゃなきゃオレにはお前のことなんて理解できねえよ」
〚……ルーディオ、私はね。託されたんだ。……レーニャから、【銀炎】から。目的のためには何を犠牲にしてもいいと思っているんだ。私の想いすらも例外ではないよ〛
「……人でなし」
ミルシャの罵倒に、【銀炎】は小さく炎を傾げるだけだった。
空気が震え、景色が滲む。光が屈折し、視界が焼き焦がされるように色が褪せる。
彼を中心に、白銀の焔がふつふつと膨張を始めた。爆ぜることも炸裂することもない。ただ、底知れぬ熱と質量だけが際限なく広がっていく。
圧があった。威圧ではない。質量そのものが変質していくような圧力だった。
重力の揺らぎ、物体に生じる時間の流れの歪み、加速の性質を持つ銀の狂焔によって――物理法則が【銀炎】を中心に折れ曲がる。
「これ以上の時間稼ぎは終わりだな。てめえを、殺す」
「【銀炎】、覚えておいてください。ミルシャ達も仲間のために炎に身を投じることができるんですよ」
二人の激情の炎が銀の災火と激突した。蒸気の嵐が吹き上がり、鮮やかな雷火が地表を焼き、【銀炎】に拮抗していく。
だが【銀炎】は動じない。恐ろしいまでに微動だにせず、ルーディオの銀翼を、ミルシャの雷鳴を正面から見据えていた。
――攻撃は通じない? ミルシャ達の炎じゃ追いつくことも触れることもできない? 迷うな。色付きは不死じゃない。不可能はない。……関係ない。
……色を冠した者がこの世界でどのような強さを持つかは十全に理解していた。
眼前を埋め尽くすような眩い白銀を前に脳裏に過ぎる動揺と畏怖、怯え。
「っあああああああああああああああああああああ!!」
それら全ての感情も燃やした。燃やし尽くして振り払う。
臆病だった少女は雷炎の怒号を張り叫び、銀の劫火を穿き貫いた。ほんの僅かな道筋を作り出し、ルーディオは発走した。
地を蹴る脚に込める銀の加速。炎がもたらす熱を収斂し、速度に変えて、翼に変えて飛んだ。銀焔の噴出によって機体が軋み悲鳴をあげたが構わない。
渾身の力をもって【銀炎】へ驀進する。
「――――――――――――――――――――――――!!!!」
そして途方もない加速の衝撃。熱と閃光。轟音が衝突した。




